処罰
皇帝が妃を自らの寝所に呼ぶのは異例である為、目が覚め快方に向かうとクユリは後宮に戻された。しかし運が良いことに、クユリは見習い官職としてウルハに仕えている。鬘を冠に付け替え、男の姿に扮したクユリは毎日皇帝の元に通った。
目が覚めた当初は声を出すことが出来なかった皇帝も、しばらくすると声を取り戻し、今では自ら歩けるまでに回復している。用心して寝台の上ではあるが仕事にも手をつけている。
ウルハは皇帝に毒を盛った輩を突き止める為、日々忙しく動き回っており、クユリはウルハの計らいで皇帝の補佐について、ほとんどの時間を皇帝の側で過ごしていた。
寝台に身を起こして仕事をする皇帝の傍らで、資料を手にしたクユリがうつらうつらと船をこぐ。気付いた皇帝が合図を送ると、リンはお辞儀をしてそっと寝室を出て扉を閉めた。
船をこぐクユリの頭がかっくりと落ちるのを受け止めた皇帝は、そっと寝台においてやる。クユリは椅子に座ったまま、上半身だけを皇帝の寝台に預けて眠り、資料から離れた手がぎゅっと皇帝の袖を握った。
可愛らしい仕草だが、不安からくる無意識と分かっているだけに複雑な心境だ。
皇帝が毒を盛られてから、クユリは少し変わったように感じる。
夫が死にかけたのだからそれも当然なのだろう。その思いが嬉しく感じてしまうのはいけないと気持ちを正そうとするが、愛されているのだと思うと心が満たされてしまう。
いつか毒を盛られたり、命に関わる事態に陥ることは予想していたが、クユリと出会った後では覚悟が違った。
出会う前は死んだらそれまでと覚悟していたが、今はそれが嫌だと思う。クユリの傍らで共に天寿を全うできないのは絶対に嫌だった。
夫婦となり、子を成し、共に老いて行く。そんな当たり前の幸せなんて皇帝が望んでいいはずがないのだが、クユリと共にそうありたいと願ってやまない。
もしこれが逆の立場であったらどうなっていたことか。
クユリに毒が盛られたら、皇帝は間違いなく犯人を己の手で見つけ出し八つ裂きにしている。冷静さを失い、犯人を残虐に始末することだけに努めただろう。クユリのように自ら妙薬を手に入れる行動をとるのではなく、相手に怒りをぶつけて大きな失敗を犯すのだ。
立場や男女の違いもあるが、冷静でいてくれたクユリに感謝の気持ちでいっぱいだ。
クユリだけではない、尽力してくれた人たち全てに。
「心配をかけて申し訳ないね」
夢に落ちたクユリに声は届かないが、皇帝は嬉しい気持ちと申し訳ない思いを含ませると、眠るのに邪魔になっている冠を外してやる。本当は寝台に上げてやりたいが、そこまですると起きてしまうだろうからここまでだ。
皇帝は鶯色の髪を優しくなでる。この髪の色のお陰で『素敵な旦那様に出会うことが出来た』と父親に言っていたらしい。リンから聞いた言葉を思い出した皇帝は、クユリの額に垂れる前髪を持ち上げ、額に残る傷跡を確認した。
「唯一無二の妻に出会えたのは私の方だよ」
クユリの両親に、娘の夫が武人であると勘違いされているのは悲しいが、今回はしょうがないことだ。皇帝に毒が盛られたことも、妃になったクユリが後宮を出された理由も伏せなければならず、事を急ぐのであれば勘違いさせておいた方がいいとクユリが判断した。親の性格を知っているクユリが言うならそうなのだ。
「叶うならばいつか、そなたのご両親に挨拶したいものだね」
皇帝が妻の実家に挨拶なんて絶対に有り得ないし、あってはならないことだ。それでも親にとって大切な娘を遠く離れた場所に閉じ込め、妻としている身として、庶民的な感情がある皇帝は、クユリの両親に挨拶しておきたいとの思いが強くあった。ウルハに相談したら絶対に許されないだろう。凍てつく視線で一瞥して終了に違いない。
生きる為に足掻いていたら皇帝になっていた。苦手な後宮を避けていたら盥に乗せられ、懐かしい女性に再会して妻にしていた。自分は運がいいのだろうと思いながら、クユリの髪を優しく梳くように撫でると、人払いをした寝室の扉が合図もなく無遠慮に開けられる。
無遠慮な人間で思い当たるのは一人しかいない。
皇帝はクユリの髪を撫でる手を止めず視線を上げた。
「こちらは目が回るほど忙しいというのに、愛妻を侍らせ、ゆるりとされているとは羨ましい限りです」
皇帝が目を覚まして一度しか様子を見に来なかった腹心は、よほど疲れているのか嫌味に切れがない。無事ならそれで十分、無駄を嫌うウルハにしては、回復していく皇帝の姿を一目見ただけでも異例なことだ。
「なにか分かったのかい?」
「なにか、ではなく、全てです」
ウルハは皇帝に毒を盛った輩を探していた。全てが整い決断を下すように求めてきているのだ。皇帝は手元のクユリに視線を落とす。良く眠っているようだし問題ないだろうと、ウルハに視線を戻して先を促した。
「四十番目の無能な男を覚えていますか?」
「無能かどうかは分からないが、四十番目となるとショウコクと言ったか……」
皇帝は記憶に残る弟の名前を探り出す。
先の皇帝は多くの子を残し、そのほとんどが死に絶えているが、残った皇子達はウルハの計らいで辺境にやられ、ただ人同然の生活をしているはずだ。
どうやらその内の一人である四十番目の皇子が、皇帝に成り代わり玉座を目指したらしい。
「あの男に力はありませんよ。唆されその気になっただけですが、許す選択肢は御座いません」
それでも次の被害を出さない為、国の安定の為、皇帝に盾突けばどうなるのか。悲惨な末路を準備しなければならない。
「首謀者は?」
「ナハ家にございます」
「リュリュの実家ではないか……」
皇帝はクユリを撫でる手を止め天を仰いだ。
後宮を追われたリュリュは再婚できていない。想う男に拒まれたというよりは、実家に留め置かれている。四十番目が玉座に付く時に皇后となる為だったのだろう。
「リュリュに累が及ぶのは避けられないだろうか」
「相変わらず陛下はお優しいですね。しかし許されません」
一人を助ける言い訳は他者にも使える言い訳となる。溜息を吐いた皇帝の脳裏にリュリュと、その傍らにいた愛らしいルリの姿が描き出された。
「リュリュの想う男の調べはついているのだろう?」
「腕の立つ武人で、現在は東の砦に配属されております。私が調べた時には再婚はしておらず、懇ろの相手もおりませんでしたね」
「良家の娘に酷ではあるが、東に職を与えることはできるだろうか」
もと妃であるからこそ極刑が与えられるが、妃であったからこそ温情も与えやすい。甘いと言われればそれまでだが、愛しい男と生きたいと願ったリュリュを、皇帝は見捨てることができなかった。
「リュリュが預かっている娘の父親でもあります、恩を売って損はないでしょう。しかし他は容赦できません。こちらに署名を頂けますか?」
ウルハが差し出したのは処刑の許可証だ。そこにリュリュの文字はなく、初めからそのつもりでいてくれたことに感謝する。
連なるのはリュリュの実家だけではなく、先帝の血を引く男もだ。他にも様々な名前とともに、残酷な殺され方が並んでいた。
皇帝は口を堅く結んだが、筆をとると己の意思で名を綴った。




