入れてもらえない
リュリュの訴えは、皇帝が後宮の妃に対していかに無慈悲であったのかとの証明である。それは目の前で訴えられた皇帝にとって無視できないものだった。
長い時間話し込んでしまいかなり遅くなってしまったと、皇帝は急ぎクユリの元に向かう。
クユリは本を読むのが好きなので恐らく熱中しているだろう。
皇帝は仕事が遅くなったり立て込んでいない時には、必ずクユリの側で過ごすようにしている。それは少しでも自分を知って欲しい気持ちと、好きになって欲しい気持ちがあるからだ。
フラれる可能性は考えていない。
前を向いていないと何事も悪化すると経験上分かっているからだ。皇帝になる前は命がかかっていたし、皇帝であり続ける限り突き進むしかない。
クユリに関してはフラれることを考えてしまうと、先の未来が真っ黒に塗りつぶされたような気持になるので、どんな理由でも妃になってくれたことに満足している。
リンの言葉通り、今はまだ古書殿の本たちに勝てる気はしないが、共に過ごせる時間が何よりも大切なものに変わりはない。
クユリは皇帝が訪れても知識を貪るのに夢中で気づかない時もある。
本に夢中になるきっかけは女でも一人で生きる為だった。
しかし皇帝から見たクユリは生きる為というよりも、クユリ自身があらゆることに対する興味が強いからだと思えた。
髪と瞳の色が人とは違ったせいで沢山の嫌な思いをしただろうが、辛いことを辛いと思わず、前向きに捉えたことで、クユリは自ら学ぶ機会を得たとも言えるだろう。
深夜を超えてかなりの時間が過ぎた。日を超えた時刻よりも日の出の時間に近いが、クユリはまだ本を読んでいるだろうか。もしかしたら眠っているかもしれない。クユリはウルハの手伝いをしっかりして忙しい毎日を送っているので睡眠は重要だ。
眠っているかもしれないと思いつつ、それならそれで確認するだけだ。先触れを出したのにすっぽかした状態になっているのをそのままにもできなかった。
皇帝がクユリの部屋を覗くとリンが立っていた。
難しそうな、怒ったような顔をして皇帝を睨むように見上げている。視線をずらして奥を窺うと寝台はもぬけの殻で、視線を巡らせれば、隅に蹲るようにして頭を壁に押し付けているクユリの背中が見えた。
「クユ――」
「今宵はリュリュ妃の御殿でお楽しみだったそうですね」
皇帝の言葉をリンが遮る。
「お楽しみって……」
リンは残り数年で成人をするような年齢だが、実際にはまだ子供だ。声変わりも途中で線も細く、のどぼとけもほとんど確認できない。その子供からきわどい発言が繰り出されるのは置かれた状況のせいだろう。
リュリュのことも相まり、皇帝はつくづく己の至らなさを痛感する。
「大切な話をしただけだよ。急だったので知らせることが出来なかったんだ。リンにもクユリにも申し訳ないことをした。謝りたいのだけど……そこをどいてくれないか?」
皇帝が場所を空けるように告げても、リンは入口を守るように立ち塞がったまま譲らない。
小さな声で話をしているとはいえ、クユリが気付かないのは寝ているからだろう。あのような姿で寝ていては体が悪くなってしまう。
皇帝は中に入れろと更に告げるが、リンは皇帝を押し出すようにして自らも部屋を出ると後ろ手に扉を閉じた。
「私にも分かるようなことなのに、陛下にはお分かりにならないのですか?」
「分かっているよ。けれどリュリュなら大丈夫だ」
責められても仕方がないが、まずは話を聞いて欲しいと返す。
「何が大丈夫なんですか?」
「いや……だから私とリュリュとは何もないし、リュリュが何かを主張するようなことはない。夜を過ごしたと噂になってもそれだけだ。まだ秘密だが、リュリュは近く後宮を出す」
「そうですか。でもそういうのは私には分かりませんのでウルハ様とご相談を。もう遅いです。間もなく夜明けです。陛下が後宮で朝を迎えるのは慣例に反しますのでお帰り下さい」
さぁさぁ帰れと押された皇帝はリンを避けようとするが、少年の素早い動きが許してくれない。
「いや、クユリがあのままでは――」
「クユリ様のことは私にお任せ下さい。さぁ、陛下はお帰り下さいませ」
結局何の弁解もできないまま、皇帝は仕方がないと諦め後宮を後にする。
この時はまだ、思う以上に状況が悪いと思っていなかったのだ。
覚悟を持って告白したリュリュを後宮から解放しなければとの思いが強かったのもある。
皇帝はリンがどうしてこんなに怒っているのか分からなかったし、クユリが壁に向かって眠ってしまった理由も考え付かなかった。皇帝の訪れを待っているうちに本を読みながら寝落ちしたとしか思い至らなかったのである。
リュリュの訴えを受けた皇帝は応じることにした。他にもリュリュと同じように望む妃がいるかもしれない。
後宮に妃が入るのは皇帝の威を借りる為で、皇帝も妃の実家から力を借りている、利害の一致した条件だと思っていた。
けれど実際に後宮入りした妃にとって、花の盛りを綺麗な牢獄ですごしているのと同然なのだ。皇帝の寵愛を競い、女としての位を極めようとする野心があればまだいいが、リュリュのように父親の取り決めに従っただけではなく、好いた男がいた妃には辛い現実でしかなかっただろう。
「女性は難しいものだな」
本来は皇帝が悩む事柄ではないが、彼はもともとそのような人間だ。
多くの人間を殺して無慈悲に戦った経験があっても、女性を物のように扱うのには慣れていない。
乙女心が理解できない皇帝は、クユリも同じ女だということをすっかり忘れていたのである。