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電子書籍化記念 番外編1/3

改題「後宮で女嫌いの皇帝陛下に見初められましたが、溺愛はご無用です」の1巻・2巻(完結)が、シェリーloveノベルズ様より電子書籍にて配信されています。記念として書きましたので、時系列や背景が本編とは少し異なります。お楽しみいただけたら幸いです。




「どうぞ」と、ウルハから本を渡されたクユリは、ページをめくって静かに目を通す。


「これは……レイカン国建国に携わった将軍とその妻のお話ですね?」

「妻から、ぜひあなたにと預かったのです」

「スラン様がわたしに?」


 クユリには、ウルハの妻であるスランとの交流はない。それなのにどうして突然こんなものをと首を傾げた。


「庶民出のあなたなら、興味を持つかもしれないと。現在妻が交流を持っているのは相応の身分にある御婦人ばかりですので」


 それはどういう意味なの? と、手にした本に視線を落として、この将軍が最下層の貧しい出身から上り詰めたからだろうかと考える。

 クユリも平民から皇帝の妻になった。この将軍と同じく大出世といえばそのとおりだ。


「えっと……スラン様は友好的な意味でこれをわたしに?」

「それ以外に何が?」

「失礼いたしました。庶民出の妃なんてとの嫌味かもしれないと思ってしまって」

「そう思われないよう、渡す時には重々説明するように言われていたのを忘れていました」


 いや、忘れてないだろう。きっとわざとだと思ったが、クユリだって負の考えがちらついたのだから何も言えない。


「スラン様は、どうしてわたしがこの本に興味を持つかもしれないと思ったのでしょうか?」


 建国史を含めて、レイカン国や周辺の国々の歴史はしっかり学んでいる。当然この将軍や、彼を支えた妻のことも知っていた。

 ウルハに渡された本には、そんな二人の生涯がたっぷりの想像を含めて描かれているようだ。


「妻が大衆演劇に嵌っているのです。お気に入りの演者が主役で、明後日からこの演目を披露するとのことで」

「はぁ」

「妻は明後日の初演に、共に行ってくれる相手を探しています」

「ウルハ様はご一緒されないのですか?」


 周りの高貴なご婦人方は大衆演劇なんて見ないだろうし、庶民でごった返す演劇場に足を踏み入れたりしない。

 それでもウルハは夫なのだ。

 結婚の経緯はどうあれ、想い合って結婚したことになっているのだから、完璧なウルハが妻を邪険にしているとは思えない。

 しかもスランは身重である。

 身重の高貴なご婦人が庶民に混じって観覧なんて。心配して当然だと思うのだが……一緒に行かないのだろうか?


「もちろん同行しますよ。ですが全日は無理です」

「前日?」

「全日、すべての公演です」

「スラン様はすべての公演に行かれるのですか?」

「言ったでしょう、嵌っていると。推しというそうで、彼のパトロンもしています」

「パトロンですか?」


 金持ちがお金のない芸術家を主に金銭面で応援するという意味だが……肉体関係になることもしばしばあると聞いている。


「大丈夫なのですか?」

「妻は弁えていますから。今の立場を失うような馬鹿はしませんよ」

「ならいいのですけど……」

「そこで妻はあなたに目をつけました。庶民出の若い娘が、皇帝陛下の溺愛を理由に閉じ込められていては可哀想だと。ぜひとも大衆演劇の素晴らしさを知って、推しを見つけて一緒にパトロンになりましょうとのことです」


 西の国境の領主ロギ家のご令嬢だったスランも、ミレイほどではないにしろ、自身の生まれや育ちに誇りを持っていて、言い方は悪いが下々の生まれと交流をもとうなんて考えない、ごくごく普通のご令嬢だとばかり思っていた。

 なんか想像したのと違うと思ったが、ウルハの妻から、彼女の趣味を一緒に楽しもうと誘いを受けたのだ。大衆演劇に興味はないが、何事も経験。機会があるなら参加一択だ。


「明後日の初演、いかがですか?」

「陛下のお許しがいただけるなら」

「あなたの願いを断るなんてしないでしょう」


 ウルハから皇帝に話をすると、「もちろんいいよ」と快く許してくれた。


「私も一緒にと言いたいところだけど、明後日は神事もあって無理なんだ。何よりスランは私を知っている。怖がらせるといけないから、行けたとしても私は遠慮するべきだろう」

「怖がらせる?」


 優しい彼を怖いなんて思うだろうかと首をかしげると、皇帝は少しばかり困ったように笑った。


「西の国境で会った時は、皇帝としての顔を向けたのだよ」

「ああ、そうでしたね。あの時は陛下の逆鱗を恐れたスランが約束を反故にするのではと、さすがの私も少しばかり焦りました」


 それはウルハが皇帝のお妃様になる予定だったスランを寝取ったときの話のようだ。まぁ確かに、皇帝としての仮面をかぶっているギョクイは、恐ろしく威圧的な雰囲気を纏っていて大変に恐ろしいものだったことを思い出した。


「クユリ、楽しんでおいで。スランと仲良くなれるといいね」

「ありがとうございます」


 スランはギョクイの皇帝としての顔しか知らない。

 彼女が皇帝を恐れているのなら、クユリは監禁されている可哀想な妃と思われているのかもしれない。

 後宮は解体されて、妃はクユリ一人きり。なんの楽しみもない寂しいところで暇を持て余していると同情してくれたのだろうか。

 スランという女性は思いやりのある人のようだ。


「護衛はつけるが、二人の邪魔をしないように言っておくよ」

「分かりました」

「ウルハ、準備を頼む」

「承知いたしました」


 そうして当日。

 裕福な庶民に扮したクユリは、宮殿の裏手から護衛二人に付き添われてスランとの待ち合わせ場所である、大衆演劇場近くの茶屋で初対面を果たした。


 クユリよりも一つ年下のはずなのに大人びた印象のスランは、色白で落ち着いた雰囲気の女性だった。

 大きく張り出した腹を抱えて膝を突こうとしたので慌てて止めると、無理に敬おうとはせずにクユリの意を汲んでくれる。


 互いに「初めまして」「今日はよろしく」と気安いあいさつを終えると、「ウルハ様に聞いたとおり、お優しいお方なのですね」と人懐っこい笑顔を向けられた。

 それにしても……。


「ウルハ様がわたしを優しいと言ったのですか?」

「唯一の妃となられてもおごり高ぶったりしない、たいへんできた女性だと」

「ウルハ様が……」


 と、感動しかけたが。妻の前で猫をかぶっていると気づいた。

 まぁウルハとスラン夫婦のことは口出ししたりするべきではない。変なことを聞いていたとしても、皇帝の妃であるクユリにスランが本当のことを言うわけがないのだから。


 当たり障りのない話をしながら交流を深め、いざ演劇場へ。

 四角い升席にクユリとスラン、各々の護衛を一人ずつ。合わせて四人で腰を下ろすと、スランが「ふぅ」と、大きな腹を抱えて息を吐いた。

 大きなお腹をじっと見ていたら、意味深に「ふふっ」と笑われる。

 この腹の子がいずれ生まれるクユリの義理の息子か娘になるのだと言いたいのだろう。

 スランの視線がクユリの腹へと流れる。

 クユリは「空っぽです」と腹をなでてみせた。同時に視線を感じて辺りを窺ったが、特に何もなく。護衛に「いかがしましたか?」と問われて「なんでもないです」と答える。


 劇が始まると、隣に座ったスランの雰囲気がぱっと華やいだ。

 細身の見目麗しい男性が登場した途端、スランが悲鳴を上げた。その様にクユリは隣の護衛に身を預けてしまうほど驚いた。

 スランはどこからともなく取り出した、キラキラした飾り付きのうちわを振って役者の名を叫んでいる。周囲からは悲鳴も上がって、役者が流し目をすると倒れる女性もちらほら。黄色い声を上げるスランの様に、高貴な生まれの片鱗はどこへいったのかと戸惑った。

 びっくり仰天のクユリは、舞台ではなくスランに釘づけだ。


「ステキすてきっ、ねぇ素敵でしょう!? クユリ様も応援したくなりましたよね!」


 キラキラうちわを握らされ、手を取られて共に振ると、役者がスランに向かって片目を瞑った。

 悲鳴を上げたスランは卒倒するかのように後ろへと倒れこんで護衛に支えられたが、あっという間に元の態勢に戻ると、役者の名前を叫んで投げキスを送りまくる。


「ちょ……ちょっと失礼します」


 場の雰囲気についていけず、クユリは升席を抜けて興奮する女性たちの間を掻い潜り、熱狂的な人々の中から抜け出した。


「大丈夫ですか?」


 護衛が気遣ってくれるが、そんな彼も驚いているようだ。


「大丈夫です。でもあそこに戻るのはちょっと……」


 このまま帰るのは失礼になるので離れたところで鑑賞することにする。

 先ほどまでではないにしろ、演劇が始まっても役者を応援する声は止まない。細身の見目麗しい男性役者に老若の女性はめろめろのようだ。

 こんな世界もあるのだなと、よい経験をさせてもらったが……これにウルハが参加するのだと思うと、彼がどんな反応をするのか見てみたい気もした。


 一幕が終わって休憩になると、座っていた観客の大移動が始まる。次の幕に向けて厠へ行ったり腹を満たしたりするのだ。

 スランも護衛の手を借りてゆっくりと席を立ち、クユリに気づいて手を振っている。それに振り返そうとしたところで、不意に腕を引かれて人波に呑まれた。


「クユリ様!」と護衛の声が聞こえたのも一瞬。

 強い力で腕を引かれて護衛と引き離される。

 これはまずい。誘拐かと思いって助けを呼ぼうとしたら、人波を抜けたところで両腕を掴まれ、「クユリ!」と名前を呼ばれた。


「お前、なんでそんな格好してるんだよ。さる高貴な方に嫁いだんじゃなかったのか!?」

「え?」


 思わぬ人の姿に驚いたクユリは瞳を瞬かせる。


「綺麗なうぐいす色なのに、こんなやぼったい鬘なんかかぶせられやがって。何が高貴な御方だ。クユリをなんだと思ってるんだ!?」


 と、黒髪の鬘をかぶって変装しているクユリの様に怒り心頭なのは……


「ライケイ!?」


 クユリはもう何年も会っていない、十歳年上の兄の名を呼んだ。


「ライケイじゃないの。二年……いや、三年ぶりかな? どうしてここにいるの?」


 ライケイはクユリが成人するころには独り立ちして、レイカン国をめぐりいろいろな商品を仕入れて商いをするようになっていた。国中を回っているので会うのは久しぶりだ。ライケイの妻と子は実家の近くに居を構えて、ライケイ自身は年に一度戻るかどうかという生活をしている。


「仕事でつきあいのある先で頼まれて、そこの嬢ちゃんの付き添いで来たんだよ。そうしたらクユリに似た娘がいるなっと思ったんだが髪色が違うし。でも声を聴いて確信した。誰だよ、お前にこんな可哀そうなことをさせているのは!」


 と、ライケイは了解も得ずにクユリの鬘を剥ぎ取った。


「何するの!」

「お前は素のままが一番可愛いのに。こんなことされたらお前は幸せになれない。お前の可愛さを分からない奴なんて俺は認めない!」

「ライケイ……」


 クユリは他人からは虐められたが、家族からはちゃんと愛されて育った。特に上から三番目のライケイは、末っ子のクユリをとても可愛がってくれたのだ。

 そんなライケイの欠点といえば……母と同じく、人の話を聞かないこと。

 こうと思ったらそのまま突っ走ってしまう癖がある。

 これは大変なことになると思ったところで、「クユリ様!」と呼ぶ声が聞こえたのだが……。


「逃げるぞ」

「ライケイ!?」


 ライケイはクユリを抱え上げると通りへ出て都合よくやってきた馬車に飛び乗った。

 そしてクユリはその馬車の特徴に青ざめる。

 これはいけない、絶対に勘違いされて大事になると悟り、状況を説明しようとしたが。

 大切な末っ子が婚家で酷い扱いを受けていると勘違いしたライケイの想像は止まらない。


「ライケイ、この馬車ってカウル族のだよね!?」

「さすがクユリ、よく知っているな。仕事で付き合いがあって、今日はそこのお嬢ちゃんと演劇鑑賞に来てたんだ。クユリのことを話したら一族で匿ってくれるってことになった。いい子だろう?」


 と、ライケイは隣に腰を下ろしている十歳程度の少女に視線を向けて。少女は「安心しろ。わたしの父は族長だ」と、胸を叩いて自慢げに説明した。


「何が高貴なお方だ。色が違うのを分かって娶っておきながら、鬘をかぶせるなんて酷いことをする。クユリ、そんな奴のところになんて二度と戻らなくていいからな。このライケイに任せろ!」

「違うから。鬘は目立たないようにするためだから。わたしは幸せに暮らしているんだってば!」

「いいかクユリ、それは洗脳だ。そう思うようにさせられているだけだ。お前の本質を偽らせる奴がクユリを大切にしているなんてありえないからな」


 ライケイの隣では少女が「そうだ」と、何もかも分かっている風を装って頷いている。

 これはまずい。本当にまずいと青ざめる。


 レイカン国とカウル族の関係は、大国とただの小さな一族という関係に終わらない。

 ギョクイが皇帝になる前、ギ国侵攻を退けた際に手を貸したのが、小さな体に反して戦闘に特化した一族であるカウル族なのだ。

 彼らの活躍は大きかった。

 そのため彼らはレイカン国の中でも特別な位置づけをされ、独自の自治権をもっている。

 そんなカウル族にはもう一つ、戦闘以外に有名なことがあった。

 それは妻にしたい女性を攫って一族に迎え入れること。

 彼らは自分たちの領域にお気に入りの女性を連れ込んで、説得して妻にするという、いわゆる誘拐婚の風習がある一族なのだ。

 状況からしてクユリはカウル族に誘拐されたことになる。

 実際にクユリを抱きかかえたのは兄であり、カウル族ではない。事実は違っていても、クユリが連れていかれるのを目撃した護衛はそのままを報告するだろう。

 誰にって……レイカン国の皇帝に。


「お願い、ちゃんと話を聞いて」

「大丈夫だ、俺が守ってやるからな!」


 可愛がってくれるのは嬉しい。けれど、久しぶりに会ってこれはないだろうと、クユリは天を仰いだ。





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