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契約結婚しましょうか!~元婚約者を見返すための幸せ同盟~

作者: ぽんぽこ狸





 王都のとあるカフェテリアのテラス席でイーディスはある人を待っていた。少し風の強い日で、春に咲く美しい花が散って雨のように舞い落ちている。


 その美しさにみとれていると、バサッと羽ばたきの音がして、テーブルにカラスが降りてくる。彼はルチア。イーディスの可愛い魔獣だ。


「カァ」


 小さく鳴いてイーディスの二の腕にすり寄る。それからちゃっかちゃっかとテーブルの上を跳ねて、端へと行く。


 ルチアはまだ誰も座っていないイーディスの向かいの席の背もたれに飛び乗った。


 そんなルチアに影が差して見上げれば、暖かく過ごしやすいこの時期に似合わない大きなローブを羽織りフードまで深くかぶった男性の姿があった。


「……ごきげんよう、アルバート様」


 下から見上げるような状態だったので、イーディスからはそのフードの中の顔が見えて待ち人だという事が理解できた。しかし、そんな恰好では怪しげな密会でも開いているようではないか。


 ……まぁでも、彼からしたら、周りに知られたくない密会というのも間違ってないかも。


 そうは思ったがなんにせよ、ここは王都の一等地、貴族も平民もみんな着飾って国一番栄えているうつくしい街を堪能している。それなのにそんな見た目ではどう考えても怪しい堂々としている方がまだマシだ。


「警戒しているみたいだけど、気にしなくていいと思うわ。こんな開けた場所で、ただお茶をしただけで浮気だなんて疑う人もそういないはずですから」


 イーディスは、持ち前の気さくな笑みでそう言って、机を二つ指でノックしてルチアを呼び寄せる。


 それにすぐに反応してルチアは、ぴょんと飛んでイーディスの元へとやってきた。


「カー」

「この子はルチア、私の使い魔で、アルバート様に手紙を届けた張本人」


 イーディスはルチアを撫でながら魔力を込めて、アルバートに見せる。


 そうするとやっと、アルバートを呼び出した手紙の送り主だと理解できたらしく、彼はフードを外してローブを脱いだ。


「……なるほど。貴方だったんですね。……送り主の記名もなく、使い魔を通して急に手紙が届いたものだからとても驚きました……座っても?」

「ええ、どうぞ」


 聞きながらイスを引いて返事を返すと、アルバートは猫背をさらにひどくしたみたいに椅子の上で小さくなるように座った。


 この前に会った時にも思ったが、彼には空色の美しい瞳があるというのに、常にうつむき気味なせいで暗く陰っているのがどうにも勿体ない。


 せっかく体格だって良いのに、こんなにしょぼくれていては台無しだ。


「……じゃあ改めまして、ご存じの通り私は、イーディス。オルコット侯爵家跡継ぎの身分だけれど、配偶者がいまだに決まっていないの」


 イーディスの言葉に彼は、驚いたような顔を見せる。


 それもそのはず、以前に会った時には、お互いに婚約者のいる身分で、それぞれの婚約者と共に舞踏会に参加していたからだ。


 それから今日までの間にイーディスは、婚約者であった王弟、ウォーレスとの婚約を破棄して、王家に嫁に入る立場からオルコット侯爵家跡継ぎに返り咲いた。


 そして現在、結婚相手募集中だ。


 山のようにお茶会の誘いと、知りもしない相手からの求婚が毎日のように届くのだが、それはそれとしてイーディスはずっと目を覚まさせてくれた彼に会いたかった。


「……あれ……たしか、ウォーレス殿下と婚約をしていたはずではありませんでしたか? ほんの三ヶ月ほど前までは舞踏会にも共にいらっしゃっていましたよね」

「そうね。その三ヶ月前にアルバート様に初めて会ったのだけど、覚えてくれているようで嬉しいわ」

「それは……」


 少し困った風に言い淀んで、イーディスが印象に残っていた理由を言っていいものかと迷っているような、そんな仕草だった。


 それに、とにかくは一息つこうと考えてカフェのメニューを待機していたウェイトレスに頼んで、持ってきてもらいアルバートに見せる。


「とりあえず、何か頼みましょうか。この時期だけの特別メニューの花の砂糖漬けが使われているものなんてどう?」


 開いて期間限定の文字がついているそれをアルバートに見せた、すると「そうです、ね。……ええと」と何やらまた言い淀んで彼の顔からさぁっと血の気が引いていく。


 それからアルバートはとても焦ったという様子で眉を困らせて、視線をあちこちに巡らせる。なんだか目の焦点が合っていないような感じだった。


「……」


 その様子を見ていて、イーディスはあっと察しがついた。


 彼は、一応、伯爵家出身のきちんとした貴族だ。しかしながら服も何年も着ているような少し草臥れたシャツを着用しているし、宝石の一つも身に着けていない。


 もしかすると彼の婚約者に色々と制限をつけられているのかもしれない。


「言っておくけどここは私持ちよ。というか店を貸し切りにしてあるから、いくらでも好きなものを頼んでいいわ」

 

 なんてことのない補足のようにそういえば、彼は一瞬すごく助かったという顔をするけれどそのあとすぐに、凹んだ様子で言う。


「申し訳ありません。お金を使うには許可を取らないといけない決まりで」

「大変なのね」

「どうでしょう。俺が不甲斐ないから、面倒を見てくれているらしいし、あまり悪くも言えないんだ」

「……なるほど。とりあえず、アルバート様も食べる?」

「ありがたくいただきます」

「ええ」


 誰が成人男性である彼にそんな制限をかけているのかという事を彼ははっきりとは言わずに、濁すような形でその話題を終わらせて料理を注文する。


 それからしばらく沈黙して、彼は意を決したとばかりにイーディスに話しかけた。


「ところで……貴方の良い提案というのを聞いてもいいですか」


 おずおずと彼はそういって、イーディスに目を合わせる。その彼の言葉に深く頷いてイーディスはにっこり微笑んでアルバートをこうして呼び出した本題を言うのだった。


「そうね。……あらかた手紙で説明した通りなのだけど、改めて」

「はい」


 なんとなく座り直してイーディスは隣で静かにしているルチアを撫でながら口にする。思い出しているのは、初めてアルバートに会った舞踏会での出来事だ。


「あの舞踏会の日、アルバート様も私も、お互いに夫婦になる人と参加していて、その日まで私は何もその婚約者の事を不満に思っていなかったと思う」


 今ではその時の気持ちは随分と懐かしいような気がする。


「でも、とても不躾な話だけれど、私はアルバート様を見て……自分の姿を見た」

「……」

「私は私を不幸だとは思っていなかったけれど、他から見てそうであることを思い出した」


 風が吹いてまた花が散る。はらはらと舞い散る花を彼は少しだけ目で追ってそれから、またイーディスに視線を戻す。


 その瞳には酷い隈がついていて、彼は出会った時からずっと怯えているようだった。


 そして、その姿はほんの少し前までの自分を鏡で見た時と同じ姿をしていると思う。


 イーディスは、王家に長年仕えている従者の家系に生まれて、彼らを支えることが出来る役目はとても名誉なことだと教えられてきた。自分もそう思っていたし、仕事として接している時はよかった。


 しかし、長年の献身的な奉仕に対する報酬として、オルコット侯爵家は王家とその血筋を交わらせることになった。


 そうしてイーディスは嫁に入ることになったのだが、その相手は今まで仕えてきた国王ダレルではなく王弟ウォーレスだった。


 彼は、長年王族の従者として仕事をしていた上に、兄ダレルのおさがりということでイーディスを使用人扱いするのは当然として、目の敵にした。


 いわれのない事で責められ、できるはずのない仕事を押し付けられ、結婚間近に迫った同棲生活の際には、暴力を振るわれるようになり、不安で眠ることが難しくなっていた。


 そんな日々に、イーディスは自分の不幸をまったく自覚できず、ただ過ごしていた。


 しかし、同じ状況にいるらしいと、察せられるアルバートの姿を見て、ぱちんと風船がはじけるように目が覚めて、今ここにいるのである。


 よく考えてみれば報酬としての婚姻なのだから、ツテのあるダレルにやっぱりやめるといえばそれだけの事だった。


 実家に戻れば、嫁に行きたがっている妹が、次期当主の席を空けてくれてイーディスはまた元の人生に戻った。


「あまりいい気分のしない話かもしれないけれど、私は、アルバート様に声をかけてもらって、痛みを思い出した。私には戻れる場所があったし、苦労するのなら自分の選んだ道で苦労したい」


 だからこの提案は、イーディスの恩返しだ。彼はきっととてもつらい思いをしている。


 そして多くの場合、そういう人間には逃げ出す場所がない。


「アルバート様がまったく困っていないというのなら、私は文句もない。けれどつらい思いをしているのなら、私のところに来ませんか? アルバート様はまだ、結婚前の身分だわ。私たちが望めば、婿入り先も代えられる」


 彼が婚約している相手はそれなりに、身分の高い相手だが、爵位を継ぐわけではない令嬢だ。彼の家も婿に入れるならイーディスのところを選ぶだろうし、いざとなればツテを使ってなんとかする。


「……それは……」


 イーディスの言葉にはアルバートはさして驚いている様子はない。こういう話題だと知って来ていたはずだし、一応どんな身分でどんな条件でという話も手紙に書いていた。


 そしてその話に乗りたいと思ったからこそ、この場に現れたのではないかと思う。


 勝算のない賭けだったけれども、どうやら彼を悩ませる程度の魅力は持ち合わせていたらしい。


「…………とてもうれしい誘いではあります。俺にはずっとジェーンしかいないと思っていたから……でも……」


 アルバートはとても長い間言葉を探していて、それをイーディスはじっと待った。


 途中で花の砂糖漬けが載ったクレープが到着して、食べるタイミングを見計らいつつも真面目な顔をした。


「正直なところを言うと、俺は……結婚をしても貴方を幸せにできる自信がない。この通り情けない男だし、色々と厄介な事柄も背負っているし」


 ホカホカのクレープがお皿の上で湯気をくゆらせている。それをつんつんと隣にいたルチアがつついた。


「それに、貴方にジェーンが何かをするかもしれない、もちろん守りたいと思うけれど、こうして話を持ち掛けてくれた貴方に、迷惑をかけるのは、筋違いになると思います」


 彼の口から出てくるつらつらとした言葉は、イーディスの右の耳から入って左の耳から出ていった。


「甲斐性もないし、情けのない男だから、そもそも、貴方の求婚に応えるだけの……資格がないと思う」


 ……資格がない。


 最後の言葉を復唱して考える。そういっている間にも彼はとても苦しそうで、自分の胸元をぎゅっと握っていた。


「こうして話をもらえてすごくうれしかった。ただ、とても貴方が優しくていい人なのだと分かったからには、俺には似合わないと思います」


 一瞬、断るために、お世辞としてそんなことを言っているのかと思った。


 それならばイーディスだって、これ以上彼に結婚を迫ったりしない。


 しかし、どこからどう見てもそんな風には見えなくて、彼はやっぱりこのままその婚約者と結婚すれば、さらに悪い方向に進むような気がした。


 それにここまで言うからには何か、彼には欠点があったり、普通の女性では背負いきれない何かがあったりするのかもしれないと思う。


「だから、申し訳ありません。応えられません。貴方みたいに素敵な女性にはもっと良い人がたくさんいると思う」


 必死に笑みを浮かべて「でも、心配してくれてありがとうございます」と言う彼にイーディスはある選択をした。


 もしかしたらその背負いきれない何かによって後で後悔する羽目になっても良い。


 彼を真剣に見つめて、頭を回転させる。


 イーディスはこれでも従者のはしくれだ。従者といえどただただ従っているわけではない。仕える人に満足してもらうために、様々な機転を利かせて無理難題でも実現できる形に整える。


 主人の説得もそれなりに得意だ。意見を否定するのではなく方向性を変えればいい。長年のしみついた話術が、イーディスの武器ともいえる。


「……アルバート様は私に迷惑をかける可能性があるから、自身には私の求婚に応える資格がないと仰ったけれど、実はその迷惑なんてものよりもずっと私はアルバート様と結婚するメリットがあるんです」

「……メリットですか」

「そう! この結婚は、アルバート様に幸せにしてほしいからするのではなく、私自身もアルバート様自身も幸せになるための結婚になったらいいと思っているの」


 矢継ぎ早に言って、イーディスはクレープの載ったお皿をよけて、彼の手を取った。


「私が望んでいるのは、結婚は結婚でも、契約結婚! 条件はアルバート様も私も幸せそうにして元婚約者を見返すことにあるのよ!」


 イーディスは、この結婚の意義をすり替えた。


 もちろん始めからそういうつもりはなかった、ただ単純にお互いにメリットがあることであった方がアルバートが納得しやすいのではないかと思ったからだ。


「だから、こんな条件の契約結婚、アルバート様以外に頼めないと思って、声をかけたの。幸せにしてほしいだとか、相応しいだとかそういう事ではなく、私はただアルバート様と契約結婚したいだけ」


 握った手は春先だというのに少し冷えていて、温めるようにぎゅっと握った。


 彼はキョトンとして、それから初めて俯くのをやめてイーディスをまっすぐに見た。


 その瞳はやはり春の空色のように透き通っていて、うつくしい。髪も同じような色をしていて風に攫われてふんわり揺れた。


「……アルバート様、私と契約結婚してください」


 勢いに任せてそう言うと彼は、混乱した様子で頷きかけて、それからものすごく渋い顔をしてうーんと悩んで、もうあと一押しとイーディスは思う。


「契約結婚しましょうか! 貴方と私ならきっと元婚約者たちを見返せると思う!」

「……えっと、俺を娶ってくれるのにそんな条件でいいんですか?」

「ええ! むしろアルバート様しかいません」


 すぐに口から思いついたことを言って、じっと彼を見つめる。


 すると、困ったような顔をしたり、ぐっと顔をしかめて悩んだりした後、彼は少し身を引いてそして目を逸らしてから「後悔したらすぐに離婚していいですからね」となんとも弱気な返答をした。


 それに、よし、と心の中でガッツポーズを決めて、イーディスはぱっと手を離してクレープのお皿を元に戻して小皿にルチアの分を取り分ける。


「さ、冷めてしまったけど食べましょ。諸々の手続きは任せてね。私これでも、そういうのは得意ですから」

「……助かります。俺は書類や手続き関係は苦手で……」

「いいえ、アルバート様にはアルバート様の得意なことがあるから、お互い様だわ」


 言いつつも、もくもくとイーディスはクレープにナイフを入れて口に運ぶ。


 それからぽつぽつとおたがいに得意不得意を話したり、婚約者についての事項を共有し合うのだった。






 イーディスとアルバートの結婚式はとてもひっそりと行われた。


 お互いの婚約者に後悔させるための契約結婚ではあったが、流石に婚約を急に取りやめた者同士、あまり敵を作らないように派手に立ち回らないというのは二人の中では納得の共通意識だった。


 しかし、それでも、イーディスの婚約者であったウォーレスが猛烈にイーディスに怒りを向けていた。


 大元の問題は彼にあったはずなのに、逃げ出したとか、捨て置いたのだと悪い噂を社交界に流し、挙句の果てにはすでに結婚したイーディスに復縁を求める手紙を送り続けていた。


 さすがにそうなると対応しないわけにもいかずに、イーディスは国王ダレルにその件について、話し合いをするために王宮へと足を運んだ。


 できる限り今は王宮へは行きたくなかったし、彼の術中にはまることになるが、このままではアルバートも気味が悪いだろうという事でケリをつけにやってきた。


 ダレルと話をして彼の処遇について聞き、一通り決着をつけたところまではよかった、しかし帰り際、エントランスホールに見慣れた姿があった。


「イーディス、やっと会えたな」


 金髪に碧眼の如何にも王族らしい容姿で、腕を組んで相変わらずの偉そうな態度。


 イーディスの周りを見回して一人だとわかれば、彼はにんまりと笑みを浮かべて、周りには王宮で働く使用人がいるのにもかかわらず、つかつかと歩み寄ってくる。


「こうして王宮に足を運ぶのを待っていたんだ。俺の妻になる女だというのに勝手に結婚なんかして、俺が許すと思ってるのか?」

「……ウォーレス。距離が近いわ、私たちはすでに他人なのだから、距離を保ってください」


 静かにそう返すイーディスに、ウォーレスは頬をひくっと引き攣らせる。しかし、自分を落ち着けるためにはぁ、と息をついてから、舌打ちをしてイーディスを見る。


「あのな、イーディス、お前が仕方ない女だというのは俺も知ってる。ただな、当てつけの為に他の男と結婚なんてしても、俺はお前の望むように動いたりしないんだ」

「何を言っているのかよくわかりません」

「昔は、きちんと俺を立ててよく従う女だったじゃないか、はぁ。多少、抜けている女性の方が愛嬌があるとは言ったが、頑固とはまた違うんだぞ?」


 一見優しい男のように、イーディスを貶めるようなことばかり言う彼にイーディスの方がため息をつきたくなった。


 呆れるほどにあの時から変わっていない。


 それに手紙ではあんなに恨みつらみを書き連ねて、男を見捨てた冷徹女という噂を流したくせに、何がどうなって今の発言になっているのだろうか。


「こんなに寛大に許してやるのは俺だからなんだぞ、分かるな? まあ、色々あったがこうして俺の元に戻ってきたなら許してやるよ。イーディス」


 ……なるほど、今の話は私が自主的にこの人の元に帰ってきたと思っているから、改めてマウントを取ったという事ね。


 冷静に分析してから、こんな状態では、色々と誤解をまねくだろうと思い、イーディスは気持ちを落ち着けて片手で彼の事を軽く押した。


 イーディスも平然とはしているが、どうにも彼と話していると心臓の音がうるさい、そのぐらいにはあまり関わりたくない人だ。


「距離を取ってください、旦那に、勘違いされてしまいますから」


 少し震えた声だったが、はっきりと言った。


 言えたことにイーディスがホッとしていると、とんっと押された彼は、目を見開いてそのままガンをつけるようにイーディスを見た。


「……お前、俺がせっかく優しくしてやろうって言ってるのに……」


 つぶやくように彼はそういって、おもむろに振りかぶる。それに反射的に目をつむるとガツンと肩を殴られ、よろめくように後ろに下がる。


「こい、今から部屋に戻ってわからせてやる」


 低く地を這うような声がして、体が縮みあがって声が出なかった。


 一つに結んでいる髪を縄のように掴まれて、血の気が引いて動けない。


「っ」


 体を強張らせて、大きな声を出して助けを呼ばなければと考えるが、ふと肩に手が触れて、髪を引かれる痛みがなくなる。


 反射的につむってしまっていた目を開いて見上げてみると、困った顔のまま、乱暴をしているウォーレスの手を掴んでいるアルバートの姿があった。


 ……あ、話はもう終わったのね。


 丁度ここに一人でいたのは、ダレルがアルバートに少し用事があるということで先に出て待っていたからだったのだ。


 イーディスだって馬鹿ではない。ウォーレスがいる王宮に一人でやってくるほど不用心ではなかった。


 ……でも、アルバートはあまり争いごとが得意ではないし、ここは私が気張らなければ。


 彼に負担をかけないようにとイーディスが気合いを入れると同時に、アルバートの声がした。


「離していただけますか? ウォーレス殿下、彼女も怖がっていますから」


 毅然とした声と態度で、アルバートはウォーレスにそう言い、まったく目を逸らさずに見つめた。


 ウォーレスの手を握っているアルバートの手には相当に力が入っている様子で、ウォーレスの手が白く血の気を失っていた。


 ……。


「っ、お、お前か人の婚約者を奪って勝手に婚姻を結んだ相手はっ」

「はい。そうですが、何か不満があるのでしょうか」

「なんっ、なんだと?!」


 まったくひるまないアルバートにウォーレスは驚き半分怒り半分といった具合に混乱して声を荒げた。


 それに厳しい顔をしつつもアルバートは冷静にイーディスを自分の後ろになるようにかばって、彼と向かい合った。

 

 間に人を一人挟むだけでも、随分とイーディスは安心してしまって、息をつく。しかし、そうも言っていられない。無理をさせるつもりはないのだ。


 自分は大丈夫だと言うつもりでアルバートの服の裾を引く。


 すると、様子を確認するように彼は振り返りながら言うのだった。


「貴方が、彼女を尊重せずに、酷い扱いをして一般的に婚約を破棄されてもおかしくない行為をしたのですよね。奪ったという点については文句はありませんが、不要だと思っていたから辛く当たっていたはずです」


 振り返ったアルバートはあまり無理をしているという様子ではなく、いつものように困ったような笑みを浮かべていた。


「なのにどうして、彼女が婚姻をして怒っているんですか?」

「それ、それはな。俺がイーディスにつらく当たっていたのは、試練だっ、躾だっそうしてイーディスをよりいい女にしてやるために俺が苦痛を与えてやっていたんだよ」

「なんのためにですか」


 笑みを浮かべてから、すぐにまたウォーレスの方へと向き直る。


 アルバートはどうやらイーディスを安心させるためだけに振り向いたらしかった。


「決まっているだろ。男に付き従い、一生を捧げる。それをすることが女の幸せというものだ!!それに気づかせてやるために俺はイーディスを育ててやっていたんだよ!」


 彼は決め台詞のように言い、それにアルバートはすぐに切り返した。


「ならもう必要ありませんね。今、幸せですから、俺も……イーディスも」

「……こ、このっ」


 ウォーレスは言われた言葉にカチンときた様子で、拳を振りかぶる。しかし、それはバチンと音を立てて、水の膜に当たりアルバートには届かなかった。


「魔法だと、ひ、卑怯だぞ!」

「行きましょうか……イ、イーディス」


 やわやわと揺れてウォーレスが暴れるのを防いでいる水の膜は彼が動くと共に移動して、やってきた兵士に抑えられて何かをわめいているウォーレスは引きずられて連れていかれる。


 実はウォーレスは、イーディスとの婚約破棄や一連の嫌がらせ騒動の問題もあり地方の子爵家へと婿養子に入ることが決まっている。


 ここで何を言ってもイーディスやアルバートに今後、危害が加えられることはない。


 アルバートは身を翻しつつ、そうして恥ずかしそうにイーディスの名を呼んだ。


 イーディスも彼の後に続くが、正直とても不思議だった。


 あんなに毅然とした態度を取ってきちんと対応できるのに、何故イーディスの名前を呼ぶぐらいでそんなに躊躇するのだろう。


 今までの結婚生活も、どうにもおどおどとしているというか、繊細な人というイメージだったのが覆った気分だ。


「あの、アルバート」


 とにかくお礼でも言って、どうして今日はそんなに頑張ってくれたのかと聞こうとした。その前にアルバートはイーディスの隣を歩きながらまた、怯えたようなしょぼくれ具合に戻る。


「イーディス、それ、その、ちゃんとできてましたか?」

「あ、う、うん?」


 ちゃんとできていたというのはウォーレスに対する態度の事だろうか、よくわからなくてイーディスは適当に頷く。


 それにアルバートはとても安心したように空色の瞳を細くして「よかった」と言う。


「こうして、イーディスと結婚出来て嬉しいという気持ちは本物だけど、いざ、幸せだと口にするのはとても緊張しました」


 ほっとした様子でそう続ける彼に、イーディスは先ほどの会話をもう一度思い出した。それから無性にどきどきしてくる。


 彼の態度の方に目が行ってすっかり忘れていたが、幸せそうにして元婚約者を見返したいと言ったのはイーディスで、そのための契約結婚だ。そういう事になっている。


 ……そうだけど、嬉しいけど……あれ?


「これからも見返せるように、頑張るね」

「……」


 振り返って言う彼になんだか顔が熱くなる。


 イーディスはいろんな気持ちで彼を結婚という形で不幸から逃げ出せるように手段を渡したかった。


 だから無理を通して、彼と結婚した。


 そこには恩返しとか、契約結婚の条件だとかいろいろな打算があったはずだ。

 

 それなのに、こうして当たり前のように結婚できたことが、嬉しいとか幸せとか言われると、どうにも心臓が痛い。


 まさか自分の中にはもしかして、まったく想定していなかった感情があったのではないか。そんな風に思わせる。


「さ、帰ろう。イーディス」


 エントランスを出て、すでに用意されている馬車の前で彼がイーディスに手を伸ばす。その手を取ると体が熱くて、これは参ったと思う。


 そんなこんなでイーディスとアルバートの波乱万丈の契約結婚は幕を開けたのだった。





最後まで読んでいただきありがとうございます。評価をいただけますと参考になります。


ご指摘もありました、アルバート側の元婚約者の話など長編版にてご覧いただけます。下部にリンクがありますのでそちらから飛べます。よろしければどうぞ!



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― 新着の感想 ―
[気になる点] アルバート側の元婚約者が一切出てこないから、片手落ち感がハンパないですね。
[一言] イーディース側の元婚約者だけじゃなく、アルバート側の元婚約者も別の日で良いから登場させるとバランスが取れた
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