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一枚上手

本編終了少し前のお話です。


 

 クユリはレイカン国皇帝唯一の妻となったが、相変わらずの大忙し。ギ国侵攻、皇帝毒殺未遂事件、その後の残務処理などが重なり、皇帝とゆっくり過ごす時間もないままだ。


 しかし官服を着たクユリは業務上ウルハの補佐として皇帝の側に仕えているので、皇帝と顔を合わせない日はない。夫婦として後宮で過ごすことは稀で、圧倒的に主従としての時間が多かったが、クユリは特に問題とは思っていないのだが――周囲――特にウルハは違ったようだ。


「陛下の体調はとっくに戻っているというのに、懐妊の知らせを聞けないのは何故なのでしょうか」


 筆を置いたウルハが呟きを落とした。視線はどことも知れない空を見つめている。

 その様にクユリは目を見開き、皇帝は書類に手を伸ばしたまま動きを止めた。やがてクユリと視線を交わした皇帝が恐る恐る声をかける。


「ウルハ、どうかしたのか?」


 子は授かりもの。クユリは焦っていないし、皇帝もクユリに甘いため、自分の欲をぶつけて来るようなことはない。空いた時間があるなら好きなように望む知識を得る時間を与えてくれ、後宮を訪れた皇帝はクユリの膝に頭を乗せて眠ってしまうこともしばしば。

 そんな二人の夜伽事情がばれたのなら正座+お説教コース確定だ。ばれていなくても子はまだかと冷たい視線を向けられて正座+お説教コース。


 それが何故。

 ウルハらしからぬ独り言。力のない孤独な呟き。

 皇帝もクユリも顔色を亡くし、場を代表して皇帝が声をかけたのだが……


「いいえ。なにも」


 ウルハは一つ溜息を落とすと、筆を取り、静止。しばらく後、再び筆を置くと「しばらく席を外します」と言って部屋を出たきり戻って来ることがなかった。


 その夜、クユリは後宮の与えられた寝所で皇帝と膝を突き合わせる。

 子は授かりもの。できるできないは運次第。軽く、かる~く考えていたが、そのせいでウルハの思考を虹の彼方の不思議な世界へ追いやってしまったようなのだ。


「あのようなウルハは初めてだ。戦場で死を覚悟した時ですら辛辣かつ上から目線で前向きであったウルハだというのに……あのように虚ろな姿を見せるなど思いもしなかったよ」

「現在のレイカン国にとって世継ぎ問題が最重要課題であることに思い至りました。これまではウルハ様の小言のせいで何となくでしか感じていなかったのに」


 皇帝毒殺未遂事件の後、皇帝に世継ぎがいないことが不安定な状態だと誰よりも身近で感じたはずなのに、ちょっと状況がよくなるとつい忘れてしまう。ウルハの小言もいつものことなので右から左だった。今は皇帝の威光で押さえられているが、またいつ生き残っている皇子が担ぎ上げられて毒牙を向けられるか分からないのだ。皇帝が死ぬかもしれないと感じ、恐怖が再びクユリを襲う。


「あの……しますか?」


 青い顔で体を小刻みに震わしながら問うと皇帝に抱き締められた。


「国もウルハも大事だが、そなたの心も大切なのだよ」


 皇帝がクユリをしっかり抱きしめたまま鶯色の髪に口付けてくれる。ほっと息を吐いたクユリは縋るように皇帝の背に腕を回した。


「怖くないです」

「震えている」

「陛下が怖いんじゃなくて。毒のことを思い出してしまって。失うのが怖くて」

「私が皇帝であることを変えることはできないが、看取り合う約束をしているのだから最大限の努力をするよ。二度とないと誓うから許しておくれ」


 クユリは皇帝の腕の中で深く頷く。


「それから、近々また城を出て散策をしよう。今以上そなたに惚れてもらえるよう努力するよ」

「わたしも陛下に、ギョクイ様に惚れてもらえるように頑張ります」

「その必要はない。私は既にそなたの虜だ」


 腕が緩み、クユリは顔を上げた。皇帝の瞳には自分が映っていて、恥ずかしさに頬が染まるのが自分でも分かってしまう。そっと目を閉じると唇が重なってゆっくりと寝台に沈められた。









*****


 深夜、ウルハの命令で偵察に出ていたリンは報告のため城に戻って来た。

 特に問題なく終えたことを報告すると、いつになく上機嫌なウルハの様に嫌な予感がする。


 何があったのかと聞きたい所だが、藪をつつくのも得策ではない。

 失礼しますと頭を下げようとしたところで「リン、君も一緒にどうだい?」と声をかけれらた。

 リンが返事をする前にウルハが取り出したのは目が飛び出すほど高額な酒だ。


「ご相伴にあずかれるのですか!?」

「ええ。今夜こそ、私の勝ちですから」


 何がとは聞かなかった。

 恐らくだが、何かしらの策を練って勝利を確信したのだろう。こんなウルハはギ国を退けギョクイが帝位に就くと確信したとき以来ではなかろうか。


「おめでとうございます!」

「うん。ありがとうリン」


 恐らく、誰かがウルハの掌で転がされている。

 そんなことはリンの知ったことではない。

 その誰かに「ありがとう」と心内で感謝しながら、差し出された杯を受け取ったリンであった。




 翌月、リンはクユリの懐妊をいの一番に気付くことになる。当事者であるクユリよりも先に。

 再び銘酒にありつけるかもしれないと喜び勇んでウルハに報告したが、「でしょうね」とそっけなく返されるに終わり、あの日の勝ちとはこれだったのかと思い至るのであった。



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