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雨宿り



 鷹狩はクユリが見やすいようにと、立ち木の少ない、なだらかな斜面が続く場所で行われた。


 木々が生い茂る森から追われた獲物が飛び出し草の影に身を潜める。高い位置から獲物を捉えた鷹が急旋回して身を縮め、目にも止まらぬ速さで地面に向かって突き刺さるように落下すると、クユリが瞬きした瞬間には鋭いくちばしと太い足でしっかりと獲物を捕らえていた。

 大鷹ガルダが獲物に食らいつく前に、予め用意していた肉と獲物を皇帝がすり替える。


「兎だね」


 茶色い兎を皇帝が掲げた。足をバタバタとさせて生きている。


「お昼ごはんですか?」

「昼は別に用意してあるよ。これは血抜きをして持ち帰ろう」


 木陰で握り飯を食べた後も幾度か狩りを繰り返す。最後の獲物は小さかったこともあり、ガルダがそのまま食べてしまった。

 その後は時間に余裕があったので森に入って散策する。標高が高いので厚着していても丁度良い感じだった。

 散策していると沢を見つけ、流れに手を入れるととても冷たくて気持ちが良い。顔を洗おうと身を乗り出すと腕を引かれた。


「濡れた岩は滑りやすいから身を乗り出すと危ない」

「大して深さもありませんし、もし落ちても足が濡れる程度ですよ」

「そうだろうけど……」


 眉を寄せた皇帝は、不満なのか不安なのかどちらともつかない表情をしている。その様子にクユリはピンと来た。


「もしかして、陛下は水が嫌いなのですか?」

「えっ!?」


 驚いた皇帝が声を上げる。


「盥に乗って流れて来ましたよね。後宮に来るのが嫌なら盥を下りて水を歩くことが出来たのに、陛下は偶然会ったわたしに助けを求められました。皇帝陛下だから命令するのに慣れているとばかり思っていましたが、日頃の陛下なら女を濡らすより自分を濡らすことを選ぶと思うのです。でもそうされず、わたしは二度も水に濡れました」


 皇帝を水に濡らすなんて許されないが、あの日の皇帝は行きたくない後宮に無理矢理行かされた状態だったのだ。

 どうして盥に乗せられ小川を下って来たのか。

 浅くはないが足がつく程度の小川だ。逃げたければ盥を下りて水を渡ればいいだけ。

 そして今日は、大した深さもない沢を覗き込んだクユリを心配して引き止める。もしかしてとの考えが浮かんで皇帝を見上げると、皇帝は長く溜息を吐いて「そうだよ」と認めた。


「情けないことに私は水が苦手だ。流れのある場所は特に不安になってしまい、踏み入れることが出来ないのだよ。もしそなたが溺れても助けに行ける自信がない」


 おやおや、なんてことだ。

 武に長ける、ギ国を退け恐れられる皇帝が、たかが水の流れが怖いとは。

 なんて情けないのだろう――とは微塵も思わない。

 この程度の流れが怖いとは、それなりの経験をしてそうなってしまったのだろうから。


「誰にだって苦手なものはありますよ」

「だが、男としては情けないことだ」

「鷹を肩に乗せるお方が何を仰いますか。わたしなんて目を抉られそうで怖くて真似できません」


 クユリは皇帝の劣等感を刺激しない為に沢から離れたが、まるで計ったようにクユリの頬に雫が落ちる。皇帝も感じたのだろう、二人して空を見上げると、生い茂る木々の合間から雨粒が落ちて来た。

 瞬く間に粒は大きくなり、量も増えて行く。

 

「山の天気は変わりやすいって本当なんですね」

「近くに小屋がある、走ろう」


 皇帝がクユリの手を引いて走り出す。雨足はみるみる強くなり、目的の山小屋に着く頃には本降りになっていた。

 ぐっしょりと濡れてしまったが、着物を着こんでいたお陰で一枚脱げば下は湿った程度だ。クユリは沢山着せてくれたリンに感謝する。


「すぐに止むといいが……風邪をひくといけない、火を熾そう」


 小屋の中には囲炉裏があって乾いた薪も準備されていた。

 狩りや森の手入れに来た人間が使う共同の山小屋だ。皇帝自身は使用した経験はないが、狩りの際にどこに何があるのかは把握していたようで助かった。

 大して濡れていないが肌寒さを感じていたクユリは、皇帝の隣で火熾しの手伝いをする。

 火がつくと囲炉裏端に薪を重ねて濡れた衣を干す。クユリは濡れたかつらを取って髪を解いた。すると皇帝が「すまないね」と謝罪する。


「何がですか?」

「そなたの髪を鬘で隠させていることだ。自分を偽るのは嫌だろう?」

「いいえ、全然。外に出るのに必要なのですから、ちっとも気にしていませんよ」


 クユリが皇帝の妃に納まったのは、ウルハがクユリの能力を買ってくれたことに始まっている。

 ウルハの下で働くのは大変だが楽しい。

 普段は本来の髪を曝しているので、後宮にまでこのように変わった髪色の人間がいるとなれば、クユリと男装のクユリが結び付けられてしまう危険がある。

 それにクユリが後宮にいない間、リンが変装して誤魔化しているときもあるのだ。妃であるクユリは、乾いた土色の髪ではなく、黒髪であった方が何かと都合がいいと分かっていた。

 だから宮殿の外に出る時に鬘が必要なのはきちんと理解しているし、皇帝に謝罪されるようなことでもない。


「陛下は本来の自分を隠すのに苦痛を感じているのですか?」


 クユリが問い返すと、皇帝は少しの間を置いた後、薪の炎を見つめたまま答えた。


「皇帝は時に無慈悲であらねばならない。そういう時は、正直苦しいね」


 皇帝になりたくてなった人ではない。先の皇帝の子として、生き残る為に前に進んだ人だ。どのような経過を得てギ国との戦いに参戦したのか知らないが、勝ち残り生きて戻った先には玉座があった。


 正直、クユリの前に玉座があっても恐ろしくて座れない。多くの人の全てを預かる立場になるのだ。考えれば考えるほど怖気づいてしまう。

 それでも皇帝は玉座に座った。

 座ったからには役目を全うする。

 けれど、心の内では正直であっていいのではとクユリは思い、隣に座る皇帝の手を握った。


「ウルハ様でも、リン様でも、わたしでも。辛いことは仰ってください。聞くだけしか出来なくても、共有することはできますから」

「クユリ……ありがとう」


 皇帝の黒い瞳が、緑の交じったクユリの瞳を捉え互いに言葉なく見つめ合う。

 耳には薪の弾ける音と、屋根を打つ雨音が届くのみ。

 側仕えも見張りも誰もいない、二人だけの時間が流れていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] もっとお互いのことを知っていけばいいよ
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