教会
<連合都市 聖王教の司祭>
季節が冬に入り、連日凍えるような寒さに襲われながらも、今日は一年に一度の聖王神誕生祭である。
連合都市のとある村に建てられたみすぼらしい教会の大広間で、すっかり太陽の光がかげり、ろうそくの明かりで広間を照らし、私は愛する孤児たちと一緒に寒さに身を震わせながら、飾られた聖王神像に祈りを捧げ、この日のために練習してきた聖王神を褒め称える聖歌を、集まってくれた参拝者に披露する。
皆、この地に邪教と呼ばれる女神アカネの教えが広まってからも、熱心に聖王教会に通ってくれている人たちだ。
聖王国では女神アカネは邪神とされているが、今この場に集まっている人たちも、表向きは聖王教会に変わらぬ支援をしてくれるが、心の底では邪神アカネを信仰しているはずだ。
しかし、それでいいと思っている。確かに聖王神は他の神への信仰をはっきりと禁じているが、本来は神の前では人は皆平等のはずだ。
邪神を信仰していても、私と同じ人間のはずだ。私たちと今日の参拝者は、何の違いもないのだから。
そんなことを考えている間に、聖歌を無事に最後まで歌い終わることが出来たようだ。
私は今まで育ててきた孤児たちを、本日集まってくれた方々からよく見えるよう、最前列の椅子に座るように促し、参拝者の皆さんにゆっくりと向き直る。
「皆さん、今日という特別な日に、私たちの聖王教会に足を運んでくださり、本当にありがとうございます」
そう言って私は、嘘偽りのない感謝を告げて、参拝者の皆に向けて頭を下げる。
最近では教会に足を運ぶ人も減っており、聖王国からの支援も滞っている。今日この場にいる人たちの助けがなければ、自分がたとえ水しか飲まなくても、目の前の孤児たちに毎日のパン一枚を与えることさえ厳しくなるだろう。
「皆さんのおかげで、この子たちもここまで大きくなりました。今後とも、我が教会に変わらぬご支援をいただけたら、幸いに思います」
中には孤児を飢えさせても私腹を肥やしている司祭もいるとは聞いたが、そのような者は飢えた子供を奴隷として売り払い、さらに金を手に入れているらしい。
本当に聖王神の教えを受けた司祭が聞いて呆れる。神の教えは人々の生活に役立ててこそだ。
さらに言えば、後ろ暗いことをしていると噂される教会関係者は皆、聖王国の偉い方々に呼び出されて、聖王神誕生祭にも関わらず喜び勇んで里帰り中である。
その間の孤児たちの面倒は誰が見るのか。所詮は他人事ではあるが、同じ教会関係者なためか目の前の子供たちに重ね、胸が締め付けられるように苦々しく感じてしまう。
「今日は聖王神様がこの世に生まれた特別な日、ささやかではありますが、我が教会の誇る聖歌隊をご披露させていただきます」
本当はこの子たちにも、今日という特別な日ぐらいは、お腹いっぱい食事をさせてあげたかったのだ。しかし聖王国からの支援が届かず、近所の方々からの暖かな施しを受けてようやく毎日一食という有様では、とてもではないがそんな贅沢は出来ない。
今は支援者の方々を繋ぎ止めるために、私と子供たちの精一杯の演奏を披露することぐらいである。
「それでは、お聞きくださ…」
「そこまでだよ!」
私たちが次の聖歌を披露する前に、突然教会の入り口の扉が外から勢いよくバンっと開かれる音と、可愛らしい女性の声が同時に聞こえた。
「だっ…誰ですか!」
「アタシはあか…ゲフンゲフン! さっ…サンタクロースだよ!」
途中まで名乗ろうとした言葉を一瞬飲み込んだその少女は、黒く艷やかな髪と黒く澄んだ瞳、そして白く美しい肌をしていた。さらに上下に赤く暖かそうな服を着て、赤い帽子、黒い長靴、そして一番謎なのが口元に白く長い付け髭をしていた。
さらには後ろに白く大きな袋を片手で背負い、別の手には金属で作られた樽のような道具を持っていた。
「あっ…あの、その格好は一体?」
「サンタクロースの衣装だよ。今日は聖夜だからね。今年一年お利口さんに過ごした子供たちに、プレゼントを届けに来たよ。…本当は前夜に渡すんだけど別にいいよね」
目の前で金属の樽を大広間の床に置き、勢いよく開け放った扉をイソイソと閉め直している彼女は、どうやらサンタクロースという名前らしい。
最後の言葉は小声だったのでよく聞こえず、何をしに来たのも詳しくはわからないが、どうやら子供たちにプレゼントという物を届けに来たらしい。
さっきから私だけでなく、孤児たちと参拝者の視線も全て、風変わりな格好をしている彼女に集まっている。
「もしかして女神様なの?」
「ちっ…違うよ! アタシはサンタクロースだよ!」
孤児の一人がおずおずと少女に尋ねると、彼女はあからさまに狼狽しながらも、必死に否定する。私も女神アカネを直接見たことはないが、ここ最近の連合都市の町中では、彼女をモデルにした様々な物品が飾られたり売られてりしているため、おおよその姿形は何となくわかる。
女神信仰に熱心でない私でさえ断言できるのだ。きっと皆も気づいているだろう。しかし当の本人が隠したがっているので、空気を読める皆はそこから先は何も言わずに沈黙を守る。
「とっとにかく! 今日は皆にプレゼントを持ってきたよ!」
そう言ってサンタクロースは金属の樽と大袋を持ったまま、トコトコを孤児たちの前まで歩いて行くと、最初に金属の樽をよいしょと床に置いて何やら念じた後、次に背負っていた白く大きな袋を裏返し、中身を床に広げる。
袋の中から、今連合都市で大流行しておりアカネ町から取り寄せたと噂される玩具が次々と溢れ出て、あっという間に小山に変わる。
そして金属の樽からも暖かな空気がじんわりと広がり、瞬く間に教会全てを優しく包み込んでいく。
「うわあぁ! これ欲しかったんだ!」「あれ? 寒くない! 何で!?」「私もプレゼント欲しいよ!」「本当にもらっていいの?」「すごい! すごーい!」「何これ! すごく温かいよ!」
先程まで沈んだ暗い顔をしていた子供たちから、今まで一度も聞いたことのない嬉しそうに喜びはしゃぐ声が、みすぼらしい教会の大広間に響き渡る。
「全部君たちの物だからね。誰も取ったりしないよ。あとストーブには直接触ったら駄目だよ。火傷しちゃうからね。
それと、特別な食事も用意してあるよ。んっ…コホン! 入っていいよ!」
サンタクロースの声が終わると、教会の扉が再び開けられ、同じ村の見知った近所の住人たちが、いくつもの蓋をした大皿と飲み物を乗せたカートを押して、私たちのいる大広間に大勢で押しかけてきた。
そして中程で止まり、近くのテーブルに運んできた大皿と飲み物を並べはじめる。
「もうすぐはじまるからね。取りあえずそれまで、皆で飲み食いして楽しんでてよ。あっ、そこの司祭さんと子供たちだけでなく、参拝客と村の人たちもどうぞ」
サンタクロースがそう言うと、並べ終わったお皿の蓋を次々と開けると、嗅いだことのない食欲をそそる香りと、見たこともない美味しそうな食事が、私たちの視界いっぱいに広がった。
「パーティー料理だからね。小皿に分けたり手で取りやすい物ばかりだよ。本当は七面鳥も用意したかったんだけど、鶏で許してよね。
ちなみにクリスマスケーキは我が家的に食べ終わった後に出すから、もう少しだけ待ってね。あと! 食べる前には手をよく洗ってよ! サンタクロースとの約束だよ!」
テカテカと光り香ばしい香りのする鶏の丸焼きをはじめ、今もグツグツと暖かそうな湯気を出す、深い皿に入った何処となく牛の乳の匂いがする粘り気の強い具沢山のスープ、贅沢なチーズをふんだんに使い、色とりどりの具材が乗った大きく丸いパンは綺麗に切り分けられており、芋を棒状に切って油で揚げて塩で味付けされた物など、もはや数え上げればきりがなかった。
「あっあか…いえ、サンタクロースさん、これだけの料理を私たちに?」
「うん、そうだよ。材料やその他諸々はこっちが用意したけど、作ったのは全部村の皆だからね。
もし感謝するならアタシじゃなくて作ってくれた皆にね。それよりせっかくの料理が冷めちゃうから、早めに食べてよね」
その言葉を聞き思わず私は、目の前のサンタクロースに祈りを捧げそうになってしまった。これ程慈悲深い彼女を邪神扱いするとは、これではどちらが本当の邪神かわかったものではない。
しばらくの間、感動で打ち震えていると、目の前の少女は怪訝に思ったのか、小さく口を開いた。
「あー…やっぱり少し展開が急すぎたよね。料理に毒が入ってるんじゃないかと、怪しむのもわか…」
「そんなことありません! いただきましょう皆さん! 神に祈りを!」
サンタクロースの声を途中で遮り、私は強引に食事を取るようにと皆を促す。心優しい目の前の彼女に失望されるのだけは、我慢ならなかった。
私は短く祈りの言葉を口に出して、大いなる神への愛を心の中で固く誓う。
どちらの神に誓ったのかは、もはや言うまでもないが。子供たちも他の皆も本当は今すぐ食べたかったのだろう。
親代わりである私が手を出さなかったために、料理に手を伸ばせなかったようだ。自分の配慮の足りなさを申し訳なく思いながらも、近所の皆さんが心を砕いて作ってくれた見たこともない美味しそうな料理を、子供たちと一緒に涙を流しつつも楽しく談笑しながら、残さずいただかせてもらう。
「そろそろ時間かな? 皆、大広間のロウソクを消して」
私を含めた子供たちや参拝客、近所の皆さん方が美味しい食事に舌鼓をうち、お腹もだいぶ膨らんできたとき、白い付け髭を片手で退かして果実の汁を薄めた水をチビチビと飲んでいたサンタクロースが、ポツリと呟いだ。
彼女の言葉を聞いて、料理のカートを押してきた村の心優しい人たちが、広間のロウソクに蓋をかぶせて一斉に火を消す。
「一体…何が?」
周囲が急に暗くなり、教会の窓から差し込む月明かり以外の光が全て消えた状況で、私は次に何がはじまるのか全くわからなかった。
しかし子供たちや他の人たちも不安に思ったりはしなかった。慈愛に溢れる彼女がすることだ、きっと何か楽しいことだろう。むしろ高揚感すら感じているぐらいだ。
「あっ、はじまったよ」
大広間の明かりを消して一分程過ぎた頃、教会の真正面のステンドグラスより少し離れた位置に、四角く横に長い巨大な黒い板のようなものが現われた。
その黒い板は、少しずつ色が付きはじめて、やがて板いっぱいに大きく数字が表示され、3、2、1…と、カウントダウンがはじまる。
巨大な板に表示された数字が0になったとき、海と呼ばれる広い水たまりで激しい荒波が岩にぶつかる現実と瓜二つの動く絵、そしてザッパーンという鼓膜を震わせる迫力のある音、最後に大きく茜映と縦に書かれた文字が、こちらに迫るように現われた。
「アカネエイ、ですか。すっ…少しだけ語呂が悪い気がしますね」
「アタシもそう感じるけど詳しく教えたら、担当者がどうしても入れたくなったんだって」
「そっそうですか」
映像を見ながら私の言葉を静かに返すサンタクロースは、何処となく全てを諦めたかのように哀愁が漂っているように感じる。きっと彼女にも葛藤やら何やらが色々とあったのだろう。
そして次に映像は森の中に切り替わり、五人の少年少女がお互い手を繋ぎながら、何かに追われながらも必死に逃げている場面になる。
ある程度走ったところで、女の子の一人が何もない場所で突然転び、何処も怪我がないにも関わらず、はぁ…はぁ…わっ…わたくしはもう走れませんわ…こうなったら、四人だけでも逃げ延びるのですわ! さあ! 行ってください! …と仲間たちを涙ながらに説得をはじめる。
そんな中で男の子が、馬鹿野郎! ロレッタを置いていけるわけがないだろ! 全員で生き残るんだ! と、へたり込んだ女の子を励ます。
そんなやり取りを続けるうちに、やがて周囲に狼の鳴き声がこだまし、六匹のデスウルフの群れがジリジリと距離を近づけてくる。
五人の少年少女は互いの身を寄せ合い、恐怖に歪んだ顔をする。そしてデスウルフの一匹が飛びかかろうとした瞬間、場面が森から何処かの空中に切り替わり、漆黒のドレスを身にまとった美しい少女が黒い光と共に現われた。
そしてすぐにまた、先程のデスウルフが飛びかかろうとする場面に戻り、空から漆黒に輝く無数の矢が降り注ぎ、六匹のデスウルフたちだけを一瞬で串刺しにして、黒い炎で灰も残さず燃やし尽くした。
やがて動くものがいなくなり、身を寄せ合い震える五人の少年少女たちの前に、漆黒のドレスの少女が空中からゆっくりと降り立つ。
その黒髪の少女は自分のことをアカネと名乗った。瞬間、私は確信した。
やはり目の前で今なお流れ続ける映像は、女神アカネと五人の使徒を出会いを再現したものなのだと。
どのような魔法や技術を使っているかはまるでわからないが、流れている映像はまるで現実そのものだ。いや、現実では流れない楽器での演奏や派手な効果音、また目まぐるしく変わり飽きさせない場面展開や台詞回し、そして演出のためだけに使われたと思われる色とりどりの美しい魔法に、子供たちだけでなく私を含めた視聴者全員、いつしか目の前の映像作品に釘付けになっていた。
そのまま映像は、五人が互いを励ましあいながら夕日が沈む美しい砂浜を走りきる修行シーンや、一口食べると口から美味さを表現する言葉と魔法が飛び出る料理対決などが流れ、やがて亜人の村を襲う、凶悪そうな奴隷狩りの集団と対決する。
五人の使徒と敵の互いの武器がぶつかるたびに、重く大きな音と共に激しい火花が飛び、さらには奴隷狩りの魔法使いとの高レベルのド派手な魔法の応酬、何より絶体絶命のピンチに女神アカネの応援で奮い起こされて、五人の使徒が見事に逆転勝利を決める白熱のバトルに、教会中が大興奮であった。
流れる映像に感情移入し過ぎているのは子供たちだけでなく、大人たちからも声援が飛び出す有様だ。かくいう私も心の中でずっと彼らを励ましていて、何とか冷静な態度を崩さずに、口から出さないよう堪えきれてよかったと感じている。
また、女神アカネが大衆の前に姿を現す場面は、まるで神話の一頁のような降臨の儀式のように感じ。
皆うっとりと見惚れて、真剣な表情で両手を合わせて祈りを捧げる者たちも続出した。これには私も堪えきれず、女神への祈りの言葉を何度も口にしながら、子供たちや他の村人と一緒になって真剣に感謝の祈りを捧げたのだった。
それからも様々な紆余曲折を経て、女神アカネと五人の使徒は連合都市の人々を救ったところで。場面は私の生まれ故郷である聖王国へと切り替わった。
そこにはまるで本物そっくりの教皇様が、大聖堂の中に集まった国民たちを見下ろし、邪悪な笑みを浮かべながら女神アカネは偽神であり、我らの聖王神に仇なす邪神である!…と、多くの民衆の前で堂々と言い放ったのだった。
その場面を最後に魔法の板は少しずつ色が薄れてやがて真っ黒になり、右下に大きく白い文字で、つづくと書かれていた。
次に、この映像はフィクションであり、実際の人物及び団体とは何の関係もありません。そのような文字も表示された。
やがてフィクションという文字も消えて、女神アカネと五人の使徒や映像の中に登場した人たと名前が黒い板の下から現われで上にゆっくりと昇りながら、まるで神界の美しい歌姫が青く澄んだ水底で歌っているような、物悲しくて今まで聞いたことのない心を蕩かすような素晴らしい歌声が聞こえてきた。
聞こえる音は私の知らない楽器だが、歌っている人物については皆すぐに思い至った。
「サンタクロースさん、歌…上手ですね。感動しました」
「あっ…ありがと」
すごくいたたまれないという表情で恥ずかしくうつむいたサンタクロースは、よく見ると思いっきり赤面していた。両手で服の袖を掴んだまま、モジモジと照れている姿はとても可愛らしく、同時に愛おしくも感じる。
やがて映像記録係や音響や監督、最後に茜映と大きく映し出されて、歌も聞こえなくなり、巨大な魔法の板は皆が感動の余韻に浸りながら静かに見守る中、ゆっくりと消えていったのだ。
途中の撮影協力者の魔法演出係に大賢者様の名前が出ていたのを見つけ、大いに驚いた。さらに見知った連合都市の代表や知り合いの名前も見え、撮影場所にも連合都市の見知った地名もいくつか含まれており、色々な役割に協力していたのは、見間違いではないだろう。
「はぁ…ようやく終わったよ。皆、ロウソクつけていいよ」
とても疲れたかのように、サンタクロースは重く口を開く。その声に反応して、村の住人たちがロウソクに火をつけるため、我先にと走り出す。明らかに先程の映像を見る前と後では、彼らの動きは違っていた。
「取りあえず最後のクリスマスケーキを出すね。…入っていいよ!」
そうサンタクロースが合図を送ると、またもや教会の扉が開き、真っ白で巨大な円形の食べ物が、村に人たち数人がかりで運ばれて来た。そのまま大広間の中央に慎重に下ろすと、運んできた村人から彼女にナイフのようなものが渡される。
「あれ? 入刀の儀式とか必要だったかな? …やる?」
サンタクロースは軽い包丁の刃を指で持って、持ちやすい方を私に向けて来る。この食べ物を切り分ける役目をやるかどうかと言うことだろう。しかし、ここで私がその役目をもらっていいのだろうか。
「あか…サンタクロースさんにお任せします」
「そう? まあいいけど、アタシ結構適当だから、あとで文句言わないでね」
そう言って彼女は迷いなく白く円形の巨大な食べ物に刃を入れて、テキパキと切り分けていく。確かによく見るとそれぞれ大きい小さいと、明らかに差がついている。なかなかに豪快な性格のようだ。
「はい終わり。あとは小皿に取り分けるんだけど、ここからは皆がやってよ」
「わかりました。サンタクロースさん、どうもありがとうございました」
彼女が手ずから切り分けた食べ物をいただくことが出来る幸せを噛みしめながら、私は白く柔らかなモノに包まれたパンをゆっくりと口に運ぶ。
「こっ…これは! 何という…!」
クリスマスケーキと呼ばれる食べ物は、とても甘かった。砂糖や甘味などは贅沢品であり、平民はもとより身分の高い者や、お金持ちでさえ滅多に食べられるものではない。しかもこのパンは、一噛みするだけで口の中で溶け出す程に柔らかいのだ
誰もが、まるで女神の蕩けるような愛情で作られたとしか思えない魅惑のお菓子を、一心不乱に口に運び続けた。
やがてクリスマスケーキと呼ばれる食べ物が、皿の隅々まで一欠片も残さず皆のお腹の中へと消えたとき、私は子供たちと一緒に、目の前のサンタクロースに深く感謝を捧げる。
「サンタクロースさん、今日は素晴らしい施しをありがとうございます。
私たちはこの日の思い出を糧として、たとえこの先永遠の闇に囚われようとも、もはや決して後悔することなく、精一杯生きていくことを女神アカネ様に誓います!」
「「「「誓います!」」」」
私が司祭を志して聖王神に祈りを捧げたときでさえ、ここまで真剣に祈ったことはないはずだ。子供たちも皆瞳を輝かせながら目の前のサンタクロースをじっと見つめる。
しかし彼女は、何やら困惑しているかのように視線を彷徨わせて、かぶっている赤い帽子を右手の人差し指でポリポリとかいている。
「ええと、クリスマスって毎年やるんじゃないの?」
「…えっ? それはどういう?」
「あっ…そうか。こっちだと聖王誕生祭だったよね。それって何十年かに一度しかやらないの?」
「いっいえ、毎年今日という日に世界中で開かれますが、そっ…それが何か?」
もしかして私は、自分でも気づかないうちにサンタクロースの気を悪くさせてしまったのではないか。そんな焦りにも似た不安が心の中に広がっていく。
私の答えにしばらく考える素振りを見せた彼女は、やがて申し訳なさそうに小さく口を開いた。
「いやね。アタシとしては毎年やるつもりだったんだけど。思い出だけで生きていくとか、今日が終わったらこの先一生の不幸が襲うかもとか返されたでしょ?
もしかして貴方たちには迷惑行為だった? アタシ何もしないほうがよかった? よく考えたらこれって身内だけのパーティー会場に、呼ばれてない人が飛び入り参加しちゃったのと同じじゃない?」
うわあ! アタシやっちゃったよ! っと口に出し、目の前のサンタクロースは明らかに気落ちする。私は彼女の誤解を解こうと、混乱する頭で何とか励ましの言葉を並べていく。
「あの、サンタクロースさん。迷惑とか、来なかったほうがよかったとか、そのようなことは決してありません。
今日という日に女神様に降臨…ではなく、サンタクロースさんに訪れてもらえて、私たち一同はとても嬉しく感じています」
「…本当に?」
「はい、本当です。神に誓って嘘ではありません」
もっとも、実際に誓うのは聖王神ではなく女神アカネ様のほうなのは、もはや想像に難しくない。私の言葉にようやく安心したのか、サンタクロースは気を取り直して、こちらに語りかけてくる。
「なら毎年この日に、プレゼントと食事とケーキを配ってもいい? あと魔法映像は…出来れば辞退したいけど、また流すことになっても、本当にいいの?」
「はい、構いません。次に貴女が訪れる日を、私も子供たちも心よりお待ち申し上げております」
子供たちと一緒に深く礼をした私の目には、彼女に悟られまいと隠した一筋の涙が流れた。涙が消えるまで顔をあげない私を不審に思いながらも、やがてサンタクロースはホッと胸を撫で下ろして、元気よく話しはじめた。
「いやいや、本当によかったよ。連合都市の全代表や各町や村の人たちも、合意の上での国内全教会での同時パーティーだったからね。
もしアタシだけ失敗したらと考えると、気が気じゃなかったんだよ」
「あっ…あの? それはどういう」
「ああうん、別にそのままの意味だよ?」
つまり今日この日に私の教会にサンタクロースが訪れ、今のような素晴らしい施しを行うことは、私と子供たちが知らなかっただけで、他の皆は女神アカネ様の協力者だったと。
それも連合都市の全ての聖王教会で、全く同じことが行われていたということだろう。
「ははっ…はははっ! なるほど! 確かにこれは、とんでもないサプライズパーティーですね!」
気づけば私は天を仰ぎ、大声で笑いながらも次から次へと涙を流していた。未だかつてこれ程嬉しかったことはなかった。今まで参拝に来てくれていた人も、そうでない人もそれぞれの身分や事情も関係なく、全てが女神アカネ様の前で心を一つにして、私と子供たちを助けるために、このような大きな歓迎パーティーを開いてくれたのだ。
ああ、確かに神の前では人は皆平等であった。だがそれは聖王神ではなく、女神の前だからこそ、人は平等になれるのだ。目の前に立つサンタクロースのおかげで、今はっきりと自覚することが出来た。
「サンタクロースさん」
「何?」
私は真剣な表情をサンタクロースに向ける。そして、身なりを正して真っ直ぐに彼女を見つめる。自分の心臓が張り裂けそうな程に早く脈打ち、緊張の汗が流れているのがわかる。それでも、この言葉だけは彼女にはっきりと伝えなければいけないのだ。
「今この瞬間より、私は聖王教ではなく、女神アカネ様に改宗し、祈りを捧げることを許してもらえませんか?」
「だからアタシは女神アカネじゃなくてサンタクロースなんだけど。でもまあ、改宗したり祈りを捧げるぐらい、好きにすればいいじゃない? その人も多分許してくれるよ」
本当はこれ以上の信者は必要ないんだけどね…と、視線をそらして小声で呟く可愛らしい女神様を眺めていると、私だけでなく皆からも自然と笑顔が溢れていた。
やがて目の間のサンタクロースはこちらを指さして、強い口調で注意を促す。
「ただし、女神を崇めるのは自由でも、聖王神に喧嘩売ったら駄目だよ。
どちらかが滅びるまでのガチンコバトルとか、アタシはごめんだからね。まあ、連合都市まで攻めて来るようなら、その時はその時で対応を考えるけど。
改宗してくれたお礼に支援はするから、戦争にならないように上手く立ち回ってよね」
私はサンタクロースの言葉を重く受け止めて、一言一言を決して忘れることのないよう、心の奥底に留めるよう努力する。これが終わったらすぐに、彼女が今日語った内容を全て書物に書き写すべきである。そして女神アカネ様のありがたいお言葉として、皆に広めるのだ。
「じゃあ、また来年の聖王神誕生祭にね。サンタクロースはクールに去るよ! あっ、ストーブは置いてくから使い方は村の人にでも聞いてよ!」
そう言って目の前のサンタクロースは、右手をビシッとかかげると、突然彼女の周囲の景色が黒く歪みはじめ、急いでお別れの声をかけようとするもののそんな暇もなく、一瞬で黒い歪みと共に少女の姿も跡形もなく消え去ってしまい、いつも通りの教会の大広間に戻ってしまう。
そして私は彼女が消えた空間をしばらく見つめていたが、やがて子供たちのほうを優しく見つめ、そっと語りかける。
「来年も女神アカネ様が会いに来てくださるように、いい子にしているんだよ」
「「「「はい! 司祭様!」」」」
満面の笑みを浮かべるのは子供たちと私だけでなく、集まった村人たちも皆喜んでいる。とは言え、私のやるべきことは多い。
これからのことを頭の中で整理していると、女神アカネ様の従順な信徒である村人の一人が、ずっしりと重そうな布袋を持ち私の側まで近寄ってきた。
「女神アカネ様が、これを貴方にと」
「これは? なっ…何と!?」
目の前の村人から渡された布袋の口を緩めて中身を確認すると、一つの傷もない新品同様の眩しいばかりに輝く金貨が、ぎっしりと詰め込まれていたのだ。
銅貨百枚が銀貨一枚、銀貨百枚が金貨一枚にもなるというのに、その金貨が溢れるほどもだ。
これを少し使うだけでも、みすぼらしい教会を修繕することはもちろん、建て直すことさえ不可能ではない。そして何より、子供たちが飢えることもなく、お世話になった村人たちにも、女神様の教えや、私が過去に勉強して学んだ様々な知識や技術を教えることが出来る。
「本当に、受け取ってもいいのでしょうか?」
「はい、この布袋には金貨が百枚入っていると聞いています。実際に数えてもし足りないようなら、すぐに調査して不足分を送るとのことです。
それと、この寄付は貴方だけではありません。連合都市の教会全てに施しを行っています」
私は震える手で金貨の詰まった布袋を持ち、何とか落とさないようにするのが精一杯だった。それだけ、今まで見たこともない目が眩む程の大金だったのだ。ごく一部のお金持ちや権力者ならまだしも、みすぼらしい教会に住む片田舎の司祭が持てる金ではない。
「女神様のお言葉では、今回の金貨百枚は一時支援金で、月に一度最寄りのハローワークの窓口で受け取るか。郵送を希望するなら毎月教会に直接届けるよ…とのことです。与えられる額は教会の規模により変わりますが、金貨五枚から十枚の支援を予定しているようです」
その言葉を聞いて、私は何も喋ることが出来ずに大金の入った布袋を教会の床に落としてしまい、何か重い物同士がぶつかる音が周囲に響いた。
ただでさえ金貨百枚で驚いていたのだ。それが毎月五枚から十枚とはいえ当然そちらも大金だ。
そんな額を惜しげもなく連合都市中の教会に与える女神アカネ様に、動揺を隠せない。
「そしてこれが、女神アカネ様のお言葉です。毎月の使用明細はしっかり提出してよね! あと聖王国とは揉めないでよ! 絶対揉めないでよ! フリじゃないからね! …以上です」
私は床に落としてしまった金貨の袋を拾いながら、女神アカネ様のお言葉を心に深く刻み込む。毎月の使用明細の意味はよくわからなかったが、これは責任重大である。
彼女の期待は絶対に裏切れない。そこで一つ気になったことがあったので、女神様の従順な信徒に、苦々しい表情を浮かべながら言葉を伝える。
「女神様のお言葉、確かに心に刻みました。しかし一つだけ問題があります。
教会関係者としては恥ずかしいことですが、連合都市の中には、女神アカネ様の教えを良しとせずに、偽神や邪神と吹聴する同胞がいます」
「そちらは既に手配してあります。あとは貴方たちが手を下すだけです」
村人の言葉に私は疑問を浮かべる。手配済みとはどういうことだろうか。
「その者たちが聖王誕生祭の日に、本国に急ぎ呼び戻されたのは知っていますね?」
「まっ…まさか!? 女神アカネ様が!」
「その通りです。それでは彼らが本国から戻って来る前に、詳しい計画を進めておきましょう。その者にはもはや戻る教会はないのだと、身をもって教えてやるためにも」
そのときの私は聖職者でありながら、まるで悪魔のような笑みを浮かべていたと思う。
目の前の村人の言葉にコクリと頷くと、子供たちに今日はもう部屋に戻って休むように伝え、今後の計画の協力者を集めて話し合いを行うことになった。
女神アカネ様に心よく協力してくれる者というのは、この村の人たち全員で、さしずめ私たちの敵は隣村の教会の大司祭というところだろうか。
そして隣村の人たちも皆、彼の横暴な態度に腹の中が煮えくり返っているだろう。明日にでも呼び集めないといけない。きっと全ての村人が私を、いや…女神アカネ様を支持してくれることだろう。
聖王誕生祭から一ヶ月が過ぎた昼頃に、本国に帰っていた隣村の大司祭が、自分の担当する教会へと帰ってきた。
このまま連合都市に帰ってこなければいいものをと、私は心の中でそう思いつつも、決して表情には出さずに教会の入り口の扉の前に、隣村で預かる孤児たちや村人全員を一列に並べて、彼に歓迎の言葉をかける
「聖王国からの長旅、お疲れ様でした。大司祭様」
「おお、お前は隣村のみすぼらしい教会の司祭か! それに孤児と村人どもも、流石に聖王教会の大司祭に対する礼儀がわかっとるようだな!」
そう返して頭髪が薄く服だけは立派な男は、ガハハっと笑いながら賄賂や横領により肥え太り贅肉がたっぷりとついた腹を、満足そうにバンバンと叩く。
「まあ歓迎の挨拶はあとにして、私は長旅に疲れとるんだ。ほれ、村人どももさっさと道を開けろ。孤児たちは荷物を持ち、寝室に案内せんか」
「残念ですがそれは出来ません。それより、何か気づきませんか?」
「何だと? それは一体…ん? んんっ?」
私の言葉に違和感を感じたのか、彼は急に辺りをキョロキョロと眺め、次の瞬間、驚いたような表情を浮かべて、教会の上部の聖王国の神の像が飾られている場所を見て、愕然とする。
「なななっ! 聖王神像はどうした! それにアレは! アレはまさか…!」
「貴方のご想像どおり、女神アカネ様の像です」
「あの女は邪神だ! 聖王神様に仇なす邪神だぞ! それをあろうことか! 私の聖王教会に…!」
もはや聖王神の男性像は既になく、絶世の美女さえも羨む美貌を持つ女神アカネ様の石像が、まるで太陽の光に祝福されるように眩しいばかりに照らされ、優しげな微笑み浮かべながら静かに鎮座していたのだった。
興奮した顔でツバを吐きかけ、こちらに暴言を吐くでっぷりと太った男を冷ややかに見つめ、私は言葉を遮る。
「お言葉ですが、目の前の教会は女神アカネ様に祈りを捧げる神聖な場です。つまり、既に聖王教会ではないのです。聖王教会の大司祭である貴方の立ち入れる場所ではありません」
「なっ…ななっ! いきなり何を言い出すと思えば!」
「いくら女神アカネ様を邪神と蔑もうと、この場所が聖王教会でない事実は変わりませんよ」
ぐぬぬっ…と悔しそうに歯ぎしりをする肥え太った男は、やがて何か思いついたのか、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「まあいい。お前たちがそのような態度を取るのなら、私にも考えがある。
このことは連合都市の支援者たちに報告させてもらう。数日後に下される沙汰を楽しみにしておくのだな!」
聖王教会をこの土地に建てる許可を得るため、聖王国は連合都市の有力者たちと繋がりを持っている。そして彼が頼りにするのも、そのうちの一人だろう。もしくは、賄賂か癒着を行っている汚れた仲間の誰かかもしれない。
私は目の前の男の予想通りの言葉に呆れながら、ゆっくりと口を開いた。
「貴方には残念なお知らせですが、そちらも不可能です。繋がりのある支援者たちは、女神アカネ様に改宗したか、暗くて狭い牢屋の中です」
「ばっ…馬鹿な! そんなことはありえん! 何より聖王神様に反逆するかのような暴挙! 聖王国が黙っていないぞ!」
「そちらも既に根回し済みです。本国には貴方とは違って、女神アカネ様に救いを求める聖職者や民衆たちが、大勢おりますので」
目の前の男は開いた口が塞がらないのか、まるで陸に打ち上げられた魚のように意味のある言葉も喋れずに、ただパクパクと自分の口を開閉するだけだった。
「しかしアカネ様は慈悲深い女神です。たとえ相手が敵であろうと、血を流すのは好まれません」
そこで私は一度言葉を切り、大きく息を吸って、目の前にいる身の程知らずに男に女神アカネ様が下した沙汰を告げた。
「愚かな貴方に女神様は二つの道を示してくださいました。
一つは今までの罪を償うために、一生をかけて連合都市の牢屋で女神様に祈りを捧げるか。もう一つは最低限の荷物を持って、聖王国に強制送還されるか」
どちらの道を選びますか? …っと、肥え太った男に質問すると、彼はまるで一気に十年以上もの時が過ぎたかのように頭部の髪が何本か抜け落ち、疲れきった顔をしたまま小声で二つ目の道を選んだのだった。
こうして女神アカネ様のお力により、連合都市は名実ともに一つにまとまり、全ての人々の顔から不安や恐怖が消え、笑顔で溢れることとなった。
そしてアカネ町との貿易及び友好関係はますます活発となり、自国の経済力や影響力を加速度的に高めていくことになるのだった。
それとは逆に聖王国は亜人奴隷を失っただけではなく、国内外の聖王教の影響力が著しく下がったため、四大国としての立場さえ危ぶまれるようになったのだった。
教皇や王や貴族たちは、国内の混乱や人民の不満を必死に静めようとするものの、いまだに解決の目処は立ってはいない。
聖王誕生祭の日、女神アカネ様は連合都市の聖王教会の全てで、女神アカネ様を称える宴を開く。見たこともない豪華な食事や室内を春のように温かくする金属の樽、そしてクリスマスケーキと呼ばれる白くて円状の女神のお菓子を振る舞う。
さらに、女神アカネ様と五人の使徒の活躍を描く滑らかに動く大きな魔法の絵を、連合都市中の教会の皆に見せた。
また、一年の間に罪を犯さなかった子供たち全員にも施しを与え、善の心を持ち改宗を行った教会の関係者たちに、女神様は援助を約束したのだった。
アカネ聖国記より抜粋。
現在では知らない人はいないクリスマスパーティーは、この日から毎年行われるようになった。その前までの聖王神誕生祭は、主に聖歌隊の歌と、質素な食事、そして聖王神への変わらぬ祈りを捧げるという、非常に地味なものであった。
また、特別なパーティー料理やプレゼント、そして部屋を暖めるストーブ、そしてクリスマスケーキなど、一年に一度という贅沢を教会関係者に振る舞ったのは、聖王神の質素倹約の規律を守る聖職者たちの堕落を誘い、聖王教会の影響力を低下させたうえで自らの手駒とするための、女神アカネの調略だと、後世の歴史学者たちはそう考えている。
結果としてこの作戦は成功し、聖王神を信じて質素倹約に務める聖職者たちは聖王国へ強制送還され、女神アカネに堕落させられ、贅沢を覚えた愚かで扱いやすい聖職者のみが連合都市に残ることとなった。




