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灯火ちゃんが行ってしまった後、手持ち無沙汰になった僕は食堂を出て書斎に向かうために廊下へと出た。

久々に仕事をしようと思ったのだ。

――魔術師としての仕事を。

夏の日差しの差し込む廊下は暑い。玄関を通り反対側の廊下へ進みしばらく歩く。

外からは蝉の声が聴こえる。

そこに書斎がある。歴代の魔術師たちだけが共有してきた四角形の〝部屋〟という空間が。

書斎のひどく古い木製の扉の前に立ち、ポケットから鍵を取り出し差し込み廻す。ひどく手馴れたその作業で、カチリと音をたてて鍵は開いた。ドアノブに手をかけて中に入る。

――グラリと頭がふらつく。何百、何千と螺旋のように重なる既視感。それはこの屋敷の中でこの部屋が一番強くくる。僕は頭を抑えながら奥へと進み、書斎机の前のソファに座りこみ治まるのを待つ。時間にして二、  三分だろうか、落ち着いてきたので顔をあげる。

部屋全体が目に入る。

部屋そのものはたいして広くはない。十二畳ほどの広さだ。正面に出窓がついていて、あとは木製の書斎机とソファ、過去の魔術師達の愛用品が並べられている棚がある。

ただ――その部屋は無数の本で覆われていた。否、覆われているのではなかった。積み重ねられているのだ。まるで置かれた本その物がこの部屋を一冊の本とした時に、それを構成するページのように。

そしてそれら全ては、ただの本ではない。人類の歴史と共にあった魔術について、かつての魔術師達が書き記した本、いうなれば『魔道書』というべきものだった。

この四角形の〝部屋〟という空間は、『魔術』という人類の一つの成り立ちが積み重ねられた〝空間〟だった。

その雰囲気はまるで深い海底のように、その深さと圧迫感はあまりに圧倒的だった。気を抜けば自身の『自我』が潰れてしまうほどに濃密だった。

書斎机と向き合うと僕は、その中央に置かれたまだ真新しい本を見る。ページを開けばその殆どは白く、タイトルすら書かれていない。

これが、僕が今書いている『魔道書』だった。

魔術師となった者は生涯の中で一冊の魔道書を書き上げる。

それは魔術師となったものに課せられる数少ないルールの中でも、最も大きなウェイトを占めているものだった。

この世界には『魔法』という力があり、それを行使する者たちがいる。

それはこの世界のひとつの真実だった。

彼らの歴史は古く、そして長い。その起源は人が『神』というべき存在に作られ、共にあった『神代』の時代にまで遡る。彼らは『神』からある使命を受け、『魔』という力を使うための因子を授かり、人の歴史を影から創り上げてきた。ある時は魔法を使い文明を、あるいは文化を創り、ある時は王を立て自身は神官、もしくは呪術師として法をとり決め国を、宗教を創り上げた。古代においては王自身が神の使いや巫女であったことは多く、また王よりも神官が力を持っていた事は歴史の上ではよくあった。

人の歴史は光と闇を内包し螺旋を紡ぐ。その中には時として過ちと呼ばれる行為がある。戦争や虐殺。その行為に『魔法』を使う者たちは影から干渉してきた。であれば彼らは悪と、あるいは歴史の闇と呼ばれ裁かれるべきなのかもしれない。


だが彼らの行為に、その判断に善悪の概念は――無い。


なぜならそれは彼らが『神』から授けられた使命は『人を永久に存続させる』ことだった。そして彼らはそれをどこまでも忠実に実行し続けてきたからだ。また〝罪〟という行為があろうとも、未だ人類が存続していることも覆しようの無い事実だった。

魔術の基本価値とは『存続』させることにある。その根本的価値は、西洋のケルトやソロモン、東洋の密教、陰陽道などを問わず全ての魔術体系の中にあり、たとえ死と闇を象徴とする黒魔術であっても同じことである。そうでなければ現代までは残れず、歴史の中に消えていった『存続』しなかった〝無価値〟なものと見なされてしまうためだ。

人が魔法を行使し始めた当初は、様々な魔術体系はすべて同じものであった。それは神の管理の中で人の文化がひとつに纏められていたためだ。それ故に世界の神話にはどこか類似点が多い。しかし人が魔術を扱うようになり、世界のさまざまな地域においてそれぞれの文明を作り『存続』させるという可能性を追い求めた結果、地域に合わせ様々な体系、属性に分かれていったのだ。

魔法を行使し〝歴史〟という螺旋を紡ぎし者たち。彼らはある時から大きく二つに分かれる事になり、二つの呼び名を手にする。

純粋に魔法を行使する者たちである『魔法使い』。そして、文明の衰退あるいは時代の変化の為に消えていく魔法を書止め、伝えていく者たちである『魔術師』である。

魔法の世界において『魔術師』の数は『魔法使い』に比べると圧倒的に少ない。その理由としては魔術体系を問わず魔術を収集に成功した者はほとんどおらず、さらにそれを伝えていく方法として先代の魔術師が後継者を、血縁などを問わず一名のみ指名するという方法を取っているためである。そのため現代では魔術師は減ることはあっても増えることはない。

魔術師となった者には、その性質から『存続』させる者の一つの体現者として他の魔法使いからの多大な畏敬と支援、そして歴代の魔術師達に課せられた幾つかのルールを負うことになる。

僕はペンを取り、魔道書とは別のノートを広げる。このノートはいわば僕にとってはメモ帳のようなものだった。中には最近の事件――魔法が関わったと思われる事件の詳細などが記されていた。

現代においては魔術がらみの事件はほとんど起きない。その理由としてあげれば、人間という種があまりにも増えすぎてしまった事があげられる。

もともと魔法は『神』から与えられたものであり、人間のものではなかった。それは北欧神話のオーディンが、片目と引き換えにすくい上げた知恵の水に似ている。

確かに人間に水の一部はもたらされた。しかしそれには限りがあり、器たる人間が増えすぎてしまった事により、一人ひとりの魔術を使うための因子は限りなく薄いものになってしまったのである。過去の神話において英雄が超常のような力を持ち合せるのは、まだ人間の数が少なく一人ひとりの魔術を使うための因子が濃かったためだ。魔法使い達が現代においても魔法を使えるのは、それぞれが独自の方法で魔術を使う因子濃く、強く保っている為である。

また、人間が独自に持ち合わせた能力である火と鉄から機械を作り上げる力『錬鉄(れんてつ)』が発展したことも大きかった。魔法とは元々科学とは別の論理で〝現象〟を起こす行為だ。例えば、火を起こすのであればそれはあくまで因子を通して魔法の論理で火を起こしているに過ぎず、結果だけをみれば科学で火を起こすのと大差はないのだ。そしてなにより『錬鉄』は人間が自ら手にした固有の力であり、そこに制限は無い。

こうして魔法はいつしか人間の常識では認知の薄い『異』に成り果ててしまったのだ。しかし魔法は無くなってしまったわけではない。存在を忘れようと、どれだけ薄まろうと神々から授かった因子たる〝水〟は確かに人間の中にある。それが時おり現代では知覚しがたい『異』として現象、事件として現れることがある。そんな中から過去には前例が無いものを見つけ、調べ、それを魔術という観点から解析し本に残すこと。それが僕の魔術師としての仕事だった。それは遠い過去から多数の魔術を集め、記憶と共に後継者に受け継がせてきた魔術師だからこそできる事であった。

最近起きた事件の中で、これだと思うものに焦点を当てて考えてみる。その事件は人が突然消えるといういわば、神隠しと呼ばれるものだった。おきた現場や状態から術の論理を考えるが目新しいものは見当たらない。被害者は七歳の子ども。家庭環境は両親が離婚寸前。恐らくは、消えた子どもが現状が嫌で自ら望んで起こしたテレポートだろう。子どもはまだ人間の常識が薄く、〝常識〟外の力を発揮しやすい。日本の七五三は元々、子どもが少しずつ人間の常識を受け入れるための儀式であったとされる。今回もまた同じ現象なのだと僕の中の魔術師達の知識と体験がそう告げる。


――どうにも筆が進まない。


気分転換の為に窓を開ける。夏の生ぬるい空気が室内を満たす。ポケットからセブンスターを取り出し、百円ライターで火をつける。窓から差し込む夏の厚い日差しの中で、紫煙をゆっくりと吸う。タバコを吸える数少ない時間。灯火ちゃんの前で吸う気はないが、吸えばまず紫苑に怒られることだろう。時計を見ればまだ一時間と経っていない。集中力が続かない。最近このパターンが多い。その理由も分からなかった。僕が魔術師となってからまだ時間はあまり経ってはいないことは事実だった。しかしやるべき事もそれを行う手順も分かっている――何千何万と重なる既視感がそれを教えてくれる。だがそれも、筆が進まない理由までは教えてくれなかった。

僕の何が悪いのだろう。分からない。

短くなったタバコを近くの灰皿に押し付けて消す。本当に手持ち無沙汰の状態でなんとなく部屋の中を見渡してみる。まさに書斎というべき部屋。机と椅子それに本に――歴代の魔術師達の書いた魔道書に埋め尽くされた空間。積み重ねられた本はもう訪れない過去の魔術の集大成。一般の魔法使いにとっては何者にも変えがたい知識の固まり。それこそ喉から手が出るほどに欲するものだろう。

だが今はそれもどこか遠い物でしかなかった。

代わりに目に引っ掛かりを覚えたのは、歴代の魔術師達の様々な愛用品の置かれた棚。その中に鎮座しているひとつバイオリンがある。そのバイオリンには見覚えがあった。


――違う。それは僕のバイオリンだ。

 

それは僕がまだ、魔術師になる前に使っていたバイオリンだった。

昔、僕はバイオリンを弾いていたのだ。幼い頃からずっと。

しかしそれも大切な人を失って、死人を甦らす研究を始めてからは止めてしまった。

打ち込んだのだ、ただひたすら研究に。

なぜこのバイオリンがこの部屋にあるのだろう。知らずの内に僕が運びこんだのだろうか。

バイオリンのケースに手を伸ばす。触れたケースは埃を被っていた。ケースを開きバイオリン本体と弓を取り出す。ケースを置きバイオリンを肩の位置に持っていき、ゆっくりと弓を持ち上げ弦に当てる。久々の感覚。

深呼吸。

まずは様子を見るために軽く弦を擦り、いくつか音を出してみる。さすがに長いこと放置していたためか、いくつかは音は外れていた。だが一曲くらいなら弾けないこともなかった。それに久々に弾いてもみたかった。  何を弾こうかと思案してみるが、すぐに浮かんだのはひとつの旋律。


ブラームス作曲、バイオリンソナタ第一番ト長調『雨の歌』


昔、大切な人と一緒にいた時によく弾いた曲。その旋律を体が覚えていた。

ゆっくりと弾き始める。途絶えることもなく続く音。優しくもどこか悲しげにも聴こえるメロディー。止め処なく記憶が溢れる。

「上手だね」

そう言われるのが嬉しくて引き続けた曲。ひどく懐かしい。だが――

弾き続けて――ふと気が付いた。そのどうしようもない程の違和感に。

一度気づいてしまえばそれは決定的だった。

音には個性がある。弾き手の個性が。

音が違うのだ、あまりにも。僕の記憶の中の旋律と。

音が変わる。音楽に携わる者にとってこれはさほど珍しい事ではない。人は時の中で変わっていくからだ。それに伴い良くも悪くも音も変わっていく。それは人が生きているが故の変化。時おり感情、機微の違いでも音は変わる。

だがこれは――そういうことではない。

同じ曲をかつての僕と同じようにアクセントを付けて弾いているだけ。

そう、これはまるで――僕ではない別人が弾いているかのようだった。

『僕』個人の出来の悪いコピー、模造品、オルタナティブ。

旋律が止まる。

なぜ、なぜ――僕は弾けない。

最後にバイオリンを弾いてから六年近い年月が経っている。六年前と全く同じには弾けないことは分かっているつもりだ。

だがどうして――別人のような音しか出せないのだ。


――なにが変わった?


「――――――――」

その理由は。

すぐに出た。

重なる何千、何万の既視感。それに伴う記憶。魔術師達の記憶。

それが今の僕の中にある。それは魔術師になる前の僕の記憶よりも、そちらの方があまりにも多い。

人の人格を成り立たせるのは人を生み、育てる環境から派生する記憶だといわれる。

だと、すれば。

「――――――――」

僕は誰なのだろう?

魔術師になる前の『僕』ではない誰か。

空望。

魔術師としての僕の名だ。しかし魔術師なる前の僕の名前は望月(もちづき)望だった。望月望の記憶の中にはそう呼ばれていたのだと記録されている。

空という苗字、魔術師となった者はこの苗字を引き継ぐ。魔術師となった者に課せられるルールの内のひとつ。

僕は自らの肉体を見た。

望月望の肉体がそこにある。

人の人格は記憶という記録で成り立っているといわれる。しかし実際には、記憶を作り出すための刺激を受け電気信号として脳に流す触媒すなわち五官、肉体も必要だ。コンピューターで例えるのなら記憶たるソフトとそれに合った肉体たるハードが同時になければ機能しないのと同じだ。だが詰まるところ人間の場合は肉体か精神、どちらが先にあるのではなく、肉体が傷つけば痛みを脳は記録し、だが時として傷が無くても脳が記録した痛みを再生させれば体が痛むように、両方が互いに影響しあっているのだ。

ならばつまり。

今の僕の人格は、望月望の肉体に合わせて数ある記憶の中から望月望の記憶を表層に押し出しているにすぎない存在なのだ。

望月望という人格そのものをペルソナ(仮面)にした誰か。

「ああ……」

か細く息を吐いた。

弾けるはずが無い。弾けるはずが無かったのだ。

望月望のかつての殻を被ったに過ぎない今の僕には。

中には僕のものではないものが沢山詰まっている。

かつての人格が余りに多くの記憶の中に埋没し、変わってしまった僕には。

『僕』は何処にあるのだ?

眩暈がした。吐き気もする。いつもとは違う眩暈。

バイオリンを手放し、ソファに座り込む。

しばらく動けそうにもない。

なんとなくさっき開けた窓の枠が目に入った。

そこには短い生を輪唱した蝉の姿があった。

目を閉じれば夏の中で蝉時雨(せみしぐれ)が聴こえる。

蝉は長い時間を地中で過ごすという。そして成体になり短い期間を夏の空で鳴き、逝く。

ふと、思うのだ。

もし蝉が夢を見るのなら、成体になった時どんな姿になり、どんな音で鳴くのかを夢見るのであれば。

成体になった時の姿は、その音は、旋律は蝉たちが夢見たものと果たして同じなのだろうか?

それは蝉たちだけが知っているはず。あるいは、蝉たちは逝くまで知ることはできないのかもしれない。自身の成体となった姿を、その音を。

ただ確かな事は、成体になった蝉たちはただ鳴くためだけに今を生きる。



今は、夢を見る。

遠き白き日々の旋律を。

その欠片を抱いて。

だが――未来を夢みていた過去にはどうしても戻れない。


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