研修
<アレク>
ハローワークが建てられて一ヶ月後、アカネ町の亜人たちは、それぞれの希望の職場に入り、研修を行っていた。
アカネさんが言うには、一ヶ月は見習い期間だから上司が付きっきりで面倒見てあげなきゃ駄目だよ。あとお給料はケチらずちゃんと出すこと。訴えられたら怖いからね…らしい。俺からすれば、新人は勝手に育つのを待って、駄目なら潰れて終わりだ。そして技術が身につくまで、無給で十分だと思うのだ。
それにアカネさんを訴える奴がいるようなら、全員俺が叩き切ってやるだけだ。
そこまで他人のことを大切に思ってくれるアカネさんは、命に変えても守らなければいけない存在だ。万一悪漢の魔の手が迫った時には、奴等とアカネさんの間に俺が割って入って…。
「アレク、走ってる最中に考え事とは、キミも余裕だね」
せっかくいい場面だったというのに、フィーが横槍を入れてきた。どうせコイツは俺が何を考えていたか、お見通しに違いない。だからこのタイミングで邪魔をしたのだ。
「うるさいな。研修講師はちゃんと務めてるから別にいいだろ」
今の俺たちはアカネ町の軍事部門の研修講師として、研修生である亜人たちの先頭を一定の速度で走っていた。コースはアカネ町の中央大通りを北と南の端から端までだ。
「そんなこと言ってると、また脱落者が出るよ?」
「確かに最初の三日は酷かったけどな。今では鼻歌交じりに走り切る奴も結構出てきたし平気だろう」
最初は本当に酷かった。重りなしの軽装でゆっくり走っているにも関わらず、一往復も出来ずにコース途中で次々と脱落者が出てしまった。しかしそこからが公共職業安定所で道を示された亜人のすごいところだった。
「アレク隊長! その通りです! 俺はまだまだ行けますよ!」
俺のすぐ後ろを走っている犬族の青年が、やる気に満ち溢れた表情で話しかけてきた。彼は一番最初にコースを走りきった研修生なので、きっと走るのは好きなのだろう。
このように他の研究生たちも、瞬く間に適応していき、一週間を過ぎればある程度の重りを背負いながらも、一人も脱落することなく、長距離マラソンコースを走りきってしまったのだ。
「おう、よく言ったな。追加でお前だけ重りを増やしてやる。どうだ。嬉しいか?」
「ひえええっ! かっ勘弁して下さいよ! アレク隊長!」
既に背中に三十キロ以上の重りを背負って、町中の中央通りを軽快に走る俺たちに、他の職業で研修を行っている亜人たちが声援を送ってくれる。何気にアカネ町の軍事部門は花形職業だ。
アカネさんの住む聖域のちょうど手前に、亜人たちの町があるのだ。つまりこの場所こそが彼女に迫る敵の水際の防衛ラインである。今現在も少しずつではあるが、魔の森の中間地点で聖王国寄りに作られたアカネ町を、東西に拡張している。
完成予想図は聖域をすっぽりと囲む、ドーナツ型の都市になるようだ。もちろん亜人の各族長と俺たち五人、そしてメイドたちは了承済みだ。知らないのはアカネさんだけである。
「ちくしょう! オイラも軍事部門に入りたかったなー!」
ホビット族の少年が屋外でメイドさんから細工の研修を受けながら、俺たちのほうを羨ましそうな顔で眺めている。
彼ら亜人にとっては、女神アカネ様に迫るあらゆる敵を退ける軍事部門には、並々ならぬ執着があるようだが、そうそう譲ってやるわけにはいかない。その役は俺が果たすからだ。
「アレク、キミだけじゃなくて僕もいることを忘れないでよ」
隣のフィーが何か言っているようだが、今の俺には聞こえない。ともかく軍事部門は希望人数が多すぎたため、急きょメイドさんの適正審査を受けて、管理可能限界数のギリギリまで人数を削り、結果今回のような精鋭部隊となってしまった。それでも、八千人のうちの千人が軍人になったので、いささか過剰すぎると思うが。
「どうやら全く聞こえていないようだね。やれやれ、他の皆はちゃんとやってるのかな?」
フィーが重りを背負って走りながらも、俺の反応に呆れて器用に肩をすくめる。他の皆というのは言うまでもなく、ロレッタ、レオナ、サンドラの三名の担当部隊である。
ちなみに俺の部隊が近接部隊、主に接近戦を主体して最前線で戦う部隊だ。
そしてフィーの部隊が遠距離部隊、主に遠距離戦を主体として俺の後ろで援護する部隊だ。どちらも戦場の鍵を握るものの、戦況に応じて目まぐるしく移動せざるを得ないため、体力作りは必須であった。
<ロレッタ>
わたくしは今、仮設テントで他のメイドさんと一緒に、亜人たちの研修講師をしているのですが、選び抜かれただけあって、なかなかに皆さん物覚えがいいですわ。
今も魔物の体の構造を理解させるために、ちょっとその辺で捕らえてきたブラックボアを、生きたまま解体させているのですが、皆真剣な表情ですもの。
わたくしがアカネさんに連れられて来たばかりの頃は、小さな虫にもビクついていたのが懐かしいですわ。
「ロレッタ隊長! 解体終了しました!」
「はい、ご苦労さまですわ。それでは、回復魔法の練習を行ってください」
流石にブラックボアは魔物だけあって強靭な生命力ですわね。何処をどう攻撃すれば効果的に倒せるのかを教えるために、拘束の魔法で動けなくしたまま、亜人の若い女性たちが少しずつバラして、魔物の構造を覚えているのですが、まだ辛うじて生きています。
全員の解体と回復魔法が終わるまでは研修に付き合ってもらいますから、簡単に死んでは困りますわ。
「回復魔法をかけ終わりましたら、次は別の人が解体を行うのですわ。全員ブラックボアの構造を、頭の中に叩き込んでおくのですわよ」
「はい! ロレッタ隊長!」
わたくしの担当するのは支援部隊ですわ。役割は主に補給と衛生なので、他の四人の部隊と比べると地味です。
しかしアカネさんが言うには、戦場でもっとも大切な役目を果たす部隊だよ。腹が減っては戦は出来ぬと言ってね…と、教わりましたわ。
本当に、ただ敵陣に突っ込んで敵を蹴散らすだけでは立ち行かないのだと、ここに来てはじめて知りましたわ。
部隊の亜人の皆もわたくしからアカネさんの言葉を伝えたら、もう大興奮で自分の役割に誇りが持てて、研修にも毎日気合が入っているようで何よりですわ。
しかし他の国々がこの部隊の大切さに気づくのは、一体いつになるのでしょうね。
<レオナ>
私は今、サンドラの部隊と一緒にアカネ町の外に広がる広域魔法用の演習場に来ている。
小高い丘の上に立ち見据える先には、平原の地面の土をそのまま固めたような四角や丸などの色々な形の家の集まりと、それの四方を囲む土色の分厚い壁があった。
私は他の仲間のようにそこまで喋るわけではないので、部隊との意思疎通には少し苦労したけど、一ヶ月も過ぎた頃にはかなり慣れてきた。主に部下のほうがだが。
「レオナ隊長! サンドラ隊長から連絡が入りました! 全構築部隊の撤退が完了したとのことです!」
まだ二十歳少し前ぐらいの年齢に見えるエルフの男性が、私の背後に整列している魔法使いのローブとロッドを装備した部隊の中から、一人小走りに駆け寄ってきて、キビキビとした動作で敬礼し、隊長の私に指示を仰いでくる。
それに対する私の命令は単純だ。魔力こそパワーなのだ。
「んっ…魔法部隊、敵陣地に攻撃開始」
私の声をそっくりそのまま青年のエルフが後ろの部隊に向かって叫ぶ。瞬間、背後でロッドを構えていた魔法部隊から、炎や氷や雷などの様々な属性魔法が、サンドラの部隊が築いた陣地に無詠唱で降り注ぐ。
「なかなか壊れない。前よりも固い?」
サンドラの構築部隊が築き上げた陣地は、どうやらかなりの固さを誇っているようだ。実際、多少不格好でも見た目よりも性能を重視したほうが強いに決まっている。これは攻め方を変えるべきだろう。
「全魔法部隊攻撃中止。大魔法での攻撃に切り替える」
例の青年エルフが私の声を皆に伝えると、属性魔法の雨あられはピタリと止まる。そして辺りの空気が何処となく重苦しく変わった頃、私は次の指示を出す。
「敵陣地に攻撃再開」
そして青年エルフが敵陣地に攻撃再開!…と、叫ぶように伝える。すると次の瞬間天を切り裂くような轟音と共に、巨大な火球が天から降り注いだり、雷雲もないのに凄まじい雷が直上から敵陣地に直撃し、まるで大木を何本も束ねて先端を鋭利に削ったような氷柱がすごい速さで突っ込んでいく等、そんなデタラメな規模の魔法が百を越える数も一気に陣地を襲ったのだ。
もはやいくら強度を高めようとも、ひとたまりもなく破壊し尽くされてしまう。
「レオナ隊長! 敵陣地の破壊! 完了しました!」
「んっ…ご苦労さま。以上で作戦完了とし、全魔法部隊撤収準備」
青年エルフの復唱をぼんやりと聞きながら、今回は少し時間がかかったと小声で呟き、私が出れれば早いんだけどとも考えてしまう。しかし研修講師として研修生の部隊を育てるために、私もサンドラも指導に徹しているのだ。
そんな中で今回の訓練を行い、構築部隊はメキメキと実力を上げているのを実感した。
「レオナ隊長! 全魔法部隊の撤退準備が完了しました!」
「撤退開始」
青年エルフの復唱の声を聞きながら、私も負けていられないと壊れた陣地を見つめながら、自分の魔法部隊を育てるべく決意を新たにするのだった。
<アカネ>
一ヶ月の研修期間が終了して、さらに半年ほど経過した頃、
いつもの会議室で、これまたいつものメンバーが椅子に腰かけ、アルファの呼び出しを受けたアタシは、今回もいつもの定期報告だろうと気楽に構え、基本的には右から左に適当に聞き流そうと思っていた。
「ご主人様、問題が起きました」
「えっ? 冗談だよね?」
「いえ、本当です」
容赦のないアルファの一言で、アタシは瞬く間に完全に沈黙する。確か五人の子供たちでも解決が難しい場合は、自分が出張る予定だったけど、いつの間にそんなに深刻な事態になったのだろうか。まさか、強大な敵でも攻めて来たのだろうか。
アタシは緊張しながら彼女の次の言葉を静かに待つ。
「アカネ町に物が溢れすぎてしまっています」
「うん…うん? えっ? 何それは?」
つまりどういう状態なのだろうか。脳みそが少ないアタシの頭では理解しきれないので、賢い筆頭メイド続きを促す。
「ご主人様にもわかるように言いますと、研修期間前までは屋敷からアカネ町に、必要な分を必要な量だけ物を流していました」
確かに研修期間前まではアカネ町の亜人さんがたくさん物を消費してくれたおかげで、屋敷の倉庫がほんの少しだけスッキリした気がする。あくまで気がするだけかもしれないけど。アイテムボックスの物が多すぎて、全然減ってる気がしないんだよね。
「しかし、研修中から彼ら自身も生産活動を開始したため、屋敷からの物の流れが変化しました」
メイドさんたちが綿密に調整してるからね。生活必需品は急には変わらないと思うけど、どの辺りが変わったのかな?
「最初は各職業に必要な物資の提供からはじまり、しばらくするとその流れにも変化が起こりました」
最初は研修生に必要な機材を提供するのはわかるよ。職場にないと困るものは、意外と多いからね。
「研修期間中はそこまで問題なかったのですが、終了すると同時に徐々に歪みが大きくなってきました」
いよいよ核心に迫る。子供たちにも解決が難しい問題とは何だろう。アタシに何とか出来るのかな。強大な敵だったら、殴って黙らせられるから楽だけど。今回は違うっぽいしなかなか難しい。
「研修後に亜人たちが作った物品が急激に増えすぎたため、アカネ町だけで消費することが困難になりました」
「そいつはやべーや!」
そこからアルファに聞いたことは、研修中は皆大人しくしていたのだが、いよいよ自分たちが前面に出てアカネ様のお役に立てると思い、全町人が全力全開でハッスルしてしまい、寝る間も惜しんで仕事をしてしまった。とても楽しかったらしい。
「アルファ、あとで亜人の皆に休憩と睡眠はしっかり取るように、それとなく伝えておいてよ」
「はい、それでご主人様。対策はどのように致しましょうか?」
何なら毎日十時間以上寝てもいいのだ。アタシなら余裕である。しかし、対策と言われてもなかなか思い浮かばない。増えすぎた野菜は潰して畑の土に戻すと聞いたことがあるけど。何となく嫌だったので、今回は別のプランで行くことにする。
「よし、プランBで行こう」
「ご主人様、プランBとは?」
「アカネ町だけで消費出来ないなら、他に売りつけるよ」
我ながら単純な作戦だけど、アタシの頭ではこれが精一杯なのだ。そんな中で、アルファが作戦に異議を申し立ててきた。
「ご主人様、アカネ町の余った物品を集めて処分したほうが楽なのでは? 最悪他国と揉めることになりますよ?」
「ああうん、簡単で楽なのはそっちなんだけどね。でも…」
「でも、なんでしょうか。何か理由があるのですか?」
アルファだけでなく、他のメイドさんと子供たちが自分の次の言葉を待っている。はっきり言えばこれはただの我儘である。取りあえず皆に昔のことなんだけどと、小さな声で断りをいれてから、アタシは重い口をゆっくりと開く。
「アタシが今よりもっと小さかった頃に、あるヤギのぬいぐるみを持ってたんだけどね。ちなみに名前はヤギなのにロバって付けてたよ。それで、寝る時も何処に行く時も、アタシとロバは常に一緒だったんだよ」
皆がアタシの過去の話を真剣に聞いている。そう言えば昔のことって、メイドさんにも子供たちにも殆ど話したことはなかったなと、今さらながらに思い至る。
「それでも何年かすると、ロバもアタシの汗やら唾液やらで汚れるわ。あちこち剥がれたり破れたりでかなりボロボロになってきてね。ある日アタシが学校から帰ってくると、ロバの姿が何処にもなくなってたんだよ」
ロバは目が片方取れたり口が裂けたり、頭部の毛が殆ど抜けたりと、かなり酷い状態だった。それでもアタシは大好きだったんだけどね。
「その代わりに別のぬいぐるみがアタシの部屋に置いてあってね。急いで両親に問い詰めたら、汚れて傷んだロバを捨てて新しく同じヤギのぬいぐるみを買ったから、今日からその子を可愛がりなさいと言われたんだよ」
あの時は悲しかったな。ずっと一緒にいた友だちが、ある日突然消えてしまったぐらいの喪失感を感じてしまったよ。
「きっとボロボロのロバを抱いたままアタシにあちこち出歩かれると、世間的に見栄えが悪かったんだろうね。そのあと両親に散々ロバを返してと駄々をこねたけど、結局戻って来なかったよ。はい、これでアタシの山も谷もない過去の話は終わり」
今回のことも完全にアタシの我儘なのだ。皆には迷惑をかけることになるだろう。ちなみに新しいヤギのぬいぐるみはちゃんと大切にしたよ。自分勝手な理由で冷たくすると、新しい子も両親も可哀想だしね。ぬいぐるみに罪はないのだ。
「そういったことがあったせいなのかな。アタシは何かを捨てる選択肢は選びたくないの。もしどうしても手放さなければいけないなら、その前に他の誰かに託したい。まあこれも結局、全部自分の我儘なんだけどね」
ぶっちゃけてやった。もしこれで反対されるようなら、素直に処分案に変更しよう。あくまでもアタシは動かない。彼女たちに丸投げするだけなのだから。
「では、他国との貿易の検討に入ります」
「えっ? いいの? さっき処分のほうが楽だって言ってたよね? アルファたちが無駄に苦労することになるよ?」
さっきは反対っぽかったのに、急に賛成に回るのはおかしい。アタシは何故か嬉しそうに笑っているアルファに質問を投げかける。
「そうですね。一つだけ理由をあげるのであれば、何かを捨てる選択肢は選びたくない。そのご主人様の決意に賛同し、私たちメイドはより一層の忠節を尽くすことを誓います」
気づくとアルファがアタシの目の前に跪いていた。いや、アルファだけではなく、他のメイドたちや、何故か子供たちも同様だった。一体何が起こったのかまるでわからない。
アタシとしては、実は昔こんなことがあってさー…というぐらいの過去話のはずだった。
「ちょっ…ちょっと! 皆! 顔をあげて! 何これ! …何!?」
しばらくの間、アタシだけがアタフタと混乱してしまう。そのまま数分程時間が流れ、皆は自然に姿勢を正したようで、ホッと胸を撫で下ろす。
立ち上がったアルファがコホンと一息吐き、仕切り直して先程の話を続ける。
「ご主人様、それで他国との貿易なのですが、現状でもっとも波風が立たない国は、連合都市となります」
「理由は?」
「聖王国は亜人との仲は最悪で、選択の余地さえありません。帝国は表面的には穏やかですが、国ですら奴隷狩りを押さえきれていません。魔王国は亜人の地位は他と比べて高いですが、アカネ町に支配下に入ることを要求されるでしょう」
三者三様でも、結局は全部駄目のようだ。残る連合都市は違うのかな?
「連合都市も奴隷狩りはいますが、こちらは利益さえ提示すれば何もしてこないでしょう」
「国が押さえてくれるの?」
「いえ、連合都市は正確には国ではありません。商人たちが主導する大都市が一つに集まり、連合都市となっているのです」
なるほど、商売人は利益には敏感って言うからね。奴隷として捕まえるより、普通に取引したほうが得だってわかれば、関係を維持してくれるのかな。故郷にあったヨーロッパ系の国々の集まりみたいなものかしら。
「アカネ町からもたらされる利益が大きければ大きい程、自国だけでなく他国からの奴隷狩りや、様々な妨害工作からも守ってくれるでしょう。もっとも、自分たちの縄張りを荒らされるにも等しい行為なので、守るのは当然といえば当然なのですが」
大体理解出来た気がする。ようは相手に得だと思わせればいいということか。とはいえあんまり難しく考えることはなく、普通に貿易してればいい気がするね。
「問題は輸送手段なのですが、アカネ町は連合都市とは交易路がなく、また距離もかなり離れており、街道を作ろうにも魔物の襲撃が…」
「それじゃ、地下鉄を掘ろうか」
「地下鉄…ですか?」
アタシはアルファや皆に、地下鉄について大雑把に説明を行う。一応トンネルを掘るまではやるけど、細かい調整は全てお任せだ。彼女たちが優秀なのは知っているので、きっと悪いようにはならないだろう。
<連合都市ペッパーの冒険者 ダミアン>
連合都市の西の町、ペッパーの冒険者ギルドで、馴染みの受付嬢から教えられた情報に、正直に言うと俺は戸惑っていた。かなり長く冒険者をやっているが、そんな情報は今まで聞いたことがなかったのだ。
「すまんが、もう一度言ってくれるか?」
「はい、連合都市と魔の森が隣接する境界線の辺りに、昨日新しいダンジョンが出現しました。ダミアンさんにはその調査をお願いしたいのです」
やはり先程聞いた言葉と全く同じだった。俺はカウンターに肩肘をつきながら、思わず頭を抱えて、メイド服を着た馴染みのギルド受付嬢に質問をする。
「新しいダンジョンが、一日で現れることなんてあるのか?」
「可能性はあります。魔法でダンジョンの出入り口を増やしたり、大きな穴を掘る魔物が地上に出現する等です」
その可能性は想像するだけで恐ろしい。しかし、逆に言えば、未探索のダンジョンでお宝を手に入れるチャンスでもあるということだ。リスクを取るかリターンを取るか。
「なるほどな。中が魔物の巣になっている可能性もあるってことか」
「いえ、その可能性はありません」
「んっ? 新しいダンジョンは魔物の巣ではないのか?」
「あっ…いえ、…それは。調査が終わるまでは、わかりません」
何だかいつもの受付嬢らしくないシドロモドロな返答だ。まるで新しいダンジョンの何かを知っているかのような。しかし困った顔もまた可愛いく、メイド服も相変わらずよく似合っている。
どちらにせよ、確実な情報を手に入れるには、現場に行ってみるしかないのだ。俺はこの依頼を受けることにした。
「わかった。調査依頼を受けよう。何しろ入り口を遠くから確認するだけでも、銀貨が手に入るしな」
破格の依頼報酬だ。他の誰かが受ける前に、俺が達成しておいて損はない。何より新人時代から世話になっている、目の前の美人の受付嬢の頼みは断れない。
「ありがとうございます。それではダミアンさん、新ダンジョンの調査依頼を、こちらのほうで受注しておきます」
ペコリとお辞儀を返す彼女はいつ見ても美しい女性だ。狙っている奴は俺以外にも山ほどいて、毎日のように口説かれてはいるが、その誰にも色よい返事は返さない。
さらには俺がいないときにとある有名冒険者に誘われ、いつものように冷たく断ったら、その有名冒険者が逆上して襲いかかってきた。だが受付嬢は軽くあしらい、即刻ギルドの外に放り出したらしい。
一部の奴はその件でギルドの受付嬢から距離を取ったが、大半の奴等は逆に燃え上がった。もちろん俺もその一人というわけだ。
「ああ、いい報告を期待していてくれ」
俺は親指を立てて歯を見せて笑いかけるが、受付嬢はいつもの微笑を崩さない。本当に身持ちの固い女性だなと思った。思えば、俺が冒険者になった頃から、ずっと受付嬢をやっている気がするが、女性に年の話は聞いてはいけないことを思い出し、すぐに頭の中から追い出す。今はとにかく現場に行かなければ、その状況を見て今後の対応を考えるのだ。
魔の森の境界線まで徒歩でもたったのニ時間ほどだ。連合都市のなかでもっとも魔の森に近いだけはある。幸いなことに森の中の高レベルな魔物は平野には出てこないので、一応の身の安全は確保出来るため、俺はやや離れた草の陰に伏せて、目の前の様子を伺っていた。
「新しいダンジョンの入り口だったんじゃないのか?」
そこに確かにダンジョンがあった。しかしそれは、今まで俺が見てきたどのダンジョンとも似ても似つかない奇妙なものだった。
何やら白い石のような素材で、入り口の壁が固められているのはまだいい。その天井付近には、ペッパー駅と大きく書かれた板が埋め込まれており、その真下の草原の地面には、頑丈な鉱石で作られた長い板が規則正しく敷き詰められていた。さらにはダンジョンの横幅と縦幅が以上に広く、大型馬車が何台も並んだとしても、余裕で通れるぐらいだ。
「こっ…こいつは一体何なんだ?」
俺は思わず身を乗り出して、ペッパー駅と書かれたダンジョンの入り口に、一歩、二歩と慎重に近づいていき注意して中を覗き込む。
奥は暗くて見えないが、遠くから小さくガタンゴトンという謎の音が近づいてきた。
「何だこの音は、まさか! 魔物か!」
長年の勘で一気に警戒レベルを引き上げて、ダンジョンから離れようとするが、その音はあっという間に距離を縮めて、地上にまで大きく響いてくる。
「不味いな! 間に合うか!」
俺はきびすを返してダンジョンの入り口から逃げようとする直前、奥に光る正体不明の巨大な魔物の二つの目を見て、恐怖のために思わず体を強張らせてしまう。
「はっ…! しっ…しまった!」
それは冒険者としては致命的な隙だった。しかし一瞬の油断で命を失うのは、冒険者としてはよくあることなのだ。気づけば巨大な魔物はすぐ目の前まで近づいており、キキキーッ! という奇妙な鳴き声を発し、俺を威嚇してくる。戦わなくてもわかる。こんな化物に勝てるわけがないのだ。
「こっ…ここまでか…! 短い人生だった…!」
しかし、巨大な魔物は目の前で動きを止めたまま、襲いかかってこない。やがて二つの目の光まで消えて、声も出さずにじっとこちらを見つめるだけだ。
俺が不審に思っていると、何故か怪物の中から聞こえるはずもない二人の女の子の声がした。
「もうっ、レオナは飛ばし過ぎですわ! 危うく人を轢くところでしたのよ!」
「試運転のうちに魔列車の性能限界を知っておかなければいけない。それに遅いより速いほうが断然いい。なので私は悪くない」
やがて目の前の化物からガヤガヤという賑やかな声が聞こえて、絢爛豪華な装備で身を固めた五人の子供が魔物の横腹から出てきて、俺に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。
「すまない! まさか入り口に人がいるとは思わなかったんだ。でも無事でよかった」
大きな布袋を背負った赤髪の子供が、こちらに向かって深々と頭を下げる。どういうことだ。巨大な鉱物の芋虫は魔物ではないのか? 俺の疑問が伝わったのか、目の前の子供が答えてくれた。
「ん? ああ、これが気になるのか? コイツは魔物じゃない。魔力で動く魔列車で、今は慣らし運転中だ。まあ、人が操るゴーレムの亜種だと思ってくれればいい」
赤毛の子供が片手で動きを止めたゴーレムをコンコンと叩いて、コイツは安全だと教えてくれる。その行動に安心して、ようやく俺は大きく息を吐いた。取りあえず彼らが何者かは知らないが、先にこちらの情報を教えておくことにする。
「ああ、助かったよ。危うく食われるかと思ってたところだ。俺はダミアン。ペッパーの町のCランク冒険者だ」
肩をすくめる冗談交じりに自己紹介を行う。まあ、食われるかと思ったのは本当のことだが。その行動に小さく笑いながら、赤毛の子供も同じく自己紹介を行う。
「それはすまないことをしたな。俺はアレク、そして順にフィー、ロレッタ、レオナ、サンドラだ。先程ペッパーの町の冒険者と言ったが、実は俺たちはそこの冒険者ギルドに用があるんだ。もしよかったら、案内してもらえないか? もちろん報酬は出す。何なら先払いで何枚か渡してもいい」
アレクという子供は背負った布袋の中をさばくり銀貨を取り出すと、数枚程ちらつかせて、俺に対して交渉を持ちかけてきた。これ程の装備と、正体不明の巨大なゴーレムを操るのだ。逆らってもいいことはないだろう。何より報酬が魅力的だ。
「わかった。アレクたちを冒険者ギルドに案内しよう。しかし、報酬はいらないから、そのゴーレムとダンジョンについて教えてくれないか?」
俺がそう答えると、アレクは軽く笑いながら、こちらの手を持ち強引に銀貨を渡した。一応受け取らないように手を引いて抵抗したものの、微動だにしなかった。子供のくせに凄まじい力を持っているようだ。
「そんなに警戒しなくてもいい。報酬はきちんと渡すし、ゴーレムやダンジョンのことも、喋れる範囲なら教えるからな」
こんな怪しい五人組を信じろというほうが難しいが、目の前の冒険者一人ぐらい、どうとでも料理できるということを強制的に理解させられ、俺は小さくわかった…と漏らし、コクリと頷くしかなかった。
その様子を満足そうに見つめ、アレクは続きを話した。
「それでダミアン、ペッパーの町まではここからどのぐらいかかるんだ?」
「あっ…ああ、ここからなら東に歩いて二時間程だ」
「遅い。時間の無駄。周囲に結界を張って、転移で飛ぶ」
「…えっ?」
俺が疑問の声を発するのと周囲の景色が歪むのは、ほぼ同時だった。
そして視界が元に戻ったとき、見慣れたペッパーの町を囲む石壁の門前に、五人の子供と一緒に立っていることに気づいた。
だがこちらが混乱から立ち直る前に、門番をしている顔なじみの男が、驚いたように声をかけてきた。
「だっダミアンさん! そっそれにその子供たちは!? 一体何処から!?」
「あっああ、話せば長くなるが…いや、短いのか? まあどっちでもいい。とにかく緊急の用なんだ。悪いが今すぐ冒険者ギルドに行かなきゃならん。もちろん通してくれるな?」
知り合いの門番はしばらくの間、俺と五人の子供たちとを交互に視線を彷徨わせていたが、やがて決心したようにゴクリをツバを飲み込むと、わかりました。どうぞお通りくださいと言い、俺たちを通してくれた。
彼らが何者なのかは知らないが、これはペッパーの町がはじまって以来の大事件になるぞと、そんな確信めいた予感をヒシヒシと感じて、俺は冒険者ギルドへの案内を急ぐのだった。
女神アカネ様は、御自分を守るために五人の使徒たちに軍を任せた。
一つはアレクの率いる近接部隊、剣や槍、斧や刀といった魔法の込められた武器を振るい、敵を切り伏せる。
一つはフィーの率いる遠距離部隊、魔法の弓を構えて、遠くの敵を寸分違わず、百発百中で撃ち抜く。
一つはロレッタの率いる支援部隊、兵士の傷を癒やし、戦場や周囲の索敵に特化し、補給物資の手配を行う。
一つはレオナの率いる魔法部隊、数多の魔法を唱え、敵を消し炭に変え、戦況を変える切り札にもなり得る。
一つはサンドラの率いる構築部隊、決して壊れぬ拠点を築き、あらゆる敵の進軍を阻む。
これら五つの部隊は、女神に仇なす存在を決して許さないだろう。
アカネ聖国記より抜粋。
女神アカネが作った五つの部隊は、現在の軍の編成にも一部取り入れられ程、合理性が高い。特に支援部隊と構築部隊は、この時代にはじめて登用したのがアカネ聖国である。
当時は補給や陣地構築の重要性は理解されておらず、主に突撃や魔法による敵の殲滅こそ、戦いにおいてはもっとも重要であるという考えが主流であった。