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彼女は友達



 広大な宮殿の一角に、ひっそりと隠れたように建つ高床式の建物。

 貴重な書物が収められた古書殿と呼ばれる建屋で、レイカン国の若き皇帝が、一人の娘の為に本を探していた。


 そこに忍び寄る黒い影。

 気配を感じた皇帝が細い目で睨むように捕らえると、三つ年上の幼馴染で、側近として仕えるウルハが腕を組んで、蔑むような視線を皇帝に向けていた。


「何か文句でもあるのか?」

「大ありですね」


 ウルハが懐から本を取り出す。それはまさに今、皇帝が探していた本だった。


「そなたっ、どうしてそれを!」

「リンを締め上げ、全て吐かせました」


 何もかも知っていると冷たい目で語るウルハを前に、皇帝は返す言葉がなくぐっと奥歯を噛みしめる。


「盥に乗せ後宮に追いやったのは私ですが、まさか洗濯女を誑かしてくるとは」

「洗濯女ではなくクユリだ、そなたも覚えているだろう」

「覚えておりますよ。陛下の投げた礫で大怪我をした娘ですね」

「覚えているなら洗濯女ではなく名前で呼べ」


 母親の身分が低い皇帝の子供たちは、いずれは宮廷から退いて、地方の有力者やそれに準ずる家に婿入り嫁入りするのが常だ。

 皇帝もギョクイと呼ばれた少年の頃、例に漏れず、北の領地を治めるファン家に預けられていた。


 そこに側仕えとして同行していたのが、目の前に立つ幼馴染のウルハだ。クユリとウルハが言葉を交わしたことはなかったと思うが、ウルハはギョクイの側にいたのでクユリのことも良く知っている。


 預けられていたと言えば聞こえが良いが、皇帝の血を引くギョクイを利用できるかもしれないと、母親の出身地である領主が念のために受け入れてくれたに過ぎない。

 何しろギョクイは三十八番目。母親の地位も低く、皇子という肩書以外に何の魅力もない子供だった。

 他に三人の皇子が身を寄せていたが、ギ国との戦いで命を落としているのでこの世に存在していない。


「罪の意識から邪険に出来ないと、馬鹿げたことを仰るわけではございませんよね。私と陛下とでどれだけの人間を殺したと思っているのですか」


 ギ国との戦いでは多くの敵を薙ぎ払った。その家族にまで償いをするつもりかと、鷹のように鋭い視線で問われた皇帝は、償いではないと否定する。


「私とクユリは友人だ。確かに怪我をさせたことを悔いてはいるが、罪の意識からでは決してない」

「異性で友人とは、笑わせないで下さい。異性間で友情など成立するはずがない」


 ふんと鼻で笑われても皇帝は言い返せない。なにしろウルハが言うことは大抵が正しいのだ。


「まぁいいでしょう。とにかくミレイ妃と寝所を共にし、子を作って下さい。もうこの際ですからミレイ妃でなくても構いませんのでさっさとお早く」


 ミレイ妃の実家で北の領主であるファン家は、幼い皇帝を預かったのをきっかけに大きな力を付けてきている。今後の為に味方に引き込んでおいて損はないとウルハは言うし、皇帝自身もそうだと分かっているが――


「ミレイは苦手だ」

「私もですよ」

「ならば分かるだろう!」

「陛下、これは皇帝としての仕事です。癇癪持ちで鼻持ちならない娘でもファン家の娘。無理なら他の妃で練習してからでも構いません。何なら洗濯女で試してはいかがですか?」

「クユリは友人だ、そのような対象ではない!」

「まぁそうですね。陛下のような子を増やすのも得策ではない」


 皇帝の母親も妃に仕える侍女の一人にすぎなかった。先帝が手を付け、産まれたのがギョクイである。

 そのようにして産まれた皇子皇女が数多あまたいて、財政を圧迫させていたのも事実だ。


 現皇帝は女狂いではなく、男色が心配されるほど女性に対して興味がない。

 跡継ぎ問題もあり、後宮に通えと言っても通わない皇帝にしびれを切らしたウルハが、水が苦手で泳げない皇帝を盥に乗せ、後宮に通じる小川に流したのは半月ほど前だ。

 行き着く先は後宮。

 後宮の女に拾われ、妃の寝屋に連れ込まれればいいと言いながら、ウルハは皇帝の乗る盥を蹴って小川に流した。

 足がついても駄目なのだ、苦手な物は苦手。皇帝は困り果てたが、その先で視界に捉えた人の姿に驚き目を見張る。


 布を被っているが、垂れた前髪はくすんだ土色で、その髪の色には確かに見覚えがあった。

 幼い頃に過ごした土地で、見慣れぬ姿に釘付けになったものだ。あまりに凝視するものだから、ウルハに拳骨げんこつされて叱られたのも覚えている。

 髪と瞳が人と変わっていたせいで、多くの子供達から揶揄われている懐かしい少女の姿が脳裏に描き出された。


 唖然と口を開いた娘は美しく成長していたが、幼い頃の面影はしっかりと残っていた。

 間違いない、あの子だと思った瞬間。

 皇帝は「やぁ、おはよう」と、自分でも驚くほど爽やかに挨拶して手を振っていた。

 しかも翌朝は身なりを整え、自ら盥に乗ってしまった。


 皇帝は完璧でなければならない、皇帝は弱みを見せられない。

 幼馴染のウルハと、密偵として仕えてくれるリン。その他にも信頼している人間はいたが、異性になると全てが敵の状態だ。


 いつどこで寝首をかかれるか分からない。帝位を望む者と妃が繋がっていたらと思うと、もともと女性に奥手なのもあって後宮に通うことが出来なかった。

 敵を退け皇帝になったが、それは全て周りの協力があったからだ。

 皇帝だって人間だ。何物も恐れない無敵の人間ではないのだ。


 そんな中で子供の頃に過ごした記憶が蘇り、虐められても平気な顔をしていた少女がとても懐かしく感じられた。

 懐かしい娘を目にした皇帝は、初めて自分から女性に語りかけたい、今を逃したくないと思ってつい声をかけてしまったのだ。

 そうして彼女の願いを聞き、古書殿から本を持ち出して読ませてやっているのである。


「洗濯女のことには目をつぶりましょう。リンにも罰は下しません」

「リンは既に締め上げたのだろう、可哀想に」

「何が可哀想ですか。リンには実力に見合った面倒できつい仕事が山のようにあるというのに、小娘の守りをしながら半分寝ているのですよ。それにリンは陛下より余程大人です。締め上げても屁とも思っていないでしょう」


 確かにリンはまだ十三と少年の領域をでないが、戦場で育った孤児という背景もあって、辛辣なこともさらっとやってのける、有能な、時に要領のいい少年。

 サボって寝ていても何かあれば瞬時に動ける器用さもある。クユリの番をさせているのは役不足だが、リンがその仕事を気に入っているならそれでいいと皇帝は思っていた。


「それから洗濯女ではなくクユリだ」

「知っていますと申し上げました。陛下が嫌がるので洗濯女とわざと言っているのです。嫌がらせですよ」


 ウルハが目を細めて微笑むと、手にしていた本を皇帝に差し出す。


「お暇なようですので、もう一仕事して頂きましょうか」


 逆らえない皇帝は溜息を吐き出すと、本を受け取って懐にしまった。


「後宮通い以外なら何でもやるよ」

「今夜は徹夜になりますよ」


 残念だが、今夜はクユリに会えないようだ。


「……リン、頼むよ」


 皇帝が懐にしまったばかりの本を取り出すと、どこからともなく少年が姿を現して本を受け取った。




 




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