プライベート
「ごめんなさい……私と別れてほしいの……」
「おいおい……久しぶりに会えたと思ったらいきなりか?」
俺は交際3年目になる彼女「椎名 芽衣」と会っていた。
歳は俺と同じ25歳。出会いは合コンだった。金融業に勤める彼女は今日もきっちり黒いスーツに身を包んでいる。そしてロングの黒髪。対して俺はというと、ラフなYシャツにジーンズだ。
「なぁ、理由を教えてくれないか?」
俺はこの3年間、誠実に彼女に向き合ってきたつもりだ。出会いこそ合コンだったが、彼女のことは愛していた。彼女の休みに合わせ、デートに旅行と、様々な思い出を紡いできたし、愛情を深めてきたと考えていた。それが何故……
「私、結婚したいの……」
結婚……俺だってお前との結婚を考えているさ。そしてそのための貯金だってコツコツとしている。しかし、その結婚したい相手というのは俺じゃないというのか?
「俺だってお前と結婚したいと考えてるさ。だが、俺が結婚相手じゃ……駄目なのか?」
「……」
彼女は俯いたままで何も語らない。何かを待っているようにも見える。
「なぁ、何も語ってくれないのなら何も分からないよ。」
俺は努めて冷静に振舞おうとした。本当は心の中では不安と焦り、それに憤りで一杯だったが、それを今ぶつけるわけにはいかない。
すると、彼女のスマホの着信音が鳴る。そのディスプレーに表示されたのは俺の知らない男性の名前。
彼女は俺の問いには答えず、その電話に出た。普通に考えれば俺に対して失礼な行為。彼氏である俺の問いには答えず、俺の知らない男性の電話に出るなんてことは普通ありえない。
だが、それに対して非難することは俺にはできなかった。
「うん、それじゃあここまで来て。」
彼女はそれだけ伝えて電話を切った。そして二人の間に沈黙が流れる。俺も薄々状況は分った。俺達は今馴染みのレストランにいたが、賑やかな周囲とは対照的に俺たちのテーブルは静かなものだ。しかも、決して好ましい静けさではない。嵐の前の静けさというか、とても心地悪い。
しばらくすると一人の男性が俺たちのテーブルに現れた。スーツに身を包み、髪はきちっと整髪料で整えられた好青年。歳は俺と同じか、もうちょっと上だろうか。
すると、芽衣はやっと口を開いた。その男性が現れるのを待っていたのだろう。
「佐久間さん、紹介するわ。彼は千原 裕さん。私の同僚なの。」
「そっ、そうか……それで、どうして彼を俺に紹介するんだ?」
「私、彼と結婚前提でお付き合いしているの。」
その言葉を聞いて俺に衝撃が走った。突っ込みどころ満載だ。まず、お付き合いしているということは、俺と付き合っている間もこの男とそういう関係にあったということか?
じゃあ、この半年ほど前からデートの誘いに中々応じてくれなかったのも、そのデートすら気のない様子だったのも全てこいつが原因だったのか?
そして、こいつと俺とを比較したときに、結婚相手としてこいつを選んだということか?
一体何故?……
「……俺達の交際3年間は何だったんだ? どうしてひょっと出てきたこの男と結婚しようと言うんだ? ごめん、分からないよ。」
俺は淡々と言った。どうか、嘘だと言ってほしい。俺が悪いところがあるなら直す。せめてちゃんと俺と向き合ってほしい。そう思った。
だが、その言葉は彼女からではなく、千原という男から発せられた。
「貴方も往生際が悪いですね。はっきり言いましょう。年収も、職業も、社会的地位も、それにルックスも、どれもあなたでは私には勝てないんですよ。それにあなたのご職業……確か、屠畜場の職員だとか……」
成程。実際そうだろう。だが、最後……貴様、今何て言った?? 俺の職業を馬鹿にしたのか?
「佐久間さん、ごめんなさい。あなたのことは嫌いじゃないわ。でも、結婚を考えたとき、色んなことが気になって……そして彼に相談しているところで彼に惹かれていったの……」
芽衣は申し訳なさそうに言う。対して千原という男は勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべている。
俺は深呼吸した。もう、分かった。もはや何を語ろうとどうにもならないだろう。
俺は急に冷めてきた。年収、ルックス、それに負けたからというなら、それはそれでいい。納得がいくってものだ。
だが、俺の職業をとやかく言う連中だけは許せない。そんな連中とは一緒にいたくない。俺は屠畜場の仕事に誇りを持っている。世の中きれいな仕事ばかりじゃない。俺の仕事はこの社会を支える大事なものなのだ。
「分かった。もう好きにするといい。」
俺はそう告げると店を後にした。
「佐久間さん……ごめんなさい……」
そう悲しそうに告げる芽衣を振り返ることなく。
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