里帰り
何年ぶりになるのか。
ミレイ妃の後宮入りに問答無用で同行させられ、二度と帰宅できないと思っていた。思いがけず皇帝の妃となり、ますます遠のいたと思われた我が家……人妻なので実家と呼ぶべきか。
いやいや、今はそんなことどうでもいいのだ。
目的は懐かしの家に里帰りではなく、毒を盛られ苦しんでいる皇帝を助ける為。
しばらく見ぬ間に門が新しくなったとか、塀の漆喰が塗り直されて眩しいだとか思っている暇などない。
クユリは大きな武人とリンを伴い、勝手知ったる実家に足を踏み入れる。と、玄関につく前に母親と出くわした。
「あら、クユリじゃないの。とある高貴な方に嫁いだと聞いたけど、離縁でもされちゃったの?」
久し振りに顔を合わせるなり、不吉なことを言う母とは感動の再会とはならず。
恐らくはファン家の当主が勝手に言い繕ったのだろう。高貴に間違いはないが、母の口ぶりから相手は聞かされていないと思われる。
クユリの顛末を口走った母の視線が、クユリの傍らに立つ大きな男に向かうと、黒い瞳が目いっぱい大きく見開かれた。
「まあっ、もしかして旦那様!?」
「いえ、私はクユリ様の――」
「あなたっ、あなた大変。クユリが旦那様を連れて戻ってきたわ。さる高貴なお方よ、祝宴の準備よ~っ!」
話も聞かず騒ぎ出した母の様子に、相変わらずだなとクユリはそっと息を吐いた。間違われた武人は騒ぐ母を前に、訂正することができずおろおろしている。
母は悪い人ではないが、思い込みの激しいところがある。説明するだけ時間の無駄と、さっさと用事をすませることにした。
「お母さん、うちに寄木細工のからくり箱があったでしょう。それに用があるから、勝手にしてもいいよね?」
「寄木細工……ああ、あの開かない箱ね。納戸か蔵じゃないかしら。好きにしていいけど、祝宴の準備ができたら呼ぶからちゃんと顔を出すのよ。旦那様とそちらの……」
「リン様です。こちらはコウヨウ様。皇帝陛下のお側に侍る武人なの」
「まぁっ、皇帝陛下の!?」
それは凄いと母の瞳が輝きを増した。
「さぁさぁ旦那様、コウヨウ様。皇帝陛下をお守りする武人様。長旅でお疲れでしょう。我が家は温泉をひいてますの。ゆっくり浸かって汗を流してくださいね」
「いえ、私は――」
「クユリに背中を流させますわ」
「とんでもない!」
「皇帝陛下の武人様が婿殿だなんて嬉しい。皆に自慢しなきゃ!」
クユリの母親は勘違いしているが、コウヨウからすればクユリは主の妻である。生まれはどうあれ、皇帝の妃に背中を流してもらうなんてありえないし、勘違いされたままもまずい。
しかしコウヨウがいくら違うと言っても、感激しているクユリの母親は聞く耳を持たない。耳が悪いのか垢が詰っているのか。
コウヨウがクユリに助けを求めようとしたが、クユリは面倒なのでそのままにしておくことにした。武人に謝罪の意味を込め手を合わせる。
「申し訳ありませんが、母に付き合ってください」
時間を無駄にしたくない。武人を生贄にして、クユリはリンと二人で家の奥にある納戸を目指した。
勝手知ったる実家を歩き回る。
親兄弟合わせて十二人の大家族が住まう家は、小金持ちに相応しく広い。
統一感のまったくない、趣味の悪い飾りを横目に、増改築を繰り返したせいで迷路のようになった廊下を早足で進む。一番奥まった古めかしい建屋が目的の納戸だ。
そこいらの家庭にある納戸と違ってとても大きく、引き戸を開ければぎゅうぎゅう詰めで足の踏み場もない。
大変な数……量の品々が納戸に押し込められている。クユリの記憶では納戸の一番奥にある棚の上にしまわれているのだが、母によると蔵の可能性もあるのか。
「う~ん、これは。コウヨウ様を母に渡さなければよかったかな?」
目の前には古めかしい、鉄でできた等身大の仏像がある。多少体力のあるクユリと、成人したとはいえ女装が通じる背丈のリンには手に余る仕事だ。あの大きな武人なら軽々と移動してくれるだろうが……彼をこき使っていると知れば、両親はとんでもないとクユリを叱るだろう。何しろ世界は男尊女卑、高貴な方々の世界は特にだ。
「リン様、申し訳ありませんが手伝ってください」
「勿論お手伝いしますが、コウヨウ様を呼んできましょうか?」
「それは危険なのでやめます」
「危険とは?」
「先程のやり取りで察していただけたと思いますが、母は人の話を聞きません。生涯独身で通すと決めていたわたしが結婚したと知り、夫を連れ帰ったと浮かれています。捕まったら最後、夫婦揃って親戚まわりです」
「妃になったと報告しないのですか?」
「ファン家の見栄もあるのでしょう。家族はこの地でやっていくのですから、領主の顔をつぶすのは憚られます。母が勝手に勘違いしてくれたのですから、自由にやれるうちに目的を達成してとんずらしたいです」
「クユリ様、ちょっとウルハ様に似てきましたね。いや……本質的に同じなのかな?」
クユリはリンと力を合わせ、仏像から何から何まで納戸から取り出していく。かなりの物が詰まっていたが、何とか奥に手が届くまで来たところで、二人して唖然とした。
「なんですかこの数は……」
「恐らく、母が気に入る物をと意固地になった父が買い集めた結果でしょう」
納戸の奥には大量の寄木細工のからくり箱がひと山、まさに山のようになって二人を出迎えたのであった。
「クユリ様って一度見た人の顔、全員覚えていますよね?」
「幾何学模様になると流石に――」
途方に暮れている暇はない。
取りあえず目の前に箱に手を伸ばし、じっと見つめて「これは違う」と呟いて、ぽいっと後ろに放り投げた。
幾度か繰り返し、これかなと思える箱を開けてみるが中は空っぽだ。からくり箱を物色していたリンが「中から音がします」と、クユリの耳元で箱をふる。
「真綿が詰まっているから音はしないと思うんですけど……念のため開けてみますね」
箱の大きさも模様も似ており、からくりも同じだった。もしやと期待し最後のからくりをずらすと、中からは胡桃大の翡翠が姿を現した。
透明度が高く、割れや欠けもない良質な翡翠。値にして官職数か月分の給料あたりだろうか。クユリはそれもぽいっと後ろに放り投げる。
「うわぁ、クユリ様。翡翠ですよ、しかも上物です。何てことを!」
「翡翠なんかに用はありません。目的はあの梅干しの種よ!」
「梅干し?」
放り投げられた翡翠が埃を被った箱と箱の間に転げて見えなくなる。慌てたリンが翡翠を回収し、梅干しの種との言葉に首を傾げた。
「シュロクを取りに来たんじゃありませんでしたっけ?」
「そうですよ。ああ、これも違う。どこに隠れているのよ梅干しの種!」
「梅干し……」
リンは首を傾げ、手にした翡翠を箱に戻してからくりを閉じる。幾度か「梅干しの種」と呟いて、首を振り、再びシュロクを探す為に手を伸ばした。




