ウルハ戻った
官服に身を包み、見習いの冠を頭に乗せたクユリは、仕事部屋でウルハに再会して嬉しさのあまり満面の笑みを浮かべる。
「ウルハ様、お帰りなさい!」
近く謹慎が解かれるのは知っていたが、今日だとは知らされていなかった。リンからも聞いていないのでウルハの独断かもしれない。
謹慎の前はギ国侵攻を受けごたごたしたせいで、ウルハの出仕は三か月ぶりだ。色々なことがあったが喜びが勝り全てを忘れ、思わず飛び付きそうになったクユリだったが、額にウルハの指二本が押し当てられ制止させられた。
「お元気そうで何よりです」
ウルハも嬉しそうに微笑む。いつもは皮肉を孕んだ笑みなのにどうしたことか。本日のウルハの笑みは正真正銘の笑みで嫌味がない。結婚して丸くなったのかと感動したのも束の間。
「あなたと陛下には山のように仕事があると念押ししたのを覚えていますか?」
「え……まぁ、はい。覚えています」
え、何?
何の害もなさそうな笑顔でこの男は何を言い出すのか。
クユリは額に指二本を置かれたまま、恐る恐るとウルハを見上げた。
「ウルハ様に認めて頂ける範囲には及びませんが、陛下と力を合わせてしっかりとやっているつもりです」
「つもり?」
えー、なにぃー。
嫌味もなく、好青年が微笑んでいるようにしか見えないのに、言葉には棘しかない。いったい何を失敗したのだろうかとクユリは戸惑う。
「私事ですが、妻の妊娠が判明しました」
「おおっ、それはおめでたい。おめでとうございます!」
ウルハの結婚はごたごたした物であったが、早々に子ができるとはなんと目出度いことが。ウルハがおかしいのも妻が妊娠して父親になる自覚が出てきたからだろう。良い現象だと喜び体が跳ねあがりそうになったが、額に置かれた指二本によって動きを押さえ込まれる。
「あの、ウルハ様?」
「来年にはあなたと陛下の義理の息子か娘になる子が生まれます。私は言いましたよね。あなたと陛下には仕事があると。しっかり役目を果たせと。多くの子を期待すると」
「そっちですか!?」
「そちらも、です」
ウルハの笑顔が満面と呼べる範囲にまで進んだ。
嫌味のない、正真正銘の笑顔なのに、クユリは首を絞められている気持になる。
「陛下なんて、日々の業務で手がいっぱいで徹夜続きなんです」
「政務と子作り。両者できないなら子作り優先に決まっています」
「政が滞るじゃないですか!」
「私が出仕すれば片付く問題です」
「子作り子作りって、母体に圧力をかけるとできにくくなるだけだって教本にありますよ!」
「知っていますよ。できないのは女だけのせいではないことも。クユリは多産の家系ですし、疑うべきは陛下でしょうか。ちょっと活を入れてきますので、あなたは仕事にとりかかって下さい」
ウルハは見事な笑顔を張り付けたまま部屋を出て行く。つい「うわぁ……陛下お可哀想」と声が漏れてしまった。ウルハの叱責は他人ごとではないが、今は皇帝に向いている。何となく自分のせいなような気もするが、どうだろう?
ウルハを見送ったクユリは、二本指の触れていた額を掌でそっと抑えた。
「ちょっと爪が刺さった」
爪痕がついているがすぐに消えるだろう。それよりも……と、クユリはほっとした気持ちでウルハが消えた扉をじっと見つめた。
謹慎が開けて出て来るのは分かっていたし、待ち遠しかったが、ウルハと再会したら気まずいとか、最初の一声は何にしようとか色々悩んでいた。
けれど突然現れたウルハに驚いて、考えていたことが何もかもすっ飛んでしまい、結局は心のままに動いてしまった。
「うん。元気そうでよかったし、奥方様とも上手くやっているなら問題ないのかな。何よりも子供ができたなんておめでたいことだわ」
一人が孤独だと気付いたクユリにとって、ウルハが一生独身でいるよりも、妻や子を得て少しでも幸せになってくれたならと考えるようになった。
人の幸せが何処にあるのかなんて、他人が計ることは出来ない。だけどウルハは面倒を嫌うし、妻一人を掌で転がすなんて朝飯前だろう。妻がウルハの計画の邪魔にならなければ、そのうち男女の情が湧く奇跡が起きるかもしれないし、男女でなくても夫婦としての情を持つかもしれない。上手く行ってくれたらいいなと思う。
「いけない、ちゃんと仕事しないと叱られてしまう。子供は授かりものだけど、目の前の仕事は自分の能力だものね」
子供を作れと言われても、重圧に感じていないクユリはなかなかに図太い。
皇帝が唯一通う妃としての自覚や、跡継ぎ問題など山積みだが、子供は授かりものだという考えがしっかりと根付いているクユリにとって、急かされようと何をされようと焦りはしても、心を病むような悩み方はしないのだ。こういう点は長く一人で過ごし、一人で生きる決意を固めていた性格のお陰と思われる。
クユリは差し戻していた書類を受け取りに走った。
今日からが日常だ。まずは目の前にあることを一つずつこなすだけ。
一度に沢山のことをしようとしても、能力以上のことをやれば失敗しやすくなる。自分の能力を超える事柄に手を付けるのは、余裕があるときが一番だ。




