遠出
<アカネ>
そして子供たちを拾ってから一年の月日が流れた。
五人ともがメキメキと頭角を現し、最低限の自衛を身につけるだけの戦闘訓練は、個人差はあるものの、開始一週間ほどであっという間に皆合格してしまった。
きっと担当のメイドさんの教え方がよかったのだろう。家は故郷だけでなく全世界のあらゆる技術の集合、効率、発展を年中無休でニ百年以上も立ち止まることなく行っているしね。
しかし、それぞれ現在の実力に不満があるようで、訓練に参加する日こそバラバラだけど、誰もが継続的に戦闘訓練を続け、今も止まることなく強くなり続けている。
特に男子の二人は体を動かすのが好きなようで、アレク君が近接戦闘、フィー君が遠距離戦闘のエキスパートと言ってもいいレベルに成長してしまった。それぞれが救国の英雄とか勇者とか、そんな雰囲気を感じるのだ。それ程の実力を持つ二人が協力して挑んでも、担当のメイドさんにはまだ一度も勝ててないようだけどね。
なお成長したのはそれだけではなく、生まれ故郷の抑圧からの開放と栄養状態が劇的に改善された影響か、体のほうは男子は全体的にガッチリとして身長も伸び、女子のほうは出るところは出て、引っ込むところは引っ込むという、年相応以上の青年体型に様変わりしていた。一年たったので、九から七のお子様とは思えない成長具合である。
<アレク>
近接訓練所の中央で周りを観戦のメイドたちに囲まれながら、アカネさんが竹刀と呼ぶ木剣を構えて睨み合う。俺は目の前の相手、フィーを油断なく観察するが、接近戦ではこちらが有利。逆に遠距離ではフィーが有利なのは明らかだが、いくら今回はこちらが有利でも、過信すれば負けるのは確実だ。
「アレク、今日は僕が一本取らせてもらうよ」
「そうはいかないなフィー。当然俺が勝つからな」
俺とフィーは互いに切磋琢磨するライバル同士、この一年の勝率は俺が六割、残り四割がフィーで一応年長者の面目は保ててはいるものの、いつ逆転されてもおかしくはなかった。
「行くぞ! フィー!」
直感や思いつきで戦う俺とは違い、フィーは知識や計算を武器にして戦う。そういう意味で時間を与えると何をしてくるかわからないので、とにかく距離を詰めて考える暇を与えずに、押し切る戦法で勝負を賭ける。
一足飛びに距離を詰める俺に、フィーが油断なく竹刀を上段から中段に構えを変更して応戦する。近寄るこちらに向かい、カウンターとばかりに鋭い突きが風をまとって繰り出されるを、俺は紙一重で避け、流れるように上段から振り下ろす。
「っと! 危なっ…!」
突きを避けられたあとは殆ど回避不可能にもかかわらず、フィーは転がるように姿勢を崩して辛うじてこちらからの振り下ろしを避けて距離を取る。
「今のが決まってれば俺の勝ちだったが。流石にやるな」
「そうだね。でも脚部の身体強化まで使うなんて、ちょっと本気すぎない?」
俺の発言に肩をすくめながら、フィーが言葉を返す。どうやらこっそりと魔法を使ったことはバレていたらしい。
「そっちこそ、突きを風で加速させて貫こうとするなんて、どれだけ大人気ないんだよ。あそこで避けなきゃ訓練所の壁まで吹っ飛んでたぞ」
「いやいや、その辺りは相手がアレクだから、避けるか切り払うかするだろうと思ってさ。そもそも当たったとしても受け流して、飛ばされる前に竹刀を地面に刺して強引に着地するでしょ?」
フィーの問いに、まあなと答えを返し、ライバル二人でお互いに小さく笑い合う。付き合いが長い分、相手が何を考えているのか、言葉にしなくても大体はわかるのだ。そんなとき、この一年ですっかり聞き慣れた女性の声が訓練所に響いた。
「今日もやってるね。今来たばかりだから試合は見てなかったけど、一段落したようだし。冷たい飲み物でもどう?」
ワンピースタイプの涼しげな服装と麦わら帽子という軽装で、アカネさんがお付きのメイド、アルファにグラスに入った茶色の飲み物をもたせて、俺たちのほうに歩いて来る。
その後ろにはまるで母親の後をちょこちょこと付いて来る娘のような、ロレッタ、レオナ、サンドラの三人の姿も見えた。
「ありがとうございます。さっそくいただきます!」
「僕もごちそうになりますね。うわっ、本当に冷たいですね!」
一応慣れたつもりだけど、この冷たさには毎度のことながら驚かされる。今飲んでいるドリンクは、麦茶というものらしい。汗をたくさんかいたときには、これが一番という話だ。
「それにしても二人共、最初に会った時よりとは比較にならないほど、強くなったね。すごいよ」
アカネさんが俺たち二人を眺めながら、心の底から褒めてくれる。確かに二人だけでなく、他の三人も一年前とは違い、圧倒的とも言えるレベルで強くなれたことを感じる。
全て目の前のアカネさんや、メイドさんたちのおかげだ。しかし、まだ訓練所担当のメイドさんには、二人がかりでもかすり傷一つつけられないが。
それでも、恩人である彼女に面と向かって褒められるとやはり照れてしまうものだ。しかも相手がこちらの想い人なら尚更である。
自分がいつ好意を持ったのかはわからないが、裏も表もなく俺たちのために完全な善意で面倒を見てくれる相手を、嫌いになれというほうが無理である。しかもそれが、今まで見たこともない艷やかな黒髪と澄んだ黒い瞳、そして抜群のプロポーションを誇り、少し年上で身長は低いとはいえ若い美女の姿で現れ、俺たちの命まで救ってくれたのである。
ふと横を見ると、普段は冷静なフィーも、ニコニコと笑いかけるアカネさんを前に真面目な表情が崩れ、デレデレと鼻の下を伸ばしていることに気づく。彼とはそちらの意味でもライバルなために、いつ何時も油断は出来ないのだ。
もっとも、俺たち二人の変化に彼女は全く気づいていないが。
それとは別に女性陣の、ロレッタ、レオナ、サンドラもアカネさんのことが大好きなので、隙あらば三人のうちの誰かが一緒にいて、側を離れようとはしない。男性的な意味合いとは違うのだが、二人っきりでいい雰囲気になれないという意味では非常に厄介な存在である。
だがそれ以前に、アカネさんの周囲には常にアルファが控えている。いない場合は他のメイドに周囲をガードされているので、敷地内にいる間は想い人が一人になれるのは、自室か浴室かお手洗いぐらいだろう。
俺がそんなことを考えていると、当の本人であるアカネさんから声がかかった。
「そう言えばアレク君たちがここに来てから、一年になるんだよね。五人とも訓練過程もとっくに終了して実力的にも十分だし、そろそろ外に行こうか」
一瞬彼女が何を言っているのかわからなくなり、頭の中が真っ白になってしまう。俺だけでなく隣のフィーと、アカネさんの後ろの三人もあまりの事態に呆然とした顔をしている。その中から、目尻に涙を浮かべながら、年少のサンドラがオズオズと小さく声を漏らす。
「アカネさん、もしかして私たちは用済みになったから、外に…追放されるんですか? この場所に居てはいけないの?」
「ええっ!? どうしてそうなるの! これは社会見学だよ! 今はないかもしれないけど、君たちが将来外の世界に行きたいなーって考えたときに、外の経験がないと色々困るでしょ? だから今回はそのための短期訓練とか数日の観光とか、そんな感じだよ!」
この場所から外に出たいとは今さら思うわけがないが、アカネさんの発言の意味は伝わったので、俺たちはホッと胸を撫で下ろした。もし魔の森から外に追放されたとしても、この一年で身につけた技能があれば、どんな国だろうと問題なく暮らしていけるだろう。
しかし、今の俺たちはここでの快適な生活を、そして彼女の裏表のない優しさや温かさを知ってしまった。誰が好き好んで肉親さえ信用出来ずに騙し騙されが当たり前、さらには不便で苦しく飯が不味い、地獄のような環境に戻りたいと思うだろうか。
彼女の言葉を聞き、拾われた俺たちは皆顔を見合わせて、言葉を交わすこともなく深く頷く。どうやら考えることは皆同じようだ。
一段落したあと、ここは年長として俺が、詳しい内容を聞いてみることにした。
「アカネさん、社会見学はわかったけど、具体的にはどうするんだ?」
「昔に作った情報網が残ってたから、メイドさんに比較的安全な国を調べてもらったよ。あとは場所が決まったら転移で直接飛んで。町中を色々見て回って、数日ぐらい滞在したら、また転移で帰るつもりだよ」
完全に観光旅行だった。もっとも外の世界にはそこまで余裕がある人間は殆どいないので、旅行という概念自体薄いかもしれない。俺たちもこの場所で色々と勉強しているからこそ、価値観の違いがはっきりとわかったのだが。
「それで、どうやって場所を決めるんだ?」
「ダーツかな」
「ダーツ?」
手で投げるタイプの短い矢を的に当てる娯楽の一つだ。ちなみに今さらになるが、俺が命の恩人に対して砕けた言葉を喋るのは、本来は無礼に当たるだろうが、アカネさんから敬語が気持ち悪いから普段どおりに喋ってと言われたので、きちんと許可は取ってある。
頑張って敬語で話していたのに、言われた当時はかなりショックを受けてしまい、数日は彼女とはまともに喋れず、しどろもどろになったものだ。
「まあ実際に見たほうが早いよね」
アカネさんがアルファに目配せすると、丸い中に色付きの線で区切られており、各国の地名が書かれた丸く大きな的を、他のメイドさんが何処からか運んで来る。
「この的をグルグル回して、誰かがダーツを投げて、当たった地名の場所に決定するんだよ」
何でもアカネさんの故郷で流行った遊びらしい。書かれている地名は殆どわからないが、確かにこれは面白そうだ。一本の青いダーツを手の先で転がしながら、彼女は言葉を続ける。
「君たちの目的地だから五人のうち誰が投げてもいいけど、練習は必要かな? ちなみに一発勝負だよ」
ここは俺がと言いたいが、他の四人を見ると皆投げたそうにしている。仕方ないので、円陣を組みアカネさんに教わったじゃんけんで決めることする。
勝負の結果ダーツを投げる役に選ばれたのは、レオナだった。
「これも緻密な計算の勝利。…とうっ!」
クルクルと回る的に向かって小さく青い矢をレオナが投げ、タンっと乾いた音をたてて中心近くに見事に刺さる。やがて、回転の速度が少しずつ落ちて、書かれている地名が読み取れるようになった。
「セルミッタですね。海に面しており各町との貿易が盛んな比較的大きい港町です。連合都市という国は基本的に中立を貫いているため、他の国よりは表面上は穏やかです」
それって、裏側は真っ黒ってことじゃないのか? アルファの説明を聞きながら俺は一筋の冷や汗を垂らし、そう判断する。一方でダーツで的を射抜いたレオナはフンス! と鼻を鳴らしてと得意気な様子だ。
「今の時代はどの勢力も他を出し抜くことで頭がいっぱいですから、ダーツの選択肢に入るのは比較的安全か、少しだけ安全かの二択です。人の少ない田舎ならばどうかと言いますと、何処も領主からの領民への締めつけがキツく、都会より色んな意味で酷い有様です」
どうやらこれでもマシな方らしい。どちらにせよ一発勝負なのでこうして決まったからには、社会見学として皆でセルミッタの町に行くしかないだろう。俺が覚悟を決めていると、ロレッタが手をあげてアカネさんに質問を投げかける。
「あの、アカネさんは一緒に来てくれますの?」
「え? アタシは転移だけしたら、次の迎えに行く期日が来るまで、家に帰ってゴロゴロしてる予定だけど? 子供の社会見学に保護者が同行というのもちょっとね。何というか、はじめてのおつかい的な?」
言っていることは全くわからないが、彼女が同行してくれるのなら俺たちも心強いが、本人にその気がないのは雰囲気で察した。しかしロレッタは諦めないようだ。
「どうしても駄目ですの? わたくしたちもはじめてですので、昔世界中を旅をしたというアカネさんに、色々と教えてもらえれば心強いですわ」
「うーん、確かにまだ年長でも九の子供が五人で社会見学は、少し早いのかな?」
「もし宿に泊まれなかったら困りますわ」
「一応監視や子守りとしてメイドさんを何人か付けるから大丈夫だと思うけど、それならアタシが行っても大して変わらないか」
迷っているアカネさんに俺たちのすがるような視線が刺さる。どうやら効果は抜群なようだ。
「ああうん、わかったよ。アタシも同行するよ。あくまでもアドバイザーとかサポート的な立場だからね。何でもかんでも頼られても困るから、そのつもりでね」
「いえ、こちらこそ無理を言って申し訳ありませんわ」
「別にいいよ。アタシも何だかんだで久しぶりの観光は楽しみだしね。外の町とか何年ぶりかな?」
心底嬉しそうにこちらに笑顔を向ける。実際には俺にではなく、皆にだが、そんなことは関係ないのだ。ともかく今この瞬間のアカネさんの姿を記憶の一ページに留めることが重要なのだから。
周囲を見れば俺たちだけでなく、メイドの皆もだらしなく表情が崩れていた。どうやらご主人様に喜んでもらえて嬉しいらしい。
そんなこんなで、すっかり観光旅行となったセルミッタ行きの日になるまでは、メイドさんに準備を任せて、俺たちは何時も通りの日常を過ごしたのだった。
五人が力を授かり一年が過ぎた頃、使徒レオナに青く短い矢を持たせ、聖なる的を射抜かせることにより、女神アカネ様は一つの試練を課した。
試練の内容は、人間の世界でそれぞれが会得した力を使い、偉業を成すことである。
アカネ聖国記より抜粋。
女神アカネは五人の使徒に力を与えたものの、彼らの実力を信用しておらず、そのために人間の世界で、何らかの偉業を達成させることで、はじめて自分が知識や力を与えたことが正しかったと、実感を得られると考えていたという説がある。
女神と評される彼女が人間らしい行動を取る一節として、専門家の間でも有名である。
なお、この青く短い矢は現代ではダーツと呼ばれており、回転する的を射抜く行事は、アカネ聖国建国祭で毎年行われている。その際には五人の使徒役に選ばれた名誉ある者たちが、大勢の見物客が見守る中、舞台の上でそれぞれ青いダーツを回転を続ける的に投げ、枠線の中に当たった場合、書かれている豪華賞品を受け取ることが出来るのだ。
だがそこで一つ疑問が残る。女神アカネはこの的の中に、必ずタワシとパジェロを書き加えることを強く要求したのだ。タワシはわかる。しかしパジェロが乗り物の一種なのは特定したのだが、それが当時の時代の馬なのか馬車なのか飛竜なのか、それとも別の何かなのかは、現代の専門家の間でさえ、はっきりとした答えは出ていない。