剛弓
<アルファ>
筆頭メイドである私は、先程の試合のアレクとベルナルドとの会話を思い出していた。
一緒に観戦している隣のご主人様の様子に変化は見られなかったが、心の傷は外からではわからない。
第三試合に向けた準備時間に入ったとき、ご主人様を支えるメイドとして、それとなく聞いてみることにした。
「ご主人様、先程のやり取りですが…」
「故郷に帰れるかもってこと? 昔ならともかく、今は何の興味もないよ?」
「それはどういうことでしょうか? よろしければ、教えていただけませんか?」
いつも裏表のない常時自然体のご主人様は、正面の大画面モニターを眺めながら私の質問に答えてくれた。
「だってアタシは、故郷で死んで気づいたら魔の森の中心に立ってたんだよ。確かにその時は是が非でも地球に帰りたいと思ってたけどね」
私の渡した飲み物にチビチビと口をつけながら、ご主人様は続きを話す。気づけば第三試合の魔王国とアカネ聖国の試合が始まっていた。
「行方不明ならまだしも普通に死んでるからね。両親との別れは済んでるし、この世界で過ごした時間は、あっちとは比べ物にならないんだよ? どちらが本当の故郷かなんて、今さらどうでもいいんじゃないの?」
確かに一年しか住んだことのない場所より、その十倍以上も長く住んでいる場所とでは、どちらが当人にとっての故郷なのかは、想像に難くない。
それでも、優しいご主人様が私たちの世界を選んでくれたように感じて、心の奥に温かな火が灯るのを感じた。
「だから今は向こうの故郷には何の未練もないからね。僕たちに協力して一緒に地球に帰ろう! …って説得されても、そこまで帰りたくないうえに徒労に終わる予感がするし。
それならアルファやメイドさんたちと子供五人と一緒に、お家で楽しく遊ぶほうが何倍もマシだよ。何しろ皆は、アタシの中ではとっくに家族だしね」
ご主人様のかけてくれる温かな言葉に思わず忠誠心が目尻から零れそうになるが、筆頭メイドとしての鉄の意思で表情に出すこともなく、辛うじて押さえ込んだ。
しかし私以外に他のメイドたちの何人が、この精神攻撃に耐えきれるだろうか。数人耐えきれればいいほうですね。
いつの間にか全ての試合が終わっており、結果は一位アカネ聖国、二位魔王国、三位連合国となっていた。
神聖王国のベルナルドはまだ医務室のベッドの中だ。吹き飛ばされてからずっと意識が朦朧としているようで、三位決定戦には間に合わずに今回は不戦勝で連合国の勝利となった。
そのまま次の試合の準備を行うため、全ての選手が控室に戻ったあとの広場を、会場設営の担当メイドたち忙しそうに駆け回っている。微妙にそれぞれに涙の後が見え隠れするのには目をつぶる。
今ごろ彼も五人の待つ控室に戻り、試合の解説放送を視聴しているだろう。私はご主人様以外の他の存在には、道端の道端の石ころ程度の関心しか抱いてないのですが、このときの会話を聞いたアレクには同情せざるを得ません。
実はご主人様は目の前に置かれた二つの三角積み木は、こちらから見えない位置に女神アカネと筆頭メイドアルファと書かれており、大画面モニターの背後からこちらをしっかり撮影し、私たち二人の姿は全世界に生放送中となっているのです。
「そう言えばアルファ、さっきの勇者はすごい速さで動いてたけど、あれが勇者の力なの? 他にも種類があるわけ?」
そんなことには気づかずに、私に質問を投げかけて来ました。
元々協力すると言ってくれましたので、このまま何も知らせないまま、美しいご主人様の姿を世界中に届けてあげましょう。私は優しいのですよ。決して全世界に自分とご主人様の仲が良好なことを、自慢したいからではありませんよ。
「はい、それぞれ神速のベルナルド、剛弓のバッカス、聖女アレクシア、大魔法使いロマーヌ、神壁のアデリーヌ…と呼ばれているようです。おそらくは各々の能力に由来した二つ名かと」
ふむふむと軽く頷いているご主人様を横目で見ながら、私は次の試合の準備が整った会場の様子を伺う。
今回の勝負は簡単に言えば的当てであり、どれだけ正確に、そして速く多くの的に矢を当てるかを競う。
弓は使い慣れたものではないと命中精度が著しく低下するので、今回に限り個人の武器を使用しても構わないとなっている。当てることが目的なので矢の威力は必要ないのだ。
観客席にはご主人様が適当に張った結界がある。さらにメイドたちも守っている。それに対人ではないので命の危険もないためだ。
さて、今回はどのような結果になるのか、二人で見届けさせてもらおうと考えていると、いつの間にかご主人様の目の前の飲み物の量が減っていたので、外のメイドを呼びつけ新しい物を急いで用意するようにと、命令を伝える。
果たして聖王国の勇者とアカネ聖国のフィーのどちらが勝つことになるのか。大勢の観客が見守るなか、次の試合が始まった。
<フィー>
出だしは順調だった。僕は五分という短い制限時間で、試合会場の遠くに立てられた的を、アカネさんから受け取った魔法の矢で次々と射抜いていく。
基本的に奥に立つ的のほうが得点が高いが、そのぶん中心に当てるのが難しくなっている。
しかし慎重に狙っていると、最悪時間切れになってしまうのだ。制限時間がなくなれば、当然そこで的当ては終了となる。
この五分間の的当てを合計で三度行い、最終的に全ての点数を合計して一番高得点を出した選手が優勝となる。それが今回のルールだ。
一度目は最高得点で終えた僕は、壊れた的を取り替えにいくメイドさんたちに背を向けて、他の選手の邪魔になるため試合場の外に向かって歩いていると、聖王国の勇者である剛弓のバッカスという茶髪の若い男が声をかけてきた。
「よう、なかなかの腕だな。いや、その武器のおかげか?」
「さあ? どうだろうね」
先程のアカネさんと筆頭メイドの二人の解説映像で、この男の名前は知っていた。
隣で見ていたはずのアレクが、いつの間に選手控室の壁に向かったまま座り込んでいて、何やら暗い顔でブツブツと呟いていたが、男として気持ちは痛いほどわかる。
彼の犠牲は絶対に無駄にしない。僕もあそこまで恥ずかしい場面は全世界生中継されたくないのだ。
「ちっ! いけ好かねえ野郎だぜ。まあいい。
俺にも魔法の弓を使わせてくれよ。お前よりもよっぽど上手く扱える自信があるぜ?」
「断る。この弓は僕がアカネさんから直接受け取ったものだ。
それにバッカスも、聖王国から特性の弓を受け取ったんじゃないのか?」
はっきりと断りを入れるが、バッカスは諦める気はないようだ。
「お前の魔法の弓と、俺の装飾が豪華で質のいい弓。どちらが強いかはわかるだろ? 勇者がそいつを使えば負ける要素はなくなる。それとも、武器のせいで勝ったと皆に吹聴されたいのか?」
バッカスの言葉に僕は言葉が詰まる。確かにアカネさんから渡された魔法の弓は強力だ。圧倒的と言ってもいい。
訓練では矢筒の弓を撃っているし決して普段使いではないものの、受け取ってからしばらくの間はこれで彼女の役に立てると、夜の闇のなかで魔法の弓を指から血が出るまで何度も引き絞って練習していたことを、今でもはっきりと覚えている。
後日アカネさんに指の怪我を問いただされ、この事件が明るみに出たとき、子供たち全員を呼び出して夜間の秘密訓練の即刻停止と、何の効果もないもののそっくり同じ武器を渡され、どうしても特性武器を扱いたければ、普段の訓練はこっちを使うようにと強要されたのは、今となっては懐かしい思い出だ。
目の前の男を不快に思いながらも、何とかあしらう方法はないものかと考えていると、アカネピックの会場中に聞き慣れた彼女の声がこだました。
「いいよ。確かに慣れが必要な競技とはいえ、武器の違いで文句が出るならフェアじゃないよね。申請した選手にはアカネピック中だけ魔法の矢が使えるようにしてあげるよ」
アカネさんの声だけ会場全体に響いているため、何処から話しているのかはわからないが、その瞬間にバッカスの手に持つ豪華に飾りつけられただけの弓が、温かな七色の光に包まれた。
「言っておくけど本当にアカネピック中だけしか効果は続かないからね。
使用感は矢をつがえる必要がないだけで、使い慣れてる弓とそれ程変わらないよ。訓練時間は三十分もあればいいよね。他にも申請すれば魔法の矢を付加してあげるよ」
美しい声と女神の加護で会場の皆の心を震わせるなか、魔王国と連合国の残り二人の選手も自分たちの使い慣れた弓を両手に持って、まるで何かを崇めるかのようにオズオズと天に掲げると、その二つの弓もそれ程時間を置かずに七色に輝き出す。
瞬間、アカネピックの会場全てが大歓声に包まれ色めきだった。このアカネピック中に限り彼らは皆、女神の祝福を受けた選ばれし戦士ととなれたのだ。これで奮い立たないはずがなかった。
「訓練所は会場の隅にすぐ作ってもらうから、三十分後に試合を再開するよ。アタシのせいで中断しちゃってごめんね」
やがてアカネさんの声が聞こえなくなると、選手たちの弓からは七色の光が完全に消えていた。
彼らが恐る恐るに自分の弓の弦を引いてみると、瞬間輝く矢が何処からともなく現れる。その事実を確認して魔王国と連合国だけではなく、バッカスという男でさえも全身を震わせて喜びをあらわにする。
ほんの少し前までは、目の前の彼はアカネさんの敵だったはずだ。それがこうも簡単に心変わりするとは思わなかった。彼女がすごいことは勿論だがこの男が単純なせいも大きいのではと思うが、ここは場が収まったってよかったと前向きに考えることにした。
三十分後に試合が再開すると各国の的当ては順調に進んでいき、やがて全ての選手の試合が終了した。
ちなみに結果から言うと、僕の完全勝利で幕を閉じた。一位がアカネ聖王国、二位が連合国、三位が魔王国、四位が聖王国となったのだ。
一対一で競う勝負でもないので彼と直接戦うことはなかったが、アカネさんに胸を張って報告するには、なかなかに悪くない結果だと思う。
しかしこの結果の何が不満なのか、バッカスは僕に食いかかってくる。
「同じ魔法の武器なのに勇者の俺が負けるわけがない! 何かの間違いだ! そっそうか! あの女! 俺の弓に何か細工しやがったな!」
辺り構わずに大声で喚き散らすバッカスにより、会場の空気が険悪になっていくのがわかる。
アカネさんのことをあの女呼ばわりで、しかも不正を行ったと言うのだ。僕は彼女が血を望まないのを知っているので何とか平静を保っているものの、他の選手だけでなく、会場の皆はいつ爆発してもおかしくないだろう。
このまま放置するのは不味いと考え、皆が納得するであろう提案を大声で宣言する。
「わかりました。それでは、僕と君との弓での個人戦を提案しましょう。
ルールはどちらかが参った、または降参と言うか、白線の外の場外に出るまで。
それと軽い怪我はいいですが、大怪我したらその場で個人戦は終了です。もし僕が負ければ順位を交換してあげますが、やりますか?」
僕のこの提案に、目の前のバッカスはあからさまに下卑た笑みを浮かべて頷く。つくづくわかりやすい男だ。やはり勇者は聖王国にとって、扱いやすい手駒のようだ。
「とのことですが、許可してもらえますか?」
「ううーん…試合の結果は基本は覆らないだけど、一位の人が辞退すれば繰り上がりになるし、まあなくもないかな?
はぁ…個人戦はいいけど、命に関わるような大怪我は本当に駄目だからね」
「安心してください。きちんと支給品の防具を身に着けて戦います」
じゃあ許可するよ…と答えたのを最後に、声は聞こえなくなった。既に的当ての撤去作業は完了していたので、私闘…もとい個人戦はすぐにでも行えることになった。
僕とバッカスはまるでベルナルドとアレクが戦ったように、白線の内側に一歩ずつ歩を進めていく。
あと少しで試合の開始位置につくところで、相変わらず汚らしい笑みを浮かべたまま、目の前の男が口を開く。
「へへへっ、お前が泣き喚く姿が今から楽しみだぜ」
「僕もです。君が痛みでのたうち回す様子を、楽しませてもらいます」
相手も僕がこのぐらいの挑発を行うのはわかっていたのか、全く調子を崩さない。逆に次の台詞でこちらのほうが感情をあらわにされてしまう。
「お前を倒したら、使徒の立場は俺がもらうぜ。そしてあの極上の女もだ。今からどんな声で泣き喚くのか本当に楽しみだぜ」
もう奴の頭の中ではベッドの上で一方的に男に犯され、涙を流しているアカネさんを想像しているのか。顔を赤くして荒く呼吸をしながら、口元からヨダレまで垂らしている。
しかしバッカスの下半身の勃起だけは、支給品の防具のおかげで隠されているのを幸いに感じだ。
そんな奴の醜い姿をこれ以上アカネさんに見せるわけにはいかない。ジワジワと追い詰めるつもりだったが計画変更で、即座に息の根を止めることを決意する。
「これ以上喋るな。非常に不愉快だ」
僕がこの言葉をバッカスにぶつけるのと、審判のメイドさんから試合開始の合図が出たのはほぼ同時だった。前方で剛弓の二つ名を持つ勇者が弓を構えてこちらを狙っているのがはっきりとわかる。
「まずは弓」
先程負けた勇者の二つ名、神速という点でかぶっているのが気に入らないが、名乗ったのはこっちが先だ。僕はまだ狙いをつけている途中のバッカスの弓を正確に居抜き、彼の唯一の武器は彼の宙を舞って遠くに飛んでいく。
矢の破壊力は最低にしてあるので、防具に守られていないむき出しの部分に当たったとしても、軽い打撲がせいぜいだろう。
「次は喉」
一瞬で自分の弓を失ったショックで呆然としているバッカスの喉を正確に狙撃する。周囲にはグエッ! というカエルが潰れたような悲鳴が響いた。
「右足」
喉を潰されてはしばらくまともに喋れないだろう。そのまま右足を地面と縫い付けるように矢を放つ。痛みのために思わずバランス感覚を失い、バッカスが地面に崩れ落ちる。
そのまま左足にも、ついでに撃ち抜いておく。
その後はまさに滅多撃ちであった。唯一の攻撃手段を失い、喉の痛みのせいで降参も参ったも言えず、場外に逃れようにも足の痛みでまともに動けない。ならば倒れた状態でも地面を這って移動しようにも、両手も射抜かれしまい使い物にならない。
いくら安全な防具をつけており、むき出しの部分も軽い打撲がせいぜいでも、効果的にダメージを与えていくのは僕にとっては容易いことだった。
しかも、今回は私的な個人戦なため、守るべきルールは参ったか降参か場外、もしくは命にかかわる大怪我のみである。公的な試合と違い審判のメイドさんが止めに入ることはない。
やがて目の前で体を丸めて痛みに耐える醜い芋虫の動きも鈍くなり、そのうち完全に動かなくなった。
「審判、この勝負は僕の勝ちでいいですか?」
審判のメイドさんは律儀にもバッカスの様子を確認しに行き、やがて彼にこれ以上の試合続行は不可能と判断したのか、戦闘不能を宣言する。
こうして僕は観衆の大歓声を受けながら、神速のベルナルドと同じように剛弓のバッカスも医務室のベッドに縛りつけたのだった。
次はロレッタと聖女アレクシアの試合だ。アカネさんに勝利を捧げられてよかったと胸を撫で下ろしながら、僕は選手控室に向かってゆっくりと歩いて行くのだった。




