ウルハどうした!
平民の服に身を包み、リンだけを伴い単騎で出立した皇帝を軍が追う。
護衛もなしに敵の側まで行こうとする皇帝も皇帝だが、ウルハが認めているのには驚きだ。
皇帝には跡継ぎがいないので、もし何かあったら生き残っている皇帝の兄弟の誰かが次の皇帝になるしかない。
ウルハによると使える皇家の男は残っておらず『屑』に等しいから、辺境に追いやって貧乏生活をさせているとのこと。
ならば尚の事、護衛なしに皇帝を行かせて良かったのだろうか。
皇帝自身の身も案じられ、クユリの心は落ち着かない。
「陛下をここでじっとさせておくよりも最善ですよ」
どうした事か。
皇帝を案じるクユリにウルハが声をかけてくれた。
声色は平坦で冷たいが、皇帝がギ国の兵と直接対峙することをウルハは最善と言い張る。
「ロギ家のお妃様を迎えて、その方に子を産んでもらうと約束すればロギ家も納得します。それが一番安全のように思いますが……違うのでしょうか?」
ウルハを仰ぐと鋭利な視線が向けられたがそれだけで、ウルハは身を翻し仕事部屋に入っていく。クユリは慌ててウルハの背を追った。
「わたし、陛下にわたし一人だけじゃないと嫌とか言っていませんよ!」
クユリのせいで皇帝が無謀な判断をしていると思われたくなくて咄嗟に言ってしまったが、ぎろりと睨まれ口を噤む。
ただ一人の妻にしろと口にしなくても、態度に出しているようなものだと思い至ったのだ。
先日、女の姿のまま川を渡って後宮を出ようとした件をウルハはその目で目撃している。あざとい女のやり口と軽蔑しているだろう。
「――ごめんなさい」
奥歯を噛み、ぎゅっと拳を握った。
するとウルハが目の前に立ち、人差し指でクユリの額を押して上を向かせる。
至近距離で高い位置から蔑むような視線が向けられたが、クユリは逃げずに受け止めた。
「謝る必要はありません。陛下もあなたも考えが甘く正直過ぎますが、人としては悪いことではない」
「皇帝と妃としては悪いという意味ですね」
「そうです。目の前に最も楽で単純な方法があるのに、陛下は自ら戦場に赴き、あなたは心を偽れない。皇帝と妃としては失格でしょう。ですが――」
額に付けられていたウルハの指が鼻筋を辿って頤に辿りつく。
「心がないよりずっとましです」
何を考えているのか分からない漆黒の瞳がクユリを見下ろしている。クユリは頤を取られたまま動くことが出来ず、ウルハの瞳をじっと見返していた。
「本当にようございました」
「何がですか?」
「私が未婚で」
クユリは馬鹿ではない。世間一般の人の中では抜きんでて頭が良く、時に無能とちくちく嫌味攻撃を受けるがウルハにも認められている。それでも意味が分からなかず、眉間に小さな皺を作った。
その様を認めたウルハは楽しそうに目を細めたので、何か企んでいることだけは予想がついたが、その企みは不明だ。
「クユリ」
「はい?」
「あなたの道は三つあります。一つ目はこのまま妃を続け皇后を目指す。二つ目は、ギ国の侵攻を未然に防ぐことが出来ず現実となった場合……この可能性は非常に高いですが。ロギ家から迎えた妃と仲良く陛下を共有する。三つ目は、心が耐えられなくなる前に下賜される」
「下賜……ですか?」
夫を共有することに心が耐えられなくなって、幼い皇帝を虐待した女のようにならない為に逃げ出すのは分かるが、どうして下賜なのか。
「ただ後宮を出るのではだめなのですか?」
「ファン家への義理もありますからね。下賜の場合、相手先は私になります」
「ウルハ様ですか!?」
思わず大きな声が出てしまい、ウルハが面白そうに片方だけの眉を上げた。
「おや、私では不満ですか?」
「え、だってウルハ様ですよ。心が擦り切れる未来しか予想できません」
「私が相手だと宮殿への出仕に同行させますし、陛下との逢瀬にも目を瞑りますが?」
「不倫じゃないですか!」
「よくあることでしょう?」
「ばれたら女のわたしだけが処罰されます。最悪首を切られます!」
男尊女卑の世界。
夫を持つ妻が夫以外の男と通じれば罰を受ける。
悲しいかな、その逆はないのだが。
「大丈夫ですよ。私が罪に問いませんから」
夫が許すというか、妻の行動に興味がなく無関心で罰を与えるのも面倒となれば、放置されることもあるにはあるのだが……夫にも世間の目があるのでそんなことは稀に、本当にごく稀にあるかないかだろう。
「駄目です、ウルハ様は嫌です。わたしは陛下に不要と言われない限り、絶対に後宮を出ませんからね。居ついてやるんだから!」
「ほう、それは頼もしい」
目を細めたウルハの顔がゆっくりとクユリに近付く。「え、なに?」と呟いた瞬間、クユリの額にウルハの唇が押し当てられていた。
「え……?」
恐ろしいことに「ちゅっ」とリップ音が鳴る。
「ええぇぇぇ!?」
驚いたクユリは物凄い勢いで後退し、壁に激突して額を両手で押さえる。
は?
今何があった?!
驚愕に目を見開く先には、それはそれは楽しそうに口角を上げているウルハの姿が。
「どっ、どっどっどっどっ……!」
どういう意味だと言いたいが、「ど」しか言葉が出せない。
「さて。私はロギ家の娘を迎えに行く準備を整えると致しましょう」
「はぁっ!?」
本当にまったく意味が分からなかった。




