餓舎ヶ原ノ合戦 四ノ幕
手綱を引き寄せ、呶恕軍に雷電の頭を向ける冴。
『鋼融』にこびり付いた呉暫の血糊を、その一閃で振り払い、塔婆ノ高ミからゆっくと、しかし確実に降りてくる無数ののぼりを睨む。
智導や朗豪、他の浪人たちも一斉に身構え、得物を握る手に力を籠める。
太鼓の音が、止まった。共に呶恕軍の兵も一斉に足を止める。
軍馬のいななき嘶きしか聞こえない。
この広大な餓舎ヶ原にいる全ての者たちが、次の音を待った。
突如として、太鼓が乱打され、大気を聾する鬨の声が呶恕軍より上がる。
六万の兵は、斜面を、駆け下らなかった。
そのまま踵を左に向け、山肌に並行し、槍を構えて進撃する。
その先は、自分たちの総大将、大僧将臥雲が陣取る塔婆ノ高ミ、その頂き。
久瑠加羅峠では、その向きを変えたのぼりの群れと、それに押し出されるように陣形を変えてゆく戦僧隊を遠望しつつ、岩臥巖洲が軍配代わりの竹の鞭で、餓舎ヶ原を差し、静かでありながら、皆に聞こえる確かな声で命じた。
「手筈通り、この機を逃すな、全軍、前へ」
高らかに陣貝が吹きならされ、主力の岩臥軍が、陣を守る一万余りを残し、印波軍四万と共に怒涛の勢いで峠を駆け下る。
一方、奏賀軍五万は、戦僧隊を助けようと動き出した久瑠軍を抑えるべく、突撃を開始する。
謀叛の切っ掛けは、およそ一年前に始まる。
修行の為、長子を勧請宗総本山、大勧請寺に出家させよと、慧厳より命を受けた呶恕。
断れば、聖絶の憂き目にあうやもしれず、一方、此処で恭順の証を見せれば、勧請宗の権勢にさらに浴する事が出来るであろうと、姫と見紛う美貌で知られた我が子を、渋々差し出した。
だが、苛烈なまでの厳格さで知られた慧厳の膝元、大勧請寺であっても、宗派の腐敗は凄まじい。
某大僧正がその日のうちに、呶恕の長子を己の寝所に引きずり込み、手籠めにしてしまったのだ。
国主の嫡男としての誇りを汚された彼は、伽藍の塔から身を投げ自決。
生国には不慮の事故として知らされたが、怪しんだ呶恕は、探索を始め、ついに我が子の死の真相を知る。
怒りに煮えたぎる腹を隠しに隠し、勧請宗には恭順を続ける意を見せつつ、密かに列国同盟に通じ、反旗を翻す機会を待つ。
そして、この日が来た。
臥雲軍の縦弓隊は素早く隊列を組み、じりじりと迫る呶恕兵めがけ矢を豪雨の様に射掛ける。
矢羽根の風切り音もけたたましく、殺到する無数の矢。
しかし、そのほとんどが呶恕の兵を射抜くことは無かった。
一斉に天に向かって掲げられた幾万枚もの盾は、まるで天蓋の様に呶恕軍を覆い尽し、矢の雨から兵を守る。
幾度も矢は射掛けられたが、悉く盾に阻まれる。
その間にも、呶恕軍と臥雲軍の間は狭まってゆく。
そして。
高らかに鳴り響く鋭い笛の音。
呶恕軍は一斉に盾を捨て、長槍を連ね、怒涛のような勢いで臥雲軍に殺到する。
すでに縦弓があてに成る間合いでは無い。
弓兵は腰の剣を抜きはらい、呶恕軍を迎え打つ。
だが、相手に切りかかる前に、槍の穂先に捉えられ、腿を、腹を、胸を、首を、串刺しにされ捏ね上げられ引き裂かれ断ち切られ、血しぶきを吹き上げ躯を並べる。
臥雲軍の潰走が始まる。
隊列を乱し、一斉に荷馬車の列に向かって駆けてゆく。
勢いづく呶恕の兵は、逃げ遅れた戦僧を血祭りにあげながら、臥雲陣に迫る。
荷馬車の扉が開いたのは、呶恕兵一人一人の顔が解るほどの近さに成った時だった。
一斉に開け放たれた扉の向こうから、こぼれ出るように現れたのは、着の身着のままの姿に、粗末な木の板の胸当てだけを付け、手には短い手槍を持たされた者たち。
年寄り、女、子供ばかり。その数は有に二万を超える。
みな一様に血走った眼をカッと見開き、ブツブツと教敵を呪詛する勧請宗の経を唱え、手槍を迫りくる呶恕軍向ける。
臥雲の陣中より、太鼓の乱打が始まった。
幽鬼のような一団は、これを機に大音声で「現世往生!今生化生!!」と叫びつつ、呶恕軍めがけ駆け出した。
呶恕の兵は、凍り付いたように動きを停めた。
彼らが、群れの中に観たのは、汚れた木綿の布に三ツ和の紋を墨で描いた粗末な幟。
己が生国の旗印・・・・・・。
呶恕軍を蹴散らす、僅か二万の雑兵の群れの中に、その粗末極まる幟を認めた冴は、眦を吊り上げ、怒りで頬を歪め、唸る様に罵った。
「おのれ邪宗徒め!欧后ノ国の民を『投兵』として使ったか!」
『投兵』本来、兵としては役に立たないはずの、年寄りや病人、女、子供に、薬を与え気を触れさせ、死への恐れや体の痛みを奪い、死ぬまで戦えるよう仕立て上げ、敵に対しまさに投げつけるに使う。言うなれば捨て駒の死兵。
臥雲は二心を疑った呶恕の謀叛に備え、郷里である欧后ノ国の民を連れ去り『投兵』に仕立て上げたのだ。
中には呶恕兵の身内もいたかもしれない。
「如何とするか?!冴殿!」
問う朗豪。
「惨い・・・・・。あのままでは呶恕軍は総崩れぞ」
苦々しくつぶやく智導。
きつく口元を結び、瞼を閉じて馬上で微動だにしなかった冴だったが、きっと面をあげ、同郷であるはずの呶恕軍を、狂気に駆られて追う『投兵』を睨み。
「我ら『浪人組』で『投兵』を討ちましょうぞ!」




