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 闇の中、小さな灯りを頼りに小川に沿って上流に進むと、人一人が通れるだけの小さな門がある。向こう側から鍵がかかっていたが、叩いて合図すると門番が鍵を開けてくれた。


 更に小川に沿って進むと、小さな橋がかかっていたので渡って待つ。少し待ったところで、もしかしたら盥に乗って現れるかもしれないとの考えが浮かんだ。


 橋の中頃に立ち、欄干に掴まって身を乗り出す。

 しばらくすると小川ではなく橋の向こうに灯りが見えて、闇の中に皇帝の姿が浮かび上がった。

 一人ではなく、灯りはお付きの少年が手にして先導している。 


「下を覗いてどうしたんだい?」

「盥に乗って流れて来るかもしれないと思いまして」


 だが今回は歩いて来たようだ。


「陛下はなぜ小川を流れて来るのですか?」

 

 今回は違ったが訊ねてみる。

 後宮は皇帝以外の男は入れない場所だが、目の前の人物は間違いなく皇帝陛下だ。

 盥ではなく徒歩で、堂々と立ち入りができるのにどうしてだろう。

 素朴な疑問が湧いて、特に考えもせずに聞いてしまった。


「私の意思ではなくて、側近の幼馴染に流されてしまったのだよ」

「楽しそうな遊びですね」

「遊びではない、私が後宮に通わないから無理矢理だ。子を成せと煩くてね。」

「ああそうか。陛下にお子はいませんでしたね」


 クユリは少年に先導され、皇帝の隣を歩きながら彼の背景を思い出した。


 先の皇帝には数多の女人と、数えきれない子供がいた。

 子供が死ぬのは珍しくないが、先帝の皇子達は様々な理由で命を落としている。病だけが死因ではない。

 皇帝が後宮に姿を見せないのは妃達にとって大問題であるが、皇帝の側近にとっても問題なのだろう。権力者に跡継ぎ問題はつきものだ。


 それにしても皇帝の側近とやらは愉快な人のようだ。

 盥に乗せた皇帝が妃に拾われるのを期待したのだろうが……残念なことに拾ったのは洗濯女だった。


「そなたは、私が皇帝と知っていても恐れないのだね」

「怖くはありませんよ。陛下がお優しいのは知っていますから」

「優しい? 私が?」

 

 不思議そうに首を傾げた皇帝を見上げてクユリは頷く。


「子供の頃、乱暴されているわたしを助けようとしてくれました。陛下が投げた礫が反れてわたしの額に当たった瞬間に、もの凄く驚いて、不味ったという表情をされていましたね」


 額に白く残る傷はその時のものだ。

 礫があたって額が割れ、溢れる血が目に流れ込んだ。赤く濁る視界の先に、真っ青になった少年がいた。

 それが隣を歩く皇帝陛下、その人だ。


「皇帝のお子様なのに謝られるし、家にまで送り届けてくれるしで、両親もどうしていいのか困っていましたよ」


 額から流れた血はあまりにも大量で、クユリを拘束していた餓鬼大将だけでなく、その場にいた子供たちは当時少年だった皇帝一人を置いて一斉に逃げ出した。


 残された皇帝はクユリに怪我をさせたと謝罪し、手拭いで患部を保護して医者に連れて行ってくれた。クユリの額が針で縫われるのを凝視して、後悔の念を露わにしていたのを覚えている。

 その後クユリの両親に謝罪して、両親は皇帝の血を引く皇子に頭を下げられ大変困っていたのだ。


 血は沢山出たが、見た目が他と変わっていて気味悪がられるクユリにはよくあることだった。しかし都から来た高貴な生まれの少年には衝撃だったのかもしれない。

 皇帝の血を引いているくせに意外に気が弱いと思ったが、それは口にせず黙っておいた。


「優しい陛下を知っていますから怖くなんてありません。本当に怖いのは――」

「怖いのは?」


 言葉を止めたクユリに皇帝が促す。


「……嫉妬でしょうか」


 男も女も嫉妬の炎が上がれば鎮めるのが困難だ。「確かにそうだな」と皇帝も頷く。

 見上げた皇帝の表情は優れなかった。クユリよりも皇帝の方が嫉妬の渦をより多く知っているのだろう。


 三十八番目。母親の身分が低かったため、本来なら皇帝に手の届かない皇子だった。後宮に住まうことも許されず、追われるように都を出された彼が手にした権力。奪おうとする輩は少なくないだろう。


 だからこそ皇帝の側近は子を望む。

 世継ぎがいれば帝位を手中にするのが困難になるからだ。

 子は多ければ多い方が良いが、流石に三十八人もいらないだろう。


「そなたはミレイ妃の侍女であろう。あんなに朝早くから何をしていたんだい?」

「洗濯です。侍女として連れてこられましたが、陛下のお通いがないのでミレイ妃が切れてしまって、色々あったのです。洗濯が一番被害の少ない仕事だったので、勝手に収まっています」


 妃の侍女は女として誇れる職業だが、洗濯女は後宮では最下層の一つだ。そんな仕事をしていると嘆かれては困るので、自ら望んで落ち着いた先だと言ったつもりだが、皇帝は申し訳なさそうに眉を寄せた。


「それは……すまなかったね」

「陛下のせいではありません。ミレイ妃に陛下を魅了するものがなかったのですから、通いがないと責めているのではないのです。確かに洗濯女になって落ち込んでましたけど、お陰で兵法書が読めます。わたしはついてますよ!」


 こうなったら古書殿に通うのが目標。だめなら兵法書、それ以外の知識を得る機会を得るのがクユリの全てだ。

 皇帝の通いがないならミレイ妃の傍らに座っているだけなんて時間の無駄。洗濯しているだけで古書殿の本を読むことができるなら、一生洗濯女でかまわない。


「そなたは前向きだな。傷物にした負い目もある、望むなら後宮から出してあげるよ?」

「本当ですか、ありがとうございます」

 

 それは有り難い申し出だ。

 額の怪我が酷くて良かったと、嬉しくて頬が緩む。


「古書殿の書物を読み終えたらお願いするかもしれません」


 何しろ貴重な本が読めるのだ、今は出たくない。


「古書殿の本をすべて読むつもりかい?」

「お許しいただけるならですが……駄目でしょうか?」

「読ませるには問題の本もあるからね。その分も含めるとだが、一生涯かけても読み終えないかも知れないよ」

「それ程に!」


 なんて嬉しい情報なのか。

 一生涯かけても読めない蔵書の数々。何とかしてお目にかかりたいが、兵法に関することなどは秘密も多いから無理は言わない。それでも嬉しくて高い声が出てしまう。


「あまり長居をすると婚期を逃してしまう。女性にとっては重要なことだ。後宮を出たくなったらいつでも言っておくれ」

「結婚はしませんので大丈夫です」


 そんな気遣いはいらない、全くの不要だ。気を遣うなら別の所で使って貰おう。

 皇帝のお気遣いは貯めることが許されるだろうかと思いつつ、クユリは「結婚はしない」という、大切な情報をしっかりと告げておくのを忘れない。


「それで良いのかい?」


 女の幸せは結婚だ。

 結婚して男に頼らないと生きて行けないのは世の中の常識。

 後宮に留まれば食いっぱぐれないが、ただそれだけで窮屈だ。

 しかも洗濯女。自ら望んだとはいえ、怪我をさせた女に対して皇帝は思う所があるのだろう。


「女が生涯独身では何かと不自由だろうし、一人は寂しくもあるだろう?」


 だからそんな気遣いは全くの不要であるが、怪我をさせた娘が近くにいると皇帝の良心が苛まれるのだろうか。

 古書殿の本を前に追い出されてはたまらないと、クユリはそんなことはないとしっかり否定する。


「不自由しないために学んでいます。気の合う友人をもつことができれば……贅沢を言えば生を終える時に、気の合う友人に看取ってもらえるなら、わたしはそれで満足です」


 それが本心だ。

 別に嫁の貰い手がないから卑屈になって選んだ未来ではない。

 

 皇帝は立ち止まってじっとクユリを見下ろす。クユリも同じく皇帝を見上げた。


「そうか。ならば私がそなたの友人になろう」


 ふう……と、息を吐き出した皇帝が友達申請してくれた。


「陛下がですか?」

「私では不満か?」

「いいえ。でも、皇帝陛下ですよ?」

「そうだね、私は皇帝だ」


 対するクユリは洗濯女。

 実家は裕福で、後宮にはミレイ妃の侍女として連れて来られたが、今はただの洗濯女である。


 見上げた皇帝の黒い視線は、揶揄いも蔑みもなく、ただ何となく恐れているような揺れがあった。

 どうやら本気らしい。


 皇帝を友人になんて……ミレイ妃に知られたら殺されるかもしれない。

 クユリはぶるりと震えた。


「恐れるな。確かに私は皇帝で、地位に就いた時より名を無くした。私が死ねば諡号しごうがつくがまだ先であろう。だが私は、そなたの前ではただの人になると約束する。名はギョクイ、皇帝となる前に使った名だ。これより先、そなたしか呼ぶことのない、私の名だ。無くした名だが、呼んでくれると嬉しい」


 ぎこちなく笑う皇帝にクユリは戸惑う。

 幼い頃に知った人で、怖くはないが……やはり皇帝だ。

 恐れず隣に並んで話をしても、皇帝陛下なのだ。


「私は友人の為に、古書殿から本を持ち出すことができる」

「よろしくお願いします!」


 クユリは声を上げて皇帝の手を握る。親愛の握手だ。


「ミレイ妃には御内密に」


 クユリは貴重な本を読ませてくれる友人を得た。






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