普通のデート
露店で串に刺した芋の肉巻きを買ってから、石畳で整備された場所に置かれた椅子に座って堪能する。
側には小川……と言うにはあまりにも小さな流れが人工的に作られていて、子供達のはしゃぐ声が辺りに響いていた。
クユリは男女交際どころか、誰かとこうして物を食べたことがない。髪と瞳の色が異なるせいで友達もおらず、幼い頃から一人で行動していたし、外で食べ物を買う習慣もなかった。
皇帝は買い物をするのに迷いがなく慣れているようだった。こういった点が皇帝となるべく育った人でないことを物語っている。
「ギョクイ様は、町に出たときはこうして食事をなさるのですか?」
「普段は外で物を口にしないよ。今日はそなたがいるので特別だ。一度食べてみたかったのだが……店に入ったほうが良かったかい?」
「わたしはどちらも経験がありませんので、特に希望はありません」
「心地良い天気だからこちらかなと思ったのだが……私は間違えただろうか?」
串を手にした皇帝が不安そうにクユリを窺っている。どうやら皇帝はプランを複数用意して、臨機応変に対応できるよう計画してくれたようだ。
「多分正解です」
「多分?」
「わたしは誰かとこうして過ごしたことがないので、書物の知識しかありません。ですが、とても楽しいので、多分ではなく正解なのでしょう」
「そうか、楽しいか。私も楽しいよ」
「それにこの肉巻き、懐かしい味がしてとても美味しいです」
「それなら良かった」
皇帝が目を優しく穏やかに細めた。
芋を使った肉巻きはクユリが育った地域の特産品だ。同じ場所で少年期を過ごした皇帝も口にしたであろうこれを、皇帝自身が選んでくれたことが嬉しい。
一度食べたかったというのは、買い食いをしてみたかっただけかもしれないし、昔を懐かしんでのことだったのかもしれない。たとえクユリのことを考えてでなくても、同じ時を過ごした過去と今があることが嬉しかった。
肉巻きを咀嚼しながら遠くをみやると、屋根の向こうに薄く山の連なりが見えた。
霞んでいるが遠くの山を眺めている。
明るい日の下で手を繋いで人混みを抜け、露店に寄った。
それから湖畔ではないが、子供が安全に遊べる人工的な浅い流れのある水辺。
暴漢に襲われるときめき編はなし。
”初めてのデート、彼女と満喫キラキラ都編、これ一冊で完璧マニュアル”は、顔を合わせてすぐの『可愛い』発言と手を繋ぐ行為で発揮されたようだが、他は皇帝にとってマニュアルなど必要ない、特に問題にならない範疇ではなかろうか。
「ほぼその通りだわ」
「うん?」
独り言は口の中に広がる芋が邪魔して上手く声にならなず、皇帝が首を傾げてクユリを見つめている。
クユリが妃になれたのは必要な物を張り付けたからで、決してクユリが皇帝に釣り合う立場にあるからではない。
しかし皇帝本人はクユリと同じように歩くことのできる人だ。
恐らく今日から二人して宮殿に住まう身分でなくなったとしても、無一文からやって行けるだけの知識や経験はあるだろう。同じではなくても近い感覚を持っているかどうかは、一緒に生きて行くには必要なことだとクユリは思う。
「今日は連れて来て下さってありがとうございます。久し振りに外に出て、心も体も軽くなりました」
クユリは、皇帝になりたくてなったのではないけれど、なったからには役目を果たそうと頑張るその人を見上げた。その人は嬉しそうに微笑んでいる。
「また来よう」
「はい」
この年齢まで妻を持たず、与えられた後宮に通うことなく我儘で役目を放棄していたのも、皇帝なりの言い分があるのだろう。
盥に乗せられなくては後宮に行けないような何か。
世継ぎを残すのも皇帝としての重要な役割なのに、それを放棄したくなるだけのものがあるのだ。
同時に、自分だけの言い分で後宮の妃に苦痛を与え続けていると知り、反省することもできる。歴代の皇帝も表と裏の顔を持っていたのだろうか。
そのような記録は残されていないので推察しかできない。ギョクイも皇帝としての面だけが歴史の一部に残されるのだろう。
リュリュ妃の件で反省した皇帝は、クユリが妃として後宮に入っていなければ、どんなに嫌でも他の妃の元に通う努力をしただろう。
これを皇帝自身に訊ねようとして、やめた。
この質問は『違う』との返事を期待しての、恋愛小説でよくある質問だ。相手の愛を量るような質問なんてさすがに出来る訳がない。
「行きたい場所や見たいもの、なにか希望はあるかい?」
「そうですねぇ……」
クユリは口元に曲げた指を当て辺りを見回した。
人の多い所は色々なものが集まって興味を惹かれるが、次回も同じでは芸がないだろう。かといって皇帝に丸投げよりは何かしらの希望を述べた方が良いと思われる。
クユリの趣味に走ると古本屋だが、貴重な本や資料が収められた古書殿への出入りが許されている今はそれで十分だった。
「そうですね。今回はわたしの願いを叶えてくださいましたから、次はギョクイ様が行きたいと思う場所に連れて行って欲しいですね」
「私の行きたい場所?」
「わたしのことは考えずに、ギョクイ様自身が行きたいとか見たいとか思う所に。ギョクイ様の好みがどういった物なのか知りたいので」
宮殿の中では分からない、ギョクイが好むことが何なのか知りたいとクユリは思った。
「私の好みを知りたいのかい?」
「はい。どのような場所でも、ギョクイ様が望むものを知りたいのです」
決してないだろうが、例えばそれがとても残虐なものであったとしても、クユリは偏見なく皇帝の心の内を見定めるつもりだ。皇帝が何を見たいのか、何が好きなのか、側で同じように感じてみたい。
「嬉しいことを言ってくれる。分かったよ、次は私の行きたい場所だ」
「よろしくお願いします」
これで”初めてのデート、彼女と満喫キラキラ都編、これ一冊で完璧マニュアル”は必要なくなるだろう。ウルハが微笑ましく傍観することもない。
そう言えば、ウルハが微笑ましく傍観したというから不安しかなかったが、今回のデートは本当に普通の、クユリが知識として知る健全な男女交際だ。皇帝が毒矢で狙われることもなく、暴漢に襲われることもなかった。穏やかな普通の男女がしているデートだろう。甘さが足りない気がするが、手を繋いで照れたし条件はクリアされている。
おや、もしかして皇帝は色々できる人なのか?
ふと気になってじっくり観察するように凝視していると、皇帝は目元を染めてそっぽを向いてしまった。二十五……もう二十六か?
大人の男性としては初心なのだなと、クユリは己を差し置いて勝手なことを考えていた。
二人は明るいうちに宮殿に戻る。
皇帝には仕事が山のように残っていたし、何よりも『長居のし過ぎは駄目』と指南書に書かれていたのが最たる理由だ。クユリはその両方を想像できたが、何も言わずに皇帝に従い、二人して手を繋いで宮殿に戻った。
別れ際に皇帝はずっと持っていた包みをクユリに差し出した。
露店で買い求めた寄せ木細工のからくり箱だ。
「良いのですか?」
「今日の記念に貰っておくれ」
「ありがとうございます」
遠慮なく受け取り胸に抱く。
難しい仕掛けを解くのも楽しみだが、何よりも皇帝からの贈り物だと思うと自然に笑みがもれた。