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雨の中をどれだけ歩いたのだろうか、何処をどう歩いてきたのだろうか、覚えてなどいなかった。ただ歩き続けて、ふと顔をあげるとそこには、歩きなれた山道とそこから続く酷く見慣れた館があった。それは魔術師の館だった。
なぜ僕は、ここに戻ってきたのだろう。その訳が本当に分からなかった。
門に向かって歩を進めると、その前に誰かが立っていた。
暗い夜の闇の中で僕は目を凝らす。
そこには傘を差した――紫苑がいた。
「待って……いたのか…」
その言葉を絞り出すまでに、僕はひどく時間が掛かった。
「はい……夜分遅くになりましたが、望さまが戻って来られないので……」
紫苑が無表情で答える。
ひたすら歩いて戻ってきた僕には時間の感覚は既に無かったが、かなり遅い時間になっている事だけは想像がついた。
「灯火ちゃんはもう眠ったのか……」
「……二時間ほど前に」
紫苑が静かに答えた。
「――――――」
それ以来、お互いに言葉はない。僕は紫苑を見ていた。紫苑もまた僕を見つめていた。雨は降り続く。
紫苑は――本当に似ていると思った。その姿も、その顔も彼女に。
だが紫苑は水無透子ではない。
別の存在だ。
ふと僕はその時思ったのだ。紫苑を――壊してしまいたいと、ココロのソコから。
本当にそう思った。ソレハヒドクコワクテキナオモイツキダッタ。
ナニ、ムズカシイコトデハナイ。カツテイチド、ソウシヨウトシタノダカラ。
今度は最後まで事を成すだけだ。
紫苑までの距離は五歩ほどだった。僕は冷たくなった身体で距離を詰める。
一歩、二歩――
ああ、これでやっと終わると思った。コノ、マガイモノトノヒビヲ。モウ、ソノスガタヲ、ソノカオヲミナクテスム。キット、クルシクナクナル。
三歩、四歩――
いろいろと考えた。ドウコワソウカト、ドウコロソウカト。アア、ヒイドクタノシイナ。
ソレハナンテイウ、カイラクダ。タノシイ、ホントウニ、タノシイ。
ハハ、ハハ――ハ
口元が歪んでいくのが分かった。
紫苑は動かない、僕を見ている。
――五歩目、僕は紫苑に近づき手を伸ばした。
だが、そこで。
一瞬――僕は自分の身になにが起きたのか分からなかった。
人のぬくもりを感じた。それは冷え切った身体にはあまりに温かった。
少し経ってから、僕は紫苑に抱きしめられているのだと分かった。
「……どうして…なんだ、紫苑」
それしか言えなかった。僕は君を――
「望さまの心が……泣いていらしたからです。行く所が分からないと、帰る場所がないとただ泣いていらしたからです……」
傘を落とし自らが雨に濡れても紫苑は僕を抱きしめ続ける。
紫苑のぬくもりは温かくて、今は手放すことができずに強く抱きしめた。
なにかが僕の中で壊れた気がした。
もう堪えようがなかった。
疲れていた。今まで歩いてきた闇の深さを僕は知っていた。
雨が降り、冷たい雫が降り注ぐ。だがその中で頬を流れる雫だけが熱かった。
それを止めることは今の僕には、どうしてもできなかった。
紫苑はなにも言わず、僕を抱きしめ続けた。
きっと雨は何も流してくれなどしない――僕の過去も、業も、痛みも。
僕自身がそれを望まなかったのだから。
それでも今はこの雨の中でただ――
白亜幻想・了




