陛下をその気にさせる作戦が…
殿方の好む怪しげな衣装なるものがあるが、クユリ一人で準備できる状態にない。即席でできることといえば、お酒を用意して媚薬を仕込む……薬を皇帝に盛るのは却下だ。
「皇帝陛下に薬を盛るなんて、昔のお妃様は何を考えているのかしら」
「媚薬なんてよくある話だと思いますよ」
媚薬も毒薬もクユリにとっては紙一重。
皇帝に盛るなんて酷い罰を受けた後に処刑される未来しか思い浮かばない。なのにリンはすました顔でクユリの前に座っている。
「リン様、あなた本当に十三歳ですか?」
「媚薬なんて可愛いものです。危険な薬を使って犯罪する人間は沢山いますよ」
「やめてリン様、誰がそんなことをあなたにさせたんですか!?」
「裏社会ではよくあることです。ちなみに陛下もウルハ様も、私にそんなことはさせていませんのでご安心を」
裏社会……この少年はいったいどんな人生を歩んでいるのか。知りたいような、知りたくないような。
もとの顔の判別がつかない状態に化粧して、女物の衣を着こなす少年。皇帝やウルハに仕え、日々こき使われて頑張っているのだと思うと、クユリも頑張らねばと気合を入れる。
「とりあえず陛下を酔わせて押し倒す……ですね」
初心者で技術も知識も足りないクユリにできるのは子供騙しの基本くらいだ。抵抗されたら力で敵わないので簡単に逃げられてしまうだろうから、最悪腹を壊してのたうつ演技で寝床に引き込む予定。
よしっ……と気合を入れて挑もうとしたクユリだったのだが。
肝心の皇帝が待てども待てども一向に来る気配がない。
今夜も来てくれると先触れはあったのにどうしたことか。既に夜は更け、辺りは寝静まっている。
「何かあったんでしょうか」
「そうですね、陛下がクユリ様との約束をすっぽかすとは思えませんし、今夜に関してウルハ様の嫌がらせもないと思われます。ちょっと見てきますね」
リンが首をひねりながら部屋を出ていく。クユリは一人きりになり、消えてしまいそうな灯りに油を足して待った。
それほど時間をかけずにリンが戻ってきたのだが、とても浮かない顔をしている。
「どうしたんですか?」
皇帝に何かあったのだ。
不安にかられて駆け寄ると、リンは痛ましそうに眉を寄せた。
「今宵、陛下は別の妃のところへ行かれたようです」
「……え?」
意味が分からないながら、クユリの頭の中は真っ白になる。
「別の妃のところって……」
「こちらではなく、他の女と夜を過ごしているってことですよ」
怖い顔をしたリンが確実な答えを口にした。
どうしてなのかと、クユリの頭の中で疑問と焦りが渦巻く。
皇帝が、後宮を毛嫌いしてクユリが妃になるまで一度も訪れることのなかったあの皇帝が、約束したクユリではなく別の妃と夜を過ごしている。
「何か……お妃様と、何か問題が起きたのでしょうか?」
「違いますよ。お二人で寝所に籠もっているのですから、やることは一つでしょう?」
ガツンと、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。
あれ?
それならどうして自分はここに居るのだろう。
全身からすっと血の気が引いて、ぺたんと床に座り込んだ。
「ウルハ様が何か企んでいる様子はありませんでしたし、さっぱり分かりません。陛下は女性に強く出られないお方ですから騙されて連れ込まれたのかもしれませんが、もしそうならさっさと逃げてくればいいのに籠りきりだそうですよ」
体から力が抜けて声も出せないクユリに対し、リンは腰に手を当てご立腹だ。
「やることは一つですが、やるやらないは関係ないんです。陛下が他の妃と過ごしている事実が問題なんです。クユリ様にはこの意味が分かりますよね。まったく……クユリ様の立場をどうしてくれるんですか。私に女装までさせておいて本当に腹が立つな!」
可愛らしく化粧した顔を歪めたリンが皇帝に対する文句を並べ始める。クユリはリンの悪態を右から左に流しながら、皇帝がどうして他の妃と過ごしているのかと、停止していた思考を再開させた。
皇帝が何かしらの方法で妃の部屋に連れ込まれたとしても、絶対的な権力を持っている皇帝なのだから、自分の意思で行動できるはずだ。それが敢えてとどまっているのはどうしてか。跡継ぎ問題を片付ける為に頑張っている以外にない。
「クユリ様、それ違います。何もなくてもあったとみなされるって意味ですからね。それが困ったことになると言っているんです」
「あれ? わたし口に出して言っていました?」
「はい。思考をそのまま言葉にされていました。まぁやってるかもしれませんから、クユリ様のお考えも間違いとは言えませんが」
「ああ……そうですね。お世継ぎができるのは万々歳ですが。ウルハ様の後宮解体計画が上手く行かなくなる可能性がありますね」
経費のかかり過ぎる後宮から妃を追い出して、ただ一人を皇后として残す計画。だからこそ健康かつ多産家で、切り捨て可能な後見人を持ち、権力に魅力を感じていないクユリに白羽の矢が立った。
なのに皇帝が夜に妃を訪問すれば、男女の関係になったと思われるのが当然だ。
二人の間で何もなかったとしても、もし万一にもその妃が孕んで皇帝の子と主張すれば、皇帝は通った事実があるので否定できない。
皇帝の身に覚えがなかったとしても、腹の子の父親が誰であるのか証明できない限り認めるしかないのだ。堅く守られた後宮に男は皇帝しか入れない決まりがある限り、不法侵入させたと責任を問われるのは皇帝側なのだから。
「クユリ様、大丈夫ですか。冷静ではないようですが?」
クユリを覗き込んだリンが心配そうに眉を寄せている。
「だっ、大丈夫です」
「他の妃に陛下を取られてしまうと、ウルハ様に役立たずの烙印を押されます。そうしたら追い出されて古書殿の本が読めない!……と、嘆くのがいつものクユリ様だと思うのですが」
確かにそうだ、リンの言う通り。
皇帝の子供を産んで諸々といった計画は、ウルハが押し進める改革の一つに含まれている。皇帝もクユリの心がとか言っていたし、好きだとも意思表示していたのでてっきり大丈夫と思っていたが。
人が心変わりする生き物だというのをすっかり忘れていた。
このままでは古書殿への入室どころか追い出されてしまうではないか。
と、慌てることもできず、クユリは寝室の隅に移動して壁に頭をすり寄せどんよりとした空気を纏う。
「クユリ様?」
「ごめんなさい。ちょっと考えさせてください」
皇帝をその気にさせて孕むつもりだったが――どうやら必要なくなったようだ。
クユリは重い空気を纏ったまま、この後どうしようかと壁に向かって悩み続けた。