貿易
<アルファ>
いつもの会議室で運動着を着たご主人様をお呼びして真正面に立った私は、冷静な表情を崩さずに室内に魔力を巡らせ、3Dの世界地図を表示し、アカネ町と連合都市が彼女の位置から見やすい中央に映るように、何度か視点を変える。
魔列車の試運転から三日が過ぎたが、まだ五人の子供たちは戻っていない。一応通信魔法で毎日のように彼らと連絡を取ってはいるものの、こちらに伝えられる言葉は、家に帰りたい。お風呂に入って柔らかいベッドで眠りたい。美味しいご飯が食べたい。アカネさんに会いたい。アカネさんにハグしてもらいたい。等という愚痴ばかりだったので一言、甘えるな。ご主人様から与えられた各々の役目を果たせ…と返しておいた。彼らにはこれで十分のはずだ。
何しろ私たちメイドと五人の子供は、ご主人様が白と言えば白、黒と言えば黒と、無条件で付き従うのだから。なお、最近はそこにアカネ町の亜人たちも加わったようだ。
私としてはこれ以上信者が増えないで欲しいと願っているのだが、どうやらそれは叶わぬ夢のようだ。
何故なら今は、強者が弱者を支配する暗黒の時代であり、支配の方法は力、魔力、知恵、身分、種族、金、戦争等様々だが、どの国も自分で自分の手足を食べて、辛うじて飢えをしのいでいる状態だ。各国のトップでさえその事実に気づいていないのが、愚かというか何というか。
そんな誰もが明日に希望を持てない中で、ご主人様は優しく手を差し伸べて、彼らの明日を、未来を約束したのだ。これからは皆幸せに生きられるよと。これで堕ちない者はいない。いたら私たちメイドが秘密裏に処分します。
私や他のメイドも、今まで数多くのご主人様に仕えてきたけれど、今のアカネ様のような方は見たことがありません。殆どを私たちに任せて良きに計らえとは、皆優秀なので何も心配してないよとまで言ってくれました。
ここまでメイド全員に全幅の信頼を寄せていただけるとは思ってもいませんでした。そしてこの瞬間、私たちの中ではアカネ様以外の過去の主は全て、道端の小石以下の価値となったのです。
おかげで過去に不遇な扱いを受けていたメイドたちも皆、アカネ様に仕えたいと言い出し大変でした。何とか現界させるのは千人までには押さえたかったのですが、…無理でした。人間や異種族だけでなく、部下であるメイドたちにまで慈愛を向けるご主人様には、私たちでは勝てませんでした。
「アルファ、体調悪いの? 大丈夫? 無理せず休んだら? 報告が一日、二日遅れても、アタシは気にしないよ」
私が過去の主たちを思い出して苦々しい顔を見せたのはほんの一瞬のはず。しかしご主人様はその小さな変化に気づいたよう、心配そうにこちらの様子を窺ったあと、椅子にもたれて両手であげて大きく伸びをします。
普段はのほほんとしているのですが、こういう所は無駄に鋭いのです。だからこそ私たちメイドは皆、この黒髪の可愛らしいご主人様が大好きなのです。
「ご心配していただきありがとうございます。しかし大丈夫です。少し昔を思い出していました」
「昔? アタシと世界中を旅してた頃?」
「いえ、ご主人様に呼ばれるよりも前です。その時私は、他の主に仕えていました」
私の言葉に、ご主人様は興味深そうに身を乗り出して続きを話すようにと要求する。
「それも悪くはありませんが、今は先に報告すべきことはあります」
「そうだね。アルファの昔話は、暇になったら退屈しのぎに話してくれればいいよ」
ご主人様のお言葉に、はい、それではまた…とは返したものの、暇になるのは、一体いつになのでしょう。元々アカネ様のためにお仕事をするのは好きですが、最近はとくに忙しくなり、休む暇もありません。もっとも、オートマタの私には休息は必要ないのですが。
しかし、ご主人様の筆頭メイドの仕事は多忙ですが、他のメイドに譲るつもりはありません。
差し当たりはご主人様が起きており退屈そうな時間に、私も暇を持て余して今のように二人っきりとなったら、昔話を聞かせると。駄目ですね。現在の状況ではとても実現できる気がしません。昔から常に何人ものメイドが側でお仕えしているだけでなく、五人の子供たちも四六時中ベッタリですからね。これならまだ何も落ちてない道端で転ぶほうが、難易度が低い気がします。
<アカネ>
今日のアルファは珍しく感情豊かな気がする。普段は冷静に微笑を浮かべるだけだけど、今目の前にいる彼女は、ああでもないこうでもないと忙しそうだ。口元や目元が僅かではあるが崩れているのがわかる。多分付き合いの長いアタシだから気づけたのだろうけど。
「コホン! それでは、ご報告致します」
「うん、お願い」
ようやく現実に戻ってきたのか、筆頭メイドが咳払いを一つして、本日アタシをこの場に呼んだ本題を切り出す。わざわざ呼び出したのだから、きっとまたとんでもない事態になっているに違いない。もしかして、貿易を拒否されたのかな?
アタシは机に肘をついて両手を組み、内心ビクビクしながらもアルファの次の言葉を静かに待つ。
「アカネ町がペッパーの町と貿易を行いたいと申し出たところ、全都市の代表を集めて連合議会を開くことが決定しました」
「何が何だかわからないよ!」
何を言っているのかわからないと思うけど. アタシも報告されたのかわからなかったよ。頭がどうにかなりそうだったよ。隣町との貿易だとか戦争勃発だとか. そんなチャチなものじゃ断じてなくて、もっと恐ろしい超展開の片鱗を味わったよ。
「詳しくは、こちらの生放送をご覧ください」
「あっ…そんなのあるんだ」
「ご主人様が、重要な交渉事には書類だけじゃなくて、ボイスレコーダーやビデオカメラできちんと記録しよう。後で向こうから有る事無い事要求されないためにもね…と」
確かにそんなようなことを言った気がする。アタシの故郷では、それさえも捏造されたりするんだけど、重要な証拠になることには間違いない。
そんなことを考えていると、いつの間に会議室の中央の3D世界地図が消えて、何処かの講堂に場面が切り替わった。上から下まで半円状の机が規則正しく並んでおり、そこには人間の若者からお年寄り、男性と女性がずらりと椅子に座っており、全体的に半月のような講堂の一番下に立つ、五人の綺羅びやかな装備を身にまとった子供たちに油断ならない視線を送っていた。
<フィー>
場所はペッパーの冒険者ギルドの二階の会議室、時間は三日前に戻る。
ペッパーの町の冒険者ギルドのマスターを貿易賛成派に説得出来たのはよかった。そこまでは順調だった。これでアカネ町とペッパー町の間で様々な物の取引が開始され、僕たちはアカネさんが待つ家に、堂々と帰ることが出来る。そのはずだったのだが…。
「それでは、アカネ町との貿易は問題ないんだな?」
「ああ、ギルマスの私だけなく、これはペッパーの町人の総意だと思ってくれていい。相手が何にせよ、商売相手が増えるのは喜ばしいことだからな」
背負っていた布袋を部屋の隅に置いて広々としたソファーに腰かけた赤髪のアレクが、目の前に座る熊のような大男に対して、物怖じせずに意見を問い正す。この白髪交じりの男はペッパーの町のギルドマスターで、過去にはランクAまで上がり、そして年齢を機に引退したということだ。僕たちから見れば、とてもそれだけの腕があるとは思えないのだが。Aランクとは実は大したことないのか?
「では、こちらも誠意を見せるために、契約書類にサインを行おう。書類の用意を」
そうギルドマスターが言うと、背後のメイド服を着た受付嬢が、既に用意していたかのように、書類の束をサッと差し出す。
その光景に僕たち五人は言いようのない既視感を覚えて、アレクが質問を行う。
「あの、ギルドマスター。そちらの女性は?」
「ああ、紹介がまだたったな。彼女はケーテさんだ。うちの冒険者ギルドで受付嬢をしてもらっている」
ケーテと呼ばれた女性が、五人に対して自然な動きでペコリを頭を下げる。それを見て熊のようなギルドマスターは満足そうに続きを話してくれた。
「彼女はこの通り美人で頭もよく、色々なところに気が利くからな。狙っている男も多いんだよ。しかし心配はいらない。華奢なように見えても、この私よりも強いんだからな!」
ギルドマスターはあっはっはっと豪快に笑ってはいるものの、僕たち五人の顔は思いっきりひきつっていた。ケーテという女性はどう見ても、アカネさんの家にいるメイドさんの一人だと、自信を持って確信してしまったのだから。
「ふむ、書類に書かれている内容も問題ないな」
「こちらも問題ありません」
僕は書類を何度も読み直し、特殊な魔法を使われた痕跡がないか、書いてある内容も問題ないか、徹底的に調べる。結果、何処も問題なしと判断した。
もっとも、ケーテが僕たちが不利になる罠を仕込むことはないのだが。
「では、契約書にサインを。…うむ、これで契約完了だ」
どうやら、アカネさんに任された仕事は、無事に達成出来たようだ。僕たち五人は胸を撫で下ろして、これで家に帰れると心の中で喜び合う。
「ところで一つ聞きたいのだが、輸送は芋虫のゴーレムを使うことで問題はないとしてだ。アカネ町ではどのような物を扱っているんだ? 今後の取引の参考にしたいから、少しでも教えてくれれば助かる」
「ああ、それは…」
既に輸送手段はダミアンという冒険者からギルドに伝えられている。魔物に襲われない安全な地下のトンネルを、金属の芋虫ゴーレムで高速で走り、魔の森のアカネ町からペッパー町の近くまで、片道一時間もかからず到着する。
そのことはギルドマスターは掴んでいるのだ。さらに詳しく知りたいということは、今回の貿易には相当乗り気ということだろう。
彼の言葉にアレクが反応し、試運転を行う前にアカネ町の亜人たちに手渡された物品を、部屋の隅に置いた布袋のなかから、いくつか取り出して先程まで契約書が乗っていた机の上に並べる。
「こっ…これは一体何なんだ!? どれも見たことないぞ!」
「順に紹介すると、石鹸、香水、タオル、竹とんぼ、ダーツ、桃、トマトですね」
本当にこれもこれもと押しつけられたために、食べ物とその他の品も混ぜこぜである。一応は小さな容器に入れて渡されたが、嬉しそうに魔列車を操縦するスピード狂のレオナに振り回されて、よくここまで潰れなかったものだと感心する。
驚愕するギルドマスターを放置して、アレクは説明を続ける。
「石鹸は水と一緒に洗って汚れを綺麗に落とす物です。また、病気の予防にもなります。香水は花の香りを身にまとう物です。上流階級の方はこぞって欲しがるでしょうね。タオルは体を拭く布です。普通の布よりも遥かに柔らかく吹き心地は抜群です」
アレクの説明を真剣に聞きながら、ギルドマスターは机の上の物は恐る恐る指先で触れたり、匂いを嗅いだりと忙しそうに動き回っている。
「竹とんぼは玩具で、空に飛ばして遊びます。ダーツも手に持って投げ、的に当てて遊ぶ玩具です。桃とトマトは食べ物ですね。桃は甘く、トマトはやや酸味が強いですが美味しいですよ」
そう言ってアレクは竹とんぼを手に取り、軽く回して離して見せた。それは高くあがっていき、やがて天井にコツンと当たって床に落下する。他の四人とケーテは冷ややかな目で、ギルドマスターは瞳を輝かせて落ちた竹とんぼに注目する。
「あっ…まっ、まあ…大体こんな感じです。元々竹とんぼは屋外で遊ぶ玩具ですしね」
「素晴らしい! このような物はまだあるのか?」
「ええ、まだその布袋のなかにありますよ」
興奮冷めやらぬ様子のギルドマスターの前に、アレクは大きな布袋を運んできて、紐を緩めて口を下に向けて、袋の中身を全て机の上にぶちまけた。
「うおおおおおおっ!!!」
机の下にこぼれ落ちた物もいくつかあるが、今のギルドマスターの興奮は最高潮に達しているため、それに気づかない。手近なものを慎重掴み、様々な角度から観察する。
そして、もう一度アレクに向かって言葉をかける。
「本当に言葉もない! このような物があったとは、まさにそのどれもが神具と呼ぶに相応しい出来栄えだ!」
「ええまあ、これら全てを作ったアカネさんは、実際皆にとっての女神ですからね」
実直な性格であるアレクが、ギルドマスターの言葉を正直に返してしまったのだ。今思えばこれがいけなかった。致命的な失言といってもいい。
「めっ…女神? アカネ町には、女神が住んでいるのか?」
「実際に住んでる所は違いますよ。でも一度皆の前に姿は見せましたね。ええと…半年以上前に、昼間なのに太陽が隠れたときがありましたよね」
ああ、あのときか…と、ギルドマスターは割れたアゴに大きな手を当てて、何やら考え事をする。そんな中、アレクは何も考えずに言葉を続ける。
「太陽を隠して星空を見せたのも、全てアカネさんが起こしたことですからね。もっとも、直接その姿を見られたのは、アカネ町に住む八千人の亜人だけですけど。俺の話を信じるか信じないかは、ギルドマスターに任せますよ」
「ああ、信じる。…信じるさ」
気づけばギルドマスターは、憑き物が落ちたように晴れ晴れとした笑顔を浮かべて、あれだけ熱狂していた机の上の物珍しい品々から手を離し、深く息を吐いてアレクの対面のソファーに深く身を沈める。
「今回のアカネ町からペッパー町の近くまで続くダンジョン、そして芋虫ゴーレムを作ったのも、全て女神の力だと言うんだろう?」
「よくご存知で」
アレクの短い返事に、肩をすくめて軽く笑いながらギルドマスターは話し続ける。
「これだけの所業を成した女神の存在を信じない奴がいたら、そいつはきっと大馬鹿野郎だな」
しばらくは優しげな笑みで机の上の品々を見つめていたが、やがて一瞬で気を引き締めると、ギルドマスターは重々しく目の前のアレクに告げる。
「一つ、頼みがある」
「何です? 俺たちはあくまでもアカネさんの代理ですから、彼女の仕事以外の頼みは聞けないですよ」
「ああ、それでいい。女神様はペッパーの町とアカネ町との、貿易をお望みなんだよな?」
アレクが予防線を張ったので、そこまで無茶なことは言わないだろう。もっとも、聞きたくない頼みならば、はっきりと断ればいいのだが。彼は実直な性格なので、無理なら無理とその場で拒否してくれるだろう。
「はい、その通りですけど、さっき契約を結びましたよね? もしかして、やっぱりなかったことにしたいんですか?」
「違う! そうじゃない! 私も! ペッパーの町の皆も! アカネ町の一部にして欲しいんだ!」
はっきりと言い切るギルドマスターに、僕たち五人は唖然としてしまう。なおも彼は顔を真っ赤にしながら必死に言葉を続ける。
「私たちは皆、毎日心の何処かで不安に怯えながら、必死に生きてるんだよ。連合都市は他の国と比べれば治安が良いにも関わらず、そんなクソみたいな状況だ。誰もがそんな流れを変えようと頑張った。けれど結局は何も変わらない。駄目だったんだよ。むしろ変えようとした奴から、先に潰れる有様だ」
会議室を重苦しい空気が包み込む、それでもギルドマスターは止まらず、僕たち五人に対して、言葉を重ねる。
「ところがアカネ町はどうだ? 女神様のお力で不安に怯えることもなく、毎日幸せに暮らしてるんだろう? 何も全てを寄越せとは言わない。ペッパー町の私たちも、ほんの少しだけでいいんだ。救われたい。生きててよかったという実感をくれよ。この通りだ…頼む!」
心底辛そうなギルドマスターは、最初は熊のような大男だったのだが、今はとても小さく見えた。今まで人を見限ってきた僕としても、この可哀想な男を少しでもいいので助けてあげたいと、そう思ってしまった。
そんな中、アレクが赤い髪をポリポリとかきながら、ヤレヤレという感じで重い口を開いた。
「別にいいんじゃないか?」
「……えっ?」
「確かにアカネさんは連合都市との貿易を望んでるし、その際に仲がこじれて敵対という厄介事はとことん嫌がる。けど、関係が良好になってペッパーの町が傘下に入りたいなら、勝手にすればいいだろ」
「そっ…それじゃあ…!」
確かに敵対するわけでもなく貿易も行える。むしろ結果としては想定よりもよいと言っていいだろう。これからペッパーの町を友好都市として受け入れてもらえるように報告すれば、アカネさんも困らないだろう。
ついでに僕もギルドマスターに、ある言葉を告げておく。
「困っている人は絶対に見捨てたくないとまで言い切る程の、慈悲深い女神アカネ様ですよ。ペッパーの町とアカネ町の貿易が続く限り、慈愛の手は必ずや差し伸べられるでしょう」
「うぅ…ありがとう! ありがとう!」
どうやらこれにて一件落着のようだ。一時はどうなることかと思ったが、無事に終わってよかった。僕たちとギルドマスターの皆は一同に胸を撫で下ろし、赤髪のアレクと嬉し涙を流すギルマスはお互いの右手を伸ばし、笑顔で固い握手を行う。
しかしその瞬間、会議室の扉が廊下側から乱暴に開かれ、高級そうな魔法使いのローブを身につけた白い髪で髭の長い老人が、突然姿を現した。
「おう、ギルドマスター! 面白そうな話しをしてると聞いたぞ! それなのに親友のワシを呼ばんとはどういうことじゃ! って…何じゃこりゃあーっ!?」
目の前の老人は最初に僕たち五人とギルドマスターを、次に机の上に広がる多種多様な物品を発見して、思わず大声をあげる。
「なっ…何じゃ! これも…これも! どれも見たことないぞ! 一体どのように使うんじゃ!? それに素材は…おい! ギルドマスター! はようワシに説明せんか!」
かなり好き放題に喚き散らす老人に、先程まで感激のあまりむせび泣いていたギルドマスターは、あからさまに顔をしかめるが、丁寧に答えを返す。
「大賢者様、その物品は彼ら五人が運んできたものです。私もまだ少ししか説明されてないので、残念ながらお答えしかねます」
「ほう、そこの五人の子供たちが? ふむ…そういえば、見たことのない装備をしておるのう。ワシのものよりも質が良さそうじゃ」
そう言って大賢者と呼ばれた老人は、机の上から僕たち五人を値踏みするように、ジロジロと観察してきた。アレクと僕とロレッタは我慢したが、レオナとサンドラはあからさまに嫌そうな顔をする。
「女の子に対して失礼な行為。魔法で消し飛ばす?」
「気持ち悪いです。プチッと潰したいです」
頼むから自重してよと、僕たちは何とか年少二人組をなだめる。大賢者はふむ…と呟き、何事かを考えて、しばらくすると嬉しそうに声をかけてきた。
「そこの女子の三人は魔法の素質がありそうじゃな。将来はワシよりも強くなりそうじゃ。どうじゃ? 今なら特別に大賢者の弟子にしてやるぞ?」
「面白い冗談。既に私のほうが圧倒的に強い」
「人の強さを測れない人って、可哀想ですよね」
またも自重しないレオナとサンドラに、大賢者と呼ばれる老人も開いた口が塞がらない。
「なっ…何じゃと? ワシが弱い? 大賢者のワシが? こんな八かそこらの子供よりも? そっ…そうじゃ! ならば特別に、ワシの魔法を見せてやろう! 先程の言葉だけでは、子供のお前たちにはちいと理解するのが難しかったようじゃしな!」
気を取り直して咳払いをする老人に、ギルドマスターが魔法を使うのはいいですけど部屋のものを壊さないでくださいね…と釘を刺す。
「わかっとるわい! では子供たちよ見ておれ! これがワシの…大賢者の魔法じゃ!」
ブツブツと真剣に呪文を唱える老人の周りに、やがて火の玉、水球、円形に集まる風、丸型の土の塊という四属性が集まってくる。
「愛用のロッドを持って時間をかければ、もう少しいけるんじゃが。今はこれで十分じゃろ。普通の魔法使いはニ属性同時がやっと、腕利きでも三属性同時が限界じゃが、大賢者のワシならば、四属性以上を同時に呼び出すことが可能じゃ」
そしてしっかりと見届けたことを確認した老人は集めた四属性を消して、僕たちに向かって、再び言葉をかける。
「お前たちならば将来は、ワシさえも越えるじゃろう。それだけの逸材を埋もれさせたままにしておくのは、全人類の損失に等しいぞ。もう一度言うが、ワシの元で魔法を…」
「嫌」
「お断りします」
またもや大口を開けて何も喋れない大賢者を前に、僕はこのままダラダラと問答するよりも、さっさと幕を引くことに決めた。
「レオナ、これ以上は時間の無駄だよ。大賢者さんにこっちもさっきと同じような多属性を見せてあげなよ。ただし、部屋は壊さないようにね」
「んっ…わかった。私も早く家に帰って、アカネさんと一緒にゴロゴロしたい」
そう答えたレオナは息を大きく吸うと、十秒過ぎる前には、先程の大賢者の四属性と全く同じ魔法を無詠唱で完成させてしまった。
「なっ…何と! ワシの四属性魔法を一瞬見ただけで! 詠唱もせずにか!」
そのままレオナの周りをクルクルと飛びながら、やがて氷、雷、光、闇…と次々と属性の数を増やしていく。
「これ以上増やすと部屋が壊れそうだから、終わる」
先程吸い込んだ息を今度はフーと吐き出すと、周囲を回る様々な色の属性魔法も全て消失する。もはや大賢者と呼ばれる老人だけではなく、ギルドマスターも言葉も出なかった。今のうちにこの場から逃げようと考え、僕は一足先に口を開いた。
「では、僕たちはこれで。貿易の件、よろしくお願いしますね」
「まっ待つのじゃ! いや! 待ってください! そこの子供よ! どうかワシを弟子にしてくれいっ!」
僕たちと一緒に帰ろうとして席を立ったレオナの足に、大賢者と呼ばれた老人は必死にすがりつく。
「弟子は間に合ってる。これ以上はいらない」
既に百人以上の魔法部隊を率いる隊長であるレオナは、これ以上弟子という名の部下を増やすつもりはなかった。しかし、大賢者も諦めない。
「ならばせめて、近くで見させてもらうだけでいい! ワシも連れて行ってくれええっ! 頼むうぅ!」
「これ以上はペッパーの町との関係が悪化しそう? んー…私やアカネさんの邪魔をしないなら、許可する」
「ありがとうございます! ありがとうございますぅ!」
老人は涙と鼻水でクシャクシャになったまま、レオナにすがりついてお礼を返すが、そこでギルドマスターが声をかけてくる。
「ちょっと待ってくれ。大賢者様がアカネ町に行ったら、連合都市はどうなるんだ? 連合議会がめちゃくちゃになって、まとまらなくなるぞ」
「ええいっ! そんなことは知ったことか! ワシは自分の魔法を極めるので忙しいんじゃ! 連合都市のことはワシ以外の奴等がなんとかすればええじゃろう!」
どうやらこの大賢者と呼ばれる老人は、連合都市の中でも相当な地位を持っているらしかった。
「そう言うわけにもいかないだろ。大賢者様がいなくなれば、アカネ町とペッパー町の貿易にも、連合都市の内外から口を出されかねんぞ」
「やっぱり置いてく?」
「どうかワシを見捨てないでくれええええいーっ!!!」
どうにも面倒なことになったようだ。すがりつく老人に対して心底嫌そうな顔をしながら、何とか距離を取ろうとするレオナだが、乱暴に突き放すわけにもいかないので、明らかに困っている。
僕はもうこうなれば出る所に出るしかないなと腹をくくり、一つ提案を行う。
「ではこうしましょう。その大賢者という老人が連合議会の了承を得られれば、レオナに付いて行く。否決されたら置いていく。大賢者が本当に必要ならば、議会も手放したりはしないはずです。逆に皆が送り出してくれれば、付いて来ても問題はないということです」
貿易を行うことは既に決定済みなので、あとは大賢者の問題だけである。これを乗り切れば、アカネさんの家に帰れるのだから、さっさと片付けたいのだ。
僕の提案を聞いて、ギルドマスターと大賢者が何やら納得したような表情を浮かべる。
「ふむ、一理あるな。大賢者様を送り出すぐらい議会がまとまっていれば、この先も困ることはなさそうだ」
「確かに納得はするがのう。果たして連合議会の皆が、ワシを手放してくれるかどうか」
「その時は潔く諦めて」
レオナの無情な一言に、またも大賢者がワンワンと泣き叫ぶ。何とも面倒なことになったものだ。しかし、これで一応は片付いたことになるのだ。
皆の気持ちが固まったとき、アレクが手をあげて発言すると、ギルドマスターがまたもや口を挟んでくる。
「では、俺たちはこれで失礼します」
「すまないが、まだ君たちを帰すわけないいかないんだ」
そしてギルドマスターが申し訳なさそうに、僕たちを見つめて口を開く。
「連合都市は都市国家の集合体だ。全員が同格と言ってもいい。何か新しいことをやりたいと思ったら、まずは各都市の代表から過半数の賛成を取らないといけないんだ。大賢者様の隠居しかり、アカネ町の貿易しかりだ」
「ええっ!? でも俺たちはさっき契約書にサインを…!」
アレクがそれでは約束が違うと言葉を続けようとしたら、ギルドマスターが頭を下げたまま叫ぶように謝罪する。
「本当に申し訳ない! 普通に隣町と貿易を行う場合ならば、いちいち議会の承認を得る必要はないんだ! しかし、これだけの未知で見事で物品の数々! それに何より本物の女神様が降臨された町だ! こんな魅力的な餌が目の前にあるのに、議会の連中が口をくわえて黙って見ているわけがない!」
つまり僕たちは連合都市全体から大注目を浴びているということだ。何となくそうなるかもとは思っていたものの、いざ当事者になると、気が重くなってしまう。
「連合議会の開催を要求すれば、今までなら早くても十日後というところだ。遅ければ…いや、議題の内容が内容だ。絶対に十日で開くはずだ」
次にギルドマスターは真正面から僕たち視線を向ける。
「君たちにもぜひ動いてもらいたい」
「俺たちにですか?」
「ああ、連合議会は開催する前から採決は八割、もしくは九割決定している。入念な根回しによってな。これが覆ることは、普通はありえないと言っていい」
なるほど。確かに議題の内容が明らかならば、その前から可決か否決かは各都市の代表の心の内である程度は決定済みなのだろう。そこで僕は彼の次の内容を予想して、口に出した。
「根回し…つまり、賄賂ですか?」
「違う…と言いたい所だが、まさしくその通りだ。連合議会も腐敗が進んでいてな。最近は大賢者様のお力に頼らなければ、簡単な意思決定でさえもおぼつかない有様だ。しかし、逆に言えば賄賂を渡して約束を取り付けてしまえば、その決定はほぼ覆らない」
何とも凄まじい状況だ。一番マシだと言われている連合都市でさえこうなら、残りの大国は一体どれだけ酷いのか。出来れば一生関わりたくないものだ。
「連合議会の開催要求は私が出しておく。そちらの受付嬢に各代表の資料を集めてもらい、開催前日までに趣向に合う賄賂を、アカネ町から取り寄せて欲しい。もちろんペッパーの町からも用意はするが、効果の程は段違いだからな。とにかく、君たちの手腕に期待する。以上だ」
本当に家のメイドは何でも出来るようだ。絶対に冒険者ギルドの普通の受付嬢がやれる仕事ではない。そんなことを考えていると、大賢者がボソリと口を挟んできた。
「あの…ワシの隠居の賄賂は?」
「大賢者様は申し訳ありませんが、ご自分で何とかしてください」
「ワシの扱い酷くね!?」
ギルドの会議室に大賢者の悲鳴がこだまする。開催まで十日なら根回しも何とかなるか? しかし、これから忙しくなりそうなので、アカネさんの待つ家に帰る暇はなさそうだ。せいぜい出来てペッパーの町とアカネ町を往復するぐらいだろう。
このままだとホームシックにかかってしまいそうだ。いや、絶対に実家に帰りたくなるはずである。これから先のことを考えて憂鬱になり、僕を含めた皆は大きく溜息を吐くのだった。
女神アカネ様はアカネ町で作られた物資を他の国にも分け与えるため、地面の下を高速で走り、大量の荷物を運ぶ地下鉄を作り、五人の使徒をそれに乗せて連合都市との交渉を命じる。
その途中、大賢者が使徒レオナの魔法に感服し、弟子入りを懇願する。
アカネ聖国記より抜粋。
現代では珍しくない地下鉄だが当時は魔法技術の最先端であり、アカネ聖国しか所有していなかった。また、地下のトンネルを工事は非常に困難であり、トンネルの距離が長くなればなる程、工事の危険度も高まっていく。
魔の森から連合都市まで掘り進めるのには、現代でも多くの人員と多額の資金が必要になる。さらに地下鉄と呼ばれる芋虫型のゴーレムも製造及び操縦に高度な魔法技術が要求されるため、アカネ聖国の国力の高さが伺える。
しかし一部の文献では、アカネ町からソルトの町に一日でトンネルを繋げたとあり、女神アカネの信仰者が彼女を神格化したいがために嘘を書いたと、専門家からは失笑されている。
また、大賢者が使徒レオナに弟子入りしたと書かれているが、これは単純に書き間違いであり、使徒レオナの才能に惚れ込んだ大賢者が彼女の魔法の才能を眠らせておくのを惜しんだため、多属性魔法を見せることによって感服させ、逆に大賢者の弟子にしたというのが一般的な説である。




