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妃の覚悟



 辿りついた東の御殿には美しく着飾った妃が……いなかった。

 東の主であるリュリュは少し釣り目の、気の強そうな見目麗しい妃だったのを覚えている。

 年齢は皇帝と同じ二十五歳……今年で二十六になる、皇帝が帝位についた時に最初に後宮入りした妃だ。

 女性にしては背が高く、すらりとした立ち姿が美しいのも覚えている。

 立ち姿は凛として、付け込まれる隙を与えない堂々としたものだった。

 ゆるく口角を上げて、紅を塗った唇は厚すぎず、首元はすっきりしていたのを覚えている。

 覚えているが……皇帝の前に立つリュリュは別人だ。


 いや、別人というには語弊がある。

 確かにリュリュだと分かる。間違いなくリュリュだが……皇帝の知るリュリュではなかった。

 何故ならリュリュがまとうのは男物の衣。臣下が皇帝に目通りする時に身につける衣だ。

 緩やかな女性らしい体型を完全に隠してしまう出で立ちはクユリで見慣れているが、着ているのが別人なので見慣れないものとして目に映る。


 それにしても妃が何故男装をしているのか。

 少女といい、後宮では男装が流行っているのだろうかと考えていると、少女の手が皇帝から離れた。

 

「リュリュ様ぁ~!」


 少女が甘える声を発してリュリュに駆け寄ると、リュリュのきつい印象を与える目が優しく細められた。


「良い子ですね、よくやってくれました」

「三角亭の落雁食べてもいい?」

「勿論です。約束ですからね」

「わぁ~い!」


 リュリュの手が少女の頭を撫でると、少女は嬉しそうにリュリュに擦り寄って笑顔を浮かべる。

 あれ?

 リュリュに折檻されると泣いていたのではなかったのか?

 皇帝は訳が分からず目を丸くしたが、ここが後宮であることを思い出し、すぐに皇帝としての殻を纏うと、感情のない目をリュリュに向けた。


 少女がご機嫌で建物の中に消えると、リュリュは緩めた顔から表情を消し、すっと腰を落として砂の地面に膝をつき頭を下げる。


「ご無礼をお許しください。女童めのわらわにはあなた様が皇帝陛下であることを教えていないのです」


 無邪気な子供であっても、少女の態度は皇帝を前にして許されるものではない。膝をついて頭を下げるリュリュを見下ろして、皇帝は彼女の企みがどのようなものであるのか興味を持った。


「子供のしたことだ、命は取らぬ。それよりも、その姿は何だ?」

「陛下の気を引くためにございます」


 確かにそれ以外ないだろうが、どうして男装なのか。

 幼い少女が男の子の姿をしているのは愛らしい。クユリは立派な成人女性だが、中性的な美しさを持っているので、官服を纏うと少年のような見た目になる。しかしリュリュはどう見ても女であるのが一目瞭然で、はっきり言って少しも似合っていなかった。

 女は着飾って男に媚びるものだと認識している皇帝には、男装の何処に皇帝の気を引く要素があるのか理解できない。

 考えながら黙っていると、跪くリュリュの手が心の葛藤を表すかに砂を掴む。けして望んでやったのではないとでも言っているようだ。


「それで私の気を引けると思うたか?」


 目論見は成功したと言えるだろう。現実に皇帝は男装の少女に目を止め、リュリュの領域に足を踏み入れたのだから。

 蔑むように冷たく言い放つと、リュリュは掴んだ砂をぎゅっと握り締める。


「後宮に召され五年、幾度となく目通りを願っても陛下は応じて下さいませんでした」


 確かにそうだなと、皇帝は無言で納得する。

 多くの妃が皇帝に訪問の誘いを寄こすので、何年も前から中身を確認した記憶がないが、リュリュの誘いは他の妃に比べ格段に少なかったと記憶していた。


「陛下は外でお育ちになりました故、後宮の女になど興味がないのだと諦めておりました。けれど陛下の好みを耳にして、童に男の子の姿をさせて誘いをかければお出で下さるのではと賭けたのです」

「私の好み?」

「つい先日まで、陛下の恋のお相手が側仕えの小姓だと噂されておりました」


 何だって!?

 側仕えの小姓とは……リンのことだろう。

 しかしどうしてリンと恋の噂が立つのだ?

 相手は少年、つまり男の子ではないか!

 皇帝はかなりの衝撃を受けたが面には出さない。


「先月、私は自ら望んで妃を迎えた」

「足繁く通っていると承知しております。ですが女であるわたくしがいくら誘いをかけても乗っては下さいませんでした。普通に誘いをかけても無理と思い、女童に男物の服を着せお誘いをかけましたら――」


 ようやく捕まったという訳か。


「そなたに折檻されると泣いておったのでな」

「決して子供に手を上げるようなことは致しません。女童はわたくしの願いに応えようと頑張ってくれたのです」


 少女がリュリュに向けた眼差しには信頼が宿っていた。決して菓子が欲しい一心で芝居をしたわけではあるまい。

 それにしてもだ。女の涙を信じるなと誰かが言っていた気がするが、まさか子供にも当てはまるとは。


「それはさておき――」


 この後はどうしたものか。

 皇帝は膝をついて頭を下げるリュリュに、皇帝としての威圧を放つ。


「皇帝たる我を謀ったこと、ただで済むとは思うておらぬな?」


 感情の籠らない、けれど確実に恐怖を抱かせる声を落とせばリュリュは更に頭を下げた。

 これで寝床に誘うような真似はできないだろう。

 本気で罰を下そうと思っていないが、他の妃が真似て同じことが続いても困る。


 クユリを待たせていた。早々にこの場を去ろうとした皇帝が足を動かす前に、リュリュが許しもなく頭を上げる。

 地面に膝をついたまま、姿勢を正してリュリュは皇帝を見上げていた。


「わたくしにも覚悟がございます」


 その目は強い意志の籠った、戦場でよく見たことのある類のものであった。







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