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シト、シト、と気付けば――雨が降っていた。

自らの顔を伝う冷たい雫で俺は、その事にようやく気付いた。

目の前の鬼を見遣る。現代の『異』として『魔』を行使した鬼は、その身体を何本もの杭に貫かれ出来の悪いオブジェのように動かなかった。

鬼――その起源は魔術師や魔法使いと同じでありながら、魔術師とは違い不完全な因子しか持たなかった者達。その不完全な因子の為に魔術を一つしか行使できず、行使すれば暴走し消滅する存在。ただその力は災厄に匹敵するものとなる。それ故にかつて魔術師や魔法使い達に迫害されたもの達。だが目の前の鬼は今や冷たい肉塊に過ぎなかった。

恐らく、この鬼は自己強化の魔法で変貌した人間の成れの果てなのだろう。

鬼が何を求めて変貌したか、それを知る由はもう無い。

「ははは」

知らずの内に口元を歪め、俺は嗤っていた。胸の底でほんのわずかな愉悦を感じたからだ。暴力を暴力で、不条理を不条理で潰した時に覚える愉悦を。

だが――虚しい。

「はは――」

ひどく虚しい。なにも、なにも満たされなどはしない。

知っている。俺は知っている、何故満たされないのか――その理由を俺は知っている。

そして――失った。

「透子……さん」

雨が降り続く空に手を伸ばし、その名を呟く。

もう届かない。この手は届かない、彼女には。



この場所と似た路地裏で俺は彼女と出会った。

そして何度も会う内に俺は彼女に惹かれていった。

「望くんは、家に住みなさい――」

その時まだ高校生だった俺は彼女の提案で彼女の部屋に住ませてもらう事になった。誰もいない家に帰る必要が無くなくなったのだ。

その事に気恥ずかしさと嬉しさを感じたことを俺は、今でも憶えている。

それから続く日々は、白い陽だまりのような穏やかで温かなものだった。

朝起きてご飯を食べ、見送られて学校に行き、一緒に夕ご飯の材料を選び料理する。夕食の後は話をし、時間がくれば床に就く。たまにバイオリンを聴いてもらう。そんな当たり前の生活。

でもその中で、俺は忘れていたぬくもりを想い出していた。ただ満たされていた。

もういらないと思った。乾きを満たす為に暴力は暴力で、不条理は不条理で潰し愉悦を覚えるような日々は。俺にはこのぬくもりがあればいい。この穏やかで温かな日々があれば。それで――

俺は憶えている。

ある夏の日、俺はバイオリンの練習をしていた。次のコンクールが近かったからだ。

気付くと、彼女が傍にいてバイオリンを心地良さそうに聴いていた。

「すみません、透子さん。うるさくして」

俺がそう謝ると、彼女が首を振って言った。

「ううん、気にしないで望くん。望くんの音色は綺麗だから。それより続きを聴かせて貰えるかな」

俺は首を縦に振る。バイオリンに弓を奔らせる。

そして演奏が終わるとささやかな拍手の後に彼女は言ってくれた。

「望くんは上手だね。少し前に聴いた時は音色が悲しげだったけど、今の演奏は優しい音色だったよ」

彼女が微笑む。

それに対して俺は、透子さんが傍にいてくれるからです、とは気恥ずかしくて素直に返すに返すことが出来なかった。

しばらくして、彼女が結婚すると聞いた時には深い衝撃とショックがあった。でも、彼女の幸せそうな顔を見てしまったら何も言えなくなってしまった。会おうと思えばいつでも会えるのだからと、次に会う時も微笑んでくれるような人間でいようと決め、強くなろうと思った。そう思い込むことにした。

だから、彼女が死んだと殺されたと聞いた時、俺は初めその事を絵空事のように信じられなかった。でも真実を確認し、もう水無透子はどこにもいないのだと知ってしまった瞬間、俺の目からは涙腺が壊れたように涙が溢れ、喉からは嗚咽が零れ続けた。

なぜ彼女が死ななければならなかったのだ、誰がその事を決めたのだというのだ。それは『偶然』だったというのか、それとも『必然』だったというか。

――答えなど無い。

水無透子がいない、どこにもいない。会えない、もう会うことができない。

あの微笑みをもう見ることができない。

その事実だけが確かにある。

認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。

会いたかった。もう一度、どうしても。

彼女がいる白い日々をもう一度取り戻したかった。

だから俺は――彼女を生き返らそうと思った。

そのきっかけは高校を卒業する少し前に研究者だった父が亡くなり、その荷物を引き取りに行った時だった。父が大学研究者であった事は知っていたが、なんの研究をしていたのかは知らなかった。最も父とは母の葬式以来、一度も会ったことも話したことも無かったのだが。  

父の研究室に足を踏み入れた時、俺は知った。父が死者を甦らせる研究をしていたことを。父の机には綺麗に置かれた家族の写真と長い間集められた研究の資料があった。

彼女に会う前の俺ならそんな資料は一蹴していただろう。だがこの時の俺はそれを信じた、信じようとした。――それから、実験と研究の日々が始まった。

死者を黄泉返らせる研究。

その追求は正しいのか。それは死者に対する冒涜ではないのか。自然の摂理に反してはいないのか。

知らない、そんな事は知らない。

生死の彼岸も、善悪の境も。自然の摂理も。

俺は――ただ彼女に会いたいだけだ。

その果てに紫苑が生まれた。

最初に紫苑を見た時、俺は激しい歓喜を覚えた。彼女にもう一度会えたのだと、もう一度あの日々を取り戻せるのだとそう思った。

だがその女はこう言った。

「あなたは――誰?」

まるで生まれたての赤子が産声を上げるように、あまりにも無垢なままの表情で俺を見つめて微笑んだ。

彼女と同じ顔で。

彼女は――水無透子ではなかった。

オレハカノジョ二モウイチドアエナカッタ?

ドウシテ?ドウシテナンダ?

ナゼ、ナゼオレハ。

「あ、あ、アアアアアアア――――――――――!」

カノジョトオナジカオデホホエムナ。

コノ、マガイモノガ!

俺は絶望した、これが二度目だった。一度目は彼女が死んだ時、そして二度目は彼女と同じ姿、同じ顔をした別の人間を造ってしまったのだと知った時だった。

俺は消し去る事が出来なかった。不条理な出来事を、不条理な行いで。

それはどんな『偶然』でどんな『必然』だったのだろう。

だれが決めたのだろう? 


ねえ、かみさま?


答える者などない、答えなどない。

ただ打ち付けられた現実とそこから続く日々だけがある。

忘れられない痛みがある。それだけが蹉跌(さてつ)のように広がっていく。

それを受け止めるにはどれだけ強くなればいいのだろう。

誰も答えてはくれない。


だれか光を、だれか――

――螺旋のように続く日々が痛みだけで満たされる、その前に。

 


限りなく降り続く雨が大地を濡らす。

この雨はいつ止むのだろうか?

雨が僕の身体を冷たく濡らす。

僕はどうしてこんな所へとやって来てしまったのだろうか?

望月望の記憶、その中核となった始まりの場所に。

知っていたはずだ、その結末を。

なのに――どうして。

確かめたかったのだ、と『俺』が答える。

そうだ、僕は確かめたかったのだ。魔術師となり幾多の魔術師の記憶に飲み込まれた望月望の記憶を、その業を、その感情を。

僕が『望月望』で在るために。水無透子を想い続けるために。

ソノコトニナンノイミガアル?

冷たい囁きが脳裏を奔る。

オマエハモウ、モチヅキノゾムデハナイ。ソシテカノジョモマタ、ドコニモイナイ。

分かっている。そんな事は分かっている。

それでも、この想いまでは流される訳にはいかないんだ!

例え、僕を歪めてしまうほどの痛み負ってしまったとしても。

でも、と思う。

これから僕は何処に行けばいいんだろう。魔術師で在り続けることは肯定できず、望月望の記憶の中に帰るべき場所などもう無い。

これから何処へ行けば―――

呟きは闇に零れては消えた。

身体は雨に打たれひどく冷たかった。



「望くん、忘れないで。君はだれかにぬくもりを与えられる人だって事を……」

彼女が手を伸ばし、俺の頬に触れる。

その手はとても温かった。

透子さんが結婚することが決まり、別々の生活を始める事になったその日。彼女は俺にそう言った。

俺は彼女を心配させまいと首を大きく縦に振って答えた。

その答えに彼女ははにかみ、そして微笑んだ。

それが彼女の最後の言葉だった。

彼女に会った最後の日だった。


あなたがいなくなったら意味が無いじゃないですか、透子さん。俺はあなたにぬくもりを与えられていたんですから。


僕は歩き出す、ただ呆然と。

行く所もなく、帰るべき場所も無い。

ふと、キシリと音をたてて硝子を踏んで割ってしまったことに気が付いた。

割れた硝子はもう戻らない。ただ蝉の死骸と共に夏の雨に流されていくだけだった。



ああ――夢見ていた過去にはどうしても戻れない


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