友達
午前十一時ごろ、由衣は家を出た。早紀に会う為だ。昨日、早紀から電話があって、一緒に遊びに行かないかという誘いだった。由衣も特にする事がなかったので、会う事にした。
待ち合わせの場所は、門田書店の近くにあるコンビニだった。由衣が先にやってきて、周囲を見渡してみると、向こうのビルの角から出てくる女性が見えた。あれは多分早紀だ、と思った。信号が変わると、道路を横断してこちらにやってくる。
「由衣、こんにちは。会えて嬉しいです」
早紀はそう言って微笑んだ。
「はは。まあ、わたしも……」
由衣も愛想笑いした。そして早紀の姿を見た。
早紀は前に見た通りの美しさだった。しかし服装はかなりカジュアルで、白のシャツにブルージーンズという姿だった。足元はアディダスの白いスニーカーである。背中にはあまり大きくない、グレーのリュックを背負っていた。
初めて会った時もこういう格好だったが、普段からカジュアルな格好が好きなのだろうか。あと、あまり服装に気を使っている印象はなかった。
とりあえず、このコンビニの近くにある門田書店に入る事にする。というのも、岡山県の事を知りたいから、本屋に行きたいと言っていたからだ。由衣は早紀を連れて門田書店に向かった。
「そういえば、早紀って……背が高いですね」
早紀を見て言った。由衣は、早紀の姿を上から下までざっと見たが、とりあえず由衣よりも明らかに背が高い。
ふと、スーツ姿の若い男女が三人ほどすれ違った。あまり背が高い人達ではなかった為か、三人とも早紀よりも背が低く見えた。
「そうですか? 特に背が高いとは言われた事はないけれど、一般的にはそうなのかも」
「身長はどのくらいあるの?」
「確か、一七五センチくらいだったと思います」
「なんと、一七〇センチ越えか……」
由衣は、予想通りの背の高さに驚いた。
日本人女性もかつてに比べて、平均身長は伸びているが、それでも一七〇センチを超えると、背が高く感じる。由衣も一六二センチと、日本人としては割合高めではあるが、早紀はそれよりも十センチ以上背が高いのだった。
「うーん、女性だと一六〇センチでも割合背が高いかもしれないですね」
「そうなの?」
早紀は、意外そうに答えた。
「うん、だってそこらにいる人を見ただけでも、わたしより背の低い人って結構いるし」
「確かにそうねえ」
そんな事言いながら、ふたりは店内に入った
「いらっしゃいませ」
いつも通りに店員の声が聞こえた。ゆったりとした曲調の音楽が流れている。曲名はわからないが、多分クラシックなのだろう。
「どんな本を買うつもり?」
「岡山県の事が知りたいのです。しばらく滞在する事になりそうだから」
早紀は店内をキョロキョロと見回して言った。
「なるほど、何がどこにあるか、そんな事ですか?」
「そうですね」
「そういえば滞在って、早紀はどこに住んでるんですか?」
由衣はふと気になった事を言ってみた。
「私はここよりもっと西にあるホテルにいます」
そう言って早紀は、西の方を小さく指差した。どのくらい西の方にあるホテルなのかは不明だが、とにかくここから西の方角にあるらしい。
「そうなんだ。じゃあ、岡山には仕事か何かで?」
「ええ、仕事なんですよ」
「へえ」
そう言ってふたりは、とりあえず旅行雑誌などを見てみる事にした。
「……あの、由衣。私達もうお友達ですよね」
早紀は、少し遠慮がちに尋ねた。
「え? ああ、うん。そうですよ」
由衣は早紀を見ると、一息ついてそう答えた。友達という言葉に、思わず鼓動が高鳴るのを感じた。
「もっと気さくにお話ししたいな」
「そ、そうですね。でもどう……?」
「その『です』とか、やめたらいいと思うの」
早紀は微笑む。
「ああ、そういう事かあ。そうです……じゃなくて、そうだね、早紀」
うっかり言い間違えそうになって、訂正した。照れ隠しに苦笑いをする。
「うふふ、そうよ。由衣」
「あはは、そうだね」
ふたりは岡山駅までやってきて、「さんすて」内のレストランで食事を摂った。
「さんすて」とは、岡山駅の構内にある商業施設で、正式には「さんすてーしょん岡山」という。
「東京ほどではないけれど、やっぱり岡山も駅はたくさん人がいるのね」
早紀は、ガラスの向こうの駅構内の様子を見て言った。
「まあ、そりゃあそうだろうね。地方都市とはいえ、県内の駅で一番大きいし」
岡山県というところは、はっきり言うと田舎である。古代には一大勢力が幅を利かせていた時代もあったが、現在では日本ののどかな地方都市の域を出ていないのだ。
「私にはこのくらいがちょうどいいわ。あまり人が多すぎるのも大変でしょう」
早紀は食後のコーヒーを飲みながら言った。ブラックが好きなのか、砂糖やミルクは一切入れなかった。
「早紀は、どこか行ってみたいところがある?」
「……そうね、電気製品を見たいわ。日本製はすごいわ。まったく壊れなくて……」
早紀は、どうも日本製の家電製品に、過度な信頼を寄せているみたいだった。由衣からすると、外国製でもそこまで差はない様に思う。国内メーカーのものでも、中国製が多いし。
「あそこのビックカメラに行ってみる? ちょっと、ここからじゃ見えないけど、東口の道路の向こう側の。そういえば来る時見えなかった?」
「ああ、そういえば派手なビルがあったわ。そう、あそこは電気屋さんなのね」
「うん。というか、早紀はあんまり知らないんだね?」
由衣には早紀の言う事が、なんだか初めて日本に来た、外国人観光客という感じだった。
「え? ええ、まあ……そうかしら?」
「いや、まあ別にどうでもいいんだけど」
「賑やかねえ。楽しそうだわ」
早紀は笑顔でキョロキョロしている。あっちにも、こっちにも珍しいもので溢れているという風で、早紀の方が楽しそうである。
「あっ! 由衣、これはトウシバだわ。こっちはヒタチ、すごいわ!」
早紀は家電製品に興味があるらしく、あれこれ見て回っている。当然、店員が話しかけてきて、買いもしないのにあれこれ質問している。
「早紀、もう行こうか」
由衣はいつまでも終わらないので、思い切って声をかけた。さっき、早紀を残してぐるっと回ってきたが、まだ店員と話していたからだ。
「え? そ、そうね。じゃあ行きましょう。——すいません、また来ます」
早紀は店員にそう告げて、由衣の後をついて行った。
しばらく駅周辺を西へ東へ歩きまわり、散々遊んで回った後、少しベンチで休んだ。
「そういえば……由衣は学校にはいかないの?」
早紀はペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら、由衣に尋ねた。
「うん、いかないよ。……わたしは何歳に見える?」
「え? ええと、十代半ばくらい?」
早紀は、由衣の顔をじっと見て答えた。当然の反応だった。
「残念! 正解は四十六歳です」
「ええ? ……もしかして<発症者>なのかしら?」
「そう、その通り」
「それで学校には……要するに、もう卒業しているという事なのね」
早紀は納得した様に頷いた。
「そういう事だね」
「だったら、私より二歳お姉さんだわ」
突然、早紀が衝撃の発言をした。
「二歳? 早紀は……四十四歳って事?」
「そうよ。私も<発症者>なの」
早紀は言った。見た目は二十代くらいだから、本当に四十四歳なら当然そうなのだろう。はじめに出会った時に、どこか気になる人だと感じたのは<発症者>だったからなのだろうか。
「そうだったんだ。じゃあ……」
「うん、それでね……」
いつの間にか話が盛り上がって、気がついた時には午後五時を過ぎていた。
少し日が傾いてきた頃、ふたりは路面電車の岡山駅前乗り場の近くで別れた。早紀が仕事関係で、これから何かあるらしいからだ。
早紀は路面電車でホテルに戻る。由衣も自宅に戻る為に、バスステーションに向かった。由衣は路面電車だと場所的に遠ざかってしまうので、岡山駅周辺だとバスの方が良いのだ。
のんびりとバスステーションに向かって歩き出した際、正面に見える信号が見えた。
「――あ、信号が!」
十メートルくらい先の信号が変わりそうな事に気がついた。信号の下部にある五段階の目盛りが、後ふたつになっているのが見えたのだ。走ったら間に合いそうなので、慌てて走り出した。懸命に走る由衣。頑張った甲斐があったのか、どうにか間に合った。
しかし、間に合ったが勢い余ってしまい、横断歩道の向こう側にいた人にぶつかってしまった。由衣は反動で尻餅をついた。
「す、すいません。大丈夫ですか……」
そう言って見上げると、ぶつかった相手がニコニコしながら手を差し伸べた。
「大丈夫かい? 可愛いお嬢さん」