8話
「私は今もそうですが、小さい頃はそれはもう引っ込み思案でした。今の比じゃありません」
「のわりには、結構大胆な行動しているけどな」
「根は変わっていません。幼稚園の時から話しましょうか。私は普通の人と比べて周囲をことを気にする人でした。周りから浮いてました。親は年不相応だと。他の子は天真爛漫に遊んでいるのにと。そして何を考えているかわからないようで、距離をおかれました。でも一人で遊ぶのは苦ではなかったです。ですが、親はそれをよしとしませんでした。意図的に改善しようとしました。他の子と仲良くするように、促したり、他の子の親に頼み込んでもいたようです。おかしいですよね? 私は友達が欲しいなんて一言も言っていないのに。そこには親にとって都合が悪いから。それだけで矯正しようとする。子供のおねだりは軽くあしらうのに。これじゃあどっちが大人かなんて、見た目位でしか判断つかないですね。そうして、親に隔たりを作るようになりました。その状況で小学校でいじめがあったのですから。もう私にとっては八方塞がりです。私自身が引っ込み思案だから悪いのだと言われました。そんな時に透さんが助けてくれましね」
「利益の為だと言っただろ。本気で助ける気でいたなら、いじめを目の当たりにしてからすぐに助ける」
「そうですね。透さんは意図的に遅らせていましたね。けれど、そんなことは私にとって関係の無い話です。助けてくれた人がいたことが重要なんです。それに、どんなことでもすぐにことを何とかするよりも遅くても着実に計画を練る方が失敗しないです。いじめだってそうです。透君も利益に本気だったからいじめを調べてよく知ろうとしいますよね」
「……」
「あの時は悪意にさらされ続けていました。でもそのおかげで私もいじめについてどんなものか普通に過ごしてきた人よりはわかるようになったんですよ。いじめをする人間しない人間がわかるくらいには」
「……。この学校ではどうなんだ?」
「校長以外です」
「! ?」
「あ、勘違いしないでください。透さんはしない側です」
「それを差し引いても、衝撃だ。いじめを良しとしない学校だぞ。いじめ撲滅委員会という組織だってある。普通の学校とは一線を画す」
「組織があるからならない訳じゃありません。劣等感、嫉妬、恐怖、苛立ち、侮蔑対象、ストレスなど。要因があれば大抵うまれるものです」
「じゃあ、校長は…いい。俺を省いたのは?まさか贔屓じゃないな?」
「透さんはいじめをするよりいじめをつくるのに尽力しています。いじめから離れて行動しています。それにいじめを行うより楽しんでいます」
「その通りだ」
「だからと言って、失望していません。言ったじゃないですか。私にとっていじめを止めてくれたじゃないですか。そしていじめをしない人間はいじめを止められる人間です。それが一番の条件です。寧ろそれ以外は、おまけです」
「いじめを止められなければ、そいつもいじめをしている。加担している。肯定しているということか」
「はい。結局はその人がいじめを止められなければ、どんなに気をつけたって、潜在的にいじめをしています。常に歩いて小さな虫を踏んでいないかをいちいち気にする人なんていません。話が脱線しました。とにかく、私は小学校のいじめを経てこのような価値観になったんです」
「なるほどな。それに足る経緯はわかったし、見くびってもいた。だが、言ったはずだ。特に小学校の頃のいじめられていたとき事をとな。それを話せ。おれはそれをちゃんと見てこなかった。不甲斐ないとは思っているさ。何せあの時おれはいじめでただ儲けようとしか考えていなかったからな。レベルが低すぎる。いじめられた経験者からもっと話を聞き、利用の手立てを見出ださもなければいけない。そうでなくては、いじめをした者を嗤い、いじめられている者を嗤い、いじめから目を背き、無きものにしている輩を全て嗤うことが本当の意味で出来ない。それが今の俺の生き甲斐だ。だから玉川。お前に同情などしない。安心して利用させろ。吐き出せ」
「……いいんですか? 【開けても】 開けたら……暫く正気を保てなくなると思います。向井間さんにも確実に危害を加えます」
「構わない続けろ」
そう言うと、暗さを纏った。頑なに、濁し、塞いでいた蓋を開けたように。
「永くなります……。再び言いますが、私は小学校入学間もなく、いじめらてました。引っ込み思案をよしとしない親の呪いで、友達を作るように強いられました。でも友達って作ろうとして作るものじゃないですか。建前上のものをつくるなんて器用なことも出来ない私に無理な話です。幼稚園の二の舞で精神的に追い詰められることを危惧しました。私は架空の友達を作り、親に嘘をつくことで、事なきを得ようとしました。家では明るくいようと努めもしました。親に密告する 友達 なんて、いませんから暫くはそれで何とかなりました。しかし授業参観で問題起きました。いつも親睦を深めていた事を言っていた。学校の暗い振る舞いを見せれば、流石の親も不可解だと、怪しむし、嘘なんてすぐにバレるでしょう。だから、家での振る舞いをしました。でも、そもそもが間違いでした。家でのそれをやれば学校の者たちが怪しみ、かといって学校のいつもの暗い振る舞いをすれば、親は見逃さない。結果として、先生や生徒には、普段の私じゃない姿を見せてしまい、暗くて無口くらいのぱっとしない者から怪訝さの対象へ引き上げがされました。その蛮行で、得たのは親への体裁。それも不自然な様子を授業参観だからはりきり過ぎたと、言ってやっと信じてもらえたもの。しかしやるからには、徹底的にやるべきでした。学校の人たちに事情を説明して貰って、一時の茶番に付き合ってもらう。そんな事は出来ませんし、行動に移せたら、こんな事になりませんね。そうして、その影響で生徒に興味本位で、関わろうとする者が出てきました。そんなのに、私は上手くあしらうことなんて出来ません。事情なんて、説明もなく、『やめて』と拒絶しました。相手側は訳がわからないという様子でした。当然ですね。普段暗い人間が、急に授業参観でだけ明るく見せ、終われば元に戻るのですから。こうして、私は学校でおかしくてムカつく人として認識される事となりました。生徒は私に対する触れかたに悪意を込めるようになりました。登校で下駄箱にクラスの誰かの名前を入りの用紙が入っていました。最初は何を意図していたわかりませんでしたが、どうやらその日その人仲良くすれという命令でした。
『授業参観で仲良しっ言ってたよね? 手伝ってあげる』と。しなければ、当時は何をされるか想像するだけで、選択の余地がありませんでした。ぎこちない友達生活……いえ、一方的な弱いものいじめが始まりました。クラスの人と日替わりで関わる。最初は女子でしたが、一通り行ったら男子になりました。どんな男にも色目を使って最低と女子に言われました。
_冗談じゃない。私の意思じゃない。奴ら意思だ。嗤うのはお門違いだ。私のクラスが終れば、他のクラスと変わっていた。次の授業参観が始まるのを待たずに、忌まわしき風習は学校中に知れ渡った。教師も黙認だ。次の授業参観は最悪だった。生徒らが腹そこでほくそ笑み、偽りの友情演出をした集大成。その授業でも不自然な掛け合いがあった。にもかかわらず、親は気づかない。決定的な確執はここから生まれた。節穴な奴らだ。仮に気づいたとしても、私のせいだと言うだけだ。何故だ何故だ何故だ! ! 私は恨まれるようなことなんてしていない。 違う だけでいじめられる。どうしてっ」
そう言うと、玉川は俺の二の腕を爪で食い込ませながら頭を地に向けた。
入学の際で、袖を掴んだのが全力であったことは間違いないだろう。しかし感情が上乗せした分強くなっている。
少しの痛みを感じる。
受け入れ続ければいずれ、傷になり血を滲ませるだろう。
それでも抵抗しないのは、同情などではなく、こうなるであろうことを想定していたし、捌け口になるのを受け入れたに他ならない。
それが同情じゃない理由は、俺が玉川を理解して、利用し尽くすためだ。
小学校の頃の俺はいじめがあるという環境で金儲けが出来る。
よって、オヤの金がらみの揉め事が解決されるのだとのんきに楽観視しすぎていた。
よくよく考えれば、玉川が耐えきれず、身を投げ出していた事だってあり得た。
たらればだからと、一蹴出来ない事だ。
いじめられるのを肩代わりするタイミングが遅ければ、必然的に失敗する確率は上がっていく。
肩代わりが六年生初期の頃であり、ギリギリのタイミングだったのも否めない。
根回しも大事だが、一番重要なことを時の流れに身を任せすぎていた。
もっと管理しなければいけなかった。
計画が崩れる危険性を軽視しすぎていた。
しかしもうそんなへまはしない。
観覧車が一周回った頃だろうか。玉川の暴走も落ちいていた。
気がついたようで、俺の肩から手を離し、身を縮こます。
「すみません。とても酷い事を」
「いい。俺が許したことだ。それに、お前の怒りはもっともだし、それを感じとらなければ、いじめをコントロールすることはできない。いじめへの嗅覚に関しては、お前の方が上手だ。そのルーツを知らなければ、利用しきることは出来ない。病み上がりで悪いが、今後の計画について話す」
「はい」
「俺がいじめ撲滅委員会に立候補する。いじめらたことがメディアで取り上げられている。俺がそれを元に演説をすれば、圧倒的に有利だ。委員長になるのは容易い。しかし、獲得した得票数を戸井に与えるように訴える。他の立候補者に不満を煽り、戸井にその不満を止めなければいけないと唆す。いじめ撲滅委員長の権限で、立候補者に不都合なペナルティを課す。抑圧をいじめの火種にする。出来なければ、俺は立候補を辞退する。その反応を見て、標的を俺にするか戸井にするかを考える。といった具合だ。何か質問あるか?」
「大丈夫です」
「よし。話以上だ。また必要になったら、同様に話し合う」
「はい」
そうして俺たちは観覧車を出て、別々に帰った。