満ち足りた人生を送るために
「努力は必ずしも報われない」
この言葉、結構よく聞く言葉ですよね。あなたはこの言葉を聞いて、どう思いますか。そして、この言葉に基づいてどんな行動をとるでしょうか。
確かにそうだと思って、努力ををすることをやめてしまう人、そんなことはない、努力は必ず報われると思ってコツコツ努力する人。
言葉を聞いた人の数だけ、沢山の考えや行動があることでしょう。
そんな多くの考えや行動の内、対立しやすいものがありますね。報われないと思う肯定派、必ず報われると思う否定派、この2種類の人間は対立しやすくなっています。その理由は単純明快。報われないと思う人は、努力家を現実を見ない馬鹿だと思っているし、報われると思う人は、効率ばかり考えて努力したがらない人を、本気で努力したこともない怠け者、もしくは努力の仕方が悪いのだと思っているからです。ただし10人いれば10の考えがあるので、一概にそうだとは言えません。ですが多くが似た様な考えを持っているのではないでしょうか。
ズルい立場だと思われるかもしれませんが、私は、どちらかが正しいというのはないと思うのです。どちらもも正しいと思っています。
何故なら、当たり前ですが努力や報復の概念は人により違うからです。
テスト勉強を例にしましょう。
テスト勉強を一生懸命5時間したけどテストの点数が低かったAくんが居ます。
Aくんは、テスト前の5時間の勉強を大変な努力だと思っていました。5時間しっかり集中して質の良い勉強をしたからです。それにもかかわらず低い点を取ってしまったAくんは、とどめに先生からもっと努力しようと言われ、努力は報われないのだと落ち込んでいます。
そんなAくんを見ていたBくんは、もやもやしていました。Bくんは努力は必ず報われるという考えを持っていたのです。自分の考えに自信を持っていたBくんは、Aくんの努力は点数に現れていないだけで他のところに現れていると考えました。5時間勉強して得た知識は、きちんとAくんの頭の中に入っていて、今回はその知識を使えないテストであっただけで、いつかのテストや、これからの人生において役に立つのではないか。5時間も勉強していたAくんを見ていた彼の母親は、彼に対する評価を上げたのではないか。これを機にAくんは勉強法の見直しが出来るのではないか。努力をしたという経験は、Aくんの自信となるのではないか。そもそもAくんなら5時間よりもっと勉強出来たのではないか。そんなことを考え、努力は必ず報われるということを再確認したのです。
Aくんは、自分のした5時間の勉強は努力であって、その報いはテストの点数に現れると思って努力したつもりでした。でも、点は低かった。だから彼にとって、努力とは報われないものになってしまったのでした。
Bくんは、Aくんのした5時間の勉強は努力ではなく、また努力の報いはテストの点数だけに現れる訳ではないと考えていました。だからBくんにとって、努力とは必ず報われるものとして変わらないのです。
この様に、努力とその報復の概念は人によって違い、それによって、努力が報われなかった、報われたは変わってきます。
ある人が努力して何かしらの報いを得ても、本人がそれを報いだとは思わなかったら、それは報いではないのです。この場合、その人にとっては努力は報われなかった、と言えるでしょう。その人自身がそう思っているからです。
だから私は、努力は必ずしも報われない、努力は必ず報われる、この2つはどちらも成り立つと思っています。
ちなみに私にとって、努力とは必ず報われるものです。
何故なら、私は努力をして感じる満足感を報いだと思っているからです。
努力をして、自分の目的が達成されなくても、私は努力をしたんだ、頑張ったんだ、と思えば、自然と幸せな気分に浸れることが出来ます。努力をすれば、私は必ず満足感を得られます。
だから私にとって、努力とは必ず報われるものなのです。
自己満足と言われればそれまでですが、私は、努力は必ず報われると思っています。
自己満足って、良い言葉だと思いませんか。
他人がどう思おうと、自分が満足なら幸せなんです。
貧乏な人でも、本人が今の生活に満足しているのならば、その人は幸せなんです。
ある人が他人に良いことをしたと思っているならば、相手は迷惑に感じていても、ある人は満足なんです。幸せなんです。
努力が報われない様に見える人でも、本人が報われたと思って満足しているのならば、その人は幸せなんです。
他人ではなく、自分はどう思っているのか。
死ぬ間際に、良い人生だったと心から思えるだろうか。
これを意識していれば、自然と満ち足りた人生になるかもしれませんね。
個人的な意見です。
読んでくださり、本当にありがとうございます。