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その瞳の出現は、確かに世界にとっての不幸だった。
人という意識体が無限の時をかけて解き明かそうとしている世界を、かの瞳は一瞬にして読み取ってしまうのだ。
過去。
現在。
未来までも。
だが、この瞳が人の手に委ねられたのは、人にとっても不幸となった。
暴く秘密のないことで、人は人ではいられなくなるのだ。
「私が生まれたのは総合病院」
淡い光を地面から刳り貫かれるように受けて、歩美は口を開いた。
「予定より少し早く生まれたので、すぐ無菌室に入った。両親と対面したのは二週間後。母は日本人、父はイギリス人。二親の遺伝子を色濃く受け継いで、私はこの黒髪と碧眼を持った」
「そう。そうだったわね」
鏡のように歩美に肯いたのは、彼女と同じように光を、淡い緑の光を受けている女である。波打つ長い焦げ茶の髪を垂らし、細い体に純白のドレスを身につけた姿はまるで花嫁だが、その白い顔は深い憂いを湛えている。
「あなたが―――ソフィア?」
再び彼女は肯いた。鮮やかな碧の瞳が歩美を写す。
「そう。確かにそう呼ばれていた」
「呼ばれていた?」
「すでに私は私ではなく、貴女の一部となっている」
「……私は、やっぱり貴女なの? ソフィア」
「いいえ」
ソフィアは憂いを深くして目を閉じた。
「私という概念はすでに無いの。だから、貴女は貴女であって、私ではない」
「―――どういうこと?」
「そもそも、世界の秘密を知る人はいないの。私は、私であった時、他人の未来は見通せても自分の未来は観えなかった。それでも、私は他人の過去や未来――その人最大の秘密とも言えるものを見てしまう。これは元々あってはならない目だった。こんな目が世界に二つとあっては世界のバランスは崩れてしまう。だから、私は世界において既に存在せず、貴女は貴女という存在なの」
「私がこの瞳を持ってしまったのは、貴女の生まれ変わりだから?」
「その答えは半分正解だけれど、半分は違う」
「違う?」
「私はソフィアという存在。貴女は佐々木歩美という存在。この固有の存在が交わることはないわ。他の人々は転生を繰り返すけれど、私達は己の存在のみの付加価値しかないから、生まれ変わるという概念は存在しない。だけど私達がもし何かで繋がっているとすれば、この瞳」
ソフィアはふ、と目を開けて瞳に手を翳す。
「この瞳が私と貴女を繋ぐものとなっている」
「……つまり、私はソフィアの生まれ変わりではない…けれど、この瞳を受け継いだ」
「そう。瞳の人選は無差別に行われる。だから、絆と呼べるものはこの瞳」
「そして私は私であり、このまま永久に変わることはない……」
「でも貴女は大事なことを忘れてしまっている」
「……大事なこと?」
「忘れてはならないことを忘れてしまっている。そして私も」
「貴女も?」
「でも私は貴女が瞳を開いてしまったことで思い出してしまった」
歩美の手をとり、ソフィアは堅く握る。
「この瞳が私を一人でないと信じさせてくれる」
憂いの表情が少し緩み、穏やかな笑顔をソフィアは歩美に向けた。
その笑みに応えて、歩美も少しだけ口元を緩めた。