生きている
クユリたちが持ち帰った黒い塊は妙薬シュロクに間違いなかった。
胡桃よりも小さく硬い塊を手にした侍医は、感激に体を震わせ危うく落としてしまいそうになる。
「これは相違ございません。しかもこれだけ萎んでいるとなると五十年以上昔に採取されたシュロクです。最高の品質にございます。これで陛下をお助けできます!」
クユリたちが出立した後、皇帝の容態は悪化して幾度となく危篤状態に陥り、意識を失ったままになっていた。
クユリが呼びかけても反応がなく、肌の色も黒ずんでしまっていて、クユリは失う恐怖に苛まれる。
リンも言葉を失っている。クユリは皇帝の手を握り、傍らで作業を進める侍医の手元を縋る思いで見つめ続けた。
侍医は種を金鏝で細かく割ると、石臼で擦って硬いシュロクを粉にし、様々な粉を混ぜて丸薬を作る。丸められてしまった薬にクユリは不安しかない。
「陛下は意識がありませんから、丸薬を飲みこむのは無理ですよ」
「ああ、そうでございました。私としたことが……」
死にかけの皇帝を前に侍医も動揺していたようだ。彼の失敗がクユリにわずかながら冷静さを取り戻させてくれる。
丸薬を水に溶かしてとろみのある液状にすると、ゆっくり、零さないよう一匙ずつ皇帝の口に流していく。
時間をおきながら、幾度も幾度も繰り返して薬を飲ませ、ついにはシュロクの粉がなくなるまでそれは続けられた。
幾日か過ぎる間にギ国からもシュロクが持ち帰られ、侍医は同様に粉にして調合を続ける。クユリは皇帝の側で四六時中過ごして回復を祈り続けた。
クユリの側にはリンが付き添ってくれる。ウルハのお陰で妃が皇帝の傍らにいても咎める者はいない。特にクユリがシュロクを持ち帰らなければ皇帝の命が危うかったこともあり、女など邪魔と追い出すような輩は誰一人として存在しなかった。
クユリだけでなく多くの人間が関わったお陰で皇帝は意識を取り戻し、これで大丈夫と侍医のお墨付きを得る。
「本当に良かった……」
目を覚ましたが再び眠ってしまった皇帝の手をクユリがしっかりと握る。
毒を飲まされ倒れた皇帝には暫く静養が必要だ。命に事無きを得ても失われた体力がすぐに戻るわけではない。寝ている時間が多い皇帝に縋ってクユリは涙を零した。
クユリたちが実家に帰っている間に、一時は命が危ぶまれる状態にまで急変した。クユリがシュロクを持ち帰らなければ皇帝の命はなかっただろう。
皇帝が助かって嬉しい。本当に心から嬉しい。だけど――と、疼く胸を押さえていると、「クユリ様」と名を呼ばれ、聞き覚えのある低い声色に驚いてクユリは顔を上げた。
振り返ると大きな武人が床に膝をついている。着替えを済ませ身綺麗にしているので一瞬誰かと思ったが、無謀な旅を共にした大きな男が歩いて数歩の場所に生きて存在していた。
「コウヨウ様!」
「クユリ様!?」
名を呼んで飛び付いたクユリを武人が慌てて受け止める。黒髪の鬘を被り、美しい衣に身を包んだ皇帝のお妃様が、このような態度を取るなんて思っていなかった武人は慌て、取りあえず受け止め、太く長い腕で距離を保った。
「無事で……無事だったんですね。怪我は!?」
百人以上のならず者を相手にしたのだ。どんなに強くても無傷ではない。てっきり死んだと思い込んでいたクユリは、バタバタと体を揺らして武人の体を確認しようとするが、場所がどこであるのか、クユリが誰であるのかを熟知する武人によって拒まれる。
「かすり傷程度です、どこも支障はありません」
「かすり傷ってどこですか。ご武人は怪我をしても我慢してしまうものです。かすり傷なんて言っても本当は大怪我かもしれません。見せてください!」
「いや、本当にかすり傷です。ほんのちょっと頬に、剃刀で切った程度の傷があるくらいで御座います」
「本当に?」
暴れるのを止めたクユリを武人が自由にすると、クユリは武人の顔を覗き込んで確認した。
頬には剃刀で切ったにしては深いが、閉じかけの傷がある。あれから何日もたっているのに完全に閉じていない。かなりの血が流れただろうし痕にもなるだろう。何でもない態度を崩さない武人にクユリは眉を寄せた。
「体はどうですか?」
「正直に申しまして、陛下を相手にするよりは楽で御座いました」
きちんと答えてくれないのが答えだ、きっと見えない場所にも怪我をしている。それを悟らせない、何でもないと言ってのけるのが武人の矜持なのかもしれない。これ以上問うのは失礼になると思ったクユリは小さく息を吐いた。
「陛下って、そんなに強いんですか?」
「はい、毒にも負けぬほどに」
武人の視線が反れる。クユリがその視線を追うと、騒ぎのせいで目を覚ましたのか、しっかりと目を開いた皇帝が、高い寝台の上から二人をじっと見ていた。
起き上がろうとして叶わず、リンが助けて皇帝が半身を起こす。
皇帝の瞳はしっかりとしたもので、毒に苦しんでいた時とはまるで違う。
クユリの知る、優しくて穏やかで、人の温もりに溢れた瞳。ここしばらく合わせることができなかった視線。受け止めたクユリの黄色と茶色の混じった瞳に涙が滲む。
「陛下!」
「クユリ様、ちょっと待って!」
飛びかかる勢いのクユリに、皇帝を守ろうとリンが声を上げる。そしてクユリの後ろ襟を咄嗟に掴んだ一人の武人が。
「ぐぇっ!」
クユリからは蛙が潰れたような声が。それでも皇帝に手を伸ばすクユリに、皇帝の目元が穏やかに緩んだ。
皇帝がクユリに応えるように腕を上げるが、力が入らないようで僅かしか上がらない。痛々しいが、それでも生きて身を起こし、微笑んでくれる姿は奇跡のようで。
皇帝が小さく頷くと、武人はクユリを解放した。
「陛下っ!」
皇帝に負担をかけないよう、縋ったのは彼を包む布団だが、皇帝の手が伸びてクユリの頬をなでる。皇帝の口が『心配をかけた』と動いたが音にはならなかった。




