蚊帳の外
クユリは自分にも何かできないかと、過去にギ国と戦った記録を何度も何度も確認したが、最終的には手にした資料をもとの棚に戻した。
「陛下が自ら記録したのだから、わたしが考えつく程度の策は陛下にも考えがついて当たり前か……」
過去の記録を探り、役に立てないかと足掻いても無駄に終わる。
戦場に立ったこともないクユリが、命をかけて戦う人に並べるはずがない。
不安を抱えて過ごすクユリのもとには、皇帝がどうしているのか情報がとどかない。
頼りのウルハも、ロギ家の娘を迎えに出て半月、未だに戻って来ず、クユリは予め与えられていた仕事を一人で黙々とこなす日々を過ごしていた。
それから間もなく、クユリの耳にもようやく情報が入って来る。
ロギ家が治める西だけではなく、北の国境からもギ国の侵攻が同時に起きたこと。皇帝の指示で国境の守りが強化されていたお陰で、被害もほぼなく敵を追い返すことが出来たこと。
そして何よりも知りたかった皇帝が赴いた西では、土地の利を生かした攻撃をしかけ、敵に国境を越えることを許さず、大きな打撃を与えて撤退させるに至ったというのである。
クユリは官服を着て仕事をしていても、基本的に皇帝やウルハ、リン以外の人間とは交流がない。お使いをするので顔を知っている程度のものだが、食堂で昼食を食べている時に聞こえたこの話題に食いついた。
「陛下はご無事なのですか?」
なるだけ声を低くして、食事をする集団の会話に入り込む。
「ご無事と聞いていますよ。陛下は自ら事後処理までされるようで、すぐには戻って来られないと思うけど……おや、君はウルハ様のところの見習いだね?」
「はい、そうです。ウルハ様もお妃様を迎えに行かれたきり戻って来ないので、何も分からなくて困っています」
「鬼がいなくて楽だろうに真面目な子だねぇ」
「それにしてもウルハ様が戻られていないのか。随分時間がかかっているね。何かあったのかな?」
「ウルハ様に!?」
そうだ、道中何かあるかも知れないことを失念していた。
皇帝は武に長けているが、ウルハは嫌味を言っている姿しか浮かばない。
皇帝と一緒に戦いの経験もあるのでそれなりに戦えはするのだろうが、クユリにはウルハが武器を手に敵をなぎ倒す姿が想像できなかった。
代わりに口で負かしている姿なら想像できる。
「迎えに行ったついでに戦に参加したとか?」
「ロギ家からお妃様を迎える為に行かれたのです。ウルハ様が仕事を途中で放棄するなんて考えられません。高貴な女性を連れているとしても往復十日もあれば十分です。何かあったのでしょうか。何処に言えば確認してもらえるのでしょうか!?」
「何かあれば知らせがあるから、ないってことは何もないってことだよ。心配するより、鬼のいない時間を楽しんではどうだい?」
ウルハを鬼とたとえる彼らは、何の心配もないと言って食事を続ける。西では皇帝が戦っているのにと思うが、彼らを責めるのもお門違いだろう。
「心配しなくても何かあればちゃんと知らせがあるから」
「そうそう。今届いているのは、陛下がギ国を退けたってこと。レイカン国の大勝利。流石は陛下。普段は恐ろしくて近寄れないけど、頼りになる御方だ」
「本当だよね。今回は矢での集中攻撃に、煮やした油を敵にぶっかけて火をつけて焼いたそうだよ。それすら避けて来た敵は先陣に立つ陛下が一刀両断。ああ、本当にレイカン国に生まれて良かった」
「良かったけど、今回の戦でロギ家は随分とお金を使ったそうだよ。ロギ家からお妃を迎えることだし、今後はロギ家の力も強くなりそうだね」
「出世の為に袖の下をロギ家にも渡さないと」
「ミレイ妃が退いた後、ファン家は陛下が溺愛するお妃の後見に付いたけど、勢力図が変わるかも知れないね」
「その陛下が溺愛するお妃様って、ウルハ様にゆかりの方って聞いたけど。君、知ってる?」
話しが自分自身のことになってクユリは「い、いいえ」とどもりながら首を振った。
「溺愛が過ぎてお妃の名前すら公表されていないってのに、ロギ家も挑戦するよねぇ」
「どんな美人だろうね」
「たっぷりの白粉に目の周りは赤く塗って、化粧が凄いだけの醜女って聞いたけど?」
「それは後宮の侍女たちから出た噂じゃないか。男としか噂のなかったあの陛下が欠かさず通われるようなお妃様だ。一目見てみたいよなぁ」
「陛下の護衛なら見たことあるんじゃないのかな?」
「緘口令でもあるのか、聞いても絶対に教えてくれないそうだよ」
「迂闊に教えたりしたら重い罰を受けそうだねぇ」
話題がお妃様に移ってしまい、これ以上の情報は期待できないのでそっと場を離れる。
取りあえず皇帝は無事で、ギ国の侵攻を阻むのに成功したようだ。
ほっとしたものの、ウルハの所在が心配になる。
何か問題があれば報告があるというが、下っ端にまで届いていないだけかも知れない。
クユリは不安を抱えたまま、とぼとぼと食堂を後にした。