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碧玉の瞳  作者: ふとん
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 灰色のくちばしの上には丸い眼鏡が乗っている。眼鏡と同じように丸い赤茶の目は手元の本に落とされている。

「良い本は入りましたか」

 ゲイリーが店主に呼びかける。こちらも棚を見つめたまま目を離さない。

「五段目の千二百番棚に新しい本がある」

 店主はハシバミ色の羽根に覆われた丸い顔を向けもせずに応えた。人と同じ大きさのミミズクである。彼はカウンターに居座ってじっと本を読み耽っている。

「そこのお嬢さん」

 低い声に呼びかけられて、ソフィアは少し息を呑む。

「アンタは十段目の五千百五十一番棚の本がいい」

「はぁ…ありがとう」

 一応、礼を言ってソフィアは本棚が林立する薄暗い書庫へと向かう。

 空気は静謐、人より本にとって快適な常温が保たれている。

「決まったかい?」

 ゲイリーが五番目の棚から目当ての本を見つけたようだ。

 ソフィアも言われた通り、十番目の棚から薦められた本を取った。革張りの装丁で金属でも入っているのか固くて重い。しかし取ったはいいが、字は虫がはい回ったようで、まるでわからない。

 そういえばなぜ会話ができるのだろうか。

 ゲイリーは自分に本を渡すよう言うと、幾らかの金を払ってソフィアを連れて店を出た。

 川の支流のように幾筋も流れている街路の一角に本屋はある。外観はこじんまりとしてウィンドウすらないが、中は先ほど見たように果てしないのではないかと思うほど本棚が並んでいる。

 石畳の街路へと出て、ゲイリーについて歩き出す。

 ここは先ほど通った露店の並ぶ道とは違い、本屋のような静かな店が続いている。人通りもあまり多くなく、広い道幅では少なく見えた。

「……どうして私は、あなたと会話ができるのかしら」

 会話はくまなく聞き取れるが、字は一向にわからない。

「まだ慣れていないからだね。その目の使い方に」

 ゲイリーの家はここからほど近い。あと二間行けば半地下の街路に着くだろうか。

「君の目は調整が難しい。そのうち慣れてくる」

「慣れるほど、ここに居座りたくないんだけど」

「ここの暮らしも慣れれば楽しいものだよ」

「……ゲイリーはここの世界の人なの?」

「そうだよ。君は違うね」

「―――ヘカテって人に、アースの住人だって…」

「彼女は有名な魔女だから。過去のみならず、未来さえその知己に蓄えられているというね」

「ゲイリー…さんも魔女、なの?」

「ゲイリーで結構。僕は魔術師だよ。世界の秘密を暴くのが仕事だね。魔女は世界を知る仕事」

「……世界の秘密?」

「どうして空がないのか、どうしてヘブンとアースと繋がっているのか。といったことを考えるんだ」

「ここ…ソドムには空がないって聞いたけど、どういうことなの?」

 この街の空の部分は木々が根を巡らせ、葉が青々と茂っている。

「本来ならここは全て暗闇の世界なのさ。でもここは明るいだろう?」

 ほら、とゲイリーは遠い天井を指差した。木々の隙間に白く輝いて見える球体が埋め込まれている。

「あれがこの国で作られた人工発光器。この国の発展を支えている」

「夜と昼と調節できるのね」

「いいや。ここは昼ばかりだから一日中発光器が灯っているよ」

「夜がないの?」

「時間としてはあるね。因みに今は真夜中だろう」

 ゲイリーは自分の腕時計に視線を落とす。時計の針は、逆回転に刻まれていた。

「眠らないの?」

「もちろん眠るよ。でも僕も君と同じように、食事も睡眠も必要ない」

「あなたはここの住人じゃないの?」

「元はヘブンから来たからね。移住者は五感を全て奪われる」

「じゃあどうして私も貴方も目が見えて耳が聞こえているのよ」

「それは元々持っているからだよ。でもソドムに生まれたわけじゃないから、ソドムでの五感はない。そういうことだよ」

「どういうこと?」

「つまりね、ヘブンから持ち込んだ目では、ソドムでは本当は見えていないということなんだよ。今見えているのは干渉による錯覚でね。平たくいえば、ソドムの人達にとって、僕たちは幽霊みたいなものなんだ」

「幽霊! じゃあ私は幽霊として、ソドムの人達と話しているの?」

「少し難しい話をするとね。ソドムでは死の概念がない。つまり死の認識がない。死ぬことで消滅するという感覚がないんだよ」

「死なないってこと?」

「いや。人は必ず死ぬ。でも死人の世界と区別が曖昧だとしたら?」

「……地獄と天国があるとしたら、それがぐちゃぐちゃになっている?」

「惜しい。ここでは肉体の死が必ずしも死んだことにならない。意識が生きていればその人は生きていることになるんだ。それがどんな姿でもね」

「霊感があろうとなかろうと、幽霊が見えるわけ?」

「君の世界では幽霊と認識されるものが、ここでは生きている人と判断されるわけだね」

「―――そんな……」

「ここで見たことがないかい? 巨人だの、大きな鳥だのと。あれは意識体だよ。肉体のない生き物がわずかに残った意識であんなものを作り出して生きている」

「アレと同じようなものに、私はなっているの?」

「君はまだ死んではいないだろう? でも身体と意識が全く異なる働きをしているのは確かだ」

「身体は寝ていて、意識は起きている状態?」

「そう考えた方がわかりやすいね」

 街路を曲がって裏路地に出るとすぐに階段がある。

 その半地下へ降りるとゲイリーの家が見えた。

 ゲイリーはソフィアを家へと通す。そして愛用の椅子に腰掛けながら買ってきたばかりの本を眺めた。

「リーはいつもそのときにその人に合った本を選んでくれる。君にはこれだ」

 ゲイリーはソフィアが取ってきた革張りの本を手渡した。

「読めないわ」

「そうだね。こちらの部屋に行こう」

 彼は書斎の奧の部屋を指差し、席を立つ。ドアを開くのでソフィアも続いた。

 部屋は暗がりに覆われている。だが、ゲイリーが入ると淡く、幾つもの光があちこちに灯った。暗闇に浮いた光をよく見れば、買ってきた本と似たような本である。部屋はすり鉢状で、入ってきたドアから一本の階段が続き、部屋の中央と思われる場所は楕円の床がスポットライトを浴びているように居場所を主張している。

「貸してごらん」

 ソフィアから本を受け取ると、ゲイリーは階段の途中で本を空中へと手放した。すると本は音もなく浮かび上がり、他の本と同じように光を放ち始める。

「これを読みたい時は、この本を呼びさえすればいい」

「……どうやって?」

 ゲイリーは再び階段を降り始める。

「あの椅子に座って、こういう本が読みたいなぁと思うんだよ。そうすれば幾つか近寄って来て読んでくれる」

 彼が指差したのはすり鉢の底にある明るいスペースにある三つの椅子だった。背もたれのついた白の椅子は何ら変わったところは見られない。

 ゲイリーに連れられて椅子のある床まで着くと、彼は椅子を勧めた。

「さっき薦められたのは、ヘブンについての本だね」

 ソフィアに続いてゲイリーも椅子に腰掛けると、くつろぐように目を閉じた。

「本を静かに読むというのは良いよ。自分の感覚が全て本に支配される……。憑かれるとでもいうのかな。余計なことを考えなくて済む」

 ゲイリーの周りに、提灯のような本が五冊ほど並んだ。ソフィアにも三冊ほど、懐くように本が近寄ってくる。

「さぁ。目を閉じて。語りかけてくる本の声に耳を傾けてごらん」

 言われた通りに目を閉じる。

 そこは、確かに異世界だった。


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