馬鹿らしいの意味
ウルハの指がクユリの頤を、腕が腰を拘束する。
身動きできないほど強く抱き寄せられ、反して触れる唇はとてつもなく優しく、離れることなく食むように続けられる。
これは迂闊に悲鳴を上げてはいけないやつだ……と悟ったクユリは、歯をくいしばり、自由な手でウルハの胸を叩き、足で脛を蹴るがびくともしない。
答えに行きつこうとしたのに反則だ。
こんなことをされたら動転してまともな考えができなくなる。
う~う~と唸るクユリの様子に、目の前の出来事がようやく理解できた皇帝が声を上げ、もがくクユリとウルハを引き離して背後に匿った。
「ウルハそなた!?」
「なっ、なっ、なっ……」
「何をしているのだ!」
驚き過ぎて「な」しか言えないクユリに代わって皇帝が問う。
本当に何をしているのだ。
冷静ならまともな考えが口をついただろうに、クユリだけではなく、皇帝も大変に動揺して声を荒らげることしかできない。
クユリは立っていられず、皇帝の背後で崩れ落ちた。そんなクユリを皇帝は気遣えぬまま、ウルハを指差して「何をしているのだ!」と再び咎めた。
「ですから、馬鹿らしいの意味をお教えしているのです」
「意味が分からん。そなたのやることは意味が分からないのだ。馬鹿らしいの意味を教えるのに、クユリと唇を合わせる必要が何処にある。クユリは私の妻だぞ、そなた分かってやっているだろう。いったい何なのだ、頭が良いのだからしっかり説明しろ!」
「いっそ巻物に致しますか?」
「今すぐ、言葉でだ!」
へたり込んだクユリにようやく気付いた皇帝が、クユリをウルハから守るかに抱き上げる。
絶対に渡さないと意思表示するかに、まるで子供を抱くように強くしっかり抱えられて痛いが、三度目はごめんなのでクユリも皇帝にしがみ付いていた。
二人の様子を眺めていたウルハが小さく笑う。
「何がおかしい!」
「いえ、お可愛らしいと思ったのです」
「クユリが可愛いのは始めからだ。お前もそう思っているのだろう!?」
「初めからではありませんよ」
皇帝が息をのんだ。
「やはりクユリを憎からず思っているのではないか!」
「湾曲せず、好ましいと言えばよろしいのに」
楽しそうに笑ったウルハだったが、すっと表情を消すと静寂を纏い、その様に皇帝は声を消す。
クユリはウルハが何をしてくるのか分からないので、身を守る為に皇帝に抱き付く力を強めた。
「言葉でと申しますが、百聞は一見に如かず。陛下、クユリがちょうどよい位置におりますので、どうぞ口付けて下さい」
「はぁっ!?」
「さぁ、遠慮なさらず。口付けだけでは不服なら、その続きをなさっても構いません。何ならそちらの寝台をお貸しいたしますが?」
ウルハが指差したのは真新しい未使用の寝台だ。
この男はいったい何を言っているのか。
青褪め、顔を赤くし、目が回りそうなクユリ同様、皇帝も感情がぐちゃぐちゃで二の句が継げない様子。
「おや、私の垢がついた娘は嫌ですか?」
「垢うんぬんではなく、人に見せるものではなかろう!」
「寝台は冗談としましても、口付けて頂かなければ話が進まないのですが」
「できないと言っている!」
「成程。クユリでは嫌なのですね?」
「なんなんだ、訳が分からん!」
爆発しそうになった皇帝の唇が、やけくそとばかりにクユリの唇を奪った。
驚いたクユリは皇帝の頬を反射的に叩いてしまう。部屋の中にパンっと小さな音が響いた。
「もうやだ、陛下まで何やってるんですか!」
夫の前でウルハに口付けられるし、上司の前で皇帝に口付けられるし。
皇帝自身が見せるものではないと分かっているのに、これはいったい何なのだ。
公開処刑か何かなのか。
クユリは恥ずかしさのあまり、頬を叩いた相手である皇帝の肩に顔を埋めた。
対して皇帝は、クユリに頬を叩かれたお陰で少しばかり冷静になり、謝罪するかにクユリを撫で、ウルハを睨む。
「したぞ。それで、いったい何だ?」
「陛下は、私がクユリに口付けてどう思われましたか」
「ぐちゃぐちゃだ。腹立たしい。私は怒っている。この怒りがいったい何だというのだ。クユリの唇を奪われるのは、そなたであっても許せることではない」
「私はクユリに口付けしても、陛下がしているのを見ても何も思いません。感覚と視覚から得る情報だけですね。私のクユリに対する感情は陛下のそれとは異なります」
「そなた、平常心でいられるからクユリに特別な感情がないと言いたいのか!?」
「その通りで御座います」
正解とばかりに頷くウルハに、皇帝は「違うだろう」と、唖然として呟くように漏らした。
「ギ国侵攻の件において、そなたが私とクユリの為にしたこと全てが、そなたのクユリを想う心だと言っているのだ」
どうして分からないのだと、怒りを沈めた皇帝から悲し気な声が零れ落ちる。
クユリも皇帝の肩から顔を上げる。
抱き上げられているお陰で通常よりも高い位置からウルハの姿を捉えた。
「ウルハ様は、ロギ家のスラン様を愛しいと思っていませんよね?」
馬鹿らしいと告げたウルハの言葉こそが全て、答だとクユリは思った。
ウルハの視線を同じ位置で受け止め、どうしてこんなことをしたのかとクユリは視線を揺らす。
男尊女卑の世界で、女を物としか見ていないのは仕方がない。女はそういう扱いを受けるのが常識なのだから、クユリが訴えても何かが変わるわけではないし、何かしらの訴えを起こそうと思ったことすらない。
また、そんなウルハが妻を得るのを悪いことだとは思わない。
けれど、この全てが自分のせいなら話は別だ。
揺らぐクユリの瞳をウルハはじっと見つめた後、「陛下」と、皇帝に呼びかけた。




