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下手糞な文字



 闇の中、少年に先導されて建物の一つに案内される。

 立ち入ったそこは小さな部屋で、壁の周りに腰掛けられる段があり、中央には手ごろな大きさの机があった。

 机の脚が昇竜を模っており、天井にも昇竜が描かれている。

 皇帝が足を踏み入れる場所らしいなとクユリは思った。


「これはレイカン国最古の兵法書。随分と昔の戦法なので秘密にするほどでもない。そしてこちらがギ国と戦った記録だ。正式な物は見せられないので、個人の記録的なものになる」


 クユリは受け取った二冊のうち、後に渡された記録を開いた。


「随分と下手糞な字ですね。いったい誰が書いたのかしら……」


 ミミズが這ったような文字が紙の上を泳いでいる。読めなくはないが、かなり下手糞な字だ。真面目に習字に取り組んで師範並みの達筆であるクユリとは大違いである。


「私だよ」

「え?」


 ページを開いた状態で顔を上げると、皇帝は苦笑いを浮かべていた。


「私が書いた記録だ。ギ国との戦いで指揮を執ったのは私だから、自分で書くのが一番だと思ったのでね」

「そ……そうなんですね。何と言いますか……特徴のある文字ですので、陛下のお手を不届き者に真似される心配も減るし、とても良いと思います」


 しまった、失敗したとクユリは焦る。

 嬉しくて思ったことをそのまま口にしてしまった。気分を害して二度と本を読ませてもらえないかも知れないと恐れて言葉を繕うが、一度口にしたものはもとに戻せないのだ。


「私は武の方が得意なんだ」

「ご立派な体格をされておられますものね!」


 正直、服を着ているのではっきり分からないが、クユリの周りにいた父や兄達よりも背が高くてがっしりしているのは間違いない。


「ギ国を退けてレイカン国を守って下さったのですから、陛下が武に長けておられて本当にようございました。字が綺麗なだけでは敵に勝てはしませんからね!」


 必死で持ち上げる。


「字は読めれば問題ないと思っていたのだけれどね。皇帝となった今は、しっかり手習いをしておけばよかったと後悔しているよ」

「いいえ、とんでもない。習字に勤しむよりも体を鍛えて正解ですよ。そうでなければギ国に攻め入られ、大切な古書殿は焼き払われていたかもしれませんから」

「クユリ、大丈夫だよ。私はそなたの友人だ。字を汚いと言われたくらいで、本を取り上げたりはしない」

「……ありがとうございます」


 恥ずかしい、心を読まれていた。クユリは二冊の本を抱き込んで頬を染める。


「一晩では読み切れないだろう。後宮に持ち出されるのは困るから、読むときは通ってくれるかい?」


 「門番に話は通しておく」と言ってくれる、優しい出来た皇帝に、クユリは感激して泣いてしまいそうだ。本当に泣きはしないがとても感動しているのは嘘ではない。


「ありがとうございます。闇に忍んでまいります」


 幾度となく頭を下げると、皇帝は深く頷いた。


「それでもし、もしもですけど。誰かに咎められた場合はどうすれば?」


 不法侵入は問答無用で殺される場合もあるので恐る恐る訊ねた。

 宮殿は警固に守られているので夜道を歩いても襲われることはまずないが、クユリ自身が侵入者に間違われて排除される心配があった。

 洗濯をしながら愚痴っていた時なら追い出されても構わなかったが、貴重な本を読む機会を得た今は、絶対にこの場所から追い出されたくない。


「その時は私の名を出していいよ。ただし今夜通った道だけを使うのと、この部屋以外には立ち入らないことは守っておくれ。咎められ庇いきれない時には、罪を被った状態で追放しなければいけなくなる場合もあるからね」

「分かりました、決して道を違えません。それでそのぅ……読み終わりましたら……」

「次の本も用意するよ、友人だからね」

「ありがとうございます!」


 クユリは弾んだ声を上げると、壁に沿う段に座って皇帝の記した記録を開く。懐が広い皇帝を素晴らしい人と感激し、幼い頃の出会いに感謝した。


 皇帝の厚意を受けたクユリは、毎夜門をくぐって橋を渡ると部屋に通い、貪るように本を読んだ。

 毎夜ではないが、皇帝も時々顔を出して、その時は本から目を離して少しだけ会話をする。

 夜更かしのお陰で日中は睡魔に襲われるので、見つからない場所で昼寝をして睡眠不足を補った。


 クユリが橋を渡ると灯りを持った少年が必ずいて先導してくれる。少年とは挨拶程度しか言葉を交わさなかったので、彼が見張りなのか、それとも気を使った皇帝がクユリの為に寄こしてくれるのか分からない。ただ少年は『仕事だ』と言った。


「遅くまで子供を働かせるのは問題よね」


 昇竜が描かれた天井を見上げて溜息を吐く。

 クユリがこの部屋に通わなければ、少年はとっくに布団に入っている時間だ。見たところ十二か十三といった年齢の少年は、クユリが本を読み終えるまで外で待っている。


「いらない仕事をさせているってことだよね?」


 少年が皇帝の命令に逆らえる訳がない。とすると、恨まれるのはいらぬ仕事を増やしてくれるクユリだ。


「え~、どうする。通うのやめる?」

 

 しかし皇帝の貸してくれる本をあきらめるのは嫌だ。唸っていると風を感じて顔を向ければ、少しだけ開いた窓から少年が中の様子を窺っていて驚いた。


「な……何でしょうか?」

「お気遣いは無用です」

「え?」

「この仕事は楽なので、毎夜通って頂けると私は楽が出来てとても助かります」

「ほ……本当に?」

「本当です。正直、皇帝陛下の面倒をみるよりかなり楽です」

「そうなんですか?」

「はい。ですのでお気遣いは無用でお願いいたします」

「分かりました、ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ」


 ぱたんと窓が閉じられ、クユリは唖然として瞬きを繰り返した。


「聞き耳――」


 決して大きな声を出していないが、聞かれてしまっていた。どうやら少年は中の様子を窺っていたようだ。

 少年はクユリが悪いことをしないよう見張っていたのだろう。迂闊なことは口に出来ないと、慌てて口元を押さえた。


 それにしても、皇帝の面倒をみるより楽とは本心だろうか。もしそうなら、皇帝はかなり酷な仕事を少年にやらせていると思われる。懐の広い優しい人だと思っていたが、皇帝にはクユリの知らない皇帝としての顔があるようだ。





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