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悲劇の始まり



 皇帝の悲劇は優しいウルハの態度から始まっていた。

 午後から側に侍ったウルハが、皇帝に与えた仕事はいつもの八割程度。

 与えられた仕事の少なさに心が躍ったものの、時間が経つにつれ皇帝は居心地の悪さを覚える。


 なぜか今日は、ウルハからの嫌味が少なく問題が起きることもない。

 質問しても白い目を向けずに教えてくれるだけでなく、「言葉が足りず、申し訳ありません」と、あのウルハが謝罪までしたのだ。

 これはいけない、ウルハに倒れられては困ると皇帝は慌てる。


「調子が悪そうだ。今日はもういい、帰って休め」

「何を仰います。私はいつもと変わらず絶好調です」

「しかし、この何か月もそなたが休んでいるのを見たことがない。倒れられては困るんだ。仕事は私が何とかするから、そなたは何日かゆっくりしてはどうだ?」

「ご心配無用です。それに朝一で受けたい報告もありますので、いらぬ心配をして私の仕事を邪魔しないで下さい」

「そ……そうか」


 何もないのに心配されるのが鬱陶しいのは分かるが、あのウルハが優しいのは何かあるに違いない。皇帝の心配は治まらなかったが、これ以上口にしても苛つかせるだけと口を噤んで仕事を続けた。


 日の光がまだあるうちに仕事を終えた皇帝は、じっくりとウルハを観察する。

 立ち姿は凛として視線の揺れもなくいつものウルハだが、なんだか心配でならなかった。


「そなたに何かあってはいけない。今宵は私も大人しく部屋に籠ろう」


 ウルハに何かあった時の為にいつでも動けるようにしておきたい。そんな皇帝の想いをウルハは一刀両断に切り裂く。


「はぁ? あなたのお仕事は一刻も早く跡継ぎを作ることですよね?」

「え……いや、そうだが……」


 確かにそうだ。その為にウルハが策を巡らせクユリを妃として迎えたのだ。

 けれどクユリの心を手に入れるまでは床を共にしないと誓っていた。これがウルハにばれたらどんな仕置きが待っているか分からない。考えるだけで恐ろしい。


「クユリ様に先触れを出しても宜しいですね?」


 普段はクユリを部下として使うウルハだが、妃として扱う時はきちんと敬称をつける。敬っているかといえば違うが、その辺りはきちんとする男だ。

 皇帝は「頼む」と答え、いつもより優しいウルハを心配しながらも、クユリに会いたくない訳ではないので、この日も変わらず後宮に向かう門を潜ることになった。


 日が沈み、護衛を置いて門を潜った皇帝の前に小さな子供が現れる。

 黒髪を後ろで束ねた子供は男の子の姿をしているが、一目で女の子と分かった。

 後宮にはたとえ子供でも男の入場は許されない。許される男は皇帝と、その血を引く子供だけだ。なので男の子の姿をしていても女の子と思い込んでしまう状況であるが、目の前に出て来た子供は間違いなく女の子だった。

 男装の子供は目を真っ赤にしている。目元が腫れて泣いたあとが痛々しかった。


「どうしたんだい?」


 泣く子を前にして威厳を放っても可哀想だ。

 小さな子供の泣く姿を前にして皇帝が優しく声をかけると、子供はくしゃりと顔を歪めて大きな瞳からぼろぼろと涙を零した。


「ここに来た人を連れてくるように言われました。連れて行かないと折檻するって。痛いのは嫌です。だからどうか、わたしと一緒に来てください」

「なんて酷いことを。可哀想に、怖かっただろう。泣かなくても大丈夫、私に任せなさい」


 妃の誰かがやらせているのだと気付いた。

 こんな小さな子供を脅してなんて酷いことをするのか。恐らく秘密にするように言われているだろうが、怖さのあまり忘れて言われたままを口にしたと思われる。

 少女が男装している意味は分からないが、皇帝の目を引くためにさせられているのかもしれない。

 この少女が酷い目に合わされている責任の一端は皇帝にある。長く後宮に通わず、新たに妃を迎えたと思えば、そこにばかり通っているのだ。もともといた妃達は大変腹立たしいことだろう。

 このままではクユリにも危害が及びかねない。

 ひとつ言って大人しくさせるべきか――と、皇帝は少女の顔を拭いてやると、小さな手を取って歩き出した。


「そなたの主はどこの誰だい?」

「東の御殿にいらっしゃるリュリュ妃です」


 先に後宮を去ったミレイ妃の次に力を持った家の妃だ。ファン家には劣るが、新参者に負けていると腹を立てて強硬手段に出ようとしているのか。

 できるなら公の場以外で妃と顔を合わせたくなかったが、こんなに小さな子を泣かせてしまっては嫌とは言えない。

 妃をたしなめた後、上手く逃げられるだろうか。

 最悪逃亡すればいいかと、皇帝は少女の主が住まう東の御殿に向かった。



 




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