想い
クリスは早紀の後を追わず、別のルートでヴォルフを追いかける事にした。
早紀がヴォルフを追いかけていった後、そのまま追いかけても待ち伏せさせる恐れがある。逆にこちらから奇襲してやろうと考えたのだ。
その部屋の隅にあった、出入り口のドアから外に出ると、ヴォルフ達が出て行った方向を考えて、外からヴォルフの居場所を探した。
ヴォルフ達が出たであろう上の歩廊を屋外から見つけると、そこから続く先を見て、この建屋の中かもしれないと考えた。
クリスはどこかに入れるところはないか探した。
クリスは早紀と別れてから、ずっと考えていた。
――なんでユイはボクを拒否したのか? ボクの何が気に入らなかったのか? ずっと考えているのに、一向に分からなかった。ただ、その愛しのユイが危機に陥っていた。初めはこうなるはずではなかった。
ジャックが裏切って、自分の命を狙っているのはわかっていた。隠密に自分の後をつけて、日本にやってくる事もわかっていた。
そして、ジャックの考えなど、所詮は子供の浅はかな知恵だとあなどり、何をしようが自分にとって困る様な事など、絶対にないとわかっていた……はずだった。
しかし、結果は――ジャックはヴォルフという、イレギュラーな存在をこの計画に入り込ませ、ヴォルフは計画を無茶苦茶にしてしまった。
また、本当の目的である由衣の心を手に入れる事すら、至っていない。拒絶され、クリスの考えはおかしいという。今となっては、由衣は生命の危険すらある状態なのだ。
クリスは今までこの様な思い通りにならない事など、三年前に<発症>した時だけだった。もともと裕福な家庭に育って、何の不自由もなくずっと生きてこれた。結婚もせず、ただひたすらに自分の意見を通してきた。
それがあの三年前の『性転換』を発症した時、言う通りにならない事というのを、初めて体験したのだ。
これは衝撃の出来事だった。身体中に苦痛が這い回り、寒暖差はあるものの、しばし身体を蝕んだ。痛みを和らげたいと思っても、どうにもならない。あまりの事に顔を歪めた。
その後、従兄弟のジェフリーに言って、内緒で治療してもらう様に頼んだ。こんな姿を人に見られたくないからだ。
一時期は昏睡状態にまで陥って、生命の危機に瀕したが、今はこうして生きている。そう、克服した。
しかしその後、自分の自由を奪った、この許しがたい病気を憎んだ。いったい何なのだ? この病気は、いったいどうして発症してしまったのか? そんな疑問を感じ、いつしかそれを調べるようになった。
高い知能を得た様で、あらゆる事が理解できた。調べれば調べるほど、物事を理解する事ができた。
だからなんでも試してみた。何かを予測してみて、本当にできるのか。結果として、できない事などないと言ってもいい。
そして、自分と同じ『性転換』を発症している人がいる事も知り、会ってみたくなった。自分と同じ人。唯一の自分のパートナー。
――想いは募っていった。
クリスは周辺を見て回って、出入りできそうな大きな扉を見つけた。
ただ、鍵はかかっていない様に思えるが、もう古く全体的に塗装が剥がれ、サビで覆われた様な鉄の扉だった。開けようとしてもかなり大変だろうと思われる。別の方から入るほうが良いだろうと思った。
ただ、ふと耳をすますと、中から声が聞こえる。何らかの物音もしている。この扉のすぐ向こう側にいるのか、またさらに別の部屋から聞こえているだけなのかはわからなかった。
――ユイの事が心配になった。この感情はなんだろうか? ボクはユイを愛している。そう、愛しているのだ。でも、なんでこんなに心が、感情が、思考が乱されていくのだろう。それとも、これが愛しているという事なのだろうか?
クリスは、別の入り口を探した。先ほどの扉のある面から、反対側に行ってみようと思い、角を曲がると視線の先にドアがあった。もう古い木製のドアで、上部に備えつけられているガラス窓は割れている。取っ手も握ってみるとグラグラしている。しかし、ドアはロックなどされておらず、簡単に開いた。
中を覗いてみると、ヴォルフや早紀の声が聞こえた。姿は見えないが、この先にいる様子だ。
中は散らかっており、うっかりすると転びそうである。足元に注意して、奥に入っていくと、壁の向こうに人影を見た。
ヴォルフだ。そしてそのヴォルフに拘束され、頭に銃を突きつけられている。また、その向こうには早紀がいた。
少し様子を見てみると、ヴォルフは由衣を盾に、早紀に銃を捨てさせようとしている風である。
――ユイが……危ない。ユイを救わないと。
クリスは、ジャックの部下が落としていた拳銃をズボンのポケットから出した。これをヴォルフに向ける。
しかし、クリスは銃を降ろした。この距離では、どう考えても当たらない。クリスは銃の扱いは得意ではない。無論、射撃の経験は何度もあるが、これだけの長距離からヴォルフだけを狙えるだけの技量はない。それに、由衣に当たる可能性も高かった。
――やっぱり銃じゃダメだ。そう結論すると、何か棒みたいなものででも、殴りかかる様な手しかない。そこらに落ちているコンクリートの破片を投げつけたとしても、ヴォルフに当てられるとは思えない。さらに言うと、多分もっと近寄らないと、クリスの腕力では届かないだろう。
周囲を探してみると、鉄筋の様なものや、何かを通していた配管などがある。
クリスは、足元に落ちていた適当な大きさのパイプを手に持った。直径二十センチ程度の細いパイプだ。長さも一メートルもない為、あまり腕力のないクリスでも、十分に振り回せそうだった。
それを確認すると、ヴォルフ達のいる方を見た。銃を構えていた早紀が、何か言い合った後、銃を置いた。
いよいよ由衣が危ないと感じたクリスは、そっとヴォルフの背後から近づいた。