聖戦
<アカネ>
魔王国が表向きはアカネ聖国の属国となり、半年が過ぎた。
人質として強制連行された魔王グレゴリオは、現在アカネ聖国での生活を満喫しており、毎日楽しそうにしている。
そして嫌がるレオナちゃんに付きまとい、大賢者と二人で何やら熱く議論を交わし、毎日のようにストーカー行為に勤しんでいるらしい。ちなみに彼のホームステイ先も大賢者の家なので、本当に仲がよさそうに感じる。
おかげでここ最近はレオナちゃんの甘え癖が酷くなる一方で、夜に寝る時はアタシのベッドに入ってきて、朝まで一緒にお休みなさいすることも珍しくないのだ。もちろん、白百合のような関係ではなく、純粋な家族という感じである。
遠くから魔法を使うところを調査しているだけですと言い張られれば、許可した手前何も言えなくなってしまうのがレオナちゃんの母的立場の悲しいところだ。
本当に魔法の調査ならばそのうちレオナちゃんに飽きて、別の魔法使いを追いかけるはずだと今はそう信じたい。
魔王国の切り崩しも順調で自分たちから無条件降伏しただけはあり、こちらの言うことは何でも二つ返事で聞いてくれる。いくら強者に従うと言ってもアカネ聖国が骨までしゃぶり尽くすつもりなら、君たちも魔王国も無事じゃ済まないよ?
アタシは魔王国の将来が不安で堪らなくなり、なるべく早く安定化を推し進めるようにメイドさんに強くお願いする。
頑張ってアタシの悠々自適な引き篭もり生活を守って欲しい。そして完全に安定したらさっさと独立してもらうのだ。
きっとその頃になればアカネ聖国の属国でいることがどれだけ愚かな行為なのか、骨の髄まで思い知っている頃だろう。魔王国全土で独立運動が起きてもおかしくない。この予想は固いよ! そしてアタシの引き篭もり生活を阻む重荷が軽くなるのだ!
そのような背景もあったせいか魔王国が属国になった以上はと、当然のように地下鉄を繋げ、アカネ聖国、連合都市、帝国、魔王国の四カ国の流通経路がその日のうちに完成した。
人の往来も加速し、今まで魔王国は基本人間は奴隷として使っていたため余所者お断り状態だったのだが。
アタシの命令だと言えば素直に聞いてくれたので、降伏したその日のうちに全人間奴隷を自由にしてくれたのだ。
おかげで欲しくもないのに魔王国の元人間奴隷からは、女神アカネ様と崇められる始末だ。しかし、一国の奴隷たちだけなら偽女神に騙される被害者の数は少ないと割り切り、気にしないことにした。
何はともあれ四カ国の流通と様々な技術交換が日に日に加速しており、帝国の建築ラッシュも後押しになっているのか、未曾有の好景気が到来しているのだ。
ある程度堪能したら財布のヒモ閉めて軟着陸させないと、泡のように弾けて飛んで地に落ちて、偉いことになりそうだけどね。
そこは何故か調整や安定が異常に上手いメイドさんたちだ。きっとアタシが丸投げした適当な指示でも上手く汲み取ってくれるだろう。
もしかして今、全てが順調に回っているんじゃない? 後はこれを維持するだけで、引き篭もり生活の護身完成しちゃう? そうアタシが楽観的に考えていつも通りに惰眠を貪っていると、アルファから呼び出しがかかった。
十中八九例の件だろう。そして今回はどの国なのかも大体分かってしまうのだ。
いつもの会議室にいつものメンバーが集まり、適当に椅子に腰かけて背もたれにもたれつつ、用意されているお茶に口をつけると、アルファが本日呼び出した目的を切り出してきた。
「ご主人様、問題が起きました」
「ああうん、知ってた。もしかして神聖王国?」
アルファは、はい、と一言返しながら3Dマップを何度か操作し、魔の森の南の大国である、聖王国に視点を合わせる。
「聖王国ですが、宣戦布告を行いました」
「それでも保護者が出張ってこない人間同士の戦いなら、まだマシかな? 内部はガタガタで相当疲弊してるし。
そりゃ汗水垂らして働くよりも豊かな国から奪おうと考えても不思議じゃないよね。それで、相手は何処なの? 連合都市? 帝国? それとも魔王国?」
嫌な予感はするけれど希望を捨ててはいけないと考えて、アタシは平静を装いながら、少し震える手で湯呑を掴んで、心を落ち着けるためにお茶を口に運ぶ。そこにアルファから無情な一言が告げられた。
「宣戦布告の相手はアカネ聖国です。それでは聖王国教皇の声明を読み上げます。
邪神アカネは魔王と秘密裏に手を結び、連合都市と帝国を内部から籠絡し、聖王神様への反逆を画策している。このような暴挙を許しては、我々聖王国だけではなく、連合都市、帝国も神を語る邪悪な女の手により地獄に変えられるだろう。
聖王神様の加護を受けし従順なる人間たちよ。今こそ立ち上がる時だ。たとえ武器折れ、矢尽きようとも、我々は歩みを止めない。どちらかが滅びるまでは決して。さあ、世界中の聖王神様の信徒たちよ。共に邪神アカネを討つために立ち上がるのだ……以上となります」
言葉もなかった。アタシは口を半開きにして実家から南の国の宣戦布告を受け止める。はっきり言って濡れ衣にも程があった。
魔王は暗殺の危険からアカネ聖国に逃げ込み、毎日大賢者と二人でレオナちゃんへのストーカーと飲み食い遊ぶの快適生活を満喫してるだけだし、魔王国の人間奴隷派は次々と人間友好派へと変えられている。
連合都市とは向こうから貿易してくださいと頼まれたので手を貸してるだけだし、帝国は支配下に入る要求を断るために、嫌々ながら復興に協力しているだけだ。
「うへえ…別に聖王神に逆らおうなんて思ってないのにね」
「ご主人様、そこは反逆してください」
「えっ? 何で? きっと聖王神のほうが、偽女神のアタシよりもよっぽど上手に皆を導けるはずだよ?」
何しろアタシが現れる前は、聖王教会は全世界に根を張っていたのだ。その影響力は凄まじい。
きっと統治能力もすごく高いに決っている。あれが全世界を実質支配していた聖王神だ。基本メイドさんに丸投げの偽女神とは面構えが違うよ。
「ご主人様、聖王神は人間至上主義です」
「あっ…そうだったね。それでもアタシが表に出て引っ掻き回す前までは、上手く治めてたんじゃないの?」
アタシの言葉に反応したのか、アルファがこめかみを押さえて頭が痛そうな顔をしている。大丈夫? 体調が悪いなら今すぐ休んだほうがいいよ?
「聖王神の統治能力には期待しないでください。彼は親しい人間のみに力を与え、神に与えられた力を行使させることで多種族を排斥し、辛うじて聖王国を維持していたに過ぎません」
「ああー…でも、アタシも五人の子供たちにちょっと強い装備とかあげてるし、別にそれぐらいは普通なんじゃないの?」
亜人の村を襲う奴隷狩りと戦うために、メイドさんたちに頼んでちょっと強い装備でおめかしさせたのが彼ら五人である。過去を振り返っているアタシに、アルファが横から声をかけてきた。
「ご主人様は彼ら五人に力を行使することを強要しましたか?」
「えっ? 結構強要したと思うけど? 奴隷狩り襲撃や町や街道作らせたり、地下鉄の運用や、世界樹の神と戦わせたり、アカネピックの選手としてもね。ほら、たくさんあるでしょ?」
思えば子供たちを拾ってからかなり時間が過ぎたので、頼み事をしたのも一度や二度じゃない。
アタシが働きたくないために、メイドさんや子供たちを日夜働かせているのだ。我ながら酷いよね。そう考えると聖王国に邪神認定されるのも当然だと思った。
「それは強要ではありません。お願いです」
「同じじゃないの?」
「命令と頼み事は違います」
「いやいや、でも雰囲気的に断れない頼み事とかあるよね?」
まあアタシにそんな強い威圧感や強制力があるはずないけど、しかし本当に嫌々ながらその場の雰囲気で従った可能性もあるかもしれない。
「私も含めたメイドたちと彼ら五人だけではなく、ご主人様を女神と崇める者たちは皆、自発的に従っているのです。むしろ何故もっと頼ってくれないのかと、心配される有様です」
「だって、アタシが悠々自適な引き篭もり生活を送る中で、親しいメイドさんや子供たち以外の他人に頼ることなんて殆どないし…」
代わりに引き篭もり生活を脅かす程の全世界を揺るがす厄介事が起こったら、仕方なく外出して皆を頼るかもしれないけどね。
しかしあんまり他人に借りを作りたくないので命令なんてもってのほかだ。死者なんか出したら、遺族の人たちになんて詫びればいいのか。
「うーん、何となくだけどわかったよ。…多分ね」
「そうですか。理解していただけたようで幸いです」
アルファは、あっ…これはご主人様わかってないなという表情を一瞬だけ顔に出し、気を取り直して今後の聖王国の対応に関する説明を続ける。
「戦場はアカネ聖国と聖王国の国境付近の大平原、数は全軍で約百万、開戦日はニヶ月後と予想しています」
「あれ? 普通宣戦布告したらすぐ攻めて来るんものじゃないの?」
「聖王国は全世界に教会を持っており、聖王神の信者を徴兵すると考えられます。もし隠れて兵を集めてもすぐに察知されるため、宣戦布告のほうを前倒しで行いました」
バレバレの戦争準備を行うよりも、先に大々的にアピールすることで求心力を高めて、最大戦力でのガチのぶつかり合いにしようとしたのかな。
どちらにせよアカネ聖国と真正面から戦って、打ち破る自信があるということだろう。聖王国には本物の神様がついているのだから自信があって当たり前だけど。
「そっかー、ニヶ月後ね。取りあえずアタシは家で留守番するとして…」
「えっ? ご主人様は出陣されないのですか? 戦争ですよ?」
アタシの返答にいつもは冷静なアルファが意外そうな表情を隠さずに、問い正してくる。
「だって聖王国とアカネ聖国の戦争だよね? 邪神アカネ討つべし! って言ってるのはわかるけど、聖王神が言ってるわけじゃないんだよね? 教皇のお言葉だよね?」
今のアタシは首の皮一枚で繋がっているようなので、せいぜいこのチャンスを利用させてもらうことにする。
「聖王神が自国の信者たちを助けるため参戦したら、その時にアタシが焼き土下座をして、偽女神の信徒を全員改宗させるので何卒命だけは助けてください! …って謝る予定だよ。
だからその前に自分が戦場で暴れまわるのは、ちょっと印象が悪いんだね」
「あの…ご主人様、女神様の信徒全員を改宗とは一体? そもそも聖王神は私たちがもう…ああ、いえ、何でもありません」
アルファがまだ何か言いたそうにモゴモゴしていたが、やがて彼女は何となく居心地悪そうに視線をそっとそらす。
どちらにせよ聖王国の一発逆転ホームランと、アタシの悠々自適な引き篭もり生活がかかっているのだ。やって見る価値ありますぜ!
「ともかく、一ヶ月後に大平原で戦うんだよね。聖王国が優勢だと出て来てくれないだろうし、最低でも互角の戦いは演出したいね」
何しろ相手は総勢百万の大軍だ。今はアタシのせいで少しだけ弱まってはいるものの、唯一神の影響力の高さが伺える。さらに聖王神に信じるあまり、痛みも死の恐怖も感じない恐ろしい兵士になって襲ってくるかもしれないのだ。
「今うちが出せるのが総勢十万ちょっとでしょう? 戦場がすぐ近くならアカネ聖国の守りにもある程度残さないと不味いから、これはちょっとピンチかな?」
流石に十倍以上の戦力相手に勝てるとは思えない。相手はアンデッドとは違い統率の取れた軍人なのだ。アカネ聖国の勝率はかなり低くなるだろう。
「ではご主人様、連合都市、帝国、魔王国の三国に援軍を要請しましょうか?」
「やっぱりそれしかないよね。何しろ相手には勇者もいるんだし」
「勇者は今回の聖戦には参戦しません。それ以前に全員送還済みです」
「…えっ?」
聖王神に続いての最大戦力である勇者を使わずに、しかも皆を元の世界に帰すとは一体何があったのだろうか。
「アカネピックでの活躍が少なく、さらに聖女アレクシアが教皇の命令に従わなくなり、さらには魔王とご主人様の討伐も拒否したため、強制送還されました」
「そっか、…聖女さんがね」
「はい、聖女アレクシアが真摯に仲間を説得して回った結果です」
ロレッタちゃんと二人で仲良く話してた印象しかなかったけど、ちゃんと聖女してたんだね。
またこの世界に召喚されることがあれば、アカネ聖国に呼んで歓迎会でもしてあげよう。まあ、彼女が聖王国に呼ばれたら即座に送還されることは間違いなさそうだけど。
「うん、それならギリギリ何とかなりそうかな。それじゃ皆、二ヶ月後の聖戦に備えて準備のほうをよろしく頼むね。ただし、無理だけはしないでよね」
「はい、私たちにお任せください。ご主人様はどうか心穏やかに過ごしていただければと」
そう言ってアルファが一礼したので、また何か問題が起きたらそのときは呼んでねと返し、転移で寝室に戻る。
そのまますぐに運動着を適当に脱ぎ捨てて、愛用の布団に潜り込む。決戦は二ヶ月後だ。他の国がどの程度援軍を送ってくれるかは未知数だけど、最悪でも両軍が正面から当たった瞬間に、アカネ聖王連合軍が溶けて消えることはないと信じたい。
皆は優秀なので万一敗走してアカネ聖王が滅亡することになっても、その時はアタシを躊躇なく見捨てて何処でもいいので逃げ延びて欲しい。
アタシは柔らかな枕に顔をもたせて眠りに落ちながら、そう思ったのだった。
そして二ヶ月後の朝日が登ってすぐの時間に、聖王国とアカネ聖王の国境沿いの大平原の北と南には、二つの大軍勢が一定の距離を保ったまま向かい合っていた。
さらには、当初は屋敷に引き篭もっている予定のアタシも、皆が率先して用意した立派な装飾が施された女神アカネ専用の櫓か神輿のような謎のお立ち台の上に堂々と立ち、戦場を見下ろしていた。
女神アカネ様は直接手を下さずに、背後で我々を見守っていてくれるだけでいいので、どうか参戦してくださいとのことだった。
確かにアタシ自身が聖王国の兵士と戦わなければ、聖王神にも悪印象をそれ程持たれないかなと考え、結果的にアタシ専用となった豪華な櫓に立つこととなった。
さらに聖王神が出てきた時のために全軍に迅速に撤退指示を行えるように、3D投影で半透明な巨人を既に出現させている。撤退が遅れたりなんかしたら、神様にとっては人間やその他種族なんてアリンコのようなものだからね。プチッと潰される前に重い装備を捨て、全力で逃げて欲しい。
それ以外のアタシの役目と言えば開戦時の号令、全軍突撃! それだけである。あとは優秀な隊長さんたちがその場に合った判断を下して的確に兵士を運用してくれるはずだ。
つまりは安全な後方で見てるだけということだ。これってアタシがここにいる意味ないんじゃないのかと思うのだが、他の皆が言うにはどうしても必要とのことだ。
そんなことを考えていたら、目の前の聖王国の軍に少しだけ動きがあった、何やら複数の兵士に守られて屋根のない馬車に乗った偉そうな神官が、兵士たちの前に出てきたのだ。
代表者として何かを大声で喋っているようだけど、両軍の距離が離れすぎていて全く聞こえないので、アタシは3D投影と拡声の魔法を相手にもパパっと使い、偉そうな神官の半透明の巨人を聖王国軍の背後に出現させた。
豪華な衣装を身にまとったしわがれたおじいさんの巨人の出現に、相手の軍が物凄く驚くと共に嫌そうな顔をしているのが、ここからでも伝わってくる。
確かに気持ちはわかる。どうせ他人を拡大して映し出すなら美男美女がいいよね。アタシのような平凡な小娘の巨人を映しても、皆が嬉しくないのと同じである。
「私は聖王神様に選ばれた教皇である!」
豪華な衣装を身にまとった教皇と名乗るおじいさんが、大げさに身振り手振りを行いながら自己紹介を行う。
その声が届くと次に下に集まっているアカネ聖王連合軍の全員が、何かを期待するような視線をこちらに送っているのがわかる。もしかしてこれ、アタシもやらないと駄目なの?
「知ってると思うけど、アタシはアカネだよ! アカネ聖国連合軍のお飾りの代表をやってるよ!」
別にこちらも拡声の魔法は使っているので、そこまで大声を出さなくても相手には十分伝わるのだけど、最初ぐらいは教皇に合わせてあげることにする。ちなみに女神とは認めたくないので、あくまでもお飾りの代表である。
「聖王神に逆らい、人の身でありながら神の名を語る邪神アカネよ! 大国を誑かして全ての人民を奴隷へと変える貴様の計画は、今ここで潰えるのだ!」
「いやいや、人の身なのに邪神って矛盾してない? クラスチェンジとか出来るの?
そもそも勝手に支配下に入れてくださいって頭下げられただけだからね? 欲しければあげるよ? 皆が聖王国に支配されたいと思うならだけど」
アタシは右手を顔の前に出して左右にブンブンと振って、それは違うよと否定のポーズを行う。
聖王教会の悪いことしてる人たちは国外追放したので、聖王神に逆らってないよとは微妙に言いにくいので、他の話題で適当に誤魔化す。
「黙れ! 人が自ら奴隷になりたがるなどありえるか! それこそが貴様が邪神である証拠! 聖王神様以外に全てを従える存在など、この世にはおらん!」
「でもそれ以外に説明のしようがないし…。そう言えば亜人の人たちを奴隷として使うのはいいの?」
こちらとしては適当にお茶を濁してさようならしたいのだけど、気づけば信者が増えているのだ。アタシだって迷惑しているのだ。しかしはっきり言い切ったね。それだけガチの神様はヤバいやつということだろう。
「聖王神様は人間こそがこの世界の中心となるように、我らに神の力を与えられたのだ!
それ以外の者どもは皆、我らと聖王神様への奉仕種族に過ぎん!
奴隷として扱うのは当然の権利だ! むしろ唯一神様に奉仕を行えることで、喜びすら感じるだろう!」
「ええ…やだ…何それ怖い」
宗教キチガイは怖いと思った。しかしその点ではうちのメイドさんたちもワーカーホリックでかなり危ないと思うので、教皇の主張には一言しか返せなかった。
「だが今すぐ聖王神様への反逆行為を止め、頭を垂れて聖王国への永遠の従属を誓うならば、許してやらんこともないぞ!」
「うーん…これは迷うね」
櫓の上で腕を組んでアタシは真剣に考える。今ここで降参すれば許してもらえると言ってるけど、聖王神に偽女神の信者と皆の面倒を押しつけられるのだろうか。
これが教皇の独断だったら何の効力も発揮しないので、アタシの引き篭もり生活が頓挫するのは確実だ。
そんなこちらの態度に手応えありと気を良くしたのか、教皇はさらに言葉を続ける。
「ほほうっ! どうやら、自らの過ちに気づいたようだな!
貴様には特別に聖王神様に選ばれた教皇である私への奉仕を許そう! このような名誉を得られたことに感謝するがよい!」
「いやいや…おじいさんの茶飲み友達や、養護老人ホーム勤務はちょっと…」
「なななっ! 話し相手ではないわ! この私に性的な奉仕を行える権利だ!」
このおじいさんはロリコンだったのか。でなければ平凡な小娘であるアタシを欲しがる理由はない。唯一の特徴は低身長と、ちょっと大きい二つのお胸だけだろうしね。
「とにかくだ! 貴様はここで降伏し、聖王神様と私に絶対の忠誠を誓うのだ! そうすれば命だけは助けてやろう!」
「んー…もしアタシが降伏したとして、アカネ聖国、連合都市、帝国、魔王国はどうなるの?」
「偉大なる聖王神様に反逆したのだ。貴様の命だけは私の権限で性奴隷に落とすことにより助かるが、他は保証しかねる」
この瞬間、アタシは結論を出した。どうやら残された人たちはろくな目に合わないようだ。なおも教皇のおじいさんは言葉を続ける。
「しかしそうだな。貴様の性的な奉仕次第では考えてやらんことも…」
「それじゃ反逆で」
「…えっ?」
目の前の教皇にいくら要求しても無駄だとわかったので、さっさと聖王神を呼んでもらい直談判することに決める。
「聖王神に反逆するよ」
「きっ…貴様! 正気か! 唯一神をも恐れぬ所業だ! 天罰が下るぞ!」
「うん、だから呼ぶなら早く呼んでね。その時には皆の待遇改善を直談判するから」
中間管理職にいくら意見しても聖王神には届きそうもないし、届ける気もないようなのでアタシは神への反逆を即決した。
「こっ…後悔するぞ! 全軍突撃! 聖王神様のために死を恐れずに戦え! 邪神アカネを討伐せよ!」
「それじゃこっちも、全軍突撃! 適当に戦って危なくなったらすぐ逃げてよ! 皆の死を看取るなんて、アタシはごめんだからね!」
その宣言と同時に、聖王国の大軍とアカネ聖国連合軍の大軍が正面からぶつかり合い、聖戦が始まった。…そしてすぐに終わった。
「なっ…何だと! どういうことだ!」
まだ3D投影と拡声の効果は続いているので教皇の狼狽ぶりがよくわかった。アタシもこの結果には驚いていた。
正面からぶつかり合った二つの軍は、まるで柔らかい豆腐が巨大な木槌で叩かれたように大軍が一瞬で溶けたのだ。主に聖王国のほうが。さらに散り散りになった軍をまとめる暇もなく、次々と各個撃破されていく。
開始十分で相手が撤退を開始し、二十分で掃討戦、一時間もしないうちに聖王国の残り少ない残存兵力を平野の中央に追い詰め、そこをアカネ聖国の全軍でアリ一匹が通る隙間もないほど、完璧な布陣と陣地構築して取り囲むという事態となった。
でもまあ相手のニ倍近い兵力で正面から殴り合えば、こうなるのも当たり前かもと今さらながらに感じた。
大平原に集まったのは、聖王国軍が百万、アカネ聖国連合軍が合計二百万だった。
しかもいざ開戦となると大きな作戦も何もなく、正面から個人の武勇を頼りにした殴り合いである。どう転んでもこちらに負ける要素がない。アタシは先程とは全くの逆に立場になった教皇に、新しく囲みの軍の中に設営してもらった女神アカネ専用櫓の上から、声をかける。
「もう決着はついたと思うんだけど、まだ続けるの?」
言葉通りの降伏勧告である。聖王国の教皇はどちらかが滅びるまでと宣告したようだけど、アタシには互いに滅ぼし合おうという気はさらさらない。
しかし、おじいさんはまだ諦めていないようだった。
「くっ…邪神め! これで私たちを追い詰めたと思っているだろうが!」
「違うの? どう見てもそっちのボロ負けのような気がするんだけど」
実際に今残っている聖王国軍は数万程度だ。残りはアカネ聖国連合軍に降伏するか、武器や防具を取り上げられて捕らえられている。そしてアタシがたとえ敵でも血を流すのを嫌うという噂が広がっているせいか、相手の死傷者の数も驚くほど少なかった。
本当は聖王神の怒りを買いたくないだけなんだけどね。嘘じゃないよ? 本当だよ?
「アタシとしては降伏したほうがいいと思うんだけど。別に聖王国なんていらないから、この後に何もするつもりもないしね」
「邪神め! そのような甘言で誑かせるなどとは思うなよ! 私たちは貴様の奴隷などには決してならん!」
「いやいや、本当にいらないんだけど」
顔の前で右手をブンブンと左右に振って、聖王国なんて絶対にいらないよとアピールする。それに奴隷扱いなんて誰もしてないんだけど。
しかし教皇のおじいさんには通じないようだった。うーん、手強い。
「ならば、こちらにも考えがある! …これを見ろ!」
「んー…? 見たことない魔石?」
教皇は豪華な法衣に手を当ててガサゴソとさばくり、やがて七色に輝く大きな魔石を取り出し、全軍によく見えるように天高く掲げた。
アタシが日常的に使ってる魔石に似てるけど、それとは何かが違うように感じる。
何というか目の前の魔石は色も魔力濃度もちぐはぐで、おまけに造形も無駄にゴツゴツしてるし、総合的に見て下手くそな気がするのだ。アタシならそれよりもっと上手く作れるのにと、何だか残念に思ってしまう。
「それで、そのヘンテコな魔石がどうしたの?」
「これは聖王神に選ばれた教皇のみが使うことを許された、召喚の魔石だ!」
聖王国が行った召喚と聞くと、アカネピックで戦った五人の若者たちを思い出した。まさか、この戦場のど真ん中でまた勇者を呼び出すつもりなのかな。
「既に召喚の準備は整っている! この魔石を使うために捧げられた、多くの魔法使いたちの血と魂によってな!」
「勇者を呼び出すんじゃないの?」
もし勇者なら外付け良心回路の魔法使いがいるはずだ。自分たちだけでなく世界を破壊する可能性がある存在に、魂と血の全てを捧げてまで一方通行の召喚を行うはずがない。
そんなアタシの疑問に教皇が興奮気味に答える。
「勇者などではない! これから呼び出すのは…天使だ!」
「てっ…天使!?」
天使と聞いてアタシは身構える。確か前にアルファから聞いた説明では、それぞれが神にも匹敵する力を持ち、従順な友であり、手足となり働き、世界の破壊を絶対に許さない存在だったはずだ。
「はははっ! これで貴様の野望も終わりだ! 聖王国最高の魔石を使うのだ!
邪神とそれに従う愚かな人間や亜人と共に、聖王神様に逆らった愚かさを悔いながら、苦しんで死んでいくのだな!」
これは不味い。聖王神に焼き土下座をする前に、それに匹敵する世界の破壊が大嫌いなお友だちやってくるのだ。
アタシがしていることと言えば自分の引き篭もり生活を維持するために、全世界に元の人々の生活からかけ離れた混乱を広げているぐらいだろう。
世界の守護者的立場である天使の、最優先抹殺対象に入っていてもおかしくはない。
「全ての天使を率い、神をも凌駕する力を持つ、始まりの大天使ルシファー様! どうか我らの前に!」
冷や汗をかきながらどうすればこの状況を突破出来るか考えている間に、教皇のおじいさんが天に掲げた魔石から眩いばかりの光が溢れ出て、広大な大平原に膨大な力の奔流が広がっていく。
これは皆を逃がす隙もないかもしれない。それとも急いで転移させればまだ間に合うだろうか。しかしそのためには、アタシが少しでも時間を稼がないと…と思っていると。
やがて召喚の光が消えて教皇とアタシたちのちょうど中間辺りの空中に、一人の女性が浮いているのを見つけた。
きっとあれがおじいさんが呼んだ天使なのだろう。しかし、その割には何処かで見たことがある気がする。何となく心当たりがあったアタシは、オズオズと彼女に声をかけた。
「ええと…何やってるの? アルファ」
召喚に応じて参上したものの、周囲の状況が掴めずに混乱した表情をしているアルファに、アタシはそっと声をかける。
すると何かに気づいたように空に浮いたままこちらに体を向けて、彼女は質問に答えてくれた。
「いっ…いえ、何故か古く雑音まじりの通話魔法で緊急の呼び出しが入ったので、もしやご主人様の身に危機が…と思い、急いで馳せ参じるのですが…」
「えっ? アタシ別に呼んでないけど?」
通話魔法に古いも新しいもあるのだろうか。そしてアルファはこちらの答えに納得したのか、すぐにいつもの冷静さを取り戻して、辺りをキョロキョロと見下ろす。
「どうやらそのようですね。となると…」
何かを探しているような彼女に、そう言えば先程の教皇の台詞を思い出して質問させてもらう。
「ねえアルファ、大天使ルシファー様って何?」
「どっ何処でその名前を!? 何のことかわかりませんが、私は筆頭メイドのアルファです! それ以上でもそれ以下でもありません!」
まあ確かに、彼女はうちのメイドさんの一人だよね。アタシは深く考えずに納得することにした。
そのとき、感極まったようにアルファに向かって叫ぶ教皇と彼女の視線が、しっかり交差した。
「おおっ! 聖王神様の従順なる下僕! 大天使ルシファー様! 主に仇なす邪神! アカネはここにいますぞ! さあ、数多の神を屠ってきたお力を! 聖王国の愛すべき民のためにも今一度!」
教皇のおじいさんが興奮気味に口からツバを吐きながら、アルファに向かって熱心に語りかけている。何なのだろうか一体。
「あの、聖王神様の従順なる下僕って…」
「幻聴です。私の真の主は、後にも先にもご主人様ただ一人です」
アタシの質問を遮るように、アルファが横から口を挟んでくる。気のせいかいつもの冷静な彼女らしくなく、珍しく焦っているように感じる。
そんなアタシたち二人の様子には気づかないらしく、おじいさんは元気よく話しかけ続ける。
「何をしているのです! 聖王神様のお役に立つことこそが、大天使ルシファー様の唯一の存在意義! どうか我々をお救いください! そして邪神アカネに聖王神様の代わりに鉄槌を下してください!」
いつの間にか教皇だけでなく、聖王国の兵士の皆も天に浮いたアルファに祈りを捧げるように、うっとりと見惚れていることに気づく。
「何か色々言われてるけど?」
そして時間が過ぎるごとにアルファの焦りも大きくなり、やがて何かを決心したかのように小さく舌打ちをして、祈りを捧げる教皇を怒ったように睨みつける。
「チッ……教皇と聖王神の下僕たち」
「はっはい! 大天使ルシファー様!」
いつもの冷静なアルファではなく色んなところのブレーキが壊れてる感じだ。静かな怒りをうちに秘めて、彼女は教皇たち聖王国の兵士を氷のように冷たい目線で射抜く。
「黙りなさい」
「はひっ…ひえっ…!?」
その言葉と共に教皇のおじいさんだけでなく、聖王国の全ての兵士の動きが止まり、いつも通りの微笑を浮かべてアルファはアタシに向き直る。
「終わりました。後はご主人様のご自由に」
筆頭メイドからのこれ以上は頼むから何も聞かないで欲しいという無言の圧力を感じたので、アタシは気持ちを切り替えてアカネ聖国連合軍に最後の命令を伝えることにする。
「あっ…うん、じゃあ聖王国軍を全員捕縛してよ。もし暴れるようなら痛い目に遭わせてもいいから、皆の安全を第一にね。それじゃ、全軍突撃!」
アタシが本日二回目の全軍突撃という号令で、アカネ聖国連合軍は先を争うように抜け殻のように動かなくなった数万の聖王国軍に襲いかかった。抵抗は全くなかった。
アルファの凍りつくような冷たい視線を受けた聖王国軍は、大人しく捕縛されるに身を任せたのだった。
そして聖王神と邪神アカネのどちらかが滅びるまで続くと思われた聖戦は、アカネ聖国連合軍の損害はほぼなしという、まさに完全勝利という結果で決着したのだった。朝日が登ってからほんの数時間の出来事だった。
戦いが終わってからアタシは、今回は結局聖王神が出てこなかったけど、お腹でも痛くて欠席したのだろうかと、そんな今日アイツは仕事来なかったけど病欠だったんだろうな的な適当な思考で納得しておくことにした。
アカネ聖国連合軍二百万と聖王国軍百万は、互いの国境である大平原で朝日が登ってすぐ開戦した。
戦いの最中に教皇の召喚した大天使ルシファーは、女神アカネ様に感銘を受け、その場で頭を垂れて忠誠を誓うこととなった。
結果、聖戦の決着はほんの数時間でつき、女神アカネ様の大勝利となったのだ。
アカネ聖国記より抜粋。
歴史に残る大軍勢同士の戦いにもかかわらず、この戦いでの戦死者と負傷者は驚くべきほどに少なかった。
これには女神アカネは戦う前から勝利を確信しており、被害状況から戦後処理まで広く見据えていたため、全軍に敵軍の命を出来るだけ奪うな命令していたと考えられる。
また、教皇が行った召喚魔法は現在でも不明な点が多く、特殊な魔石が必要とはわかっているものの、いまだどのような形をし、どんな効果があるのかすら、全てが謎のままである。
女神アカネによれば、教皇が使用した天使の召喚石は作れなくもないが、自分がそっくりに作ろうとしても姿形や効果まで全くの別物になってしまうとまで言わしめたため、きっと超高レベルな召喚石であり、まさに神具と呼ばれる程だったのであろう。その召喚石を見ることが出来ないのは、現代に生まれた不幸の一つかもしれない。




