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碧玉の瞳  作者: ふとん
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 次に目を開けると、四方形の部屋に歩美は立っていた。しかし不思議と驚く気にもなれず、目の前に銀髪の男が満足そうに立っていても感動はなかった。

「おめでとう。ソフィア」

 ゲイリーは嬉しそうに蒼の双眸を細めると、大げさに腕を広げて見せた。

「君のお陰で網膜型の照合を潜ることができたよ」

「……ここは?」

「エメラルド・タブレットの第一表層部。君に話したあの碑文がある場所だよ」

「文字がないわ」

「この擬似空間が碑文だ。碑文に関する言葉を発すれば関連文が浮かび上がる」

「詳しいのね」

「何度も試したからね」

 部屋の内側は方眼紙のような升目で構成されており、上下左右の方向も危うくなる。

「だから応えてもらうよ―――。佐々木歩美さん」

 佐々木歩美。

 この言葉で歩美は声も出なくなった。ズンと胸の奥を何かに縛られている感覚に襲われ、冷や汗が噴き出す。

「……どうして……」

「名前のことは聞いているみたいだね? だけど言っただろう。僕が君を誘拐したんだよ。名前くらいは調べてあるさ」

 いつかラグエルが話してくれたことだ。名前を知られるということは、生殺与奪を握られることだと。

 さぁ、とゲイリーは道化師のように笑う。

「早速応えてもらおうか。時間もないようだしね」

 歩美は息苦しさに膝をつく。

「一つのものの驚異を成し遂げるにあたっては、下にあるものは上にあるものに似ており、上にあるものは下にあるものに似ている。これは何か」

「そ、それは……」

 意思に反して、歩美の口からはよどみなくゲイリーの応えが滑り出した。

「世界であると同時にアースを指す」

 歩美の驚愕を他所にゲイリーは続けた。

「そして万物は、一つのものの仲立ちによって、一つものから成ったように、万物は順応によって、この一つのものから生まれた。とは何か」

「世界の順応者。それは転生する生物」

「このものの父は太陽で、母は月である、風はこのものをその胎内に持ち、その乳母は大地である。

このものは全世界いっさいの仕上げの父である。その力は、もし大地に向けられれば、完全無欠である。

とは何か」

「世界の秘密を暴こうとする者であり、決して秘密を暴けない者。人」

「汝は、土を火から、精妙なものを粗雑なものから、円滑に、極めて巧妙に分離するがよい。それは大地から天へ上昇し、再び大地へ下降して、優れたものと劣れるものの力を受け取る。かくて汝は、全世界の栄光を手に入れ、一切の不明瞭は汝から去るであろう。とは何か」

「アース、ヘブン、ソドムを含めた世界の法則。即ち三世界の破壊と共存の運命」

「このものは、すべての剛毅のうちでも、いやがうえに剛毅である。なぜなら、それはあらゆる精妙なものに打ち勝ち、あらゆる個体に浸透するから。とは何か」

「世界を統治するもの、しかし何物も統治できない者。ヘブン」

「かくて大地は想像された。したがって、このものを手段として、驚異すべき順応がなされるであろう。とは何か」

「世界で唯一順応しない者。それはソフィアと呼ばれ、佐々木歩美と呼ばれた者。しかし、ここではソフィアと呼ばれた者の瞳」

「このため私は、全世界の哲学の三部をもつ三重に偉大なる者と呼ばれる。私が太陽の働きについて述べたことは以上で終わるとは?」

「世界の秘密を暴く者。翠玉の瞳」

 方眼紙が一斉に解けた。

 それは一つ一つが意思を持って、バラバラと八方へと散らばっていく。散らばった破片はそれぞれに色を変え、終には新たな世界を作り出した。

「―――――……これが?」

 ゲイリーの驚いた声が響いた。

 歩美は膝をついたまま、辺りを見回した。

 彼女達が立っているのは硝子の部屋である。視界の及ぶ限りに果ての無い空が広がり、明るい光が満ちている。散らかった文献も、開け放たれた端末も、引かれた椅子も、カップの乗った机も、人が居たことを如実に語る。

「……これは…僕の部屋?」

 うめいたのはゲイリーである。困惑した蒼の瞳が部屋の中を彷徨う。

「それも……あの日のまま……」

 しばらく戸惑うように部屋を歩き回っていたが、彼は歩美に近づき、彼女の腕を掴み上げた。

「来い!」

 乱暴に歩美を引きずり、部屋を出る。硝子の回廊を突き当たると、三人が対峙していた。

 ちょうど、剣を振り上げたところだった。

 細腕に似合わぬ両手持ちの大剣を振り上げて、彼女が男に斬りかかっている。

「ソフィア……」

 辛うじてうめく歩美を見遣って、ゲイリーは細く笑んだ。

「彼女に会ったのか」

 息苦しさに口を閉じると、彼は口の端を上げた。

「ならよく見ておくんだ。彼女の過去を」

 ソフィアが斬りかかったのは、長いブロンドの男である。白の詰襟を来た姿はどこか西洋の宗教画のようだ。想像上の天使のように穏やかな笑みを湛えている。

 だが、ソフィアが大剣を向けているこの場では悪魔のようにも見えた。

「駄目だよ。ソフィア」

 滑らかなバリトンが硝子の廊下に響く。

 ソフィアはそれに応えるように両手剣を構える。両刃のそれは屈強な戦士の持つ重装備だが、彼女は愛用の剣としているようで、痛々しいほどさまになっていた。

 彼女が踏み出した。

 純白のドレスを翻し、切りかかるのではなく、眉間を射抜くような刺突。紙一重で避けられるがつんのめるどころか男を追って袈裟斬り。地面に切っ先がつくまでに引き上げ逆唐竹。だが、男はブロンド数本を残してバックステップで逃げた。

「―――…本気かい。ソフィア」

「……私は、あなたのように嘘が得意ではないの。ラファエル」

 男、ラファエルを見たソフィアの碧眼は、鮮やかに光沢を放って彼女の剣を映した。

「やめろ! ソフィア!」

 ソフィアの後ろから彼女の肩を掴んだのは、アズラエルだった。いつか歩美が見たように、眼鏡はなく、紅い双眸は出会った時よりも幼い。

「放しなさい。アズラエル」

 ソフィアに低く応えられ、アズラエルは顔を歪めた。

「私の問題よ。―――いつか話したわね。私の育った孤児院のことを」

 アズラエルに反して、ソフィアは無表情に口を開く。

「……異教を信仰していたと、告発されて捕まった…」

「そう。これは後に誤認だとわかったわ。でも疑惑を向けられた時点で異端審問は極刑を余儀なくされる。だから、私がここへ―――研究施設へ来ることで孤児院の皆は釈放されるはずだった……」

 ソフィアは一度きつく目を閉じると、意を決したように見開き、ラファエルを睨みつけた。

「でも、皆殺されていた……この男の指示で!」

 彼女はもう一度剣を構えて、地を蹴った。

「ソフィア!」

 アズラエルの制止は効かない。ソフィアはすでに剣を振り上げている。

 ラファエルはこのソフィアをどう切り返すか、ゲームを楽しむように笑んで腕を組んだ。

「やめろ!」

 それは、ソフィアが予想していなかったことに違いない。

 振り下ろす剣先にアズラエルが立ったことは、ラファエルでさえも。

「アズラエル!」

 初めてラファエルの顔に焦りが見えた。アズラエルを突き飛ばし、ラファエルはソフィアの剣先に立つ。

 血飛沫が上がった。

 飛沫はソフィアの白い頬にも届いたが、彼女は放心したように剣を手放していた。

「……満足かい?」

 そう、場違いなほど穏やかに笑んだのはラファエルである。彼の服は切れている。その切れ間からはだくだくと鮮血が染み出した。

 ソフィアの剣が廊下に落ちた。硝子の廊下に音叉のように地鳴りがした。

 剣先についた僅かな血は硝子の壁面に色を加えた。

 ラファエルは流れ出る自分の血はそのままに、突き飛ばしたアズラエルに顔を向ける。

「大丈夫かい?」

「……何故………」

 アズラエルが眉間に皺を寄せるのを見て、ラファエルは目を細めた。

「なぜ……。ソフィアが神官になるときになって…」 

アズラエルは困惑の眼でラファエルを見やるが、彼は口の端を上げたまま息をついた。

「気がつかない? 僕は、君が嫌がることなら何でもしたくなるんだよ」

「ラファエル!」

 アズラエルの眼が一際紅く灯った。

 それは前兆でしかない。

 ラファエルが咄嗟に身を捩らなければアズラエルの放った腕に囚われていた。

「駄目よ! ラファエル! アズラエルを怒らせないで!」

 ソフィアは落とした剣を拾い、走った。

 彼女の先ではアズラエルがラファエルに詰め寄っている。

「アズラエル!」

 その声に反応したアズラエルの瞳は漆黒。闇の光沢さえある黒瞳になっていた。

 それに気付いたソフィアが剣を構えるのは、アズラエルの腕が彼女に突き出されるより半瞬遅い。

 アズラエルの手刀が嫌な音を上げた。

 彼の手が突き破ったのは、ソフィアの右目。

「―――こうして私は死んだ」

 アズラエルの腕を取って、ソフィアは彼の手を自らの右目から引き抜く。

 抉られた右目は血飛沫をあげたが、彼女が手を翳すとそれは元の白い顔になった。

 アズラエルは腕を突き出したまま、まるで静止画像のように止まったままだ。

「……ソフィア」

 ゲイリーはうめいた。

「生きていたのか?」

「いいえ。死んだわ」

 ソフィアは淡々と応えて廊下の、更に奥を指差した。

「あなたがそこで見ていた通り」

 彼女が指差す暗がりにいつからそこに居たのか人影がある。ラファエルと同じような白の詰襟を着た、銀髪の男である。

「ゲイリー……」

 歩美が呟くと、ソフィアは首を振る。

「彼の本当の名前は、レミエル。彼はとても不運だった」

「―――不運?」

 眉根を寄せたのは当のゲイリー、レミエルである。

「私の何処が不運だと? 確かに私はここで君たちを見ていた。そして異端審問に密告した。私は君の、そうソフィアが嫌いでね」

 レミエルは口元を歪める。

「何でも見通してしまう目……。そんなものは神への冒涜だ。だから君たちを見殺しにして、ソドムに逃げた」

 だから、と彼は歩美を横目で睨んだ。

「この瞳が転生したと知って、探した。こんなもの、この世に無いほうがいいからね。私の手で潰してやろうと思った」

「確かに、この瞳は無い方が良いわ。幸福よりも不幸をより多く映すから。でもね…」

 ソフィアはレミエルを見遣って、言葉を切った。

 すると留まっていたアズラエルが再びソフィアの右目を潰した。

 ソフィアは膝から力を失い、ダラリと空中にぶら下がる。手を引き抜き、彼女の体を硝子の床面に打ち捨てたアズラエルは、無表情に標的を傍観していたラファエルに移した。

 ラファエルは顔をしかめて体勢を整える。だが、

「た、助けてくれ! アズラエルが暴走を……!」

 通信の声が静寂の均衡を崩した。

 声に導かれるようにアズラエルはそちらへと走る。

 ほぼ一足飛び。

 目指す先は廊下の突き当たり。

 ちょうど暗がりの死角から一人の男が飛び出してくる。

 レミエルだった。

 悲鳴をあげるが、アズラエルの黒い瞳には届かない。

 手刀はレミエルの首を既に捉えていた。

 その腕をレミエルは掴むが、遅い。

「嘘だ!」

 歩美の横に居たゲイリーはアズラエルの腕に掴みかかった。しかし時は何もかもが遅い。

 アズラエルがレミエルの首から手を離したときには、レミエルの体は透明な硝子の床に崩れ落ちた。

「ソフィア!」

 ゲイリーは同じように倒れているソフィアの胸倉を掴み上げた。

「何故、私にこんな幻想を見せる! 私はエメラルド・タブレットの謎を解いたんだぞ!」

 揺さぶられてソフィアは残っている左目を開けた。

「忘れてしまった?」

「……何?」

「エメラルド・タブレットの碑文を」

「何万回も繰り返して読んださ! そんなものは!」

「では第一の文は?」

「これはうそいつわりなく真実、確実にして―――…」

 途中まで口にして、ゲイリーは目を見開いた。

「続きを」

 ソフィアは無情に告げる。

「続きを」

 無理だ。

 歩美は顔をしかめた。

 ゲイリーは震えのあまり、呂律が回っていない。

 ソフィアもそれを確認したのか、静かに続けた。

「これはうそいつわりなく真実、確実にして、このうえなく真正である。これはエメラルド・タブレットの本質―――…」

 言い終えたソフィアをゲイリーは壁面に叩きつけた。

 血飛沫が上がるが、ゲイリーにはもう何も見えていない。

 嘘だ。

 嘘だ。

 声にならない呟きを漏らして頭を抱えた。

「エメラルド・タブレットはあなたが解説した通り、瞳を解析した結果作られた、記録と予知能力を備えたシステム」

 倒れていたソフィアは起き上がった。既にその白い顔に傷はない。

「システムは人のように嘘をつけないのよ。レミエル」

「うわあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ゲイリーの叫び声とともに、硝子の廊下はその役割を放棄した。

 初めからそこには何もなかったように全ては消え失せ、ただ、何もない空がレミエルの絶叫と惨劇を飲み込んで、消えた。





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