偽りの形7
つながれた手を放すことなく2人は散策を楽しんだ。
たまにショーウィンドの前で立ち止まったり、店の中を覗いてみたり、ベンチで休憩したりしながら。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
照りつけていた太陽は地平線の彼方へと消え去り、いつしか街灯の明かりが辺りを照らしている。
近く設置されている時計が7時を指していた。
「もう7時だな・・・。秋になると日が落ちるのも早くなるよな」
「そうだね。けっこう歩いてたんだね」
「疲れた?」
「まだまだ余裕」
バスケをしている時のアキラのまねをした楓を見て、アキラは辛い評価を下し苦笑している。
淡い街灯の明かりに照らし出された姿は和やかだった。
人の足音や話し声ばかりがうるさかったが、2人には気にもならないくらいに心地いい空間だったがそんな空気を壊すように無機質な音楽が鳴り響いた。
「ごめん、俺のだ。ちょっといい?」
「うん、いいよ。そこに座ってるね」
電話を取ったアキラから離れて、少し歩いた場所にあるベンチに腰掛ける。
ケータイを耳に当てなにやら話し込んでいるアキラの姿を離れた場所から眺める。
遠くからでもアキラの機嫌が悪くなっているのがよくわかる。
時間とともにアキラの顔からも表情がなくなっていく。
電話はまだしばらく終わりそうにない。
座ったままぼんやりしていたが落ち着ずに、楓は空を見た。
ただ待っているだけというのも暇なので月でも探してみよう。
見上げた空にはさらに闇が広がっていたが街の鮮やかな光で星を見ることはできない。
浮かんでいるはずの月も、周囲に立ち並ぶ高層ビルが邪魔して見つけることはできなかった。
なんだか今日はついてないかも。
アキラとの時間を邪魔されて、月を探してみても見つからない。
見つけられるまで粘る気にもなれずに楓は視線を落とした。
ふと違和感を感じて楓は横を向いた。
すると少し離れた場所に女の子が立っている。
彼女は声をかけるでもなくじっと楓を見ていた。
目が合ったにも関わらず彼女が動くことはなかった。
いったい誰なのか、知り合いだろうか。
暗くて分かりにくいが謎の女の子が着ている制服が同じ高校の物だと気付き、目を凝らしてみる。
ちょうどその時、タイミングを見計らったように高層ビルの隙間から月明かりが差し込んだ。
「あっ」
驚愕のあまり楓の口から声が漏れる。
その顔には見覚えがあり、楓は一方的に彼女のことを知っていた。
謎の女の子の正体は中井愛美。
年は楓の1つ下で、1年生でありながら女子バスケ部のレギュラーとなったことで有名だった。
夏休み前に話題となり学校を賑わせていた人物だ。
今年の新入生にはバスケが上手くて可愛いい子がいると2年生の間でももっぱらの噂で、廊下で声をかけられたりしている姿を何度も目にしたことがある。
楓も本人を目にするまではあまりの騒ぎように呆れていた。
しかし、噂でただ聞くだけと実物を見るのとでは認識の仕方に大きな違いがある。
中井愛美という女の子は文句なしに可愛かった。
茶髪でふわふわの巻き毛に小さな顔、色が白くて小さくて、同性の楓からしてもつい守ってあげたくなるような容姿をしていた。
そんな全くと言っていいほど接点のない、楓にとっては雲の上の人である女の子が目の前にいる。
その事実が簡単には信じられず楓が視線を外せずにいると、視線の先で彼女が笑った。
学校でいつも目にする可愛らしい笑顔ではなく、鋭く挑むようなそれは月明かりに照らされることでよりいっそう不敵に輝いている。
背筋を冷たい何かが這い上がる。
まるで自身を守るようして、楓の腕は己を抱きしめていた。
痛いくらいに力を込める。
時間の流れが止まってしまったと錯覚してしまいそうになるくらい、二人の視線は絡み合ったまま放れなかった。
視線を外したいと思っているのに、体が自分の意思で動かせない。
何か別のものに支配されて、楓は目を逸らすことができなかった。
満足に動かない体では声も出せず、助けを呼ぶこともできない。
心の中だけで何度も何度も繰り返し助けを求める。
助けて、誰か助けて。
どれくらい叫んだ頃だろうか、ぬくもりが楓の肩に触れた。
「ごめん待たせた」
声にならない楓の叫びを聞いてくれたのはアキラだった。
ようやく電話を終えた彼の手が楓へと伸ばしている。
肩に触れたのは掌のぬくもり。
掌を伝いもたらされる熱に体の強張りが少しずつ解放されていく。
己を抱きしめていた腕は重力に従い、力なく膝の上に落とされる。
震える指先は色を失い白くなっていた。
「震えてるけど寒かった?」
「えっ?うん、そうかも、少し冷えちゃったみたい」
「ごめんな、指先が白くなってる」
氷のように冷たくなった掌をアキラは両手で包みこんだ。
楓の前にしゃがみ込んで、もう1度謝ごめんと小さくつぶやいた。
もう楓が鋭い視線を感じることはなかった。
「気を付けろよ。季節の変わり目は体調崩しやすいんだから」
「そうだね、気を付けるよ」
笑った楓の掌を、アキラは包み込んだ指先で撫でる。
不器用な優しさがくすぐったい。
「それでさ、すごく言いにくいんだけど、今から用事ができてすぐに帰らないといけなくなったんだ」
申し訳なさそうに告げるアキラを責めることなど楓にはできなかった。
「気にしないで、急用なら仕方ないよ。駅も近いから私はひとりで帰るよ」
「そう言ってもらえると助かる。今度埋め合わせするから」
「じゃあ楽しみにしてる」
「期待しとけ。じゃあすぐに行かないといけないからここで、またな」
アキラはあからさまに安堵した様子を見せながら帰って行った。
その姿が人ごみに紛れて見えなくなったことを確認してから、先ほどの出来事が現実だったのかを確かめるために楓は周辺を探った。
しかし何度確かめて見ても、もう1度彼女の姿を見つけだすことはできなかった。
1度大きく息を吐き出してから楓は駅へと歩き出した。
電車に揺られながら、楓は目を閉じた。
あれは見間違いだったのだろうか?
先ほどの出来事を否定したい気持でいっぱいだったか楓は素直にそうできずにいた。
楓の直感があれは現実だと叫んでいる。
彼女は確かに中井愛美だった。
彼女は楓を見ていた。
そしてその笑みは真っ直ぐ楓に向けられていた。
彼女を前にした時の感覚が忘れられない。
とても鮮烈で、時間が経った今でもありありと蘇ってくる。
座席に深く腰掛け背もたれに背を預けてみても落ち着かない。
なんだか嫌な予感がする。
胸騒ぎが止まらない。
電車がブレーキをかけてゆっくりと駅に停車する。
晴れない心を抱えたまま楓は重い腰を上げて電車を降りた。