三番地の片隅で
ガラス張りのドームを繋ぐガラスのトンネルは外の様子がよく見える。住宅街を徘徊するのは人ではなく魚やクラゲで、生い茂るのは草花ではなく海藻。海の一部と化した世界を眺める気は毛頭ないが、エリアを移動するには必ず通らねばならない。幾ら列車であろうと、エリア同士は決して近くない。
二番地は元横浜だが、三番地は渋谷だった土地。中央の三番支部を支えとした二番地よりも少し小さい方舟。
葉乃は今、水中トンネルを通る列車で二番地を目指していた。
二人も言ってしまうと組織が回らない、と言い出しっぺが言うので、仕方がなくじゃんけんで喫茶店に向かう方を決めよう、と深嶺が言い出した。葉乃も否定せず、拳を突き出す。そして、十何回という二人ではそうそうならないような長さを以て深嶺がパー、葉乃がグーで深嶺の勝利で試合は幕を閉じた。深嶺は喫茶店をやる気は微塵もなかったようで、「葉乃、任務は頼んだ」とそれはそれはいい笑顔で微笑んだ。対して葉乃の顔は到底人に見せられたものでは無かったが。
喫茶「lettor」二番地の片隅で細々と営業している店だ。できたのは方舟完成後で、建物もうちに頼んだようで真新しい。従業員は瀬尾魅音と真田絵舞。店主は魅音の方だが、絵舞の方が年上。葉乃はその間になる為、魅音は年下。
人手不足を極めた結果なのか、既に明日からの出勤らしい。
ノアから受け取った資料を眺めながら列車に揺られていると、やがて速度を落として止まった。二番地へ着いたらしい。渋谷駅の設備を再利用し併設された参ノ駅。
慣れない土地だから、と店主がハチ公前まで迎えに来てくれるらしい。その厚意に対し、実は何度も訪れているから大丈夫だと答えられず葉乃は人がごった返しているであろうハチ公前へ足を向けた。
浅葱色のクラゲカットは目を引く。持ち主が美女であれば余計。
資料で見た通りの美女は周りの視線など意にも介さず、スマートフォンを弄っていた。せめて、こちらを探そうとする素振りくらいはみせてほしい。通話した様子からしてかなりのマイペースであることは分かっていたが迎えに来てくれたのではなかったのか。
「瀬尾魅音さん、でお間違えないでしょうか」
葉乃はその長背で人の間を縫って彼女へ近寄る。声を掛けると、蜂蜜のような目を画面から外した。
「そうです、そうです。葉乃さん、ですよね?」
シュッとしたお顔立ちからはイメージのできない人好きのする笑顔をみせる魅音に葉乃は深嶺を想像しながら、こうも違うか、と思っていた。
「喫茶「lettor」店主、市民番号52347555、です」
「市民番号61256354です、よろしくお願いしますね」
「よろしく!店員さん増えて凄く嬉しいです」
定番の挨拶をも済ませると、敬語に砕けた口調が混ざり始めて。魅音が人懐っこい性格なのだろうと予想する。
「では、案内お願いできますか?」
「いいよっ!」
ーーーーー
喫茶「lettor」
左隣にガラスの壁があるドールハウスのような建物のドアにはドアプレートが掛けられており、手書きでCloseと文字がある。魅音は当然気にもせず、木製のドアに鍵を挿した。
葉乃はそのドアがノアの部屋のドアとよく似たデザインであると感じた。どちらかの作成時に参考にしたのだろう。
「ようこそ。三番地、喫茶「lettor」へ」
休業日に中へ通されると、手渡されたのは雇用契約書_ではなく、メニュー表だった。葉乃が困惑していると
「何か出すよ、話のお供にコーヒーは如何?」
おちゃらけて笑う魅音に「では、それでお願いします」と頼むと
「りょうかい!」
にこにこ笑って厨房へと掛けて言った。
三分も待たずにコーヒーは出される。
「お待たせしました、当店特性ブレンドコーヒーです」
ことりと葉乃の手前へ置かれたカップは湯気を絶え間なく吐き出し続けていてあたたかい。口に含めば、苦味は強くなくて飲みやすい。
「とても美味しいです。ありがとうございます」
ちまちまとコーヒーを飲む葉乃を前に、魅音は口を開く。
「改めて、みんなの笑顔を繋ぐ喫茶店「lettor」へようこそ」
髪を一束手に取り、くるくると遊びながら。しかし、先程よりも真剣な顔で話を続ける。
「この店での業務は大きく分けて二つ」
「一つは、喫茶店を回すこと。接客、調理含めてね」
「もう一つは」
送られてきた手紙に書かれた依頼をこなすこと