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妃の立場



 覚悟があると言い放ったリュリュの目に嘘は見えない。

 このような目をした相手を前にして逃亡は恥だ。戦場だろうが後宮だろうが、男だとか女だとかは関係ない。

 リュリュは可愛らしい悪戯ではなく、皇帝を欺く行為と分かっていて今回の計画を実行したのだ。

 覚悟を決めた相手を前に逃亡など有り得ないと、皇帝は外に向きかけた心を引き戻した。


「寵を望むか?」

「いいえ、後宮を出とうございます」


 皇帝の寵愛など望まず後宮を出たいと答えたリュリュは真剣だ。

 後宮を出るのは皇帝の許しが必要だが、妃という立場にあるリュリュには実家の期待や仕える者への配慮など、多くの背負うものがある。彼女のような目をする者がそれらを蔑ろにするとは思えない。本人が言うように相当の覚悟があるのだろう。

 寵などいらないとはっきり言い切ったが果たして本心なのか。視線からは偽りが微塵も感じられないが、策略とするならこれだけの目を向けられるとはあっぱれと皇帝は心中で感嘆する。


「話を聞こう」

「ありがとうございます!」


 覚悟を決めたリュリュに対し、皇帝も後宮の主として誠実に対応するべきと、警戒心を完全に消さないながらも案内された部屋に足を踏み入れた。

 そこには先程の少女がいて、口いっぱいに落雁らくがんを頬張っている。

 もぐもぐと頬を膨らませ咀嚼しながら、部屋に現れたリュリュと皇帝を大きな瞳で見あげた。


「この子はルリと申します。わたくしが実の娘のように大切にしている娘です」


 七、八歳の愛らしい少女。

 リュリュもだが、皇帝にとっても結婚が早ければこの位の娘がいてもおかしくない。

 大変可愛らしい少女だが、リンとの関係を本気で勘違いされているようなので口にしない。新たな噂が流れるのは避けたいものだ。


「実の娘と思うほどの童に危険を犯させたのか」


 皇帝とは時に無慈悲な存在にもなる。怒りに任せ幼子を手にかけた皇帝が過去にどれ程の数いただろう。


「陛下はギ国との戦いに勝利し、国を守って下さったお方です。恐れがなかったと言えば嘘ですが、正しく政治を行う陛下を信じておりました」


 クユリと同じようなことを言われてしまいどきっとした。


「娘に聞かれても良いのか?」

「陛下はわたくしと二人きりになるのはお嫌かと思いまして」


 妃と夜に二人きりになるのは、男女の仲になったと思われても仕方がない。

 だが皇帝はリュリュの決意を目の当たりにして少なからず信頼を寄せた。その信頼を裏切ればどうなるか、リュリュも分かっているだろう。

 リュリュは皇帝に椅子を勧めてから茶の用意を始める。すると少女が落雁を頬張ったまま手伝いを始めた。


「ルリ、このお方は特別な方です。失礼のないようにね?」


 少女はもぐもぐと咀嚼し飲み込むと、「はい、リュリュ様」と返事をしてから皇帝に向き直り深くお辞儀をした。


「ルリと申します。さっきは嘘泣きしてごめんなさい」

「うむ、許そう」

 

 皇帝が頷くと少女が首を傾げる。


「あなたのお名前は?」

「私には名がないのだよ」


 皇帝だと説明しようかと思ったが、知られて怖がられるよりはいいだろう。皇帝なりの気遣いだったが、首をひねったルリは「あ!」と何かに気付いて、それから眉を寄せた。


「捨て子なのね。名前がないなんて可哀想、誰も付けてくれなかったの?」

「ルリ!」

「よい、同じようなものだ」


 親がいないから名前を付けてもらえなかったと短絡的に考えたのだろう。皇帝に親がいない訳ではないが、早くに宮殿を出されたのは捨てられたようなものなのである意味正解だ。


「それで、後宮を出たいというのは?」


 目の前に茶が置かれると同時に皇帝は、リュリュに座るよう指示して説明を求める。


「結論から申しますと、ルリの父親と結婚したいのです」

「そなたは外の男と通じておるのか?」

「いいえ。あの方と最後にお会いしたのは後宮に入る前です。その時からルリの母親は鬼籍に入っておりました。わたくしは妃になる為に育てられたようなものですので、あの方との逢瀬はあきらめるしかなかったのです」


 家長の言葉が全てだ。特に女にとっては生き難い世の中、リュリュのように身分ある娘が恋をしても、相手の立場や身分によって叶えられない場合もある。

 次の皇帝の妃になる為に育てられたリュリュは納得して男をあきらめたのだ。そして今は後宮で好いた男の娘を預かっている。

 幼い頃を後宮で過ごした経験は、より条件の良い結婚相手に巡り合う条件の一つになる。娘の為にと父親も納得して手放したのだろう。


「お役目を賜ったのですから立派に務るつもりでございましたが、陛下のお渡りはただの一度もございませんでした。やがて禁を破ったミレイ妃が後宮を出され、ファン家の後見を得たクユリ妃が陛下の寵を独占しております。今後もわたくしに立ち入る隙があるとは思えません。わたくしも既に二十六、子を生むにも限界に近い年齢です。後宮に入ってすでに五年が過ぎ、花の盛りは超えました」


 瞬きと同時にリュリュの視線が下がり、皇帝は今初めて自分のしでかした残酷な事実に気が付かされた。

 リュリュだけではない、他の妃にも当てはまることだ。


 皇帝が幼い頃に見た後宮は魑魅魍魎がひしめき合う世界。皇帝の寵を競う女達は鬼の如き形相で罵り合い、足を引っ張り合い、時に命を取り合った。先帝は気まぐれに女に手を出し孕ませると、多くの無駄な子供を作って、そのせいで新たな争いが生まれ命が奪われて行く。

 そんな世界に夢も希望も何もない。特に皇帝が苦手とする偽りばかりが集められた女の巣窟だ。後宮に妃を集めておきながら、実家の力だけを利用して、閉じ込めた女達の気持ちなど考えることがなかった。


「そうか。私はそなた等に大変な負担を強いていたのだな」


 十五を過ぎれば嫁いで子を産むのが珍しくない世界。

 リュリュは好いた男をあきらめ、嫁ぎ遅れと呼ばれるぎりぎりに後宮入りして既に六年目。きつい印象があるが堂々としていて頭も悪くない。そんな女性を閉じ込めるだけ閉じ込めて無視し、無駄な時間を過ごさせてしまったのである。

 五年というのは短いとは絶対に言えない。このままでは子を得る機会も失われてしまうとリュリュは訴えているのだ。

 リュリュの直訴は実家を裏切るものになるが、それだけ決意も硬いのだろう。別の方向から言えば、何一つ義務を果たさない皇帝は愛想を尽かされたとも言える。


 皇帝として妃の言葉に心を痛める必要はない。

 皇帝は皇帝ではある……が、心は人として普通に動くのだ。皇帝の被り物を脱いで普通の人であることを知られてはならないが、リュリュの訴えを無視できるほど愚かでもなかった。


「今こそこの状況を利用して、そなた自身が皇帝の子を産もうとは思わないのか?」

「ファン家がついているなら、新しくお迎えになった妃が最もかと。それに失礼ながら陛下はわたくしの好みではございませんし。少年に興味のある殿方はちょっと……」


 リュリュの手が、側にいた男装の少女を守るように伸びた。

 成程、そうなのか……と皇帝は表情に出すことなく苦い思いを抱く。クユリを妃にしても、一度流れた噂を払拭するには至らないようだ。

 しかしこのまま誤解されている方が穏やかに事が進むだろう。

 考えながら皇帝がルリを見ていると、ルリが袖から何かを取り出して皇帝に差し出した。


「どうぞ」


 食べかけの落雁だ。

 慌てたリュリュが落雁を素早く回収する。


「申し訳ございません。少しばかり甘やかして育ててしまいまして……」


 ここは皇帝らしく厳しい態度で接した方がいいだろうか。

 しかし叱ってルリを泣かせるのもな……と思うが、幼女趣味と新たな札を張られるのも嫌だった。




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