転生の女神もたまには遊びたい
その日は、休日でなければ祭日でもない、ましてやイベントがある日でもない。
ただの平日だった。
そんななんでもない日の昼下がり。
俺は近くの高台にある柵に寄りかかり、ぼんやりと街の景色を眺めていた。俺の目の前の空間から光があふれ、露出度の高いエッチな衣装を身に付けた痴女が現れるまでは。
「誰が痴女ですかっ!」
「うわああああっ!?」
痴女が虚空から引き抜いた漆黒の鎌をブンと振るった。反射的に飛び退いた俺は助かったが、いままで俺がもたれ掛かっていた柵が真っ二つになってしまう。
もし俺が飛び退かなかったら、俺も柵と同じ運命をたどっていただろう。
「な、なんなんだよ、おまえ!」
「私は異世界の女神です」
「は? 異世界の女神? 痴女じゃなくて――ひっ」
嫌な予感がして身を引いた瞬間、はらりと前髪が落ちた。一瞬遅れて顔にかかる風圧を感じて、再び鎌が振るわれたのだと理解する。
「お、おまえ、凶暴すぎないか!?」
「あなたが失礼なことを言うからよ。私のどこが痴女なのよ、よく見なさい」
見ろと言われた俺は、あらためて自称女神を観察する。
陽の光を浴びて煌めくプラチナブロンドに、青い瞳を持つスレンダーな少女。その容姿は女神と言っても信じるくらいに美しいが……着ている衣装が……なんと言うか、凄い。
黒のジャケットの下は白のブラウス&ホットパンツというシンプルな格好。だが、ホットパンツはローライズにハイレグというきわどさで、ブラウスに至っては下乳が見えている。
巨乳のお姉さんなら、ブラウスがパッツンパッツンで安定感が在るかもしれないが、この少女の胸はわりと小ぶりだ。
ゆえに、ちょっと跳ねたり胸を反らしたりしたら、下から見えそうな勢いなのだ。
一応、ガーダーベルトのベルトみたいなので、下に引っ張ってるみたいだけど……
「どう見ても痴女――いってええええええええっ!?」
う、腕、俺の腕が斬られた!? ホントに斬られた!?
「な、なにするんだよ!?」
思わず傷口を押さえた俺は、自称女神を睨みつける。斬られた場所が焼けるように痛い。
「あなたが失礼なこと言うからよ」
「そ、それは悪かった、けど……」
だからって、普通、ホントに斬るか? とは、さすがに口に出す勇気はない。女神とか名乗ってるけど、やってることは死神だ。下手なこと言ったら殺される。
「そ、それで、俺になんのようなんだ……ですか?」
「あぁ、そうだったわね。あなたに決めたの」
自称女神は死神の鎌をクルクル回し、肩に背負ってちゃきっと構えた。その顔に浮かぶ満面の笑みが、逆に言いようのない不安をかき立ててくる。
「決めたって……なにを?」
「あなたを――殺すわ」
ブン――と、死神の鎌が振るわれた。
プラチナブロンドを煌めかせる自称女神様が神々しいと不覚にも思ってしまった。その光景をもっと見ていたいと思うのに、視界が横に流れていく。
急速に薄れ逝く意識の中、俺は自分の首が横に移動していることに気がついた。
「――って、首を斬り落とされてるうううううううううううっ!?」
飛び起きて思わず絶叫する。
「……あ、あれ? 斬れて、ない?」
両手で首を触りまくるが、ちゃんと身体と繋がっていた。それどころか、腕にあったはずの切り傷もなくなっている。さっきのは……夢、だったのか?
というか、ここはどこだ? なんか、真っ白な空間、なんだけど……
「ようやく目が覚めたわね」
真上からの声に、ビクッと視線を跳ね上げる。すぐ俺の前で俺を見下ろす自称女神様の姿があった。あまりにもローアングル過ぎて、下乳が……じゃなくて!
「お、おまえ! 俺をき、き……い、いや、なんでもない」
彼女が俺を斬ったのなら、俺が生きているはずがない。
そんな単純な結論に至ったのだが――
「あぁ、先ほどは大変失礼を、ごめんなさい」
自称女神様がぺこりと頭を下げる。その変わりように、俺は別の意味で恐くなった。
「えっと……失礼って、なんのこと、だ?」
「さっき、あなたの首を斬り落としたことよ」
「ホントに斬られてた!?」
「ええ、面白いくらい、ぽーんって首が飛んでたわ」
「恐い恐い恐い恐いっ!」
俺はそういう血が出る話とかはダメなのだ。だから、それより、それならどうして俺が生きてるんだよと、全力で話を逸らした。
「それは、私があなたを生き返らせたから、よ」
「……生き返らせた? 俺を?」
「ええ。だからいまのあなたの身体は新品も同然よ」
「それは……」
もし事実なら、俺にとってとんでもない幸運だ。だけど、その言葉が事実か分からないし、そもそもこの自称女神様は信用ならない。
俺は内心を圧し殺すことにした。
「……生き返らせたのが事実だとして、一体なにがどうなってるんだ?」
「実は……あなたを殺したのは、ちょっとしたミスだったの」
「……はい? なにそれ。まさか、人違いだったとか、そんなことは言わないよな?」
「まさか、そんな初歩的なミスは犯さないわ」
「へぇ……」
ミスで人を殺しておいて、どの口がと思ったけどもちろん口には出さない。身分に差があると友情が成り立たないのとかって、こういうのが理由なんだろうな……
「ミスというのは他でもないわ。ちょっと、私の手が滑ったのよ」
「……は?」
「手が滑ったの。こう……つるっと。それで、うっかりあなたを殺してしまったのよ」
「――ざ、ざけんなっ! 思いっきりあなたに決めた、とか言ってたじゃねぇか! まだ、人違いだったって方が説得力があるわっ!」
「あら、たしかにそうね。じゃあ人違いだということにするわ」
「するわって言ってる時点で嘘じゃねぇか!」
俺の容赦ない突っ込みにも、自称女神様はどこ吹く風で微笑んでいる。
この笑顔、殴りたい。
「そんなわけで、お詫びにあなたの願いを一つだけ、どんな願いでも叶えてあげる」
「いや、人の話を聞けよ」
「そのうえで、あなたを異世界に転生させてあげるわ」
「だから、人の話を聞けって言ってるだろうがっ!」
うがあああと頭をガシガシするが、この駄女神様、まるで人の言うことを聞いていない。最初は、下手に逆らったら……とか怯えてたけど、だんだん腹が立ってきた。
「ふふっ、私にムカついてるわね?」
「分かってるなら、ちょっとはあらためたらどうなんだ……?」
「だが断る」
「むっかああああああっ!」
ホントに殴りたくなってきた。
「へぇ、私を殴ろうとしてる?」
「……っ。人の心が分かるのか?」
「いいえ。でも、あなたの顔を見てたら分かるわよ。でも、早まらない方が良いわ」
「……分かってるよ」
あれが夢じゃなければ、この駄女神は空を飛ぶ上に、死神の鎌を自在に振り回す。そんな相手に直接的な復讐は危険すぎる。むしろ……
「そうね。私は一つだけ、どんな願いでも叶えると言ったわ。だから、私を気が済むまで殴らせろ、なんて願いも可能よ?」
「……おまえ」
そこまで分かっているなら、どうしてそんな条件を出したのか。そんな俺の疑問は、次の瞬間に女神の口から語られる。
「でもどうせなら、私が欲しいと願って、私の存在そのものを手に入れるというのはどうかしら? そうすれば、私のこのスレンダーな身体を好きに出来るし、女神としての能力も行使することが出来る。私の存在をすべて我が物として、異世界に連れて行くことが出来るわよ?」
青い瞳が俺をまっすぐに見つめ、真っ赤な舌がちろりと唇を舐める。まるで、それこそが自分の目的だと言わんばかりに、俺を挑発している。
だから――
「だが断る」
きっぱりハッキリ、さっきの駄女神のような口調で拒絶した。駄女神は信じられないといった表情を浮かべる。
「……は? え、ど、どうしてよ!? 私のことを好きに出来るのよ? 気が済むまで殴っても良いし、殺したって構わないのよ?」
「……女神って、殺したら死ぬのか?」
「それは生き返るけど」
「ダメじゃねぇか……」
予想通り過ぎて笑えない。
「で、でも、あなたの気が済むでしょ?」
「それで、仕返しの仕返しで殺されるのか?」
「そんなことしないわよ! 私はあなたに酷いことをしたんだから、あなたの気が済むまで復讐される覚悟くらい出来てるわ!」
「そ、そうなんだ……」
その覚悟だけを聞けば、女神というに相応しい高潔な心の持ち主である。その酷いことが、酷く自分勝手で、意図的な理由で行われたことじゃなければ、だけどな。
「っていうか、そこまで考えてるなら、そもそもなんで俺を殺したんだ?」
「……それは、聞いてくれる?」
駄女神はちょっぴり弱った表情を浮かべる。
「だが断る」
「なんでよおおおおおおおおっ!」
「だって、長くなりそうだし」
「いいから聞きなさいよ! じゃないと、いつまで経っても、ここから出れないわよ?」
「……ひでぇ」
結局聞かされる運命らしい。
「分かった、ならさっさと言ってくれ」
「うん、あのね。私は……」
グチグチと聞かされたのは、こいつが色々な世界を管理する女神様で、転生者を送り込んで、停滞した世界にテコ入れをするという作業を繰り返していたらしい。
そして、女神からチートをもらった転生者達は世界を動かし、それこそラノベになるような活躍をして、面白可笑しく暮らしている。
「なのに、私はいつもいつもいつも、ちまちまちまちまと、停滞した世界を探し続けて、送り込むのに相応しい魂を探し続ける日々なの」
「……そうか、それは大変だったな」
でも、それが仕事なんだろ? なんて言ったら、十倍くらい愚痴が返ってくるのは経験上知っているので、俺は女神様を全肯定することにした。
「ありがとう。それで、私思ったのよ。転生者のチートとして、私自身がついていけば、こんな面倒な作業から抜け出せるじゃない――って」
「そうか、それは良いんじゃないか?」
「でしょ? どうせ私がやめたって、他にも管理神はいるんだし構わないわよね」
「ああ、キミにだって選択の自由はあるはずだ」
「そうよね! だから、私を手に入れちゃいなさいよ!」
「だが断る」
「なんでよおおおおおおおおっ!」
頷いたらもっと面倒なことになるって分かってるからである。
「っていうか、なんなの? 私を好きにして良いって言ってるのよ? 年ごろの男の癖に、私のこの美貌と身体に興味ないって言うの?」
女神はつんと胸を反らす。
たしかにエロエロな格好の、ありえないくらい美少女だけど……と俺は生唾を呑み込む。だが、これは露骨なハニートラップだ。罠だと分かっていて引っかかるほどバカじゃない。
「大体、いつも転生者を送り込んでるのなら、俺にこだわらなくても良いだろ?」
「なに言ってるのよ。停滞してる世界に送り込む人材と、私と一緒に異世界で遊ぶ人材の選択基準が同じはずないでしょ?」
「……は?」
「言ったでしょ、あなたに決めたって。あなただから、誘ってるの。普段転生させてる者達に、どんな願いでも叶えるなんて言ったことないわよ」
「そ、そうなんだ……」
って、騙されたダメだ。ハニートラップ、ハニートラップだから!
騙されないぞと首をぶんぶん横に振ってると、女神様がしょんぼりと眉を落とした。
「そんなに、嫌なの?」
「うっ、それは……。あんたは、そんなに嫌いじゃ……ない」
最初は殴りたいとすら思ったけど、こうして話してるうちに怒りは薄れている。少なくとも、チートとして女神その者を連れていくというのは悪い案じゃないと思った。
「じゃあ、どうしてそんなに頑ななの?」
「俺は異世界転生とかしたくない。もとの世界に戻りたいんだ。俺を産んで育ててくれた両親がいて、慕って、支えてくれた妹がいる。そんな家族を放って異世界に行くなんて出来ない」
「それは、あなたが不治の病を患っていたことと関係がある?」
「……知ってたのか」
「当然ね。だって、あたしは女神だもの」
「そうか……」
俺は余命宣告をされて、もうすぐ死ぬ運命だった。平日の真っ昼間に学校にも行かずに高台にいたのはそれが理由。
「分かってるなら話は早い。たとえ、病気がそのままでも構わない。一つだけ願いを叶えてくれるって言うなら、俺をもとの世界に戻してくれないか?」
「あら、その選択をするのに、願いは必要ないわよ?」
「そう、なのか……?」
なんとなく、もとの世界に戻るという選択は普通の選択肢の中にはないと思い込んでいたから、その答えは物凄く意外だった。
「ええ、あなたには迷惑を掛けたから、身体も健康なままで戻してあげる。でも……その、出来れば、私のことも貰ってくれないかしら?」
「ええっと……家族になんと言われるか、とか問題はあるけど、それ以前におまえは、異世界で遊びたいんだろ? それが地球でも良いのか?」
「いいえ、私はもっとファンタジーな世界で遊びたいわ」
「だったら……」
ダメじゃないかと思ったのだけど、女神はふふっと微笑んだ。
「あなたが願いで、私を貰ったあと、私の力で異世界に秘密基地を作れば良いのよ」
「……なるほど」
要するに、俺は健康な身体を手に入れて、日本でそのまま暮らす。でもって、女神は俺の指示で作った異世界の秘密基地で遊んで暮らすってこと、だよな。
「それなら……構わない、かな」
「――ありがとう、それじゃ契約成立ね!」
女神様が無邪気に微笑んだ。こんなに可愛い一面があるのなら、もう少しお近づきになる形で契約しても良かったかもな――なんて思っていた。
これから毎日のように、一緒に遊ぶわよと異世界に連れて行かれることを、このときの俺は、まだ……知らない。