餓舎ヶ原ノ合戦 壱ノ幕
餓舎ヶ原を一望のもとに出来る久瑠加羅峠に張られた列国同盟軍の陣から、遠眼鏡で敵、勧請宗軍の陣を眺めていた武者は、そこに見えた異様な風景に思わず言葉を漏らした。
「なんじゃ?あれは?荷車をまるで屏風のように並び立てておるぞ、どういうつもりじゃ?」
臥羅ノ国の浪人、印波朗豪。列国同盟で一二を争う豪傑。
二頭立ての馬車を駆り、両手の戦斧で寄るもの触る者を次から次へと葬り去るその様は、まるで行く先に血の泉が湧くがごとく。ゆえに人呼んで『血泉ノ朗豪』
その、山のような体躯の上に乗っかる、これも巨岩の様な頭をかしげ、隣に立つ武者に、遠眼鏡を手渡す。
渡されたそれで、朗豪が見ていた敵陣を一目見たあと。
「鉄の板で鎧った荷馬車を城壁代わりに陣を張る。最近、邪宗軍が好んで使う手よ。即ちあすこに敵将、大僧正臥雲が居ると言う訳だ」
宝和ノ国の浪人、奏賀智導はそう答える。一里先の柿の木にぶら下がる実を射り落としたと恐れられる、当代きっての弓の名手。また、その美丈夫ぶりでも浮名を流し、智導が居る陣には、その姿を一目見ようと近郷近在の女たちが押し掛けると言われるほど。
「己は鉄の馬車で守られ、味方の国主達は野ざらしか、いやはや徳が高い坊主とは、そこまで偉いのか?のう姫武者どのよ」
朗豪が呼びかけた先には、一際華奢な武者が一人。
結い上げた射干玉の黒髪を揺らして振り返ると、涼し気な目で一同を見渡す。
肝が据わりに座った朗豪も、女性を知り尽くした智導も、その艶やかさには、毎度一瞬息を呑む。
とはいえ、薄く紅の引かれた小さな口で、大人の男のこぶしほどはある、甘辛く煮しめた獣肉を混ぜこんだ握り飯に齧り齧り付く様と、鳶色に鈍く輝く具足姿を見ると、彼女が頼みになる武者で有ることを、これもまた、思い出す。
由江ノ国の浪人、冴。『姫武者』の異名で知られる女武者。
冴は、握り飯を瞬く間に平らげ、指に着いた米粒を舐めとると。
「有難い坊主と言うのなら、法力で矢を逸らせることが出来るだろうに、鉄の壁の中に引き籠らねばならぬと言うのは、自ら己らの教えは嘘八百と示している様なものでございますな、各々方」
可々と笑う朗豪、苦笑に頬をゆがめる智導。その背後に現れたのは、短躯ながらも黒漆塗り赤糸威の具足を身に着け、堂々たる風格を醸し出す武将。
岩臥巖洲。大歳ノ国の国主であり、此度の戦の総大将。
一同、深く頭を垂れるのを、馬手で制しつつ。
「とはいえ、流石は慧厳の懐刀。矢を退ける法力は無かろうが、あれだけの大軍を率いる技量は侮れぬ。努々油断すまいぞ」
そう言いつつ目を細め、眼下に広がる荒涼たる草原、餓舎ヶ原を眺めた後、その背後にそびえる小高い丘、塔婆ノ高ミに布陣する勧請宗軍を睨む。
中央に荷馬車の壁で囲まれた陣を抱く、本隊。勧請宗の直轄、戦僧十万。右翼には勧請宗に与する国主としては最大の勢力を誇る欧后ノ国の国主、呶恕沙吠の軍六万、左翼に控えるは、勧請宗の総本山、大勧請寺の膝元に侍る国、臨江ノ国の国主、久瑠鍾山の軍五万。
総勢、二十一万の兵が、まるで森の木々のごとく、塔婆ノ高ミの山肌を埋め尽くす。
これと対峙する列国同盟。堂地ノ国の国主、操山是規率いる軍二万、遠洲ノ国の国主、本弩如浪の軍二万、可楽ノ国の国主、番陀蘇納の軍五万、そして、岩臥巖洲の軍七万と、智導が召し抱えた浪人一万。
合わせて十七万。突如現れた長城の様に峠を塞ぐ。
幾星霜重ねてきた戦乱の行方を決める合戦が、今まさに始まらんとしていた。




