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皇帝が大好き



 ウルハの黒い瞳には何の感情も宿っていない。

 迎える妻を愛しいとかの片鱗は当然なく、皇帝やクユリに向ける感情も何もないのだ。

 悟られるのを隠しているというよりは、何もかもを己で操れる冷静な姿にクユリは感服させられる。こんな人間もいるのだと、目の前にしても信じがたかった。

 嫌味でチクチク攻撃して来る普段のウルハが可愛く思えるほど、無表情で何の感情も宿さないウルハは恐ろしく、また悲しくもある。


「私は陛下の治世を、より良いものにする為なら何でも致します。その一つに妻を娶る必要性があるなら、思ってもないことを口走るのは簡単です」


 皇帝をじっと見据えていたウルハがようやく口を開き、クユリの問いにも繋がる言葉を紡いでいく。


「運よく私は未婚で、煩い女主も屋敷に囲っていなければ、親族すらおりません。このような私とは反対に、陛下は慈しむ相手を見つけてしまわれた。陛下だけでなく、クユリを潰してしまうのも惜しいのですよ。そこにクユリへの特別な感情はありません」


 クユリに対する男女の情は持ち合わせていないと、ウルハははっきりと言い切った。

 口付けても何も感じないし、目の前で他の男と仲睦まじくしても何も思わない。なんなら夜伽を観察すらできると、それがウルハにとっての当たり前なのだと、皇帝とクユリの二人を諭すかに話を続ける。


「敢えて言うなら、ロギ家の娘を口説くのに失敗した時には、クユリを下賜かししていただくつもりでした。クユリは良くも悪くも嘘がつけない。クユリが陛下を水に飛び込ませたあの日、新たな妃を迎えるのは危険と判断したのです」


 ウルハがロギ家からやってくる娘を横取りする決意を固めたのは、クユリが川を渡って後宮を出ようとしたあの日、皇帝がクユリを逃がすまいと、恐れていた川に躊躇なく自ら飛び込んだ時だ。その様を目の当たりにしたウルハは、今後の為に自分が何をするべきか、息をするように判断した。


「クユリを失うのも、陛下との関係に他の女を入り込ませ、ひびを入れるのも認められません。となると、生き残る為の厄介は私が引き受けるべきです」


 自分はその為の存在だと、ウルハは目を細める。


「本当に身軽でようございました」


 その為に妻の座を開けておいたのだと微笑むウルハに、皇帝が奥歯を噛みしめる音がクユリの耳に届いた。


 結婚は高貴な人たちにとって手段の一つだ。妻をどの家から娶るかによっても将来が変わる。

 ウルハにとって妻を娶るのは、しがらみが増えて面倒以外の何物でもない筈だ。皇帝に最も近いウルハにあやかり、または取って代わろうとする妻の実家もある。そのようなことはウルハが許すはずがないが、今回の件が起きるまでウルハに妻を娶る予定は皆無だったのだ。

 しいて言うなら、クユリが下賜されるなら迎えて良い程度のもの。

 ウルハにとって妻を得るのはその程度であって、実のところはその程度ではない。

 自惚れと失笑されるかもしれないが、ウルハが認めた女は自分だけだとクユリは知っていた。


「娘を脅して手籠めにしたのか?」

「まさか。全て話し合いですよ」


 既成事実を無理に作ったのでも、騙したのでもない。ちゃんと了承を取ったのだとウルハは主張する。


「陛下は帝位に就いてより一度も後宮に通わず、側仕えの小姓と浮名を流しておいででした。その陛下が自ら後宮に迎えた唯一の娘と、政略で迎える娘がやり合って勝てる訳がありません。私は彼女の為に、丁寧に教えて差し上げたのです。閉鎖予定の、楽しみの一つもないつまらぬ後宮で、約束の子を産めば捨て置かれる運命。若い娘にとっては牢獄も同然。なんとおいたわしいことかと、心より憐れに思いお慰めしたのですよ」


 その結果が、皇帝の妃になる予定の娘を寝取ることに繋がった。

 確かに皇帝が側仕えの小姓リンと、同性でありながら恋仲であるという噂は広まっていたが、事実ではないし、ウルハはそれを知っているのだ。

 それなのにウルハはロギ家の娘に噂だけを告げ、言葉巧みに誘導し、後宮入りするくらいならウルハとただならぬ関係になる選択をさせてしまった。


 騙してはいない。

 確かに騙してはいないが、ウルハが彼女を道具として扱ったのは事実だ。

 それが当たり前の世界であっても、そのようなことを当たり前にしてしまうウルハに対して、クユリは怒りではなく寂しさで胸が締め付けられる。

 それもこれも全ては皇帝の輝かしい未来の為。

 新たな妃を迎え、名実ともに妻となる女性を後宮入りさせることで、クユリが心を病んでしまわない為に。

 何もかもが治世の為と言えば確かにそうだが、それが全てだとは思えない。

 意地悪で刺々しく、皇帝に盾突ける関係を築いているウルハに心がないなら、ロギ家の娘を後宮入りさせてこそだ。

 皇帝の為に選択したと言ってはくれるが、その言葉そのものが皇帝の、そしてクユリの為に思えてならない。

 これは追及するべきではないのかもしれないが、もやもやした気持ちが心の中で燻っている。かつてのクユリなら『はいそうですか』で終われた事柄だろうに、共に過ごした時間がいらぬ一言を生んでしまった。


「ウルハ様は陛下のことが大好きなんですね!」

「おや、私に喧嘩を売りますか。流石はクユリ、良い度胸ですね」


 皇帝の為なら何でもする。その献身はまるで一途な恋のようではないかと、クユリ自身経験がないままであるが、認めてもらえないせいで嫌味を込めて告げれば、喧嘩を売るのかと返される。

 これこそがウルハだが、今回のは納得がいかない。

 クユリは皇帝から降ろしてもらうとウルハの正面に立つ。

 足を開いて腕を組み、力強く睨み付けて仁王立ちの体だ。


「だったらこないだのあれは何ですか!」

「あれとは?」


 問われるが、ウルハの目は何を指しているのか理解している目だ。敢えてクユリに言わせようとしていると気付いたが、ここまで来たら逃げはしない。


「額に唇を寄せました」


 負けずに堂々と言い放てば、「えっ!?」と皇帝から驚きの声が上がるが無視だ。


「あの意味はなんですか。下賜の提案にウルハ様では嫌だと言った報復ですか?」


 あなたはわたしを好きですよね?……との意味を込めるのは恥ずかしいが、未熟なクユリでも分かることを、自分たちの為に否定されて犠牲にするのは嫌なのだ。

 認められたらどうするのかなんて考えていない。

 クユリも皇帝も、ウルハを犠牲にすることを嫌ったに過ぎない。二度とするなと、しっかりと分からせたいだけで頭がいっぱいだった。


「私があなたを好いていれば、心を痛めずに済みますか。それなら都合の良いように振る舞ってあげますよ?」


 ウルハは痛いところをついてクユリを突き放したが、「ですが……」と言い淀んで少しだけ考えるそぶりを見せる。


「少なからずあなたに好意を抱いていることは認めましょう。ですが陛下とクユリが考えるようなものではない。クユリ、私はあなたに理想の母親を見ているのです」

「理想の母親?」


 クユリの方が十も年下なのだが……

 何を言い出すのか。眉を寄せたクユリの後ろで、「ウルハ!」と皇帝が声を上げる。

 その声は理想の母に驚いたのではなく、先を続けることを咎める声だった。





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[一言] ウルハすげぇな 母親ねぇ?
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