10
おさまらない息切れを噛み殺し、草むらで小さく固まっていた。
これでどうにか静かになるが、体を走り回る動悸だけは落ち着けようがなかった。
広間から逃げ出したものの、ソフィアは広い城の右も左もわかるはずがなく、しばらく走り回ったあげくに迷った。元からどこへ行きたいのかもわからないのである。とにかく逃げ回るうちに小さな庭園の草むらに身を潜めるはめになったのだ。
じっと息を殺して焦点の未だ定まらない思考は、先ほど見たアズラエルの悲痛に歪んだ顔に行き着いた。
私を殺すの、と口走った。
それは何故か確信めいていた。
真実の森の幻覚は、幻でありながら真実を写している。
アズラエルの幻に現れた、顔の半分抉られた女。彼女はアズラエルに殺されたのだ。
美しい長い髪の女は奇しくもソフィアと同じ翠の瞳だった。もっとも、彼女の瞳はソフィアの新緑よりも鮮やかで、ずっと澄んでいた。
彼女は何者も見透かすような翠の瞳でガラスの世界を見つめて二人の男を見守っていた。
一人は金髪の男、もう一人は紅い目のアズラエル。
彼女の瞳に映っていたアズラエルはまだ幼く、彼が女を見つめる目は苦痛に満ちていた―――。
ふ、と影ができた。
誰かが覗き込んだのだ。
震えで息が止まる。
「ソフィア」
囁いた声に聞き覚えがある。
見上げるとラグエルが草むらの側に立っていた。
「良かった。無事だね」
茶髪の貴公子は似合わない軽薄さで微笑んだ。
「……何がもう、どうなってるの?」
見慣れた気安さでソフィアは涙がにじんだ。だが必死に目頭をこすってラグエルを睨みつける。
「ごめんね。でもあの時はああするしかなかったんだ」
慰めるようにラグエルは声のトーンを落とした。
「牢に入れるのも?」
「森を出て、すぐに捕まってね。君の居場所がわからなかった」
兵士に見つからないようにか、ラグエルはこちらには向かわず明後日の方向を見たまま肩を竦める。
「よそ者には厳しい国なんだよ。治安はどこの国より良いからそのせいなんだろうけどね」
「―――これから、どうしたらいいの」
ソフィアは膝頭をきつく抱いて目を伏せた。
「とりあえずここから逃げるんだ。ここに居てもいずれ見つかる」
「……そうね」
「ああ。まだ立たないで。そのまま」
ラグエルはソフィアの方に手の平を向けた。
「君をこのまま市街に飛ばすから」
「飛ばす?」
「魔法みたいなものだよ。正確には移送転換魔術と呼ばれているけれど。出入り口はさっき作っておいたから市街の何処かに出る」
「それから?」
「そこからはちょっとサバイバルしてもらうしかないな。でも人の密集地だし、適当に観光でもしておいでよ」
気楽なものだ。呆れ顔で眉根を寄せるとラグエルは広い布を被せてきた。
「ちょっと…!」
「君の位置は上と連絡を取って教えてもらうから。大丈夫だよ。ちゃんと会える」
その声を最後に、ソフィアの視界は暗転した。