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昏い、昏い闇の中。

体の震えが少しでも収まるようにと、僕は必死に体を押さえつける。早く身体の震えを止めて逃げなければならない――目の前の鬼から、『異』から。そう、本能が告げていた。あれの前ではどうにもできないのだと、無力なのだと、だから逃げろと。だが体の振るえがどうしても止まらない。僕が満足に体を動かすことができない中、鬼がその異形の手をこちらにゆっくりと伸ばしてくる。マズい――と思った。あの手に掴まれてはいけない――掴まれればどうなるのか、僕はこの目で見ている。必死に体を動かそうとする、だが体はうまく反応してくれない。鬼の手が目前に迫る。

「―――!」

僕は咄嗟に満足に動かない体を捻り、横に投げ出した。血が溜まる地面を転がる。血に塗れながらなんとか鬼の手を避ける。自分の体から濃い血の匂いがする。

「ハァ…、ハァ……!」

荒い息を吐く。呼吸が追いつかない。心臓が激しく波打つのが分かる。だが次の瞬間、また僕は背筋が凍る感触を覚えた。体を横たえたまま上を見れば、鬼が――その腕を振上げていた。あんなものを振り落とされれば、きっと僕は――。

鬼が手を振り落とす。だがまたも体が反応してくれた。体を横に地面を転がる。次の瞬間、僕の背後ですさまじい音と衝撃があった。僕の体は吹き飛び、近くのビルのアスファルトに叩きつけられた。

「ッ――――!」

痛い、すさまじく痛い。

「う……、っあ―――」

すこし体を動かすだけで体が痛んだ。目を閉じ、痛みに耐える。呼吸すらままならず、僕は悶えた。呼吸をしようと口を開けがうまく吸えない。動けそうになかった。もうこの体は動けそうにはなかった。

気が付けば――僕の体は宙にあった。異形の手に包まれ、掴まれていた。うっすらと目を開ければそこに――鬼の顔があった。その昏い双眸が僕を捉えていた。僕は声をあげようとしたが口からは、なんの音も出なかった。鬼が手に力を籠めだすのが分かった。ミシリ、と体が嫌な音をたてて軋んだ。まるでなにか大切のものが軋んでいく音のように僕には思えた。

「―――ッ―――」

僕は声にならない声を上げる。力の限り体を動かし、鬼の手から出ている右手を叩きつける。だが――鬼の力の前ではなんの意味もなさない。鬼が更に手に力を込める。

このままでは――潰される!

潰れる、潰されて壊される。

なんの意味もなく――不条理に。


 

ふと昔のことを思い出す。昔、同じような場所で一人の女に出会った。その女は黒く長い髪を持ち美しく、彼女とは比べようのないような野蛮な連中に囲まれ、壁に押し付けられていた。その後の展開は火を見るより明らかだった。きっと暴力で犯され、汚され、理不尽に壊される。そこになんの意味もない。俺自身その光景は慣れたもので、さほど珍しいものではなかった。それは都市の掃き溜まりでは当たり前のもの。関わるつもりはなかった。ここに立ち寄ったのも偶然だった。

何処にでも在りそうな暗い光景の中、囲まれた女だけが違っていた。彼女は連中を受け入れようとしていた。頭がイカレているようにも、そういうことを商売にしているようにも見えなかった。ただ優しい表情を浮かべ、まるで駄々をこねる赤ん坊に何かを与えるように受け入れようとしていた。まるでその行ないの全てを、赦そうとするかのように。

その表情が俺には――どうしても気に喰わなかった。

気が付けば、俺は彼女を取り囲んでいた連中を全員殴り倒していた。

そして、俺は彼女に問うた。

「なぜ連中を受け入れようとした――」

「――――」

最初、彼女は答えなかった。

「答えろ――!」

俺は激しい口調で彼女を捲し立てた。こんな風に感情的になるのは本当に久しぶりだった。なぜ自分がこんなに感情的になるのか自分にも分からなかった。

彼女が俺を見る。その瞳はどこか、この世のものでは無いかのように透き通っていた。

そして、彼女――水無透子(みずなし とうこ)はこう答えた。

「――彼らが求めていたから」

彼女はその後、こう続けた。

「あなたもまた求めている――」

ふと、彼女の長い髪が濡れていることに気が付いた。自分の頬に手をやれば水滴が垂れていた。そうして俺はいつの間にか雨が降っていることに気が付いた。

それが俺と水無透子の出会いだった。

 

 

潰される、潰されて壊されていく。

鬼の手に更に力が込められる。体が限界を迎えようとしていた。

壊される、コワサレル。

そうして出会った水無透子は壊された、もう彼女はいない、どこにもいない。もう二度と会うことはできない。彼女は死んだ、殺された。この世界の『偶然』と『必然』の積み重ねの果てに。だから俺は彼女を甦らそうとしたのだ。だが結果は―――

――その結末を誰が決めたのだ。

それは―――なんという不条理。

いや違う。それを不条理と感じているのは―――俺だ。

目の前に鬼がいる。ソイツは俺を壊そうとしていた。ワケも分からず俺は壊されようとしていた。ああ――不条理だ。なんという不条理だ。どこかで声がした。

コノママ壊されてヤルノカ?

――嫌だ。

ワケも分からずコワサレルノカ?

――嫌だ。

マタ、コワサレルノカ?

――そんなことはもう二度と赦さない――。

俺――は鬼の手から出ている手をシャツの胸ポケットに入れる。そこには魔道書を書く時に使うペンが入っている。全身が軋みをあげる中、それを取り出し俺は振上げる。こんなものを強靭な肉体を持つ鬼に突き刺したところで、何の意味もなさないだろう。だが魔術師である〝俺にとっては〟十分だった。

「―― regenerate(再生)」

俺は唱える、自分の中にある魔術を使うための因子を起動させるための呪文を。手の中の空間に光が生まれ、線を描き図形を形作った。幾多の折り重なる図形、そして魔法陣が形成される。魔法陣は手の中のペンを一瞬にして一本の古刀へと変貌させる。その刃の輝きはこの昏い闇を切り裂きそうなほどに鋭く、そしてひどく妖しかった。

――この刀なら、鬼を貫ける。

俺は古刀の柄を掴み、それを鬼の手に力の限り突き入れた。

「―――Gaaa」

刀は抵抗もなく鬼の皮膚を貫き、その肉へと食い込んでいった。 鬼が苦悶の声をあげ俺を放した。体が地面に落ちる。刀を手放しなんとか着地したが全身は痛み、悲鳴をあげていた。

――だがこんなものは今の俺にとっては瑣末な事だった。ただ持てばいい、そう俺の目の前にいる鬼を完全に壊すまで持てばいい――

だが、それには武器がいる。

俺は鬼から距離をとり、再び詠唱する。

「regenerate――」

手の中に再び魔法陣が現れ、今度は何もない虚空から刀を取り出し掴む。先ほどと同じ古刀だ。この刀の名をその銘を『俺』は知っている。名を〝鬼切〟銘を〝安綱〟という。その真の名は髭切。平安時代に作られ、最初は罪人を試し切りした際、髭まで切ったことからその名が付いたが、その後鬼の片腕を取ったことから名を改めたという由来のある刀だ。だからこそ俺は『再生』した。鬼切は鬼を切ったという刀だ、その逸話のために鬼を切ることに対して強力な特性を持っているからだ。

なぜこんなモノを俺が造り出せるのか。それは俺が魔術の因子を通して付近の原子、元素を収集し、『刀』という物質を構成したからだ。

魔術、魔法とは人間が『神』から与えられた因子を通しこの世の法則を、そのルールを科学技術に頼らず行使しているに過ぎない。

『神』とはこの世の法則を、ルールを司る存在である。

『刀』という物質を構成できる俺だが、なぜその刀を〝鬼切〟にすることができるのか。

俺は生まれてからこれまでの時間で〝鬼切〟という刀を見たことも、触ったことも無い。

だが『俺』の中の過去から蓄積された魔術師達の記憶の中には、この刀を見て触れた者がいた。ならば――『再生』できない理由がない。『俺』が識っているのだから。

一度造ってしまえば何度でも造り出せる。最初こそ物質を組み替え再構成する基盤としてペンが必要だったが、もうそれすら必要とはしない。

手の中にある古刀〝鬼切〟しかし実はこの古刀は〝鬼切〟ではない。あくまで今、新しく造られた紛い物だ。

「「Gaaa―――」」

不意打ちを貰った鬼が咆哮する。あれで致命傷を与えられるとは思わなかったが、予想よりも立て直しが早い。鬼は距離を詰めると、刀の刺さってない方の拳を俺に突き出す。

俺は左にステップし拳を避ける。かわした拳がコンクリートに突き刺さり、アスファルトにめり込む。辛うじて避けるがその衝撃が俺に遅れてやって来る。体勢を崩しそうになったがここで崩す訳にはいかない。俺は目の前の鬼を壊すと決めたのだから、攻撃の後にできる隙は逃せない。俺は渾身の力を込め〝鬼切〟を鬼に突き出す。

突き出された刃は鬼の太腿へと吸い込まれる。鬼が再び苦悶の声を上げる。

その隙に俺は詠唱し紛い物の〝鬼切〟を手に収める。

これが魔術師としての俺の特性だ。『再生』――とは失われたものと同じのものを再び造り出す行為とされている。そして造り出されたものは失われたものと同等に扱われる。だが本当はそうではない。再生の真の意味とは失われたものを基盤として〝再び〟もう一度造り上げる行為だ。再生したものを同等の扱っているのは俺たちだ。つまり再生とは、同じ形や機能を目指して創造するという行為に過ぎない。それ故に再生で造り上げられたものはその時点で失われたものとは、別の存在に過ぎず、本物の皮を被った贋作にしかなり得ない。

だからこそ、俺は水無透子を黄泉返らせることが出来なかった。俺は水無透子と全く同じ、別のものを造り上げただけだった。紫苑は水無透子を原型として新しく生まれた〝存在〟でしかなく、その外見こそ同じでもその内面は誕生し立ての無垢なものだった。

人は生きていくほどに業を背負う。俺はその果てに『再生』の魔術を手にした。肉体と記憶、その二つを背負い生きていった果てに業を背負い人になるのであれば、紫苑を水無透子にするためには紫苑に水無透子の〝人生〟を背負わせればいいのだろうか。だが寸部違わず紫苑に体感させたところで、彼女は水無透子となり得るのだろうか。その失われた魂までも再生することは果たしてできるのだろか。

ああ――不条理だ。

激しい殺意を前方から感じた。鬼の双眸がこちらを見ていた。そこからは怒りが見て取れた。まるで自らに逆らう世界の全てを認めず、決して赦さないといったように。

上等だ。不条理たるオマエを赦さないのは――俺だ。

鬼が刀の刺さってない方の手を振上げ、足の傷など関せずにこちらへ地鳴りを鳴らし凄まじい勢いで迫り来る。これで終わらすつもりなのだろう。その拳が振り下ろされれば、俺は生きてはいまい。

だがその前に――

俺は手の中にある〝鬼切〟を水平に構え魔法で浮かせ、手を放す。この刀を鬼に弓で引き絞るように打ち放なったほうが効果的だと考えたからだ。俺は剣士ではない、そのようにこの肉体は訓練されていない。だからこの刀で最も効率良く切ることはできない。

ならば――この刀を打ち放つしかない。

そこでふと思った。目の前にある古刀は〝鬼切〟ではない。言うなれば、同じ特性を持った目の前の鬼を壊す為だけに再生した刀だ。そうであれば、その特性だけを残せるであれば刀の形をとる必要などはないのではないか。

俺は創造し再生する――目の前の鬼を貫く形を。〝鬼切〟がその形状を変化させていく。そうしてできた鉄の棒は矢のようにも槍のようにも見えた。だがそれはあまりにも禍々しく捻れていた。まるで二度と抜けなくし苦痛を負わせ、与え続けるような螺旋の形だった。その捻れた鉄の棒はこう呼ばれるべきだろう。

――杭、と。

――誰が何を裁くというのか。

鬼が迫る。俺は魔術を通して杭を引き絞っていく。

鬼が俺を捕らえ拳を振り下ろそうとした瞬間――俺は杭を打ち放った。

放たれた杭が回転しながら鬼へと一直線に向かう。

周囲に衝撃が奔った。

そして―――

「――Ga―aa――a」

鬼が声を上げる。その声はこれまでとは違い、ひどくか細いものだった。

鬼が自らの体を見る。その体はその腹部は――杭に打ち貫かれていた。しかもそれだけに留まらず杭を通してコンクリートでできたビルの壁に貼り付けられていた。杭を抜こうと手を伸ばすが、その手には力が入らないようだった。ただ足掻く。鬼の体は今や三本の鉄片に貫かれていた。

その様子を俺は見ていた。腹部を打ち抜いた杭は鬼に確かな致命傷を与えていた。

声ならない声をあげてもがく、その鬼の姿は酷く惨めなものだった。これまでに不条理なまでの力を振るってきたものと同じ存在とは思えないほどに。

あと一息で――完全に壊せる。終わらせてやろうと俺は思った。

再生、再生、再生――俺は先ほど鬼に打ち込んだ杭と同じものを七本複製し浮かべ、引き絞る。

俺はふと思い出していた、まだ水無透子に出会う前の頃を。

あの頃はひどく乾いていた。ただ満たされることは無く、ただ求めていた。なにを求めているかも知らずに。だから様々なものに手を出した、悪事や暴力にさえ。似ている、と俺は思った。暴力や悪事は持たざる者にとっては不条理な力だ。そして暴力は更に大きい暴力によって潰されていく、そんな事の繰り返しだ。俺はその中で暴力を振るう時、悪事を振り上げる時わずかに満たされ愉悦を覚えていた気がした。それが例え刹那の偽りのものだったとしても。

そして今、俺は現代の『異』不条理たる力として存在している鬼に対して魔術師として『魔』を行使し更なる不条理で押し潰そうとしている。

あの頃と何も変わらない。ただ失い、求めていた形を知っただけだ。

さあ、終わりにしよう。

――この時俺の口元は知らずの内に、イビツに歪んでいた。

俺は今乾いているのだろうか。


「不条理は――不条理で潰されるべきだ」


俺はそう呟き、杭を放った。


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