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皇帝陛下のお願い



 先の皇帝の三十八番目の皇子として生を受けた現皇帝は、多くの兄がいることと、母親の身分が低かったことがあり、幼い頃には後宮を出て、三人の兄皇子とともに北の領主であるファン家に身を寄せた。


 いずれは四人の皇子のうちの誰かが、ファン家の一人娘と結婚することになる。

 ファン家には娘はミレイ一人だったが、男子はそれなりの数いるので後継ぎとしてではなく、皇家の血を入れる為に、地位も権力もない皇子は利用されるのだ。


 そんな中、ギ国との戦いが激化し、ファン家に預けられた皇子達も出陣を余儀なくされた。

 出陣は皇帝の血を引く皇子としての義務でもある。


 戦いで三人の兄は亡くなり、妃腹の皇子達も戦場や突然の病、または怪しい薬によって次々に命を落としていった。

 気が付くと身分が低く捨て駒にされる皇子は玉座に座っていた。


 生きる為に前に進んだが、皇帝になりたかったわけではない。

 けれどなったからには突き進むしかないのだ。

 皇帝の地位は嫌だからと放り出せるものではなく、民の命を預かる存在として日々努力を続けた。


 皇帝としての日々に大きな不満はなかったが、満足もしていなかった。思いがけず転がって来た地位に戸惑いが消えなかったのかもしれない。


 そんな日々を過ごす中、懐かしい人の姿を見つけた。

 多少人と違った色をしているというだけで揶揄われるが、虐められても平気な顔をして、好きなことをやっている娘だ。

 戦場で多くの人間を殺してきた皇帝だが、幼い娘の額に傷をつけた記憶は人を殺したことよりも強く鮮明に残っている。

 

 懐かしい娘に再会した皇帝は、何も背負うものがなかった頃を求めたのかもしれない。娘の望む物をちらつかせ、傍らに誘い込んだ。皇帝ではなく、失ってしまった名を呼んで欲しいと強請ったが……残念ながら未だに呼んでもらえたことはない。

 残念ではあるが、皇帝は毎夜娘に会うのがとても楽しみになっていた。


 娘は黙って本を読む。皇帝が話しかけると応じるが、基本的に本を読むことに没頭している。時折『あれ? へぇ……成程』と、独り言を呟いているが、その声が疲れた皇帝の心を癒してくれる。


 娘が本を読んでいるので皇帝も簡単な仕事を持ち込んでやっている。ただ娘を観察しているだけでは変な男に思われてしまうからだ。時折ウルハが邪魔しにやって来るが、それ以外は問題ない。


 今宵も娘のいる部屋に出かけようとした時だ。

 闇の中から気配もなくリンが姿を現した。


「クユリ様は今宵おいでになりません」

「それは……そうか。珍しいな」


 難しい書物ばかりが収められた、古書殿の本を全て読みたいとの願望を持つクユリ。彼女が本を読みにやって来ないのは非常に珍しい。

 ここ最近は一日も休むことなく通っていたのだが、季節も変わって何かしら忙しくなったのだろうか。

 皇帝も忙しすぎて昨夜はあの部屋を訪れることが出来なかった。

 今夜は会えると思っていただけに、途端に気分が沈んでしまう。


「ならば私も明日にしよう」

「明日も来ないかも知れません」

「……何故?」

「昨夜お会いした時、髪は艶々で異常に機嫌が良かったので、男でもできたのかと思いまして――」

「男!?」


 リンの言葉に皇帝は驚き声を上げた。


「聞いていない、私は聞いていないぞ。クユリに男ができたのか!?」


 皇帝はリンの肩を掴んで揺さぶる。

 

「友人である私が知らないのにどうしてそなたが知っているのだ。いや、そもそも、後宮にいるクユリが出会う男などいるのか。いるな、いる。リン、そなただ!」


 リンは皇帝に肩を揺らされながら「陛下とウルハ様も男ですね」と冷静に答える。


「それで男ができたのかと思い、屋根に上って遠眼鏡を使い一日観察しておりましたら――」

「していたら!?」

「ふらふらして顔を赤くしておりましたので――」

「男にうつつを抜かしていると!?」

「どうやらお風邪をめしているのではないかと思われます」

「髪が艶々で機嫌が良かった理由は!?」

「存じません」

「なに!?」


 分からないのかと皇帝は目を見開くが、何よりも重要なことを聞き飛ばしていたことに気付く。


「クユリは風邪をひいているのか!?」

「今宵姿を見せなかったことや、日中の様子から恐らくそうかと」

「あの子はしっかりと面倒をみてもらえる立場なのだろうか……」


 皇帝はクユリが男の子達に揶揄われ、周囲からも避けられていたのを思い出した。

 クユリの生まれは決して悪くない。妃の侍女として侍るに文句ない生まれだった。

 それが洗濯女として最下層の仕事に追いやられているのだ。後宮の女たちと上手く行っていない様が窺える。

 何よりもクユリの主はミレイ妃だ。

 ミレイは大切に育てられたせいか特権者意識が強く、屋敷に身を寄せる皇子ですら見下す娘だった。皇帝が知るミレイは小さな子供だったが、あのまま大人になっていたらと思うと恐怖しかない。


 心配だ。

 風邪をひいたクユリがちゃんと看病されているのかとても心配だ。

 皇帝は腕を組んで考え唸る。


「後宮に赴くか……」


 クユリの様子を窺う為、これまで逃げて来た後宮に足を運ぼうかと考えたが、できることなら皇帝とクユリの関係は知られたくない。

 知られても皇帝は少しも困らないが、後宮で生きるクユリには死活問題だ。恨まれて殺されでもしたら……想像するだけで不安になり息が苦しくなる。


「私が赴いてもクユリのいる場所まで辿りつけるだろうか……」


 貪欲な妃は我先にと皇帝に押し寄せるだろう。

 ミレイ妃の住まう建屋に忍んで向かいたくても、皇帝が皇帝である限り見逃されることはない。

 腕を組んで考える皇帝は、目の前に立つ少年に目を止めた。


 戦場で育ち、様々な生きる術を身に付けているリンは、身軽で闇に溶け込むのが上手い。

 忍び込ませるにはうってつけだが、女達の目に止まれば大騒ぎになるだろう。男子禁制の後宮で掴まりでもしたら、子供であっても罪を問われる危険がある。


 けれど女ならどうだろうか。

 良家の娘が行儀見習いで後宮に上がるのは珍しくない。

 リンは十三になるが、実年齢よりも幼く見えるし背も低かった。


「なぁリン」

「嫌ですよ」

「まだ何も言っていない」

「陛下が何をお考えか、分かるから嫌だと申し上げております」

「しかし、私が行けば騒ぎになる」

「でしょうね。ミレイ妃なんて絶対に離さないでしょう。ウルハ様がお喜びになりますよ」

「頼むよリン」

「え~、嫌だぁ。陛下がやればよろしいではありませんか」

「出来るならやっているよ!」

「え……自分でやること考えたんですか?」


 本気かと、リンが白い目で皇帝を見上げる。

 武が得意なこともあり、背が高く筋肉質で体格もがっしりしている。

 何処からどう見ても男だ。やつれて細くなっても男にしか見えないに決まっていた。


「キモいんですけど」

「だからそなたに頼んでいるのだよ。どうか頼む、この通りだ!」

「え~嫌だぁ。女の子の恰好なんてぇ」


 嫌がるリンに皇帝は「どうか頼む、お願い」と幾度も頭を下げる。

 自分で出来るなら頼んだりしない。何しろクユリが心配で自分の目で確認したいのだから。

 なので頑張って女装しようと考えたが、どう想像しても気持ち悪い男にしか仕上がらないのだ。


「頼むよリン、お願いだから。そなたはクユリが心配ではないのかい?」

「それはまぁ心配ではありますけど……彼女には楽させてもらってますし?」

「ありがとうリン!」


 了承の意と取った皇帝は嬉しくて少年を抱き寄せた。

 ちょうどそこに夜回りの人間がたまたま通りかかり、見てはいけないものを見てしまったと呟きながら、こっそりとその場を離れて行ったのを皇帝は知らない。


 





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