表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/28

由衣

 少女は眠っていた。今は午前十一時。もう昼である。太陽の明かりをカーテンで遮っている。閉め方が悪かったのか、わずかに開いた隙間から漏れる光が、線となって部屋を両断している。

 ふいに寝返りをうった時、ちょうど目上に光が当たった。眩しそうな表情になって、手を持ってくる。しかし、どうやら目が覚めてしまった様子だ。

 ゆっくりと目を開けると、薄暗い天井が視界に入った。まだ視界はぼやけていた。

 少女は眠い目をこすりながら起き上がると、のろのろとルームランプのリモコンを手にとってスイッチを押した。すぐに部屋が明るくなる。

 しばらくの間、上半身を起こしたままの体勢でじっとしていた。何も考えず、ただ半分夢心地の時間。

 少女はベッドから降りて、ゆっくりと背を伸ばした。無駄のないスタイルの良い肢体が、しなやかに伸ばされる。その身体には、白いTシャツとライトグリーンの下着しか身につけていない。就寝時はいつもこの格好である。

 十代半ばの様に見える、あどけない顔立ちのこの少女は、普通ではないある事情を持っていた。数年前に原因不明の奇病により、実際の年齢よりも若い容姿となっていた。

 この奇病は『老化』と呼ばれ、発症すると、文字通り急速に老化していく。しかし『老化』ではなく、逆に若返っていくと言う、さらに奇妙な症状を発症する者も現れる。彼らは『若返り』と呼ばれ、こちらは若返ってしまう。

 少女は『若返り』を発症したのだ。彼女の年齢は四十六歳である。見た目には十五歳程度の少女にしか見えないが、年齢ではもう中年である。現在、これらを発症した人達を<発症者>と呼ぶ様になっていた。

 少女の名は、「早川由衣」という。

 由衣にはもうひとつの特殊な症状があった。実は彼女は、元は「男」だった。それは『性転換』という、早川由衣にしか発症していない症状だった。この事により大きく容姿が変貌した為、彼女の世界は一変する事になる。

 また、男性だった頃は「文彦」と名乗っていた。性別が変わってしまった事を機に名前も女性の名前に改名した。

 由衣はその事はあまり公にせず、ただひっそりと暮らしていた。なので、この事を知っている人は以外と少ない。

 仕事もせずに、ただひたすら時間が過ぎていくのを、呆然と眺めている様な毎日だった。

「……ふう」

 由衣は小さくため息をつくと、のろのろと寝室のドアを開けて出ていった。


 由衣は岡山市内の割合大きめのマンションに住んでいた。部屋は十階建ての三階にある。3LDKという、ひとり暮らしには広すぎる部屋だった。

 由衣は去年の十二月に勤めていた会社を退職した。それから年が明けて、二月頃に突如引っ越しをした。どうして引っ越しをしたのかといえば、あえて言うならば気分転換というところだろうか。

 辞めた会社は、給料はとても良かった為、お金には困らなかった。さらに去年から始めた投資で余計に困っていない。

 『老化』や『若返り』の<発症者>は、とても知能が高くなる。どういう事情でそうなるのか未だ不明だが、発症していない人などと比べて明らかに高かった。

 特に症状が重いほど高い傾向がある。かなりの重症であり、『性転換』というあまりに特殊な症状まで発症している由衣は、常識を超えた頭脳の持ち主でもあった。

 由衣は『予測』を得意とした。膨大な情報を集めて、それを精査し、その後に起こりうる結果を導き出す。彼女の頭脳は基本的に覚えた事を忘れない。そしてそれを用いて瞬時に答えを出せるのだ。

 その凄まじさは、正確な情報さえ揃えば、一週間後の同じ時刻の天気がわかる。何時何分何秒から、何時何分何秒の間に雨が、どの程度の降水量で降るのか、という事まで予測できた。もっとも由衣はそんな事はまったく気にしていないので、そんな予測はしなかった。

 投資では、この予測能力があまりにも有効で、情報さえあればまず失敗する事がなかった。ネットなどで溢れかえる情報があれば、なにを買えば良いか、なにを売れば良いか、すべて正確に予測できた。

 初めてもう半年以上になるが、貯金はすでに社員当時の年収などとっくに超えていた。むしろ派手に儲けすぎない様に調整しているくらいだった。

 お金の心配がないと、では一体なにをやって生きていこうか、そう考えると由衣は困った。なにも思いつかない。なにをしようとも思わない。

 会社を辞めてからまずあったのが、心にポッカリと穴が空いた様な気分である。

 まるで仕事が生きがいの仕事人間が、定年退職後に何をしたらいいのかわからず、呆然としてしまう状態だった。由衣はそれほどワーカーホリック……仕事中毒というわけでもないが、目標を見失って呆然としている状態だった。

 そのせいか、やはり日常生活は自堕落な毎日で、家事も時々しかせず、食事はコンビニなど、好ましい状態ではなかった。


 由衣は寝室を出て、バスルームに向かうと、洗面所の前に置いている洗濯カゴに着ていたTシャツと、パンツを脱いで放り込んだ。カゴの中には三日分の洗濯物が、まだ放り込まれたままである。見るたびに、いい加減洗わなければと思うのだが、毎回思うだけで時々しかしていない。

 勤めていた頃は、職場と家を往復する毎日という感じだったので、洗濯する時間を作れない事があったが、今は面倒臭がって洗濯していない。

 裸になると、バスルームに入ってシャワーを浴びた。さっぱりすると出てきてバスタオルで体を拭いた。そして再び寝室に戻った。

 寝室で下着を一枚取り出して履くと、再び寝室を出た。髪を拭きながら、今度はリビングにいった。

 ソファに倒れこむ様に座ると、大きくのけぞった。天井を見つめ、しばらく無心のままじっとしていた。

 ――わたしは一体何をしているんだろう。何の目的もなく、ただ漠然と生きているだけ。わたしになにか価値があるのだろうか? ……多分ないのだろう。悲しい話だ。でもなぜか涙も出ない。自分自身で呆れ返っているのだろう。

 そう思っていたら、自然と笑えてきた。愚かしい自分に対する自嘲だ。

 ゆっくりと立ち上がると、なにか食べに出かけようと思い、服を着る為に寝室に戻った。



 ――アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロサンゼルスの郊外に、古びた倉庫が立ち並んでいる施設がある。元は自動車部品工場の倉庫で、その工場が閉鎖されている現在、使われなくなって久しい。緑の少ないサンドカラーの背景に溶け込むような、くすんだ色の廃墟である。

 この倉庫のひと棟に、十数人の男達がそこらに座り込むなどして、何かを話し合っていた。

「……本当に大丈夫なのか?」

 短く刈り込んだ赤い髪に、刺すような鋭い目つきの男が、正面に座る若い男に言った。俳優かと思う様な端麗な容姿の若い男は、その表情に終始微笑を浮かべていた。

「ああ、完璧だね。ボクの計画に狂いはない。そうだろ、ジャック?」

 若い男は、自信に満ちた表情のまま、赤い髪の男、ジャックに対して答えた。

「確かにお前の計画なら、まず間違いないのはわかっているが、なにぶん今回は……」

「心配するのはわかるよ。でもね、これはやらなくちゃあダメだよ。絶対に」

「ああ、お前の言うことに逆らおうとは思わねえよ……」

 ジャックはひと呼吸おいて、

「でもな、今回は核爆弾だ。さすがにちょっと腰がひける」

 と言った。

「それはわかるよ。でもボクの言う通りに動けば失敗はない」

「……あ、ああ」

 若い男は立ち上がると、周囲の男達に向かって言った。

「フフフ、成功は約束されているのさ。大船に乗ったつもりでいてくれ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ