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職業

<アカネ>

 例の集会所の話を強引に打ち切り、黒い太陽に吸い込まれるように自室に直接転移したアタシは、漆黒のドレスを適当に脱ぎ散らかして下着姿になると、そのままベッドに逃げるように潜り込んだ。

 あんなに大勢の人を前に話したのははじめて…ではなく、魔王となったときに三日だけ経験したような気もするけど、二百年以上も昔のことなので、殆ど覚えていない。


「怖かった…怖かったよ…!」


 長期間に渡る引き篭もり生活継続中のアタシは、見知らぬ大勢の人と対面した時、緊張してまともに話せなくなってしまった。

 今の自分を他人が見れば、高級羽毛布団をギュッと頭からかぶり、ベッドの上で小さく体が震わせるかか弱い女の子としか思えないだろう。

 もはや八千人を前に自分が何を話したのかすら、頭が真っ白になって何も思い出せないぐらいに狼狽してしまっている。


「ぐぬぬっ…! アルファー! アルファはおらぬかーっ!」

「お呼びですか、ご主人様」


 今回の元凶と思われる筆頭メイドのアルファを布団にくるまった状態で呼ぶと、何処で聞き耳をたてていたのか、扉も開けずに転移で即座にアタシの目の前に現れ、優雅に一礼を行う。

 そんないつも通りの彼女に、アタシは布団の先から頭だけをぴょこっと出して、枕にポフリとアゴを乗せ、半泣きのままプンスカ怒りながら口を開く。


「全然違ったよ!」

「何がでしょうか?」

「仕事ぶりを見学しに行くからって、上司的な立場で皆が恥をかかないように用意されたドレスで着飾ったまではよかったけど。はじめましてアカネです。いつも子供たちやメイドたちがお世話になっています。おほほ、ではアタシはこれで…って、無難に終わらせようとしたアタシが馬鹿みたいだよ!」


 目の前の筆頭メイドにアタシは当初の計画を一気にまくしたてたが、聞かされている彼女は涼しい顔を崩さない。


「いいえ、今回の結果は当然のものです」

「当然? ひどいよ! 何あの狂信者ぶりは? アタシは皆に信仰されるような素晴らしい女神じゃないのに! もういいよ! アタシ、ふて寝する!」


 そう言い放ってアタシはスポッと頭を引っ込めて思いっきり布団をかぶるが、アルファは目の前に立ったまま微動だにしない。

 しばらく時間が過ぎても変化がなかったため、ふて寝を急きょ中止し、また高級羽毛布団の先っぽからモゾモゾと顔を覗かせる。


「それはそれとして、何なのアレは? アタシへの好感度というか、信仰度が高すぎない?」

「亜人はどの国でも迫害を受ける程、弱い立場に立たされています。そこに生き別れの家族や仲間を残らず呼び寄せ、外敵に脅かされない自分たちだけの町を与えられ、食料や生活必需品を善意で無料で提供をしてくれる女性が現われたら、ご主人様はどう思いますか?」

「その女性の頭が心配になるよ」


 布団にくるまっているアタシに対して、アルファから可哀想な子を見るような視線を受ける。そのまま彼女はゆっくりとベッドに近づき腰を下ろすと、僅かに覗く頭を優しく撫でてくる。


「つまりは、亜人たちにとってはその女性こそが、ご主人様ということです。信仰の対象となるのも無理はありません」

「それはおかしいよ。普通は裏があるんじゃないかと疑うでしょう? 何でアタシのことを無条件に信じてるの? そんなんじゃ悪い人に騙されちゃうよ」


 アルファがアタシを撫でていた手を離して、自分のこめかみを押さえる。頭痛でもするのかな? やはり彼女たちメイドを働かせすぎたのか。ご主人様権限で強制的でも休日を入れたほうがいいのかもしれない。


「もちろん亜人たちも最初は疑っていたでしょう。善意の施しなど信じられない。自分たちを助けるからには、助けるに足る理由が必ずあるはずだと」

「まあそれが普通だよね。それならアタシを女神として信仰しようなんて絶対思わないだろうしね」


 このまま疑っていれば、アタシが出ていく必要はなかったのだ。どうしてこんな事態になってしまったのだろうか。何処で筋書きが狂ったのか。まさか最初からとかないよね?


「しかし、来る日も来る日も無償の施しのみを行い、何も要求してこないご主人様に対して、亜人たちは不安に駆られました」

「いやいや、働かずに食べるご飯は美味しいよ?」


 施しの飯だろうと労働の飯だろうと、美味いものの美味いのだ。アタシもごろ寝しながらメイドさんに作ってもらう食事を、毎食楽しみにしているしね。


「いいですかご主人様。亜人たちは今まで、非常に過酷な環境で生きてきました。それこそ毎日が生きるか死ぬかです。そこには誰の助けもなく、人間以外の同族にさえ見捨てられ、神に何度必死に祈ろうとも彼らの状況は何も変わりません」


 思った以上に苦労してたんだね。亜人さんたちが少しだけ可哀想になる。一方アタシはフカフカの高級羽毛布団にくるまりながら、筆頭メイドの説明をフムフムと聞いているだけだ。


「そんな時に亜人たちを先程言った絶望的な状況から救い出すだけでなく、部下に任せて無償の施しを与え続けるだけで、一向に姿を見せない謎の人物。それが神の奇跡のような登場の仕方で、突然町人たちの前に現われた」


 何となく察してしまったけど、今ならまだ神を自称する偽物の可能性が残ってる? もう駄目? スリーアウト? ゲームセット?


「ご主人様が会場に現われた時点で、亜人たちは完全に女神だと思い込みました。間違いありません」

「ぐぬぬ…でもまだ、自称神で終わる可能性が…」


 かなり苦しいものの、必死に抵抗を続ける。アタシは女神ではなく普通の人間だよ。クリーンだよ。


「残念ですが、自称神は女神へと昇華しました」

「そんなの嘘だよ! 嘘だーっ!」


 ベッドの上をゴロゴロと転がって事実を否定するアタシだけど、アルファの無情な言葉が逃げ道を塞いでいく。


「ご主人様は皆には何も望まないと言いました。そしてこれからも見返りを求めずに、支援を続けると約束しました」

「確かにそう言ったけど、何も見返りを求めないなんて嘘くさいから、逆に信用出来ないよ!」


 相手のいい所、つまり善意しか見せないのは詐欺の常套手段だ。嘘くさすぎるのだ。アタシなんかに騙されちゃ駄目だよ! 頑張って! 亜人の皆!


「しかし、最後にご主人様は一つだけ彼らに要求しましたが、覚えていますか?」

「ええと…何だっけ? 最後のほうはもう、頭の中がシッチャカメッチャカで」

「皆それぞれの人生を後悔せずに生き抜くこと…です」

「ああ、何かそんなことを言ったような。うん、確かにそう言ったよ」


 だんだん思い出してきた。しかしそれの何処が不味かったのだろうか。お金を寄越せとか、働けとか、具体的な要求ではなく、かなりいい加減で適当な望みである。


「亜人たちはこう思ったでしょう。今まで自分たちが生きてきたのは、全ては今日この場所で女神アカネ様に出会うためだったのだと」

「えっ? ええっ? どうしてそうなるの? 意味がわからないんだけど!」

「ご主人様の望みは、これからの人生を幸せに生きられますようにと、祝福したのと同じです。それを女神アカネ様から皆にはっきりと伝えました」


 あれ? もしかしてアタシ、やっちゃった? 目線だけを恐る恐るアルファに真っ直ぐ向けると、彼女は肯定するように軽く頷く。


「はい、この発言で自称神から、ご主人様は亜人たちの中では女神確定です。もはやどれだけ足掻いても、評価は覆りません。おめでとうございます」

「うわあああああああーっ!!!」


 ぴょこんと出していた頭を、またも布団の中に素早く引っ込ませると、ゴロゴロと寝返りを打つ。いくら二百年以上生きてメンタルが頑丈になっていても、色んな要因で心の天秤から溢れると、一時的に発狂状態にはなるようだ。もっとも、回復速度もかなり早いけど。


「はぁ…はぁ…アルファ、もちろん救いはあるんだよね?」

「ご主人様に限っては、ありません。諦めて女神信仰を受け入れてください」


 アタシは心の中で歯ぎしりをする。こういうときは逆に考えよう。女神と崇められてもいいやと考えるのだ。どうせ自分が安全な自宅から出てアカネ町に行くことは、もうないだろうしね。そう思うと気持ちが一気に楽になってきた。我ながらメンタルが頑丈に出来ていてよかった。


「うん、アタシのことは好きに信仰してくれればいいよ。アカネ町に行くことはもうないだろうしね」

「そうですね。主導で動いている五人では解決が難しい程の、大きな問題が起こらない限り、ご主人様が直接出向く必要はありません」


 それだと子供たちが手に負えない状態になったら、アタシが出張らないといけないということ? でもそんな厄介な問題なんて、そうそう起きることはないだろう。


「ところで、亜人に各々の道を示すとは、具体的にはどうするつもりですか?」

「んー…ハローワーク」

「ご主人様、ハローワークとは一体どのような…」

「公共の職業安定所だよ。係員さんに希望の職を紹介してもらうんだけど、まあ実際はブラック…。とっ、とにかくそこで亜人さんたちの希望の職業を聞いて、それぞれを訓練所に割り振ろうというプランでお願い。研修で技術が身についたら、亜人さん本人にお店を任せればいいしね。あとは…」


 アタシの適当な説明を、アルファが真剣に受け止め、彼女の中で最適化及び再構成していく。

 今まで彼女に色んな意見を言って、それらが全て実現出来たのは、全てアルファと他のメイドさんのおかげである。アタシは何もしていないのだ。本当に彼女たちには頭が上がらない。


「わかりました。ハローワークは担当のメイドを派遣し、係員の随時増員を行います。子供たちは研修訓練の講師ということで、構いませんか? 各施設の建設も今すぐ行いますので、明日には建築及び編成が終了する予定です」

「ああうん、毎度のことながら、メイドさんたちにお任せするよ。ありがとう。あと、頼りない主でごめんね」


 相変わらずの丸投げっぷりだけど、それで回っていくのだから、問題はないのだ。しかも早くて正確。本当にアルファは優秀なメイドである。アタシのような平凡な人間から、どうしてこんなとんでもないメイドが出来たのだろうか。やはり合成素材がよかったのかな。

 一時的に精神が不安定になっていたのか、アタシが一言お礼と謝罪を言うと、アルファが勿体無いお言葉に感謝致します。私たちメイドには、ご主人様が共に居てくれるだけで、十分な褒美です。

 それではご主人様、お休みなさいませ…そう一礼をし、再び転移魔法を使ったのか淡い光と共に、彼女は寝室から静かに消える。


 ともかくアカネ町は、これで一歩前進である。何だか終わってみれば一歩どころが十歩、いや百歩以上の距離を飛び越えてたような気もするけど、多分気のせいだ。


 そう言えば女神信仰で思い出したけど、聖王国は宗教で国を治めているらしい。確か一神教だったはずだ。そしてこの世界ならば本当に神様がいるかもしれない。

 しかし二百年以上昔に世界中を旅をしたときには、そんな気配は微塵も感じなかったので詳しいことは謎だが、わざわざ国教として祭り上げているのだ、これはほぼ確定で間違いないだろう。

 そして連合都市や帝国、または魔王国にも神様がいるのだろうか。そちらも興味が出てきた。

 もし本物の神様を見つけたら、女神アカネ様という偽神に妄信する亜人たちを改心してもらおう。神様の信者も増え、亜人たちも目が覚めて、アタシも気持ちが軽くなる。誰も損をしないのだ。これはいいアイデアだろう。

 アタシは布団の中でクックックッ…と小悪魔的な悪どい笑みを浮かべる。アカネ町が一段落したら本物の神様に丸投げし、亜人たちのことを全部押しつけてやろうと、そう心に決めたのであった。











<妖精族のスージ>

 アカネ様からの啓示があった次の日、私を含めた八千人の亜人は、町の中央に今朝方建てられたらしい、縦と横に大きく広い四階建てもある巨大な施設の前に集まっていた。


 その建物の名前はハローワークと言うらしい。私たちには名前の意味はわからないけど、町人全員の今後の人生を決めるための重要な施設ということだ。

 使い方は、建物の入り口にいくつか置いてある、食券の道具と似てるけど押しボタンのない道具の口から出てくる、整理券と呼ばれる小さな紙を取り、施設の中か敷地内の何処かで書かれている番号が呼ばれるまで待つ。

 呼ばれたら放送の指示に従って、天井近くに大きく数字が書かれた、担当のメイドさんの元に行く。これだけである。


 そのような内容が施設の壁に張られた大きな板から、アカネ様とメイドさんを可愛らしくデフォルメしたカラフルな登場人物たちが、この施設の使用方向を大きな言葉と文字で、順番に場面を切り替えながらの説明が休むことなく流れているのだ。

 これなら小さな子供やお年寄りでも、そうそう間違えることはないだろう。それでも何かわからないことがあればハローワークの入り口に、胸元にお客様相談係の名札をつけて立っているメイドさんに、直接聞けばいいらしい。


 私もこの先自分の身に起こる期待と不安に小さく震えながら、いくつかの列から一つを選んで最後尾に並び、そのうち自分の番が来たので、透明な羽を羽ばたかせて道具の口まで飛んで、小さな手でえいやっと整理券を引き抜く。番号は3-34だった。

 この場合は最初に3と書かれているので、私は三階のメイドさんが担当するようだ。自分の番が来るまで外で待つか中で待つかを選べるのだけど、少しでも早く確認したかったので、三階の待合スペースを使わせてもらうことにする。


 自分の整理券を大切そうにギュッと握ったまま階段を飛んで三階に行くと、部屋の入り口に縦型で長方形の謎の道具が置いてあった。今回導入されたこれは魔動販売機というらしい。もっとも、アカネ町の住人に限り、販売ではなく無料で使えるようだけど。


 これもアカネ様の映像説明に出てきたので使用方法はわかっている。私は食券の道具よりも多く並んだボタンを迷うことなく押して、最後に妖精サイズを選択する。

 すぐにカコンという何かが落ちる軽い音と、続いて水の流れるような音が聞こえ、最後に終了を告げるピーピーピーという変わった音が鳴り、謎の縦長の道具から私が注文した、紙の容器に注がれた飲み物を取り出す。


 銭湯の入浴後に気に入ってよく飲んでいるフルーツ牛乳だ。妖精サイズの紙の容器に注がれたそれを持ち、近くの空いている席にフワフワと飛んでいき、チビチビと口をつける。すっかり飲み慣れた味だけどとても美味しい。しかもどのような仕組みかはわからないけど、小さく砕いた氷も入っており、緊張で汗ばんだ体がひんやりと冷却されていくように感じる。

 飲み終わった容器を自動販売機の近くの分別容器に入れたところで、放送が流れて、私の番号が呼ばれて、三階のあるメイドさんの元まで来るようにと指示される。


 いよいよ本番だ。アカネ様の説明で何となくは理解しているものの、実際に行ってみないことには半信半疑である。本当に妖精の私なんかが…と思うけど。

 しかし、あの女神アカネ様が私なんかのために一生懸命考えてくれたんだと思うと、途端に勇気が湧いてきて何でも出来そうな気がしてくる。今は女神様を信じよう。そう考えて、私は天井に吊るされた大きく数字の書かれた板を見ながら、自分の担当のメイドの元へとパタパタと飛んで行った。


「まず、貴女の名前と家族構成、性別、種族を教えてもらえますか?」


 胸元に3-4担当と書かれた名札をつけたメイドさんを前に、私は机の上に柔らかな布を敷いてもらい、その上に腰かける。一応椅子はあるものの、人間サイズに近い亜人用なので、妖精の私には使えない。


「はっはい! 名前はスージです! 家族は父母と、あとは妹が一人! 性別は女性! 種族は花妖精です!」


 実は妖精と一括りにされていても実際には細かい種類がある。主に植物に由来するのだが、その中で私は花に近しい妖精だった。しかし名前と性別も聞かれると、説明で理解していたけど、本当に必要なのだろうか? 疑問を浮かべながらも、少し緊張気味にメイドさんの質問に一生懸命答える。途中で父と母と妹の名前も聞かれたので、そちらもはっきりと答えた。


「スージさん、性別は女性…種族は花妖精ですね。緊張する必要はありません。リラックスして受け答えしてくださいね」

「はっ…はい…」


 担当のメイドさんは軽く微笑みながら、私の答えを線引きで区切られた専用の紙に、一つ一つ丁寧に記載していく。どうやら気を使われてしまったようだ。何だか急に恥ずかしく感じてしまった。


「では、次の質問です。経歴を教えてもらえますか? 今までどのような生活を送り、アカネ町に来るまでの経緯です。もちろん言いたくないことは、無理に言わなくても構いません。スージさんが答えられる範囲だけで結構です」

「はっはい、私は帝国の森の生まれで…」


 それから、私はメイドさんに自分の生まれてから、この町に召喚されるまでのことを話して聞かせた。時々彼女のほうから、それ以上は話さなくても構いませんよ。もう少し詳しく聞かせてもらえますか? 等と言葉が入り、そのたびに専用の紙にカリカリという筆を走らせる音を響かせながら、何かを記載していった。


「経歴の説明お疲れ様でした。では次の質問です。貴女の得意なこと、または好きなこと。そして将来希望する職業がありましたら、ご自由に答えてください」

「とっ…得意なことは…ありません。私は花妖精です。小さな体のために力が弱く、さらに魔力も少なく、皆の足を引っ張るばかりです」


 次の質問を聞いて、私は思わずうなだれてしまう。しかし担当のメイドさんは、専用の紙に記載を続けながら、こちらに業務的な質問ではなく優しく言葉を投げかけてくる。


「スージさん、貴女は五人の子供たちを知っていますか?」

「あっ…はい、アカネ様の使徒の方々ですよね。皆さん素晴らしい方ばかりで…」


 彼ら五人はそれぞれ扱う能力が全く異なり、そのどれもが圧倒的であり、まさに女神の使徒の名に恥じない方々だ。私たち亜人がアカネ町で暮らすこととなり、その力に何度お世話になったことか。


「その五人も、最初はただの人間の子供でした」

「ええっ! 噂には聞いていましたけど、本当だったんですか! やっぱりアカネ様の加護か、付きっきりで鍛えたのでしょうか」

「いえ、アカネ様は加護も与えず、殆ど何もしていません。全て子供たちがそれぞれの努力で勝ち取った成果です」


 とても信じられない事実だった。彼らが元は何の力もない人間の子供だと言うことはもちろん、アカネ様が直接手を貸さずに、あれだけの能力を得たということもだ。


「ですので、スージさんも悲観せずに、自分の長所を伸ばすことを止めないでください」

「はっ…はい」


 少しだけ元気が出てきたものの、心の何処かでアカネ様の側で眩しいばかりに輝いている人間の子供の五人と、花妖精の私とは全然違うと感じて、また気持ちが沈んでしまう。

 しかし、そんな私に担当のメイドさんから次にかけられた言葉は、今までで生きてきて、一番嬉しく思えた。


「ご主人様は五人の子供たちにこう告げました。本当に必要なのは体力でも魔力でもなくて働く素質、何も得意なことがないなんてあり得ない…と」

「働く素質…得意なことがないなんてあり得ない…ですか」

「はい、ですのでスージさん。もう一度聞かせてもらいますが、貴女の得意なことは何ですか?」


 そう語りかけ、メイドさんは微笑みながら優しげな視線を向けてくる。私はと言うと、別に悲しくもないのに涙が次から次へと溢れて、止まらなくなってしまう。


「えぐっ…えぐっはっ、はい。私の得意なこと…得意なことは!」


 鼻をすすりながら一生懸命考える。今まで自分が生きてきた中で、何かあるはずだ。何しろ女神アカネ様が断言してくれたのだ。たった一つでもいい、得意なことを見つけなければ、彼女に胸を張って報告出来ない。私はこんなに素晴らしいことが出来ますよ…と。


「あっありました! 私の得意なことは、花の香りを嗅ぎ分けることです!」

「ありがとうございました。スージさん」


 そう暖かな微笑みを浮かべながら、メイドさんは特別な紙に記載を行う。女神アカネ様のおかげで、私が得意なことをようやく見つけることが出来たのだ。


「それでは続いて、好きなことを教えてくださいますか?」

「はいっ! 好きなことは花の蜜を吸うことです!」


 私はもう迷わなかった。ウジウジせずにちゃんとメイドさんを真っ直ぐに見上げて、聞かれた質問にははっきりと答える。


「わかりました。それでは最後の質問です。スージさんが希望する職業はありますか?」

「あの、希望する職業と聞かれても、どう答えていいのかわからなくて…」


 今まで毎日を生きることに必死で、考えたこともなかったのだ。それに今の自分に何が出来るのかも、皆目見当がつかない。

 私の答えに担当のメイドさんは納得したように頷き、近くの別のメイドさんに先程まで記載していた特別な紙を見せて、一言二言指示を行う。

 すると指示されたメイドさんは奥へと移動して、やがて三枚かの紙を持って、担当のメイドさんに手渡して、去っていった。


「スージさん、お待たせしました。今現在、貴女が務めても問題なさそうな職業です」

「こっ…こんなに!?」


 私のために用意してくれた三枚の紙には、大きな文字と可愛らしくデフォルメされたアカネ様が描かれていた。色々な種類の花粉を集めて箱に持ち帰るアカネ様、果樹や野菜の花にモコモコの綿を持って突撃するアカネ様、体に小瓶から出る霧を吹きかけるアカネ様。


「先程聞いた情報だけで判断していますので、三枚しか用意出来ませんでした。実際に働きはじめれば、選択可能な職業はもっと増えていきます。また、新たに希望する職を見つけて、そのための技能を修得してもらっても構いません」

「これ以上に増えるんですか! 一枚だけでも就ける職があるんだってびっくりしたのに…」

「はい、スージさんの得意なこと。花の香りを嗅ぎ分ける能力は、特に職業的価値が高く、今後の就職に有利に働きます」


 そう言って担当のメイドさんは、霧を吹きかけるアカネ様の紙を私の目の前に移動させる。


「香りとは人々が生活する中で、重要な位置にあります。スージさん、もしご主人様が近寄ることも躊躇われる、まるで汚物のような香りを、始終振りまいていたらどう思われますか?」


 想像するまでもなく、そんな女神アカネ様は絶対に見たくなかった。出来ればずっと近くにいたいと思えるような素晴らしい香りがいい。


「他人と関わる以上は、印象を左右する香りは絶対に切り離せないものです。ちなみにこれは香水といい、体に吹きつける香りを生み出す仕事になります。バラや百合の代表的な物はもちろん、その辺りの草や木も香りが含まれるため、多種多様で限りがありません」


 メイドさんの言葉を聞いて、私は自分の可能性がどんどん花開いていくのを感じ、嬉しくなってくる。


「この香水の職業は、間違いなくスージさんだからこそ出来る仕事であり、貴女の人生の道の一つです。しかしこれを選ぶか、それとも他の道を探すかは全て自由です」


 先程涙を流したばかりだというのに、また目元が潤んできた気がする。自分はいつの間にここまで涙もろくなってしまったのだろうか。これも全て女神アカネ様のせいだと、私は小さく笑いながら、心の底から感謝する。


「ではスージさん。ご主人様の言った通り、これからの貴女の人生を後悔しないよう、立派に生き抜いてくださいね」

「えぐっ…えぐっ…! はっ…はいっ!」


 私は担当のメイドさんを真っ直ぐに見つめ、目元を潤ませながらも精一杯の笑顔で、はっきりと返事を返したのだった。


 きっと私だけではなく、このハローワークに来た亜人の皆も、今ごろ大泣きしていることだろう。そんなことをクスクスと笑いながら楽しげに思い、私は今日あったことは絶対に、同族の皆にも話して聞かせようと心に決めたのだった。

 

 女神アカネ様の降臨して次の日、アカネ町に一つの巨大な施設が建つ。

 正式名はハローワーク、別名で公共職業安定所と呼ばれるそれは、迷える亜人たちの働く素質を調査し、様々な道を指し示す。

 それはまさに女神様のお言葉である、後悔しない人生を送るために我々亜人たちを導く、温かな灯火であった。

 アカネ聖国記より抜粋。




 ハローワークという言葉の意味は、現代になっても様々な憶測を呼ぶばかりで、どれもはっきりとは断言出来ない。

 また、アカネ聖国の首都だけでなく、他の都市でもこれと同じ公共職業安定所が複数建てられるなど、人口が増える程に就職の多様性が生まれるため、現在でも活躍の場に困ることはない。

 また効率化を追求したような作りをしており、投影魔法での施設説明、番号札による徹底管理、書類の分類及び記入枠や複写、魔動販売機等。このように魔法技術が優れているだけではなく、効率化に至る過程が洗練され過ぎており、女神アカネと優秀な天使たちは、当時の国々よりも遙か先を見据えていたことの証明である。


 さらにいくら効率化を図ったとしても、これだけのことを行おうとすると、大勢の人員が必要になるが、驚くべきことに百人にも満たない数で巨大な施設を回していたと記されている。

 それだけ聖国記に書かれている天使と呼ばれる人間たちの事務処理能力が、並外れて高いことの裏付けだろう。

 また現在とは違い、当時の公共職業安定所の就職率は300%を越えていた。これは亜人たちの就職意欲が高く、どの職業も人員がおらず引く手あまただったからとされている。


 しかし地位や身分、そして身体能力や魔法能力以外を調査して就職先を紹介するのは、他の国ではあり得ないことである。

 亜人以外の人間でも他人よりも高い身分や生まれ持った強さ、冒険者ギルドや家族や知り合いの伝手、または賄賂等に頼るしかなかった。それらを持っていない。または持っていても運に見放された者たちは、誰一人としての例外もなく、スラムか汚れ仕事に落ちるしかないのが、当時の情勢であった。

 過去のアカネ聖国のように、身体能力や魔力が人よりも劣り、生まれ持った地位が低くても、一人一人の特性を慎重に吟味し、最適な職業を余さず紹介することは、現代社会になったの今でも困難なのは間違いない。

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