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ギ国侵攻



 ギ国侵攻の兆しあり――

 との知らせが皇帝の元に届いたのは夏の盛りであった。


 真偽を確かめるべく身軽なリンをギ国に向かわせたのだが、それから間もなくして、ギ国と僅かに国境を交える西の領主、ロギ家から皇帝宛に信書が届く。

 皇帝は届いた信書を机に置くと、小さく溜息を落としてウルハを見やった。

 沈黙が流れる室内にセミの鳴き声が嫌なほどに響く。

 ロギ家からは娘を後宮入りさせるよう、押し付けに近い形にての嘆願が記されていた。


「この時期に娘の後宮入りを押し進めるのは脅しと取るべきだろうね」


 皇帝の言葉にウルハも頷いて同意した。


「彼の地は一部がギ国と交わっておりますから、妃の受け入れを断ればギ国に寝返ると言いたいのでしょう」


 要するに、ロギ家の娘を妃にして子を産ませなければギ国に寝返るぞ……と言って来たのだ。

 もしくは、ギ国に付け狙われている。国が領地を守ってくれる証明として娘を妃にして下さい……と、下手に出ているともとれるが、恐らく前者が正しいだろう。

 皇帝を脅すとは大変度胸のあることだが、領地の一部をギ国と交えるロギ家としても生き残るのに必死であることを皇帝は理解していた。


 ギ国に向かわせたリンはまだ戻っていないが、この時期にロギ家から娘の後宮入りを嘆願されるのは、既にギ国が何らかの形でロギ家と接触し、レイカン国を裏切らせようとしている証だ。

 ギ国に味方してもさほど利益になる条件を与えられていないのだろう。そうでなければわざわざ信書を送って来る意味がない。

 本当なら断りたいに違いないのだ。今ある安定を壊したいと思うものは少ない。

 しかし断って攻め入られては土地が荒らされる。それを避けて武力援助を得る為に、ロギ家は皇帝との強い結びつきを求めて来ているのだ。

 ロギ家の娘との間に子を望むのは、見捨てられない為の証とでも言うべきか。

 数えきれないほど子供を作った先代の皇帝と違って、現皇帝には皇子どころか皇女すら一人もいない。当代においてロギ家の娘との間に子を成すことは強い結びつきを証明するものだ。


「陛下の寵愛がクユリに向いていると知りながら、確実に己が娘に通い子を成すよう指図までしている。遠まわしでありますし、後宮入りさせてもこれまでの妃同様に無視しても良いかと思います。しかし皇帝を脅す根性が気に入りませんね」

「子を成すことを条件にしているということは、娘との間に子ができなければギ国に付くと言っているようなものだしね」

「私としましては、危険因子は早々に始末しておきたいのですが」


 これまでのように――と匂わすウルハに皇帝は待ったをかける。


「正直私も気に入らないが、ロギ家はまだ何もしていない。しかもギ国からの接触があったと匂わせている面においては正直と言える。そこから利益を得ようとするのはまぁ、貴族らしいと言うべきだろう」

「しかし放置はできません」

「そうだな」


 皇帝は椅子に背を預け、盛大に息を吐き出した。

 リンに確認させているが、ギ国侵攻の知らせは正しいだろう。それがいつになるか分からないが、秋の収穫が終わった後、本格的な冬が来る前が最も有力といえる。

 そしてロギ家は皇帝から快い返事が受け取れなかった場合、土地を守る為にギ国に付くのは目に見えていた。


「あの地は穀物の生産量からいって放置できないし、ギ国に奪われるのは以ての外だ」

「では娘を受け入れますか?」

「後宮縮小の最中、しかもクユリがいる。これ以上の妃は不要だ」

「始末するな、妃も迎えないでは私も動けません。このままではロギ家に寝返られます。ああ、リンに見張らせ、寝返った瞬間に始末するというのもありますね」

「ウルハ」


 皇帝が咎めるとウルハは「それでは遅すぎますが」と口角を上げ、皇帝を見下ろす視線を鋭くした。


「陛下。前にも申し上げましたが、私は必要であればクユリを排除するのに迷いはありません」

「ウルハ、そなた今もまだクユリを道具の一つと思っているのか!?」


 皇帝が立ち上がる。前に机がなければ掴みかかる勢いだが、ウルハは動じることなく皇帝の怒りを受け止めた。


「クユリのことは憎からず思っておりますが、私にはレイカン国の皇帝陛下をお支えするべき役目があります。また陛下は皇帝であり、クユリは皇帝の妃です。平和ならば世継ぎ問題以外には何も申しません。しかし状況は日々変わるのです。陛下のご決断にクユリが邪魔であれば、排除するのが私の仕事です」


 皇帝が決断するのに迷うなら、決断の邪魔になっている事柄を排除する。それがウルハの役目でもあった。


「確かにそなたはそのような男であったな。してクユリを排除した後はどう扱う。女であるクユリを重宝しているそなたが殺すとは考えにくいな。そなたに下賜かしさせるか?」

「それが最もで御座いますが、陛下が唯一溺愛する妃を頂くのは、私と陛下の間に亀裂を生むので得策ではありません。これはあくまでも最終手段、陛下がギ国の侵攻をどう抑えるかにかかっております」


 まだ攻撃を受けていないのに先に武力で仕掛けるか。もしくは何もしていないロギ家を潰すのか。

 しかしロギ家を潰しても新たな領主を置かねばならない。重要案件を抱えた領主の選定には時間がかかることもあり、その穴をギ国に突かれては元の木阿弥だ。

 皇帝に対して脅しのような提案をしてきたロギ家を潰すのは、周囲への牽制になるが今は得策ではない。内で争っているうちに別の国境から侵攻されても被害が大きくなる。


「陛下が答えを出せないなら、ロギ家の申し出を受けることにします」


 それが最も簡単で手っ取り早いのだ。

 後宮の縮小を進めているところではあるが、妃一人を迎えて領主の裏切りがなくなり、皇帝への確固たる忠誠が望めるなら文句はない。

 ロギ家から妃を迎えれば、ロギ家は自分の領地をあらゆる方法で死守するし、国としても兵を投入しやすくなる。ロギ家の領地は豊かなので兵たちの食糧にも事欠かず国庫の減少も最小限で済む。

 結果として後宮に妃が増えてしまうが、皇帝が節操なしに種を付けて回らなければいいだけだ。ウルハにとって二人の妃を国費で養うのは許容範囲であった。

 だが皇帝自身の考えは違う。


「私は新しい妃など嫌だ!」

「ではロギ家を潰しますか。それともクユリを後宮から出しますか。運の良いことにクユリには官職という隠れ蓑がございます。直接陛下の寝所に呼べばこれまで通りの関係は続けられますよ」

「そういう問題ではないと分かっているだろう。私はクユリ以外の妻は持たないと決めている」

「ギ国の問題がなければそれでようございましたが、状況は変わりました。ロギ家は自家の娘と陛下との間に子を望んでおります。迎えるだけ迎えて放置では約束違反と主張され、寝返る理由を与えるだけです」

「子が必ずできるとは限らないと、ロギ家も分かっているはずだ」

「リュリュ妃の二の舞になるやも知れません」

「だがっ、私はクユリを裏切れない!」

「なら皇帝を辞めますか?」


 ウルハの一言で皇帝は返す言葉を失った。


「皇帝を辞め、クユリと手を取り、民を見捨て市井で生きますか。それも良いでしょう。ですがレイカン国は今度こそ確実に滅びます。国を滅亡させても愛を貫く。陛下がそうなさりたいなら私は構いませんよ。陛下を生かす為にあらゆる策を講じて逃がして差し上げましょう」


 ウルハは皇帝を生かす為に現在の場所に落ち着いたのだ。望むならその通りにする。いつもと変わらない顔でさらりと言ってのけるウルハに皇帝は呆気なく白旗を上げた。


「私が悪かった。ウルハ、もうやめてくれ」


 皇帝がそうしたいと言えばウルハは間違いなく皇帝とクユリを宮殿から出し、二人で生きて行くための基礎を与えてくれる。その代わり犠牲になるのはレイカン国だ。

 レイカン国には大きな軍隊があるが、統率しているのはあくまでも皇帝だ。その皇帝がクユリを伴って逃げれば瞬く間に統率力を失い、ギ国の侵攻を受けて痛手を受けるだろう。レイカン国はギ国に呑まれて滅びを迎える。その時に最後まで残ったウルハが生きているかと言えば、絶対にないと皇帝には予想がついた。


 ウルハは皇帝に皇帝たる道を歩けと、己を賭けて言っているのだ。皇帝が否と言えないことを分かっていて、あえて皇帝自身に皇帝として正しい道を選ばせる。

 玉座に付いた時から選ぶ道は決まっていた。

 皇帝は腰を落として頭を抱える。


「リンの帰りを待つ。ギ国侵攻に間違いがなければ私が出よう」

「国境に陛下が立てばギ国が退くとお思いですか?」

「私の戦い方が残虐であることを覚えている者もいよう。もしかしたら退くかもしれない」

「あれより既に五年……六年です。可能性は低いかと」


 それでも戦わずして敵を退かせることが出来るかもしれない。何がどうあっても国を守るのが皇帝の役目だ。過去の皇帝と異なり、現皇帝は自ら戦場に赴く質であるためウルハも止める気は更々ない。


「ウルハはロギ家を裏切らせないために娘の後宮入りを進めてくれ。戦が起こらなければロギ家の献身は必要なかったとみなし娘は帰す」

「それでロギ家が納得するとは思えませんが?」

「後のことは後で考える」


 娘を帰した後にロギ家の力を削ぎ、皇帝を裏切らせないための策が必要だが、今はそこまで考える余裕がない。まず皇帝がするべきは国を守ることだ。


「傍若無人に振る舞おうとは思いませんか」


 力で従えさせることは可能だが、皇帝はそれはできないと首を振った。


「恐怖政治は駄目だ。過去の悪政を辿ることになる」

「クユリには?」

「私が説明する」

「分かりました」


 ウルハが一礼して部屋を出て行く。

 皇帝は拳を握りしめ、一人の人間として身勝手に振る舞いたくなる感情を必死に押さえようとしていた。





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[一言] 大変なんてもんじゃねぇな
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