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皇帝がいた



 国中から集まった要人たちは総勢五百名。

 本人が出席できない場合は代理の者がやってきているので、きっちり五百名だ。

 宮殿内にある広場と、そこに連なる屋内の大広間を使って皇帝との謁見になる。

 立場や身分によって座る場所が異なるが、誰もがきっちり整列して膝をついて、額を砂もしくは床に押し付けると、皇帝が玉座に着席するのを待つ。

 クユリも宮殿に連れて来られた時、同じように床に額を押し当てた後に皇帝の姿を見た。


 皇帝は直接言葉を述べない。何故なら皇帝の声は尊く貴重なもの。ただの人が容易く耳にして良いものではないからだ。


 労いや報告ごとはウルハが代理となって声を張る。

 大勢に向けた言葉が終わると、五百人、一人一人に記念の品を送るのが習わしだ。

 

 五百人が列をなし、一定の距離を取って皇帝の前で額を床につけるのを、皇帝は無表情でじっと見下ろしているだけ。

 クユリは目録と記念品を渡す場所に立ってはいるものの、ただ立っているだけだ。

 名前が呼ばれ、記念品を受け取る様をしっかりと確認し、名前と顔を覚えるようにウルハから命じられていた。

 ただそれだけなのに緊張は果てしない。物凄く緊張している。名前と顔を覚えるのが難しいからではない。目録を渡す際に名を呼ばれ、頭を低くして頂戴する人間の顔がきちんと見える位置に立っているし、そこは問題ではなかった。


 問題は、皇帝が皇帝であったと実感したからだ。

 皇帝を斜め後ろにしているので顔は見えないが、玉座から漂ってくる気配は振り返ってはいけないと思うほど威圧的だ。

 殺気ではないが、振り返ったら首が飛ぶと思われるほど、稀有なものに対する恐ろしさが湧き起る。


 ミレイ妃を迎える際の皇帝は果たしてこれほど恐ろしかっただろうか。

 もしそうなら、盥に乗って小川を流れて来た皇帝と容易く会話することなんて出来なかったに違いない。皇帝が友達になってくれたあの日、クユリが皇帝を前にして恐れないことを不思議そうにしていた。皇帝は自分が恐れられていると分かっているのだ。


 本当の皇帝がとても優しいとクユリは知っているが、臣下に知られるのは良いことではない。

 皇帝は威厳があり、恐ろしく、盾突いてはならない神のような存在でなければいけないからだ。言い方は悪いが、舐められたら終わり。 

 現に床に額を擦り付け、記念品と目録を受け取る人のほとんどが顔を上げることが出来ない状態だ。


 ああ、これは離れていたからお顔を拝見できたのだと、クユリは今更ながらに感じた。

 そうなると後宮入り前、妃として最前列で謁見したミレイ妃はかなり肝の据わった女人ということだ。クユリはミレイ妃を生まれて初めて凄い人だったのだと思ってしまった。


 五百人を相手にした謁見が終わると、皇帝はごく少数の要人を相手に晩餐に臨まれる。

 その前に皇帝は衣を着替えるのだが、その世話をリン一人がもくもくとこなしていた。

 クユリは部屋の外で、見慣れない人間、いるべきでない人間が存在しないか見張る役目だ。

 護衛もいるが、多くの人が集まる場合、護衛の人達も誰が誰だか分からなくなってしまう。だからこそクユリは記憶力を買われて男装したのだとようやく気付いた。


 皇帝は側にあまり人を置かない。暗殺を警戒してのことだが、それにしても少なすぎる。これが皇帝の生きる世界なのだと実感し、だからこそウルハは忙しく、リンはクユリの面倒をみるのが楽だと言ってのけたのだ。


 この日クユリは一日皇帝の側にいたが、皇帝がクユリに視線を絡めることはただの一瞬もなかった。

 ギョクイ様はいないのだと、皇帝が皇帝であることを己の目で実感したのである。


「クユリ、一日良く頑張ってくれた。疲れただろう?」

「陛下……」


 だからこそ、予定が終わって会食用の衣を脱いだ皇帝が声をかけてくれた時、クユリは心からほっとして涙腺が緩んでしまった。

 優しい皇帝が戻って来てくれて、幼い頃から知る、クユリの額に礫を命中させ怪我をさせてしまったと慌てる皇帝が戻って来てくれたことにほっとして、自分でも知らぬ間に涙が頬を伝ってしまった。


「クユリ、いったいどうしたんだい!?」

「陛下がっ……陛下が……やっぱり陛下が皇帝陛下でした」

「えっ、あ……ああ。そうだね。私は皇帝だね」


 皇帝が皇帝であることは知っている。けれど本当の皇帝が何なのか、如何なる表情をするのかなど、遠い人の存在を本当の意味でクユリは知らなかったのだ。


 涙を零してしまったクユリを前に皇帝は慌て、戸惑いを見せつつ、クユリの頬に伝う涙を指で拭ってくれた。


「すっ、すみません!」


 クユリは慌てて一歩後退すると自分の袖で涙を拭う。


「おやおや、涙を流すとは女々しいことこの上ない」

「クユリはれっきとした女性なのだから、女々しくて当たり前だ。そもそも女々しいと女性に言うのはおかしくないか?」


 ウルハの言葉に皇帝が反論したが、ウルハは鼻で笑って皇帝の前で威圧的に腕を組んだ。


「クユリは陛下のご立派な姿を見て感動したのです」

「そ、そうなのか。私を誉めるなんて何時ものウルハらしくなくて恐ろしいが、それなら嬉しい」

「陛下は何時も仕事が遅くてどこか抜けておられる。クユリは仕事をサボって臣下にお茶を振る舞うような陛下しか見ていないから、皇帝が皇帝であったとようやく気付けたのでしょう。よかったですね陛下、ちゃんと仕事をしている様をクユリに見て貰えて」

「誉めているのか貶しているのか分からないのだが……」

「いつもは無能と貶しているのですよ」

「ウルハ……」


 いつものやり取りが戻って来てクユリは嬉しくなった。

 ウルハの人の心を針でつつくような毒舌も、皇帝が口で勝てないで情けない様を曝す様子も、見慣れた光景はクユリをほっとさせてくれる。


 こんなことが今まであっただろうか。

 これまでクユリを安心させてくれたものは、勉強して得た知識や、教養や、一人で生きる未来に備え一歩近付けたという自信だけだった。


 けれど宮殿に入り、川で皇帝と再会してから、クユリの世界は大きく様変わりしたように思える。

 乾いた土色の髪や、黄色と茶色が混じり、時に緑に見えてしまう瞳の色。

 持って生まれた物に不満を感じてもどうにもならないが――


「わたし、男の子に生まれてここにいたかったです」


 そうしたら本当の意味で、彼らの中に溶け込めたのではないだろうか。

 クユリの言葉に皇帝だけでなく、ウルハまでもが驚いたように目を丸くした。


「急に何を……私は今のままのそなたが好きなのだよ?」

「そうですよ。あなたは貴重な女性です。男では困ったことになります」

「でも男だったら官職の試験を受けて、もっと早くにここに立つことが出来たかもしれません」


 そうしたら皇帝にも、ウルハにもリンにももっと早くに出会って、もっともっと沢山役に立てたかもしれない。

 そう訴えるクユリにウルハが真面目な顔で強く諭した。


「あなたは女性であったからここに居るのです。よいですか、血迷っても男性になろうなどと思わないことです」

「でも……」


 女が男になる方法など存在しないのに、どういう訳かウルハは真剣に言い聞かせる。


「女であるから、わたしはあなたを頂戴したのです。女として、これからも私の役に立つのです。良いですね?」

「……はい、分かりました」

「ウルハ、そなたまさか本気でクユリを!?」


 クユリが了承すると今度は皇帝がウルハに食って掛かり始めたが……


「陛下、そんなのだから私に無能と呼ばれるのですよ」

「くっ……!」


 皇帝はそれ以上何も言えなくなっていた。




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